銀の歌
第94話
コロロロロという音は、この辺りに多く分布している夜鳴鳥の鳴き声だとアルトさんは言う。
灯と暖をとる目的で焚いてあった焚き火はもう消えた。この暗黒を照らしてくれているのは、今はもう空に浮かぶ星や半月だけだった。
普段だったら焚き火が消えて、毛布に包まったらすぐに眠れている。いつも快眠だ。だというのに今日に限ってはなかなか眠れない。だからこそ柄にもなく、まるで世界を俯瞰するように周りを見ている。
アルトさんについていって旅を始めた最初の時ならいざ知らず、もう野宿なんて慣れ親しんだもののはずだった。なのにまさか今になって、野宿に違和感を感じ始めたのだろうか?
そんな思考に一旦陥るも、しかしそれはないなと否定した。自分の中で明確な理由が見つかっていたからだ。
辺りの気配を探ってみる。するとすぐに人の気配を感じ取れる。なるべく気取られないように、そちらの方に視線を動かし見渡す。アルトさんは何故かいなかったが、そこにはこの数週間でもう十分に慣れ親しんだヘテル君の寝顔があった。
すぅすぅと寝息を立ててよく眠っているヘテル君の寝姿には、どこか繊細さが見えた。いつだったかアルトさんに、自分の寝姿について小言のように言及されたことがあった。彼曰く、女が寝ているようには見えなかったそうだ。
なんて酷いことを言うんだと今でも思わなくもないが、それでもヘテル君の寝姿は、起きた時に180度回転しているわたしのことを思えば、大変上品であることは疑いようもない。
ヘテル君はいわゆる貴族とかではないのだろう。
何も貴族について詳しいわけではないがーアルトさんから多少聞いた程度だしー。それでも普通の人と比べて、貴族の方々は品があるっていうことくらいは、トーロスさんやラーニキリスさんのことを思い返せば、わたしにだって分かる。そしてそういう貴族っぽさはヘテル君にはない。
こまごまと推測を重ねた訳だが、ようするにわたしが言いたいのは、ヘテル君は育ちが良さそうだなってことだ。
ーーでも実際のところは分からない。ヘテル君について改めて考えてみれば、彼がどんな暮らしをしていたのか、彼がどんな食べ物が好きなのか、彼が普段遊んでいたのは誰だったのか、家族とは仲が良かったのか、どれも分からないことである。そんな中唯一分かっていることは、彼が箱から現れた異業種だということだ。彼が一番自分の中で唾棄(だき)している部分が、わたし達とを繋ぐ情報の一つだというのは、ひどい皮肉だ。
ヘテル君はわたし達との旅に大分なじんできてくれているが、それでもまだまだ隙は見せていないと思う。その証拠が今頭の中に思い浮かべた【分からない情報達】である。わたし達が彼の心の領域……とでもいうものに踏み込んでいかないのもあるが、それにしても分からないことが多い。
何故今になってこんな当たり前の想いを抱いて、夜も眠れぬほど考えこんでいるかといえば、それは今日の夕刻に起きた【創世魔法の話】まで遡らなければならない。
✳︎
「わたしが創世魔法の使い手……?」
「そうだ」
アルトさんに指差しされた後で言われたのは衝撃の一言だった。そしてわたしは当たり前のように困惑した。
歴史を紐解いても、十人といない希少な人間の一人だと言われれば、まぁ驚く。何より自分がアルトさんと同じく、魔法を使える者だなんて言うのは考えもしなかった。
「思い返しても見ろ、自分のやってきたことを。思い当たる節は……あるだろう?」
気持ちを見透かしたように、アルトさんは咎めるような口調で言う。
「……」
それで思い返してみれば、確かにいくつか思い当たることがあった。というよりもその不思議な力ー魔法ーでしか、引き起こせないだろう事象が明確にあった。
「トーロスさんの足ですか……」
あの時のことは記憶がこんがらがっていて、思い出しにくいが、トーロスさんは自分の足が治った際に、わたしに向けて『セアちゃんも何か不思議な力を持っている……』なんてことをたしか言っていた。
