「魔力増強」
アルトさんが静かに告げると、空中の模様はさらに青い光を強めた。その後、彼を中心として、辺りの光は収縮していく。
「殺人鬼さんよ。人が喋ってる時に、顔も見せねぇのはいただけねえよなぁ……。二月、吹けよ風。【ブリーズ】」
言いながらアルトさんは右腕を上げる。その右腕には、先程見た青い光が、血管のように浮かび上がっていた。そして彼は、ボールを握るような動作で、手を握りしめると、それを殺人鬼めがけて投げた。
けれど彼はボールなんて握っていない。では何を投げ付けたのか? ──それは風だった。
教会の中で風が吹き荒び、わたしの髪も揺れた。後ろにいるわたしの方まで風圧が来るのだ。アルトさんの正面にいる殺人鬼が、これをまともに喰らえば、それは相応に痛いんじゃないだろうか。
けれど避けようにも、風という見えない何か。前面から広い範囲でやってくるそれは、避けようがないのだ。
考えた通り殺人鬼は、『ブリーズ』と呼ばれた攻撃を、まともに喰らってしまう。
風は鋭利な刃物のように、殺人鬼の服と身体を切り裂いていく。そして銀色に輝くような、白い肌が露わになる。
「アルトさん、いやらしい!」
思わず言ってしまったが、それに対する返事は帰ってこない。アルトさんには他に、優先して考えなければいけないことがあったのだ。彼の攻撃には、攻撃以外にも意味があったから。
アルトさんの攻撃によって、殺人鬼のかぶっていた、フードが脱げたのだ。そしてそれを見て理解する。わたし達がなにと戦っていたのかを。
✳︎
「そういえばまだ話してなかったな。都市伝説について」
「はい……」
かねてから疑問に思っていた【都市伝説】について、今、アルトさんに訊いている所だった。
思えば、殺人鬼について話を聞いている時、ちょくちょく都市伝説という単語を耳にしていた。でも忙しくて、それを深く聞くことは出来なかった。けれど今、教会へ向かう道中に、ようやく余裕ができた。
「少し長くなるけど、いいか?」
あっ、じゃあ嫌です。と言いそうになるのをすんでのところで堪えて、うんと頷く。
アルトさんはその動作を見逃さなかったようで、しらけた視線を向けてきた。だが「時間がないからな」と、茶々には付き合わず、彼は語り出した。
「都市伝説にも色々なものがあるが、今回の都市伝説っていうのは、世界各地に広まっている有名なものだ」
お前も多少は記憶に残っていないか? そう訊きたそうだったが、わたしはぽかんとした表情しかできない。だからか、アルトさんは仕方なしとさらに続けた。
「八百年くらい前のことだ。とある都市に一匹の銀色の獣が現れた。突如として現れたそいつは何を想ってか、そこで嵐のように暴れ狂い、その都市を滅ぼした。そいつの体躯は王様が住む城よりも大きく、その姿に人々は畏怖し、見た者は身動き一つ出来なくなったと言う。
そして……その、最初に現れた都市だけでなく、そいつは他の都市にも次から次へと現れて、破壊を繰り返したんだ。
災害とでも言うべき殺戮は、永遠に続くかに思われた」
「だがある時、その破壊はピタリと止んだ。
多くの人間はこれを喜び、銀色の獣は寿命で死んだとか、どこぞの英雄が倒したとか。そんな噂を口々にした。しかし幸せが続いていく事は無かった。
数十年後、銀色の獣が再び現れ、破壊を繰り返したからだ」
「ただ、また数ヶ月が過ぎるといなくなった。そして数十年経つと現れた──。そんな周期が続いていく内に、人間達は気づいた。都市伝説が現れる前には、必ずどこかの都市で、神出鬼没の【殺人鬼】が現れることに……。
そんな殺人鬼は銀色の獣の使いとも、写し身とも言われた。また、ある者は、殺人鬼こそが銀色の獣だと言った」
「…………!」
ゴクリと唾を飲み込む。話の展開についていけない。最終決戦を前にそんな重要なことを言われても。
聞いたのは確かに自分だけれども……もし今回の殺人鬼が、ただの殺人鬼ではなく、そんな都市伝説と関わりのあるものだとしたら……。
生唾を飲み込むに飽き足らず、冷や汗も出てきた。そんな感じで、身体にはっきりと出るほど緊張はあるが、せっかくの機会でもある。だからもう少し都市伝説について聞いてみようと思った。毒を食らわば皿までだ。
「アルトさん。じゃあその銀色の獣って何なんですか? わたしは城よりも大きい獣なんて、記憶の中で見た……獣……? とは違うかもしれないですけど、ドラゴンしか知りません。いったい銀色の獣ってなんなんです?」
