銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

第93話 セア

公開日時: 2020年12月28日(月) 18:30
更新日時: 2020年12月29日(火) 12:25
文字数:4,637


銀の歌



第93話



「治るんだ」


 アルトさんの話を聞いてから、ヘテル君はその言葉を繰り返し呟き、放心したように自分の左腕を眺めていた。そんな彼の目尻には涙が溜まっていた。

 きっと異業化する前の、自分の手を思い出しているのだろう。


 こんないいことなら、アルトさんもさっさと教えてくれればいいのに、相変わらず人が悪い。そう最初こそ思ったが、今までの経験からそれは違うなと、進む思考の足を止めた。

 アルトさんがどういう人か分かっている。ここまで解決の糸口が見えていて、それでも言い渋っていたんだったら、必ず何かしら理由があるはずだ。


 このまま先伸ばしにしても、いいことはないからと、意を決して尋ねた。


「アルトさん、すっごく良い方法じゃないですか。

 なのになぜ教えてくれなかったんですか? 理由があるんですか?」


 口調では尋ねてる風だが、内心では断定していた。

 自分の手を眺めていたヘテル君も、わたしが訊くと、気を取り戻したようにアルトさんを見た。その目には希望や期待が宿っていた。


 そんな目をしたヘテル君の希望が叶うのなら、どれほど良かっただろうか。けれど現実はいつだって非常だ。

 アルトさんの曇った表情で、わたしは察してしまった。


「……創世魔法でなら、確かに治せる可能性はある。でも【俺はそんなことをやりたくないんだ】」


「は?」


「結局やらないのだから、無意味に希望を持たせたくなかった。だから言いたくなかった」


 アルトさんが何を言っているのか理解できなかった。

 言い渋るから、何か理由があるのは想像がついていた。だけど今の彼の言い分だと。


「つまり貴方は自分がやりたくないから、やらない……っていうことですか?」


「そうだな」


 肯定されたことに心底驚いた。さっきの言葉が、聞き間違いでないことが証明されてしまった。

 抗議の声をあげようとした。でも自分が言うよりも先に、もっと悲痛で辛そうな声がした。


「どうして……!?」


 ヘテル君がそうなるのも無理はない。というよりもその程度の取り乱しで済ませれる方がすごい。


「どうして……!」


 もう一度続けて言った言葉は、先ほどよりも圧が弱かった。すがるような物言いで、見ていてすごく苦しい。けれどアルトさんは眉ひとつ動かさないで、冷淡な様子であった。


「…………まぁ納得できないよな。……ここまで言ったんだ。お前を治さない、分かりやすい理由を述べるとするよ」


 はぁと深いため息をついたアルトさんは、口が重そうに話し始めた。


「魔力量が圧倒的に足りない。俺の魔力量は全然多くないから、お前の異業化した部分を治しきる前に魔力の底が尽きる。異業は一度で完全に治せなきゃ、さっき見せたみたいに、治したそばから異業に飲み込まれる」


「……そんなにアルトさんの魔力量って少ないんでしょうか? 今まで一緒に旅をしてきた感じでは、そこまで少ないようには感じられませんでしたが」


 頭の中に思い描いたのは、アルトさんが大火球を放つ所などだ。アレと比べれば、ヘテル君の腕を治す程度、そこまでのこととは思えない。


「アレは創世魔法と暦魔法を複合させての発動だからな。特殊な例だ。あまり参考にして欲しくない」


「よく分かりませんが……そう言うなら……そうなんですかね」


 アルトさんが話をしようとしないなら、交渉材料もないし打つ手がない。それに魔力が足りないからと言われれば、わたしは彼じゃないので、それに対してどんな反論もできない。

 でももちろん、どんな理由があるにせよ、ヘテル君の異業化を治すことを諦めるというのはダメだ。だからわたしはこう切り返す。


「でも……じゃあ魔力量が足りたなら、アルトさんはやってくれるっていうことですね?」


 できない理由があるなら、それを解決すればいい。単純な理屈だ。魔力量を上げる方法なんて、今のわたしには分からないが、ヘテル君を助けるためなら、きっとその方法を探し出してみせる。


