銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

桃色とモノクロの外伝② 後編

公開日時: 2021年10月4日(月) 18:30
文字数:3,186


「さぁ、行くか」


 リールが言った瞬間。それは始まった。


 響くは音色。響くは音の羅列。繋がり紡ぎ流麗に流れていく。


──不意に店内に鳴り出したそれは、喧嘩する彼らにとっては、最初こそ煽りのようにも聞こえてきただろう。しかしそんな考えは、すぐに消えたはずだ。この極上の演奏を聞けば。

 『天上へも至れるかもしれない』。そんな比喩が成り立つほど、リールの演奏の腕前は、相当なものだった。


 誰かが振り上げた手を下ろして、周囲を見渡した。誰かが相対する人物から目を逸らした。音の出所を探って。


 世の中には共感覚という、特異な能力を持った者達がいるらしい。彼らは文字に匂いを感じ、風景を舌で味わえるそうだ。そんな彼らがリールの鳴らす音を聴いたのなら、どうなるだろうか。

 音をもし視覚的に捉えることが出来たのなら、きっと今ここには、楽園が広がっていることだろう。耳だけではリールの創り出す世界──天上を理解しきれない。

 もし彼らのような能力があったのなら、リールが創り出す音の世界の一端を、それでようやく見ることができたのだろう。


 ただ当然、そんな能力を持つ者は数少ない。ここにいる全員も当然そうだ。異質な能力は誰も持っていない。けれど、だからこそ凡庸な彼らは、一つのことに集中できる。

 聴覚に全神経を傾ける。そうすると当然、争おうとする手は止まる訳で。罵り合う言葉は消えていく。彼らの今という時間は、聴くことにだけ使われる。


「×××(すごい)」


 誰かが言った。


「まぁ、あいつは……。禊達の国の重要な式典で、ただ一人音を奏でることを許された人間だからな。並大抵じゃないさ」


 それに答えるようにカナンは喋り出す。しかし自国の言語を用いてだったから、ここにいる者は、カナンが何を言ったのか、誰も理解できなかっただろう。

 隣に立つ店員も、カナンが何を言ったのか理解できなくて、それが独り言のようなものとは分かっても、ついつい彼女は首を曲げてしまった。


「あっ。……×××××××××××(ああ、ごめンなさい)。××××××××××××(簡単に言ウ、あイツはすごい奴だ、言うことです)」


 たどたどしくはあるが、すぐにカナンは、この国の言葉で言う。


「×××××××(そうなんですね)」


 言葉が通じにくいこともそうだが、特異な演奏技術、年頃に似つかわしくない話ぶり。

 何やら複雑な事情を抱えていそうなのを感じ取り、踏み込むべきではないと店員は引き下がった。


✳︎


 その後リールに招き寄せられ、カナンも歌ったりして、喧騒は怒号響き合うことのない、賑やかなだけのものとなった。店員に感謝されたリールとカナンは、その日の宿代をタダにしてもらったそうだ。


✳︎


 あの喧騒から一夜が明けた。

 朝の日差しが眩しい中、宿屋の前にはリールとカナン。それから例の店員が立っていた。どうやら見送りをしているようだ。

 店員が一個人にここまですることは、普通ないだろうが、今回は事情が事情だ。感謝の態度を最後まで示したいらしかった。


「××××××××××。×××××××××××(昨晩はありがとうございました。父も母も出かけておりましたから、本当に助かりました。)」


 人の顔を持たない、亜人である触手の店員。そのために人間では、表情判断は難しい。しかし彼女がどんな感情を抱いて行っているかは、その誠実な態度からよく分かっただろう。


 カナンは努めて誠実な笑顔を作ると、ちょっと困ったように肩をすぼめて、「×××××××(気になサらず)」そう言った。


「なんて言ってます?」


 リールが耳打ちして言う。


「ありがとうって」


 カナンが答えると、リールは満足そうに両腕を組んだ。自分の演奏が、こういった状況を作り出していることを、改めて理解したからだ。


 卑屈になるのは違うけど。ちょっとは謙虚になってくれてもいいのにな。

 そんなことをカナンは考えて、がっくりとした。そうしたら店員さんに心配されたが、そこは相手に質問することで、上手いこと話を逸らした。わざわざ身内の評価を下げることは、したくなかったのだ。


