銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
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第79話 トーロス・アプシーはとらわれている②

公開日時: 2020年11月29日(日) 18:30
文字数:4,761



銀の歌


第79話



 ああ。もう疲れたよ。

 頭の中にある思いは最早それだけだった。


 いなくなったヘテルを探しに行って、無事見つけられたのはいいものの。変な女のガキが一緒にいて、状況から鑑みるに、今回の一連の騒動の原因はそいつ思えた。ヘテルも危険に晒そうとしていたので、殺すべきだと判断した。


 だがそんな時だ。おかしな仮面を付けた奴が邪魔をしてきた。そいつは黒いぼろきれを纏っているから、姿を説明するのには骨が折れる。けれどぱっと見、同じ人間の骨格には見えなかった。背骨なんて、ありえないほど前傾した猫背であるし。


 とまぁそんな何かは、人に似ていながら、人ではできない動きをしてくるものだから、上手く対処できなかった。別段強すぎるということはないが、弱すぎる訳でもなく。

 ヘテルを抱え、両手が使えない状況では、勝てる見込みが薄かった。

 死体騒ぎの元凶が、すぐ目の前にいるというのに、手出しができないのは、非常に心苦しいものがあった。


 それで自分で殺すのは諦めて、誘導しようと思った訳だが。誘導するならするで、攻撃の手は緩められなくて、自分の身を削ってでも、魔法や肉弾戦を仕掛ける必要があった。その過程で魔力は大分削られたし、蹴りなどを喰らわせようとした時には、逆に反撃だけをもらって、足首を鎌で斬られた。


 不利な状況での追い立て戦は、本当に辛かった。


 だからこそあいつらの顔が見えた今、安心してしまって、踏ん張りが効かなくなったのだろう。

 俺はその場に倒れ込んでしまった。


「アルト……! アルト……!」


 ゆさゆさと揺すられている。だがどうにも身体が動かない。ぼやけた視界からはくすんだ鼠色の空と、枯葉が落ち、かさついて味気のない地面だけが見えていた。


「アルト!!!」


 うるさいなぁ。少し休憩させてくれ。

 そう考えもするが、寝ていてはいけない気がして。


「アルト!!!!」


 ぐいと顔を引っ張られ、無理矢理に地面から引き剥がされた。目の前には、枯れ草や枯れ木なんかじゃない、温度や感情がある、確かな命があった。そしてそれが俺の瞳を覗き込んでいた。


「ヘテ……ル……」


 それだけは言えたが、まだ身体は思うように動かせない。目の前のこいつは涙ぐんでいた。その原因は自分にあったから、心配させたくなくて、立とうとするも、やはり自分の身体は動かない。

 だんだんと明瞭になりつつある視界を頼りに、自分が今どんな状態であるか探ろうとしたら、見えてはいけないものが見えた。


 鎌を持った仮面の人型が、奇怪な声を上げて、こちらへと歩み寄って来ていたのだ。


「おい。危ないぞ、ヘテル……。せっかくここまで来れ……た。そう。来れたんだ。だから早くあいつらの所まで行け……」


 まだまだ思考がおぼつかない。だけど自分がここまで来た理由はちゃんと分かっていた。ヘテルを避難させるためと、この不可解な奴らをユークリウス達にぶつけるため。

 後者に関しては、お互い視認できる距離だから、ヘテルがこいつらの脅威を伝えてくれれば、それでなんとかなるし、前者に関しても聖騎士団の中に飛び込めれば、それで大丈夫なはずだ。


 こいつが異業種だってことは、忘れてはいけないけれど、失敗を学んだセアなら、最低限やり過ごすことはできるだろう。

 まぁ、何はともあれ、こいつがあいつらの所まで逃げてくれれば、それで俺の役目は終わりだ。ちゃんと俺はやれたのだ。だから俺の功績が無駄にならないよう、早くヘテルには動いて欲しいのだが。こいつは一向に動かなくて。