 そう意気込んでの言葉だった。しかしアルトさんは、さらに表情を曇らせた。


「セア……。ダメなんだ。仮にそれが解決できたとしてもダメなんだ。お前は勘違いをしている」


「……何をですか?」


 アルトさんはわたし達全員のことを見渡した後、間を開けて【言い切った】。


「できない理由がどのくらいあるかとかは関係ない。初めに言った通り、【俺が治す気がない】から、何をしたって意味がないんだ」


「アルトさん!!!!!」


 その言葉は言って欲しくなかった。わたしの今の心情は、強情な幼子に言い聞かせるようだった。

 現実にはその逆で、客観的に見て、わたしの方が幼く道理を知らない風に見えるんだと思う。でもここだけは絶対に主張しなければならない。


「ふざけないでください!! 理由があるんでしょう? できない理由が! まだ他にも! それを教えて下さい! そうしたらそのできないを全部、いずれは解決してみせますから!! だから、そんな、まさか、自分がやりたくないなんて、バカみたいな理由で逃げないでください」


 結果だけみれば最初の一言で終わっていた内容だった。アルトさんは最初にちゃんと、『自分がやりたくないからやらない』と言っていた。

 でもまさかそんな言い分だけとは、思えなかったのだ。アルトさんのことだ、きっと何かできない物理的な障害があるのだと、ちゃんとした理由があるのだと信じていた。

 でも現実そんなことはなく、したくないからしないというもので……。


 ここまで言っても何も言い返さないのだから、もうそれでこの問答は終了なのだ。どうしようもない。


 こっちがこれだけ荒げているのに、涼しげに座るアルトさんを見ていたら、わたしは終いには呆れて、ものも言えなくなった。だけどそんな時、布にポタリと水の雫が当たるような、そんな音がした。


「アルトは……僕が嫌いだからやりたくないの?」


 ヘテル君が泣いていた。


「何か理由があるなら、教えてよ。助けて……助けて下さい」


 ヘテル君の振る舞いは弱く脆いものだった。泣き崩れて四つん這いになった姿勢もそうだし、言葉だって触れれば折れてしまいそうだった。どこまでも弱々しい様子は、こんな時に変な感想だが、同時にたおやかにも見えた。

 すがる様には違いないのだが、なんというかヘテル君のそれには卑しさが一つもなかった。心からの懇願だった。

 だからか、アルトさんも苦しそうに彼から目をそらした。


「ほらな。こうなるから言いたくなかったんだ」


 口をついて出たのは愚痴であった。


 その言葉を最後にしばらくの間、わたし達の周囲だけ時が止まったように、それぞれが動けずにいた。響き渡るのは静かなすすり泣く音だけ。そちらを見ればヘテル君だけでなく、ソフィーちゃんが彼を守るように寄り添っていた。時折涙を、自分の体毛で拭おうとする様は、彼女の優しさを、種族は違えど感じることができるほどだった。


 これ以上の話し合いは無理だと、この場にいる誰もが感じていた。しばらくは休憩ということになりそうであった。


✳︎


 鼻息が隣からは聞こえていて、まだ少しいたたまれなかった。だが泣き始めよりは酷くない。


 こうして改めてヘテル君のことを考えてみると、彼がまだどれだけ幼かったかを思い出させるいいきっかけにもなっている気がする。

 ヘテル君はまだ十になるかその程度の歳だ。大人びているからと甘く考えてはいけない。今までだって何度も、彼が泣くところは見てきたのだから。

 言葉を荒げるよりも先に、すべきことがあったのかもしれない。


「一様、まぁ言っておきたいことがあるが……いいか?」


 じっとりした雰囲気の中だ。あまり良い反応は出来ないが、ずっとこんな状態というのも、返ってヘテル君が辛いかなと思い、彼の様子を軽く伺った後に、アルトさんの方を見てこくりと頷いた。


