銀の歌
第72話
トリオンさんとのことで懲りているから、下手な言葉や怪しい素ぶりはしないよう、気をつけるつもりだが。それでも彼らの元へと駆け出す足を止められなかった。
アルトさんもこうなっては仕方ないと、気持ちを切り替えたらしい。ユークリウスさんやラーニキリスさんなど、主だった人達に声をかけていた。
「ドルバーー! 元気ー!?」
「おうよ! セア!」
「シグリア元気?」
「元気だよセアさん。セアさんも元気そう……だよね?」
ドルバは快活に、シグリアは手紙を取り出して、気だるげに返事をした。相変わらず彼らの人柄は変わっていないみたい。
「そういえば少し背ー伸びた? セアちー」
未だ抱きついていたミーちゃんは、一歩跳ねるようにわたしから下がると、自分の頭に手を当て、その後わたしの頭部にもう一つの手を乗せた。その動作や振る舞いが、和やか過ぎて、ついまどろんだように呆けてしまう。
と、それが顔に出ていたようだ。ミーちゃんはむっとしてそっぽを向いてしまった。あわわと思っても時すでに遅かった。
彼らと別れた後も激動の日々で、心休まる時間は、正直あんまり無かった。ささくれ立った心を癒すような、ミーちゃんの振る舞いに癒されての表情ではあったのだが。別の意味合いで、きっと受け取られてしまったのだ。流石に気が抜けすぎていた。
「あはは。気にしないでセアさん。僕らがいつも甘やかし過ぎているだけだから。ミリアちゃんも別に怒っているんじゃなくて、セアさんからも子ども扱いされているようで、少し拗ねてるだけなんだよ」
シグリアの言葉に少し落ち着きを取り戻して、ミーちゃんの様子を見る。するとドルバが励ましているようだった。
シグリアもそうだが、ドルバの振る舞いを見ていると、改めてこの三人が、上手いこと噛み合っているのに気付いた。
わたしへの気遣いはシグリアが、ミーちゃんへの励ましはドルバが……。
決まりきった動作のように動く彼らを見ていて。確かに、これはいつもの通りのことなんだと、納得して安心した。
だからすぐに落ち着いて、シグリアに「そっか」と微笑み返した。そうしたら彼は目を丸くしていた。
「わたし変なこと言った?」
シグリアに尋ねると、彼は首を横に振った。そして『ただ君の成長に驚いているんだよ』そんなようなことを言っていた。
褒められて悪い気はしないけど、自分ではあまり実感が湧かないので首を傾けた。
✳︎
ひとしきり彼らとの再会を喜び、親交を深め終わった後、誰かが足りないことに気づいた。
「そういえばトーロスさんは?」
わたし達という野生動物が、野放しにされている状況がずっと続いてるから、不思議には思っていた。なんで騒ぎ続けても怒られないのか、その訳は気づけば単純で。ただ止める役割の人が足りていなかっただけなのだ。
シグリアはいつも止める側に回っているけど、彼ごときではわたし達の暴走を止められるはずもない。
こんな時はいつも、みんなのお姉さんでありお母さんの、トーロスさんが止めてくれていた。
ここまで大騒ぎしていれば飛んできそうなものなのだが、どうしてもやって来ない。それで質問してみたのだけど、どうにもミーちゃん達の表情が暗い。
「……どうしたの?」
不穏な空気を感じ取ったが、それでも聞かざるを得ないと、彼らを見た。
シグリアが、口を重くしながらも、開きかけた時だった。わたしは背後から肩を叩かれた。
「ぴゃい!!」
跳ね上がり、シグリア達の方へ飛びのく。慌てて後ろを振り返ってみれば、石像の様に固まり、手を前に突き出したユークリウスさんがいた。どうやら空中に浮かんでいるあの手が、先程わたしの肩を叩いたらしかった。
「ユークリウス剣士長。お疲れ様でございます!」
「あっ! 剣士長お疲れです!!」
シグリアは素早く頭を下げた。ドルバも快活に声を張り上げると、いつもの態度からは考えられないほど、礼儀正しい振る舞いをした。若干敬語が間違っている気はするが、普段の態度から考えれば、随分礼儀正しい。そんな二人を見て、ミーちゃんも静かに頭を下げた。
「いや……いい。頭は上げておけ」
「「はっ!」」
シグリアとドルバはきびきびと頭を上げる。二人の呼吸は完璧に合っており、普段の鍛錬の成果が出ているようにも見えた。自分のペースで頭をあげるミーちゃんは置いといて。
それにしてもユークリウスさん。どうしてこちらに来たのだろう。アルトさんとの会話はもう終わったのだろうか?
