銀の歌
第101話
「バナンの実?」
「はい、それです」
アルトさんから出された課題をこなす為に、何を買うか話し合って決めたのは、バナンの実という果実であった。
「バナンの実は美味しいからね」
意思を尊重したように、お店のおじさんはうんうんと頷いてみせた。
バナンの実とは、縦に伸びた丸みのある黄色の果物のことだ。特徴として、白い果肉にいくつか空いている小さな隙間の中に、果汁を溜め込むというのがある。食べると果肉と一緒に、その果汁が口いっぱいに広がるのだ。その果汁は酸味があって少し酸っぱいが、濃厚な甘みも同時に味わえる、美味しい果実だ。
ちなみにアルトさんが最後に食べていた果実もそれだ。
「今って安売りなんですよね?」
「ああ、そうだが」
何を隠そう。このお店のおじさんこそが、最初村に入った時に、繁盛していた店の人だ。そのお店に狙いを定めて、少し調べてみたら、バナンの実が安く売られていると、すぐに分かった。
「今年は森の果実がよく実った。バナンの実に限らず、他にも多くの果実がたわわに実ったが……。一番はやっぱりバナンの実だっただろうなぁ」
「そうなんですか」
おじさんの言葉に誘導されるように、お店の中にある様々な果実を、ざっと眺めていく。今はもういないが、先程までお母様方が買っていたことを思えば、村のお店とは思えない程、量があった。それにどの果物の艶も良さそうに思えた。
「売れ残り?」
でもあまりにも残っているので、ちょっとかまでもかけてみようかと、反応を伺った。
「いや、今の時間帯が何故か空いてしまっただけで、まだ買って行く人がいると思うよ。それにこれらは、今日の朝届いたばかりのものだからね。鮮度も良いよ」
おじさんはにっこりとした笑顔で、白い歯まで見せた。嘘は言っていなさそうだ。まぁ嘘だったとしても、何がどう不利なのかは分からないのだが。なんか商人っぽいことをやってみたかっただけである。
「なるほど」
そんな思いは、心の中に潜め、いかにも格好つけて、ふむふむと頷く。アルトさんの真似だ。
「そうしたらバナンの実はどれくらい買って行くんだい?」
合意は得れたと見たのだろう。おじさんが尋ねてくる。手の中に握り締められた、二枚の金貨を見た。これはアルトさんが持たせてくれた硬貨で、ルカナスタ金貨と言う。この大陸においては最も使われている硬貨らしく、もちろんこの村でも使えるとのことだった。
硬貨の図柄(ずがら)の、いかにも偉そうなおじさんを見ながら思う。これで間違っていないよねと尋ねるように……。
「はい、そしたら、じゃあバナンの実を」
言いかけた所でヘテル君にぐいと服を引っ張られた。
「なんです? どうしましたヘテル君?」
これまで沈黙を保っていただけに、急に服を引っ張られて、なおのことびっくりした。ヘテル君は何か訴えるような表情をしているが、それが何なのか、察しが悪いので気づけない。強いて言うなら、一人で決めないで、というような文句の表情にも見えるが、わたしじゃないんだし、そんなことをヘテル君は言いやしない。なので「なーに?」と訊くと、ヘテル君はお店のある一箇所を指差した。
そこに置いてあるものは……。
✳︎
「それでいいのかい?」
「はい、これがいいです。ね、ヘテル君?」
「ん」とヘテル君がこくりと頷いたのを確認して、改めておじさんを見た。
「それはそっちを買ってくれるのも嬉しいけど、果実の方がよくないかい?」
おじさんはバナンの実を指差した。けれどわたし達の決意は固く、首を横に振って「いいえ」ともう一度否定の言葉を述べた。誰がなんと言っても、買いたいものはもう変更したのだ。
「それならいいけれど……そしたら、どれくらい買って行くの?」
諦めたよとおじさんは、次の交渉に移った。それでいよいよ、実際にお金を見せての具体的な話し合いとなった。
ヘテル君を見るも、ここはわたしに任せてくれるようで、首を縦に一度こくんと動かすだけだった。アルトさんから渡された金貨は二枚、それで買いたいものを買ってこいとしか言われていない。つまり買う量だとかも、わたし達に委ねられているのだ。
「はい、それはですね」
その意味をよーく考えながら、欲しい数を言った。
「この二枚の金貨で買えるだけ下さい」
おじさんは戸惑ったようにびっくりしていたが、隣でヘテル君はそれでいいと言うように、頷いていた。
「……そしたら、だいたい三十八って所かなぁ。なんだい、これはもしかして、子どものおつかいではなかったのか」