アルトさんはひとつ間を置いて呼吸を整えると、静かに言う。
「正体は……実はもう学者や、ある一定の知識人なら答えにたどり着いている」
「えっ!? 本当ですか」
「ああ……だけど、だとすると辻褄が合わないんだ。その都市伝説の正体は」
✳︎
フードの下から覗かせたものは、この世の何よりも神秘に満ちたものだった。それは月の光に照らされキラキラと輝いている。
獣の耳と鋭い爪を持つ彼女は、言葉通り人並み外れた容姿をしていて。幻想という言葉がよく似合っていた。
殺人鬼の髪はきれいな、本当に綺麗な銀色だった。顔立ちは愛らしい。いや違う……あまりにも素晴らしいから、そうとしか形容できないだけかもしれない。本当はもっと違う言葉で伝えるべきだ。
見惚れてしまえるほどの美しさ。どんなに美的感覚が狂っていても、これを貶すことなんて不可能だろう。──まるで芸術品だ。
裂け目ができた修道服の後ろからは、さらにビリビリと布が破けていく音がして……。彼女のお尻の辺りから、大きくてふさふさとした、毛並みの良い尻尾が現れた。
そんな彼女の出立ちを見て、アルトさんは叫ぶのだ。
「おい……おいおいおいおい! ふざけんなよ。本当にか! 本当にか!!」
アルトさんが驚愕から絶叫する。けれど、ともすればそれは、狂気にのまれた歓喜の声にも思えた。
「お前は、お前達は……九百年も前に、人間の手によって乱獲され絶滅したはずだ」
アルトさんはさらに言う。
「銀狼(ぎんろう)!!」
✳︎
──銀狼(ぎんろう)。それは神々が創り出した芸術品。神の獣とも、伝説の大狼とも呼ばれ、銀狐(ぎんこ)と並び立つ、全生物の一つ上に君臨する生命体。
その昔、神の右腕・破壊するものとして恐れられた。
銀狼は通常、狼と同じような体躯だが、ある月の晩にだけ、巨大な狼になることができた。又、他の生物の身体を真似ることも可能だったらしく、妖狼(ようろう)とも呼ばれた。
✳︎
なにはともあれ、そんな正真正銘の人外が、人間と同じ姿をして、わたし達の前に立ちはだかっていた。
「なぜ……生きてる。いや、それは野暮な質問か」
なにも喋らない殺人鬼とは対照的に、自嘲気味にアルトさんはひとりごとのように言う。
「納得できない点は多々あるが、お前が銀狼だというなら、人間を殺しまくる理由は分かる。つまりはお前の目的も【復讐】か……。
人間に乱獲されたよな。人間に殺されまくっただろう。お前達の美しさは、もはや犯罪だ。そんなものの毛皮や身体なんて、手に入るとしたら、何千枚だって金貨を積むやつはいるだろう」
アルトさんの言葉には所々熱がある。それが殺人鬼の耳に──心に届いているのかは知らない。けれど彼は続ける。
「【キャリバー】。それは力も人格も兼ね備えた、最強の英雄。……けれど結ばれた女が悪かった。
キャリバーの死後、彼の息子は父親の力を如実に受け継ぎながら、その力を悪行にのみ使った。なんの罪もない銀色の狼を殺して……。殺して殺して殺し周り。毛皮を売って、母親や友人と金を分かち合った」
アルトさんの言葉を聞いている殺人鬼は、今何を思っているのだろう。彼の言葉は状況分析という意味では、すごくありがたいけれど……。彼が話している内容が確かなら、良い気分ではいられないだろう。
「そりゃあ憎いだろうよ、お前がどういった経緯で、今も生きているのかは知らないが、人間を殺したい。そう思うのは当たり前だ」
目を伏せて言う。いよいよアルトさんの語りも終わりが近いのだ。
最後の言葉を告げるべく彼は、今までの流れを断ち切るように、「けどな」と呟いた。
「お前は……殺しすぎたんだ」
諦観が入り混じった悲しい声音で、殺人鬼へ告げた。
「そんな背景があるんじゃ、お前はどうやっても人間を殺すのをやめないだろう? なら、殺すしかないよなぁ。
なに、大丈夫さ。相手がただの殺人鬼じゃなくて、銀狼だって言うなら、死体になったとしても話は聞いてもらえるだろ。無実は証明できるさ。…………だから死ね」
冷ややかに告げる。
「クリエイト」小さく呟いて、アルトさんは殺人鬼めがけて駆け出した。右手に剣を創り出し、それを上段から殺人鬼めがけて振り下ろした。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!