ユークリウスさんの、樹木のように代わり映えのしない表情からはなんの意図も掴めない。ここにどうして来たのか訊きたくても、恐らくは緊張からだろう、カタカタと小刻みに足を震わせるシグリアとドルバは使い物にならない。そしてミーちゃんも、はなから使い物にならない。
だからわたしが聞くしかなかった。
「ユークリウスさん。わたし達の会話に割って入りましたが、何かあったんですか? アルトさんとの話し合いはどうなりましたか?」
「ああ……」
いや、『ああ』じゃないが……。
動物(マヘト)でも言えるようなことじゃなく、人の言葉を話して欲しいなぁと考えるが、トーロスさん達との話し合いでユークリウスさんの人柄は掴めている。武力方面ならともかく、対人方面となると彼が大分ポンコツになるのは、なんとなく察していたことではあるので、思ったことを全て自分の内に潜め、彼からの返答を待っていた。
「……」
「……」
「……」
「……」
「アルトとの会話はラーニキリス剣兵長に任せてある」
ーー長えよ!! もっとハキハキ喋れ!!
内心では突っ込みを入れるが、一様お偉い立場らしいので。ユークリウスさんが言ってくれた言葉を、笑みを持って迎え入れる。
こういう手合いには、譲る精神が必要なのだと学んだ。
それからまたしばらく沈黙した後、ようやくユークリウスさんは、こちらまで赴いた用向きを話し出してくれた。
「ふむ。……先程トーロス剣兵長について、なにやら話していたようだな。だからな、私の方から話そうとこちらまで来たのだ。アルトからは『お前じゃ話にならん。他の奴を出せ』と言われ、ちょうど手すきだったのでな」
ユークリウスさん……。
表情は変わらないが、尾を引くような哀愁漂う雰囲気に、つい同情してしまう。
でもそんなことよりも他に、意識を向けなければならないことがあるのを、皆の様子から判断する。
「トーロスさんに何かあったんですか……」
彼女の身に何かあったのか。わたしは身構え、前のめりになる。するとユークリウスさんは、わたしに手を前に出すよう告げた。
言う通りにすると、ユークリウスさんはわたしの掌の上に、欠けた銀製の髪飾りを置いた。それは確かな重さがあるというのに、乗せられた瞬間、何か酷い喪失感を味わった。
「…………これは?」
躊躇った。本当は訊かない方がいいんじゃないかと、深層心理では叫んでいた。でも吐いた言葉は戻らないし、ここまで見てしまったというのも変わらない。だから予期できたはずなのだ。これから言われる言葉を。
けれどそれでも叫んでしまうのは何故なのだろうか。
「彼女はよく戦った」
「……………………は?」
言ったことがすぐには飲み込めなかった。だがこれが、彼女の髪飾りだと気づくのに、そう時間はかからなかった。隣でどよめくシグリア達には、視線すら送れなかった。
手の中に置かれた銀製の髪飾りを握りしめ、それを一心不乱に見つめていた。
失意のどん底に落ちる。かけがえのない大切なものを失う。足場が崩れていく。そんな例えようのない思いを味わう他になかった。
この責め苦は無限に続くのかと思われた。でもそこに、聞き慣れた温かみのある声がしたからーー顔を上げる事が出来たのだ。
「言い方ぁぁ!!!」
心に響くような、腹から出た力強い声を聞いた。もう二度と聞くことができないと思っていたその声。我が耳を疑って、声のした方へと振り返れば。そこには木製の椅子に座り、水色のポニーテールを揺らす彼女が、確かにいた。
「と、と、と、と、と」
わなわなと震える口は上手く言葉を紡げない。それでもこの現実が幻ではないのを確認したくて、頑張って口を開いて動かして、彼女にありったけの想いを伝えようとする。
「だいたいなにを言われたかは想像がつくけど……死んでないわよ、私。ね? セアちゃん」
「トーロ゛ズざん゛ん゛ん゛ん゛んんんん」
彼女の胸に飛び込んだ。
✳︎
トーロスさんはシグリア達に下がるように伝えると、何人かはぶーぶー文句を言っていたが、やがて天幕の中へと帰っていった。
なので今この場にいるのは、トーロスさんとわたしとユークリウスさん、そしてトーロスさんの後ろにいるラックルさんだけとなった。
「で、何て言ったんです? ユークリウス剣士長」