「それもそうだし、俺達が出会ってからすぐの……ユークリウスと戦った時もそうだ」
言われて思い出せば、たしかにあれもそうだったのかもしれないと納得できた。第一あれは墓場でも【使った】。
そこまで考えてはっとする。
「そっか、わたし使ったんだ」
魔法の自覚なんてものはよく分からないが、けれど自分はトーロスさんを助けるために、あれを使いたいと思って使った気がする。
そして自分で選択した意識があるなら、疑いようもない。
わたしは間違いなく魔法使いなのだ。
「……わたしが魔法使いなのは分かりました。でも実感が湧きませんし、思い当たる節ばかりですけど、それでもこの魔法が自分のもののようには感じられないんです。何より魔法使いだからといって、いきなり創世魔法の使い手だっていうのは早計な気がします」
「……言いたいことは分かる。急にそんなことを言われてもって感じてるんだろ……? だがな、お前はヘテルを助けたいんだろう。だったらこれは自分の魔法だって受け入れて、使いこなしてもらわなきゃな」
それを言われると大変辛い。
自分が創世魔法を使えるっていうのを否定したいわけじゃないけれど、よく分からないこの不思議な力を受け入れるには、ある程度の時間が欲しかった。
「……大丈夫?」
ヘテル君にたずねられた。先程まで泣き腫らしていたからだろう、問いかけるその瞳はまだ潤んでいた。
創世魔法が本当に自分の力だとしても、正直よく分からないから恐れがある。何よりこの魔法が自分のものだと思えなくて、【使った】けれど【使いこなしていない】のも分かるから、自分の制御下におけていないこの魔法が大変不気味だ。
だけど間違えちゃいけない。この魔法がヘテル君を助けられる可能性を持っていることを。怖いものだけど、それでもわたしはこの子を助けたいと思った。だったらしのごの言わずに、すぐに受け入れるべきなんだ。
「大丈夫だよ……。ちょっとうろたえただけなんだ。だって……伝説の十一人目だよ! すごくない!?」
いつもの調子で言ったから、ヘテル君は多少戸惑っていたが、最後には安心したように微笑んでくれた。
不安は笑顔で誤魔化した。助けるって決めたから。どんなことをしても助けるって。例えばこの先、自分が犠牲になるだけなのであれば、それならいい。負担を負うのがわたし一人で、この子が助かるならいい。
そう割り切ってしまえば簡単なことだ。
第一この魔法が自分にとって不可解だとしても、必ずしもこれが悪いものと決まった訳じゃない。結果だけ見れば、この力は二度も誰かを助けてくれた。
それに自分が創世魔法という、誰かを助けられる力を持っているなら、遅かれ早かれいつかは向き合った問題だ。冷静に考えれば、それが早まっただけの話なんだ。
そうしてわたしは、この不可解な魔法を、なんとか受け入れた。
「必ず君を助けるからね」
誰にも聞こえないだろう声量で呟いた。決意も新たにした所で、ちょうどアルトさんから呼び掛けられた。
「セア、それにヘテル」
「はい、なんでしょうか?」
わたしは声で返して、ヘテル君は長い耳をぴくりと動かした。
「ここまですんなりいくとは思わなかったから先送りにしたが、創世魔法で異業化を治そうとするんなら、いくつか条件があるんだ。それについて話しておきたい」
「ええ……ですから魔力量ですよね? 自分の魔力量がどれくらいかは分かりませんし、どれだけあったら足りるかも知りませんし、増やす方法も聞き覚えがないので、そこはアルトさんに頼りたいですけど……」
「それもそうだが、それだけじゃなくてな」
「はぁ、いつも通り話が回りくどいですね? なんですか? スパッと言ってください」
「…………まぁ、じゃあ条件は」
✳︎
「それでその後に語られた条件っていうのが、貴方を知ることだったんですよね……」
闇の中ヘテル君の寝顔を見ながら呟いた。
アルトさんが語った、異業化を治すための必要条件は、大きく分けて三つ。
一つ目が魔力量、なんでも生物の身体に魔力を通すのはかなり難易度が高いらしく、膨大な魔力がいるとか。