「おい……! 頼むから、行け! 俺なら大丈夫。早いとこ合流しとけ……」


 言葉は乱暴になったが、なりふり構っていられない。あの仮面をつけた人型が、すぐそこまで迫ってきている。


「頼む……!」


 口内が何か粘ついて、語気を強くするとむせた。それでも力強く訴える。時間はないから急げと。だがこいつは動かない。むしろより一層、俺の身体に密着した。


「嫌!」


 頑なに動かないヘテルに顔をしかめた。俺は改めてセアやこいつの性格を思い出していた。

 そして心の中で、どうしてこうも俺と対極の位置にいるんだよと、悪態をついた。


 俺だったら、もうとっくに一人で逃げ出している場面。だというのにこいつと来たら、こんな突き放すような言葉を言ったって逃げやしない。むしろ擦り寄ってくる。


 俺は自分のことを、いいやつだなんて少しも思っていない。大切な恩人には恩も返せないままだし、何十何百と嘘をついて、人を騙し利益を得てきたし、良い行いなんて全くしてこなかった。

 なのにどいつもこいつもいい子ちゃんばかりで、本当に反吐が出る。


 特にセアもヘテルも自分の命が狙われた時に、その相手をそもそも恨みもしないのだから、自分とは価値観が違いすぎて最早笑ってしまう。

 日陰で暮らしてきた人間にとっては、こいつらの生き方はとても清いもので、非常に眩しく見える。人に冷たい人間の元に、温かな人間が集まるなんて、どんな嫌がらせだろう。


 そんなことを考えたら、不意に笑みがこぼれてしまった。


 それを見たヘテルは、何か変な勘違いをしたのだろう。さらに抱きついてきた。今更ながらその温かさに感謝した。


 冴えてきた頭脳で頭上を見上げれば、鎌を振り下ろそうとする仮面の人型がいた。


 だから俺は口を釣り上げると「クリエイト」と叫んで、立ち上がりながら右手を伸ばした。創り出した剣で鎌による攻撃を防いで、左手はヘテルを守るように抱きしめた。


「ああ、そうだ。良い奴らだ。だから守ってやらなきゃな」


 口から粘ついた血をぺっと吐き出して、鍔迫り合う剣にさらに力を込めると、仮面の人型を弾き飛ばした。


✳︎



「あ、アルトさん。良かった! 立ち上がった……!」


 仮面を付けた人が、アルトさんに迫った時はもうダメかと思ったが、なんとか凌いでくれた。


 いっつも、いっつも心配させて!!

 アルトさんが無事で良かったという想いはあるが、同時に心配から来る憤りもあった。


 自分が戦えない分、目の前で親しい人が傷ついていくのは、非常に心にくるものがある。

 この戦いが終わったら、きっと文句を言ってやろうと心に決めた。


 アルトさんは付かず離れずの攻防を繰り返し、小さい女の子と、仮面を付けた人を逃がすことなくその場に留め、ラーニキリスさんに彼らを押し付けた。

 ラーニキリスさんは、何やら文句を言っている風だが、アルトさんに何か耳打ちされると、仕方ないといった様子で構えた。


 ラーニキリスさんに背を預けたアルトさんは、なんとか聖騎士団が作り上げた陣の内側に入り込んだ。そしてわたし達は再会した。


 アルトさんにも色々と言いたいことはあるが、なによりも彼の腕の中に収まるヘテル君だ。

 ヘテル君には今回のことは相当きただろう。何だかんだこういう修羅場を、何度も経験してきたわたしはある程度耐性はあるが、きっと彼は違うだろう。

 アルトさんの手から解放され、地に足を付けた瞬間、崩れ落ちたヘテル君を見て確信した。


「あ、あれ……膝が……」


 張り詰めた状況から一転、安心したからだろう。今までの緊張が緩んだのだ。わたしも何度か腰がすくんだことがあるから分かる。


「トーロスさんだよな? こいつを、ヘテルをこの戦域から離脱させてほしい。俺はまだ……戦わなきゃいけない」


 はぁはぁとアルトさんは苦しそうに、肩を上げ下げして息をする。


「ええ。それはもちろん」


 トーロスさんはアルトさんに近寄ると、寄り添って手を取る。自分の名前すら微妙に覚えていない人にも、慈愛を持って気遣おうとする彼女の姿勢は、本当に賞賛に値する。同時にトーロスさんの名前すら覚えていない彼に、確かな殺意を覚えた。