「ふむ……おかしいな。今彼女が持っている額当てを渡し、『トーロスはよく戦った』としか言っていないのだがな。勘違いする要素があったのか……」
などとほざいていたので、ユークリウスさんの無駄に鍛えられた身体にボディーブローを放ち、地面に叩きつけた。
前掛けの奥に鎧を着込んでいるため、殴った手の方が痛かったが、それでも殴らずにはいられなかった。
「勘違いする要素しかねぇわぼけぇぇぇ!!」
馬乗りになると、さらにユークリウスさんを何度も殴った。
「ああーーー。それはまぁ、勘違いすると思うけど、許してあげて。一様私達の剣士長なの。位も高いから不敬罪に問われちゃうかも」
「いいんだトーロス。このくらいは子どものわがままの範疇だ。駄々をこねる子どもを、本気で咎めるほど私は狭量ではない」
自分が勝手に殺されたにも関わらず、あくまでユークリウスさんの心配をするトーロスさんに心を痛め、一度手を止めかける……が、ユークリウスさんがふざけたことをまた抜かすので、そのまま続行した。
「あんたのは器が広いんじゃなくて、そもそも器がないんですよ!! 人間性という名の器がぁぁ!!」
腹にボゴォと重いのが一発入ると、ユークリウスさんは口から血を吹いた。それでもなお、彼は無表情のまま、なすがままにされていた。しかし流石にラックルさんに止められた。
「それ以上は……」
わたしは眉を寄せると、ユークリウスさんから降りあっかんべーと舌を出した。
それに対しユークリウスさんはなおも、「子どもとは元気でなくてはな。故郷に残してきた妹を思い出すようだ……」とかなんとか言っていた。わたしはこの日、人生初の心からの舌打ちをした。
その後ユークリウスさんは、トーロスさんから「お疲れのようですし」と、方便と思われることを言われていた。
でもこちらの意図を汲み取れないユークリウスさんは、「まだ疲れは溜まっていないが」などとは言っていた。でもそこはトーロスさん。結局は上手いこと丸め込んでいた。
そしてようやくわたし達は、アホどもから解放され、比較的まともに会話できるメンツとなった。シグリア辺りが異論を唱えてきそうだが、気にしないことにした。
「トーロスさん。お久しぶりです」
「そうねセアちゃん。久しぶり。
ごめんね、私結局、銀糸鳥(ぎんしちょう)一回も送ってないわ。こんなことになるなら、ちゃんと連絡しておくんだったわ」
そう言って微笑むトーロスさんは、憂いを帯びていて、儚げだった。彼女はわたしからしてみれば強い女性だ。だから自分自身が酷いことになっていたとしても、笑顔を絶やさないし、今でも声に力はある。けれどもずっと座ったままの彼女を見て、どうしても憐憫を抱いてしまうのだ。
「……いいでしょう、これ。車椅子(くるまいす)って言うんだって。左右に車輪を取り付けているから動かすことが出来るの。もちろん後ろで押してくれる人が必要だけどね」
「アスハ副剣士長以外に尽くすのは不本意ですが、私は支援兵としての側面を持っていますからね。それに死力を尽くした人には、それ相応の対応はしますよ」
はっきりと喜びの感情を浮かべ、誇らしげに自分が腰掛けるものを自慢する。自分がこうなっていることに対して、一つも後悔の念が無さそうなのが、わたしにはまた痛ましく思えた。椅子を押すラックルさんは、相変わらずトーロスさんに悪態をついてはいるが、言葉の節々に気遣いをみせていた。
聞いては悪いことなのだろうけど、あいにくわたしは自分の欲求に正直な人間だ。事情を聞かないで大人ぶるよりも、事情を知ってトーロスさんのために、言葉を尽くす方を選びたい。聞こうとするのはきっとまだ、自分のためなのだろうけど、わたしみたいなのが変に気を回す方が、かえってこの人は困ってしまうと思う。
「足どうしたんですか? 治るんですよね……」
わたしの質問を予期していたのだろう。トーロスさんは何ら表情を変えることなく、あっさりと言ってのけた。
「ううん。もう動かない」
固まってしまった。驚きという意味では先ほどの方が強かったけど、喪失感という意味では、もしかしたら今の方が強いのかもしれない。
わたしがショックを受けて、どれだけ心情を顔に出そうとも、トーロスさんはずっと微笑んだままだった。彼女の方が辛いのはずなのに、こんな時でもわたしに気を遣ってくれているのだ。決して痛ましい様子を見せようとしない。あくまでも客観的な事実だけを述べて、わたしに必要以上に感情移入させないようにしているのだ。