二つ目が創世魔法を上手く扱えること。ただ魔力を火球とかに変換して適当に放つのではなく、生物の身体に干渉するのには繊細な作業がいるらしい。そのため練度も必要不可欠だそうだ。
そして最後の三つ目が、創世魔法を使う対象についてをよく知ること。それは例えば剣を創るのであれば、剣に使われる物質は何か、剣はどれくらいの重さがあるか、通常どのような過程で作られるのかなどなど、それについてよく知っていなければ創れないらしい。
わたしが創ろうとしているのはヘテル君の腕だ。例えば彼の腕があるのであれば、考えたくはないし、わたしの想像でしかないが、魚をさばくみたいに、いわゆる解剖だとかをすれば、彼の腕を創れたのかもしれない。
だが今回はヘテル君の腕っていう物質は完全に無くなっている。そもそもの情報が無いものを創るには、似たものから情報を取り、集めて形を創らなければならないらしい。アルトさんに言われなくても、そうとう難易度が高いだろうと簡単に予想がついた。
加えてただヘテル君の腕をそこらへんに創り出すのではなく、身体と接合するように彼の腕を、もとあった場所に創らなければならない。
つまり創るのはヘテル君の腕だったとしても、今回対象とするのは彼(ヘテル君)そのものとなる。
そのためヘテル君についてをまず理解していく必要がある。それは例えば分かりやすいところだと彼の種族。彼の髪色など。こう聞けば知ることなんて簡単じゃないかと思うだろう。
事実わたしも、最初にそれだけ言われた時はそう思った。だがもっと踏み込んだ話をすれば、例えばヘテル君の骨の数や彼の内臓の位置、果てはどういった部分が発達しているかなどの、細かな箇所への注目も必要らしいのだ。アルトさんの言いたいことはようするに、身体の構造について完全に理解しろということなのだ。
この時点で大分目眩がしたが、それだけじゃなく更に必要なことがあって、それが一番わたしを困らせた。
なんでもヘテル君の生い立ちだとか、ヘテル君の人間性というものを理解しなければならないのだ。
感情のゆらぎというのを理解するのも、生物の身体に干渉する上では重要で必須だと言われた。
それでヘテル君についての理解と促された時、わたしは彼のことを何にも知らないことに気がついた。
ヘテル君が普段何を考えているかはもちろん、好きなことさえも知らなかったのだから、わたしは自分自身に情けなさを覚えた。
でも好みを訊くだけなら、過去を訊くだけなら、比較的簡単に思えた。だってそれって、ヘテル君の趣味嗜好を知ればいいだけの話だ。何も難しいことじゃない。
人のことを理解するのは、それほど苦手じゃないと思っているし、人に興味を持つのも得意だし、何よりわたしは誰かの心に触れたいと願っている。
だからそこまで心配はいらないと思った。少なくとも人体の構造を理解しろと言われた時より、千倍はマシだった。
じゃあなんで困らされたのかと言うと、自分がそうだからと言って、相手が同じとは限らないからだ。
条件を提示されたわたしは、とりあえずヘテル君の生い立ちとかを訊いてみた。すると……。
「一つも返事はありませんでしたね……」
あれ、これ、わたし嫌われてる? 本気でそう思うくらい何にも返事が返ってこなかった。壁に話しかけているのかってくらい、何にも返ってこなかった。正直……虚しかった。
ヘテル君は自分のことを喋ってくれない。静かな子だとは思っていたけど、まさかここまでだとは思わなかった。
だけどまぁ、横になるとすぐに寝始めたヘテル君を想えば、もしかしたら今日は疲れてしまって、話すことすら億劫だっただけかも。
決してわたしが嫌われているというわけではないだろう。そう決して。
「大丈夫ですよね? うざがられてないですよね? わたし……」
夜鳴鳥はわたしの代わりにないてくれているようだった。
第94話 終了
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