「ラックル……今度はお願いよ……」


 振り返って自分の車椅子を押すラックルさんに言う。けれどその顔は曇っていて、歯切れ悪かった。


「そうですね」


 ラックルさんは、わたしであれば最悪どうにでもなると信頼してくれているのだろう。だがヘテル君ではそうもいかないようで。

 硬い意思があったラックルさんだが、トーロスさんの弱々しい態度や、ヘテル君を逃がすべきという大義が、彼女の立ち位置を不安定にさせた。


 だがヘテル君は確かに逃していた方がいいと、わたし自身も思うので、ラックルさんがうんと頷くような助け舟がいると考えた。


「そうですよ。トーロスさんの車椅子なら、わたしが」


 ラックルさんからひったくるようにして車椅子の握り部分を奪う。そしてぐいぐいと動かす。


「ほら……!」


 ラックルさんに笑顔を見せる。それで流石に彼女も諦めたようで肩を落とした。だが、彼女はそれでも「はい」とは言わなかった。


 そうしていると後ろで「なるほど」と低い声がした。そのすぐ後、「クリエイト」と続けて言葉が聞こえてきて、わたし達の頭上を二つの火の玉がかけていった。それはわたし達の頭上を越えると、地面すれすれを低く飛んでいき、草木も生えぬ墓場に炎の道を作り上げた。


 メラメラと燃える火の道と火の道の間には、ちょうど数人だけ通れるような隙間があった。


「俺が、お前の抜けた穴の分働く。あの道を通れ……。地下から出るやつに関しては知らんが、地上からは近寄り難くなってるはずだ。頼む。行ってくれ……」


 アルトさんは再び「クリエイト」と呟くと、剣を創り出して握り、呼吸を整えて堂々と立った。本当は辛いだろうに、それでもしっかりと足場を踏みしめるその姿勢には、何か感じ入るものがあった。


「……分かりました」


 それでついにラックルさんは折れた。今でも心から納得はしていないのだろうけど、アルトさんの強さを知っている彼女だ。譲らざるを得ないのだろう。


「剣兵長、すぐに戻ってきますので……。

 それからセアさん、素人にこんな戦場を味あわせてしまい申し訳無い。それも大変な役目を……。でも、きっと私達の剣兵長を守ってあげてください」


 ラックルさんはヘテル君の手を掴もうと、その手を伸ばした。一瞬だけ遅れたが、アルトさんはそれに聡く反応した。


「……! ああ、そうだ。そいつのマントはとらないでやってくれ」


「……分かった」


 理解が追いつかなかったのか、ラックルさんは一瞬硬直した。でも頷くと、伸ばした手を引っ込めてくれた。強引だったけど、良い対処だったと思う。この場にはわたし達だけしかいない訳だし、特にお人好しなこの二人なら、そこまで疑問にも思わないはずだ。


 ラックルさんはヘテル君に「走れる?」と尋ねると先導を始めた。これで彼はなんとかなったかなと安堵する。


ーーだがその時。悪寒が走った。


 この悪寒がどこから来ているのか探ろうとして、辺りを見渡す。だがそれを発したものなんて見当たらず、ただ心をばくばくと無意味に動かせるだけだった。


「セアちゃん……」


「は、はい!」


 びくりと全身を震わせながらトーロスさんに返事をする。彼女の声の抑揚はいつも通りなのだが、こんな時に急に声をかけられたものだから、素っ頓狂な声を出してしまった。いったいなんの用事だろう。


「ほら。周囲を見渡させて。自分だけじゃ動けないから」


「えっ……ああ。はい」


 なんだ、そんなことでしたかと、安堵からほっと一息つく。そしてその頃にはもう、悪寒も消えていて、夢だったのかと錯覚させるほど、感覚はいつも通りに戻っていた。


「それと……あ……子…………」


「なんですか?」


「ううん。なんでもない」


 何かしら言いかけた様子だったが、聞き返すとすぐに口を噤んで、トーロスさんは優しい目をした。

 それを見て、相変わらずこの人は周りに気をつかう人なんだと再確認して、気遣い有難いなと、こちらも微笑み返した。すると彼女はすぐにまた前を向いて、辺りに目を配り始めた。


 ……それにしても先程悪寒がした時、何か恐ろしい視線を感じた気がしたが……まぁきっと気のせいだったのだろう。だってここには、こんなにも優しい目をした人しかいない訳だから。



第79話 終了

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