憶測でしかないし、買いかぶりなのかもしれないが、それでもトーロスさんの人となりを知っているわたしは、そんなことばかりを考える。
「殺人鬼とね。相打ちだったの。私は死ななかっただけましよ」
そうかもしれないが、足だって一生ものだろう。今の言葉は当人が使う分だから、歯を食いしばって受け止めたけど。もし落ち込む彼女に、そんなことを言って励ます奴がいたら、わたしは恐らくぶん殴っている。
「ん? 殺人鬼」
知らない間に俯いていた。でも気になる単語を聞いて、つい顔を上げ、聞き返してしまった。それを見て彼女は笑った。
「うん。そうだよね。セアちゃんはそういう人。ついて来る? きっと彼女も、あなたになら顔を見せるのを嫌がらないと思う」
トーロスさんは言うと、ラックルさんに指示を出す。「いいんですか?」と彼女は訊いていたが、トーロスさんはなんて事ないように、大丈夫だと返していた。
そんな時、声がかけられた。
「俺達も行かせてくれないか?」
近づいてきたのはアルトさんだった。後ろには隠れるようにして、彼のズボンを掴むヘテル君もいた。
トーロスさんは突然のアルトさん達の登場に、躊躇ったように顔を硬らせたが、今更駄目ですとも言いづらかったのだろう。無言で頷くと、ラックルさんに車椅子を動かすように指示した。
「ねぇ。そういえばその子。新しく貴方達の一行に加わったの?」
道中の間をつなぐための気遣いなのか、もしくは純粋な好奇心なのか、どちらかは分からないが、非常に困る質問をトーロスさんはしてきた。
当たり前な質問だけに、答えに少し窮したが、アルトさんはすぐに返してのけた。
「ああ、そうだ。ヘテル……こいつは人見知りなんだ。なんでも自分の身体を晒すのは恥ずかしいらしくてな……。マントを外さないのは大目に見てやってくれ」
つらつらと悪びれもせず、口から出まかせをしまくるアルトさんは、やっぱり詐欺師か何かに向いている気がした。でもこんな状況では、やっぱり頼りになる。
「ふ〜ん。そっか。可愛い子なんだね。お顔、見せてもらえないかな?」
トーロスさんが持つお人好しさも相まって、彼女はアルトさんの言葉に疑問を覚えずに素直に頷いてくれた。だが、その後に続く言葉も、強烈な物。悪意がないのが分かるだけに、たちが悪い。
もちろんわたしは何て返答すればいいか分からなかったので、アルトさんに任せることにした。すると彼はヘテル君に小声で話しかけた。
数秒後、わたしの想像とは反対に、ヘテル君はトーロスさんの前まで一人歩いてきた。
慎重なアルトさんにしては、思い切った行動をとるなと思ったが、慎重だからこそ今のうちに、ヘテル君の無害さを主張しておこうと思ったのかもと考えた。
どれだけ聖騎士団と一緒に行動するのかは、わたしは知らないが、後々になって下手に勘ぐられる方がまずいのかもしれない。
「恥ずかしがりなのに、ごめんね」と言ってヘテル君を見るトーロスさん。
ヘテル君を気遣って、あんまりじっくりと見るようなまねを彼女はしなかったものの、それでもその数秒は彼のことを知っている身としては、緊張ものだった。
やがてトーロスさんは視線を外すと、「ありがとう」と言って、ヘテル君をわたし達に返してくれた。
その後にトーロスさんは言い訳するように、にっこりと微笑んだ。
「ごめんね。いや、つい思い出しちゃったの。君……って何だか似ててさ」
「似てて……って何がだ?」
アルトさんの表情が一瞬だけ冷たいものに変わった。彼からは嫌な清涼感が漂う。わたしが緊張で唾を飲む中、トーロスさんは破顔した。
「いや、私……。下に弟妹(ていまい)達がいっぱいいて。ヘテルちゃん、私の末の【妹】にとっても似てるの! あの子達にもしばらく会ってないからな〜。ごめんね! つい……可愛くって!!」
密かにアルトさんが、腰から短剣を取り出していたことにも、気づかなかったであろうトーロスさんは、はにかんで頰を緩ませていた。
それに対してわたしが言う言葉は一つだけ。
「いや。あの……トーロスさん。ヘテル君……男です」
「え゛っ?」
第72話 終了
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