おじさんもまさか、年端もいかない子ども達が、一つの商品をそんなにも買って行くとは思わなかったのだろう。本当に驚いていた。しかし、その後に一つの想像に行き当たったようで、目つきを細めて、そんなことを言った。だから期待に応えるように、名乗りを告げたのだ。
「はい! わたし達は行商人の弟子です」
にっこりと笑顔で言うと、おじさんは「そうか、だからか」と納得したように頷いていた。
そしてそんな名乗りをしたからか、行商人としての心得を、今更ながら思い出して、安く買って高く売るを実践するべく、値切りを開始した。
「で、なんですが。わたし達はそうです、行商人なんですよ。ですから出来れば値引きさせて欲しいんですけど……」
「えぇ……」
直接的過ぎたのかもしれない。おじさんは驚きを越して引いているし、ヘテル君も絶句している。
「そう言うことは、もっと世間を知って、大きくなってからでも遅くはないと思うよ」
おじさんは優しくもそう言ってくれているが、もうアクセルは踏んだのだ。このままつっきらせてもらう。
「態度だけだったら、もう大きい自信がありますが?」
腕を組み、股を開けて、出来る限り相手を見下ろす。
「えぇ……」
おじさんは優しくもドン引きしてくれたが、ヘテル君はついに恥ずかしさからか、目を伏せた。
「どうしてそれでいけると思ったのか、おじさん教えて欲しいよ」
正論だと思ったが、この態度を止める気はもう無かった。最早突っ切るしかないのだ。
「ええ……。そしたら仕方ない。今回は可愛さに免じて、まけてあげるけれど、みんながみんな、そんなに甘い訳ではないから、商人を目指すなら気をつけるんだよ。いいように騙されてしまうからね」
おじさんはさらに余分に、二つの商品をわたし達に持たせてくれた。おじさんのその予想外の行動に、喜びも一入というもので……。
「ありがとうチュートリアルおじさん!!」
商品を受け取ると笑顔でそう言った。
✳︎
「とまぁ、そんな感じのやりとりがあった訳ですよアルトさん」
といった感じの顛末を、夕刻、わたし達の帰りを待っていたアルトさんに報告していた。話を聞き終わると彼は、総締めのように、問いかけた。
「で、商人として得た今回の収穫や、学んだことは?」
わたし達二人はお互いの顔を見合わせると、代表してわたしだけが答えた。
「女の可愛さは武器になるってことですかね」
「最低な学び方をするな」
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並べられた獣の皮を思案げに眺めるアルトさん。手に取る訳でも匂いを嗅ぐでもなく、ただ眺めていく。品物の良し悪しとかは確認しなくても良いのだろうか?
「獣の皮ねぇ。どうしてこれを買ったよ?」
ギラリと目を光らせて尋ねる。
「ええと、それはですね」
答えようとするも、射抜くような目つきにたじろぎ、上手く口が回らない。普段は割と適当なアルトさんだが、真面目な場面ではやたら怖くなるから困る。
「最初僕達は、バナンの実を買おうと思った。でも後々気づいたことがあって変更したんだ」
答えられないわたしに代わって、ヘテル君が後ろからひょっこり顔を出すと、そう言ってくれた。アルトさんは彼の言葉に関心を示すと、それは、なぜ? と先を促した。
「うん。バナンの実が売れ筋なのは、集めた情報から分かってた。それに安くて、買い揃えるなら今だとも思った。でも、思った程には安くなかった。何故かって言うと、需要があったから」
お店の人は言った。今がたまたま誰もいないだけだと。あれは嘘の発言であるかもしれなかったが、この村に来た時の盛況ぶりを見る限り、一概にそうとも言い切れなかった。
「なるほどな。需要のない場所から、需要のある場所へ……か。だが、それで、それだけで、見向きされそうになかった獣の皮を買ったのか? 確かに獣の皮は色々な加工に使えるから、用途はあるだろうが。それでもまだ果実の方が売れ行きが見込めないか?」
アルトさんの問いにヘテル君はかぶりを振った。
「ううん。駄目だと思う。何故かって言うと、僕達は【行商人】だから」
アルトさんは眉を上げると、その後ふっと、なんだか誇らしげな表情を浮かべた。それはどうしてだ? と表向きは鋭い目つきのまま尋ねていたが、そこには隠しきれない喜びの感情があるようだった。