「××××××。×××××××××××。×××××××××。(ええ、前はああいう荒事。ヒーローさんって方が助けてくれたのですが。今はもう東の方へ、旅立たれてしまって)」


「×××××××(そうナんでスか)」


 たわいもない雑談に見えるが、しかしカナンにとっては重要な意味があった。元々、この街に来た目的は、調査なのだから、現地の人の話はいい加減に聴いていいものではない。


 それに狙った訳でもなく、友好関係を築けたのだから、これを逃す手はなかった。負い目はあったが、そこはいずれ王位を継ぐものとして、ぐっと我慢するべきだった。何よりこの状況を利用するべきと考えていたのは、自分だけではなかった。


「殿下。せっかく感謝されているんです。あのことについて尋ねてみたら、どっすか?」


 カナンはまたリールに耳打ちをされた。それで彼女の決心は、ようやくついたのだ。


「××××××××××××××(聞きたイことがあリマす)」


「×××××××(はい、なんでしょう)」


 カナンの人間性を、すっかり信頼しているらしい店員は、気色よく返事をした。

 ますます悪いなぁ、そういう思いがふつふつ湧いてくるが、カナンは躊躇わず訊いていく。


「××××××××××××××(体をカクした、ジんブツを最近、見たリしまセンか?)」


「×××××××(そんなことあったかな……)」


 訊かれた内容が予想外のものだったのか。店員は触手を曲げて、考え込んだ。

 宿屋の娘である彼女は、日々色々な人を見ているのだから、そんな人達のことを、確かに見たことがあるかもしれない。けれど逆に言えば会う人の数が多すぎて、そういう人を見たとしても、記憶に残らない、そんなことも容易に考えられた。


 しかし彼女はどうやら、性格と記憶力が良いらしい。カナンのためを思い、必死になって集中して、思い出したのだ。


「××(あっ!)」


 思わずそんな声が漏れた。

 そうすると、すぐにカナンは反応して、期待が入り混じった声で「×××(何カ?)」と尋ねた。


「××××××。×××××××××××××××(あのですね、見ました、以前。橙の髪の青年、透き通るような翠の髪の少女、彼らに連れられていた、マント姿の小ちゃい子を)」


 何本かある内の、一本の触手の先を変形させ、その人物の姿を作り出していく。

 小さなフィギュアのようにして、出来上がったその人物の姿は、表情まで作り込まれた精巧なものだった。

 まだ未成熟で愛らしい容姿をしていることから、その人物が子どもだということを、カナンは理解した。

 そしてそんな感じで次々に、その子どもと一緒にいた人物達を作り上げていく。


「×××××××。××××××××××××。

×××××××××××××××?

(彼らはよく印象に残っています。ヒーローさんのこともありますし、何よりちょっと変で、そして面白い人達でしたから。

 連絡を取る必要があるなら、わたしはその内一人と、ギン素の交換をしているので、何か伝えておきましょうか?)」


 まだ訊きたいことはあった。だが懐かしむような彼女の雰囲気を、壊す気にはなれなかった。だからカナンは、静かに首を振り。


「×××××××(イえ、それニは及ビません)」


 短く言い切った。


「×××××××(そうですか)」


 カナンの毅然とした態度に店員も頷き、触手の先に作り上げたものを崩していった。二人のやりとりを見て、リールは意味深に「殿下がいいなら、まぁいいですがね」そう言っていた。


 そうして幾らかの雑談を挟んだ後、店員は思い出したように彼らに告げた。


「××××。×××××××××××。×××××××××(ああ、そうだ。それから今度音楽祭があるのですが。よければ参加してみませんか?」


 差し出される二枚の紙。それを見てカナンとリールは、互いの顔を見合わした。

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