「……ヘテル。俺が言えた言葉じゃないが、俺が慰めようとするのも違うと思うが、それでも一つだけ」


 あれからヘテル君の体勢は変わり、今はまるまるようにして泣いている。顔は俯いて手の下に隠れてしまっているが、アルトさんが呼びかけると、聞き耳を立てた雰囲気があった。


「……それじゃ話すが。俺はさっき、【俺は治さない】と言っただけで、俺以外の誰かがお前を治すことを阻害する気はない。……むしろ、なんだ。ある程度は応援できる」


 なんてアルトさんは言うが、ヘテル君からの返答はなかった。まぁそもそも今の言葉は、いまいち要領を得ないもので返答しにくかったと思う。

 今はヘテル君が動揺していることもあるし、何が言いたかったのか分かりやすく話して欲しくて尋ねた。


「どういう意味ですか? これ以上ヘテル君を混乱させるのはやめてください」


 尋ねる語気はどうしても強くなったし、視線だって厳しくなった。でもそれにしたって、さらりと受け流すのはどうなんだ? 彼はつまらなさそうな目で、わたしを睥睨した後、視線を逸らしたのだ。

 アルトさんの態度に内心腹を立てたが、その流した視線が再び自分の方に返って来たのだから、驚いた。


「……じゃあ具体的に言うぞ。ようするに俺以外の創世魔法の使い手に、異業化を治してもらえって言ってるんだ」


 怒気を帯びた言い方にビビるが、今はヘテル君の代わりにわたしが返答する他ない。不退の念を持って、さらにアルトさんに尋ねる。


「創世魔法の使い手って、全然いないんでしょう? アルトさん前言ってたじゃないですか! 今まで歴史を紐解いても十人もいないって! たしかに可能性はありますが、探すのにとても時間がかかりますし、そもそも今の時代にはアルトさん以外居ないことも考えられます。嫌味ですか!?」


 グッと握りこぶしを作ってアルトさんに咆哮する。彼を見る目は、さっきよりも鋭くなっているだろう。

 でもアルトさんは臆することなく、むしろ余裕がありそうな表情で、当たり前のように言うのだ。


「いるぞ。俺以外にも創世魔法の使い手が」


「……それは。分かっているならありがたいですが。ならどこに? すぐ会いに行ける場所にいるんですか?」


「…………ああ、すぐ近くだ」


 驚いた、本当に驚いた。すぐ近くにいると、アルトさんは確かにそう言った。

 だとすればアルトさんの言うように、何も彼に固執する必要はない。


「そう……ですか……。それは……嬉しい知らせです。じゃあ、その人に会いに行かないとですね。今その人はどこにいますか? その人は誰ですか?」


 先程まであった怒りは、自分でも驚く程小さくなっていた。どころか気分は高揚していた。

 解決方法が分かるや否や、感情が切り替わるなんて、自分でも現金だと思ったがーーヘテル君が治るのであれば、誰にどう思われたっていい。

 わたしはどんなことがあっても、ヘテル君を助けるって決めたから。


「教えてください! その人を!!」


 笑みを持って尋ねた。すると返ってきたのはしばらくの沈黙だった。この後に及んで何を迷うというのか。

 もどかしいが、だからと言って催促はできない。へそを曲げられるのは、避けなければいけないことだった。


 そしてようやく時は来たようで、アルトさんは緩慢な動作で、人差し指をすすすと動かし始めた。宙空を漂う彼の指は、やがてただ一人に向けられた。


「…………アルトさん、それは?」


ーー人差し指は、わたしを指していた。


 幸福の絶頂から一転、視界が180度傾いたような感覚を味わった。わたしの声の転調がそんなにおかしかったのか、ヘテル君やソフィーちゃんも顔を上げてこちらを見ていた。


 そしてアルトさんから言われた一言は、言葉を失うものだった。


「お前だよ。セア。お前も創世魔法の使い手だ」



銀の歌 第93話 終了

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