「そろそろ夏入りが始まる季節。陽は長く昇るし、気温も高い。収穫されたバナンの実は、きっと今の季節ではすぐにダメになる。アルトは次の街につくまで二週間かかるって言った。きっともたないと思った」
そう。わたし達が買う商品を急遽変えたのは、結局の所これに尽きる。行商というのは、移動できるというのが利点のはずだが、それは同時に欠点でもあるのだ。単純な話だ。食べ物を運ぶなら日持ちするものでなければ駄目なのだ。バナンの実は、水気の多い果物、なんとなくだけど、あまり日持ちする印象がなかった。
「なるほどなぁ。しっかり行商の良い点悪い点を考慮して買って来た訳だ」
ヘテル君の説明を聞き終えたアルトさんは頷いた。すると先程までの険しい顔は嘘みたいに破顔していった。
「頑張ったな」
アルトさんは最後にそう言って、わたし達の頭をそれぞれわしゃわしゃと撫でた。わたしはヘテル君と見合って、彼の身体に抱きついて、喜びを分かち合った。
✳︎
「へぇ。そうするとアルトさんもこの情報を掴んでいたんですか」
「まぁな。こいつ、ソフィーを追っかけ回している時に、周囲の村人達の会話から気づいたんだ。だからこそバナンの実のことを印象付けるために、わざわざ最後に口にしたんだ」
「えっ。てことはあれ、ひっかけじゃないですかー!?」
「あははは。まぁそう言うな。それも含めて練習だ。悪い大人に騙されるなよ」
くつくつと笑うアルトさんを尻目に口を膨らませた。
商談……と言える程のものだったかは分からないが、報告も含めて、取り敢えずは一通り終わったので、夕食を部屋で取った後、いわゆるネタばらしのようなことが行われていた。
「ああ、そう言えば結局、行商の利点や欠点に気付いたの誰だ?」
「それだったらヘテル君ですね」
シャクシャクと、アルトさんからご褒美として貰った、バナンの実を食べながら答える。何これ甘。美味い。
「やっぱりか。ヘテルはセアに比べて優秀だな」
目の前でヘテル君の頭を撫でてさらに褒める。
「そういう風な、比べて育てる方針は良くないと思いますよ! 教育委員会に訴えますよ!!」
「何それ、こわ」
とは言いつつも、アルトさんも片方を贔屓するやり方はまずいと思ったのか、ヘテル君を撫でることをやめた。その時若干彼が寂しそうな顔を浮かべたので、うっと心が締め付けられた。
「ご馳走様でしたぁ!」
そう言ってベッドにバタンと倒れ込む。
「キレんな」
当たる先がどこにも無くなってしまった上に、倒れ込んだ際に肩を強打したので、半ギレ気味に言ったのは仕方がなかった。そうだ、このベッド硬いんだった。
「まぁ大分良い時間帯だし、そろそろ寝る準備とするか。下の階に水浴びできる所があったから、行きたかったら行ってこい」
アルトさんが親指でくいと扉の先を指し示した。正直このままふて寝しようかとも思っていたのだが、最近はずっと身体も洗っておらず、逆に汗ばかりかいていることを思い出した。そして思い出すと気になり始めるもので……。
怠慢な動作で起き上がってヘテル君に声をかけた。「一緒に行きます?」と。すると彼は意表を突かれたように、目を丸くすると、すぐさまぶんぶんと首を横に振った。
「お前なぁ」
アルトさんの呆れ声が飛んできてようやく気付いた。あっ、そうか。ヘテル君はヘテル【君】だったと。
可愛い顔をしているからと言うのもあるが、最近はずっと行動を共にしてきたので、羞恥心も薄れてしまったのだろう。何より、その、ヘテル君の優しい接し方が、アルトさんとは全然違って、失礼な話、あまり男らしさを感じることがなくて、彼が男であるという事実を、すっかり忘れていた。
彼だってもう九歳で立派な男の子である。一緒に行くというのは、何かと問題があったのだ。
「そうでしたね……。じゃあソフィーちゃん一緒に行きましょうか!! あなたもなんだか土埃で汚れてますしね!」
部屋の隅の方で丸くなっていたソフィーちゃんをがっと抱き上げ、小脇に抱える。
突然のことに何の反応も取れなかった彼女は、首をぶんぶんと振って、こちらと地面を交互に見るばかりだ。
「じゃあ、行ってくるんで」
扉を開けて外に出て行く。「きゅーん」とソフィーちゃんは鳴いていた。
第101話 終了
水洗いしている最中。
セ「うわ、何これ、ソフィーちゃん毛皮綺麗すぎない!? どうなってるんですこれ?」
ソ「……」
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