銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
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第106話 日常とは非日常の重なりで②

公開日時: 2021年4月26日(月) 18:30
更新日時: 2021年8月11日(水) 20:08
文字数:7,969


前回のあらすじ

『アルトさんの魔力量ざっこwwwコミュ抜けるわ』


 今日は昨日とは打って変わっての、清々しいお天気日和だった。風もほどよく吹いていて、休憩をするにはちょうど良かった。だからだろうか、昨日のことも相まって、つい調子にのって、一人本を読んでいるアルトさんに絡んでしまった。


「アルトさんうぇーい」


 なんだこいつ? という視線を向けてくるが、すっかり慣れっこなのか、アルトさんはやめろと、咎める口調で言うだけだった。味気ない反応に、つい悪ノリのギアを上げてしまう。


「まじうぇーい」


 背後から肩を組むようにして掴むと、一緒に揺れた。


「すごい頭悪そう」


 感情を消して言う。ただならぬ様子に気づいたのか、ヘテル君が視線をこちらに送ってくる。その視線からは、何かよくないことが起きなければいいけど、という感情が簡単に察知できた。

 けれどまぁ、そろそろパワーバランス? っていうものをどうにかしたかったから、ダル絡みをなお続けた。もうわたしの方が強いんだ!


「ひゅ〜♪」


 そこがアルトさんの限界だったのだろう。


「やめろつってんだろ、てめぇ!」


 怒声が響き渡り、ついに取っ組み合いが始まった。

 いつもならここで引く所。しかし今日のわたしは一味違う。なぜならアルトさんなんて目じゃない程の、膨大な魔力があると分かったのだ。今までは彼に勝てないものと決め付けていたが、この力があればなんとかなる。


 だから、肩を掴まれて揺すられるこの不利な状況でも、口角を吊り上げて見下して言えるのだ。


「いいんですか、タルトさん?」


「誰だそいつ!」


 額に青筋を浮かべたアルトさんは、わたしの頭を鷲掴みして、片手で持ち上げる。相当お怒りなご様子。

 王たるわたしとしても、この目の前の雑魚のそんな態度に、多少なりとも煩わしさを感じるが、それ以上に哀れみが大きい。だからまぁ、【多少】の【いたずら】程度なら許さないでもない。


「こんなことしていいんですか? こんがり燃やして差し上げますよ? それこそタルトみたいに」


「昨日からそうだけどさ。上手くねーんだよ! はっ倒すぞ」


 やれやれ、ここまで言っても態度を改めないのか、困ったちゃんめ。最後通告は終えたことだし、魔法の言葉を紡ぎ出す。


「火よ」


 無駄に色っぽく呟いた瞬間だった。鷲掴みが解除された。そして、そうかと思うと、今度は一瞬の内に右腕を取られた。


「へ?」


 間抜けな声を出した時には遅かった。

 右腕は、意図せぬ方向にピンと伸ばされていて、肘裏辺りに手を添えられて固定されていた。それだけでなく、重心移動を利用して、そのまま流れるように、地面に膝をつけさせられた。アルトさんに捉えられた右腕だけが、所在なく天高くにいる。


 わたしにはどういう原理なのか分からないが、肘裏にただ手を添えられているだけなのに、右腕はちっとも動かせなくて、自分でもよく分からない不気味な痛みもあって、ちょっと怖かった。これが俗に言う、【関節をきめられた】と言うやつなのだろうか?


 突然の出来事に対応出来ず、地面を見続けること数秒、はたと気付いた。右腕は上手く動かせないが、右腕の【手首】だったら動くことに。勝機をみたと不敵に笑って、攻撃を仕掛けることを決意する。


 わたしは今、アルトさん側から見たら、背後と腕をとられた非常に情けない状態ではある。けれどわたしの右腕、特に天辺にある手首は、アルトさんの顔、それも目や鼻といった局所が近い。つまりは。


「くたばれ目潰しだ!!」


 スッと動かす。背後をとられているため、視認は出来ないが、きっとアルトさんは驚き慌てふためいていることだろう。しかしもう何をしても間に合わない!

 そんな勝ちを確信した攻撃だったが、アルトさんからは、冷たい言葉だけが投げかけられた。


「ああ。助かるよ。動いてくれたおかげで、手首もよりキツく、キメラレルカラナ」


「えっ……」


 絶望したのも束の間、渾身の一撃は、アルトさんのもう片方の手に、裏側から掴まれ、それ以上動かせなくなってしまった。

 ただでさえ自由が制限された中で、無理矢理動かしたこともあり、手首の締められ方は尋常じゃないくらい固かった。ピクリとも動かせない。


──手首があり得ない角度でピンと立たされたことで、更に右腕全体の拘束が硬くなり、肘はますます動かなくなって。アルトさんに裏から固められた辺りが、嫌な軋み方をした。簡単に表現すれば、ものすごく痛かった。


 最早涙目なのだが、そんなわたしに対してアルトさんは、耳元で囁いた。


「例外はあるが、暦魔法の基本は視線誘導。

 そのまま魔法を使えば、真っ先に地面に当たり、辺り一帯が爆発する。俺も巻き添えで死ぬかもしれないが……この状況で魔法を使えば、何よりお前は確実に助からない」


 言っていることが悪役!

 どうしてこんなことになってしまったのか。ちょっと悪ノリしただけだったのに、まさか命をかけたやりとりに発展するなんて。


 泣いて許しをこう。


「なんで、そんな無駄に強いんですかぁ。行商人ってなんですか、戦闘力が高いぃ。格闘家になった方が、大成まで早いんじゃないでしょうか」


 泣きながら言うが、拘束を緩める気はないようで。


 何度か抜け出そうと試みたが、これ以上無理に動いたら腕が折れそうだったし、そもそも「折るぞ」と脅されたから、結局抜け出せなかった。

 ヘテル君やソフィーちゃんと、途中何度か目があったが、彼らはその度に目を逸らした。ちょっとは情をかけて欲しかった。


 数分後、ようやくわたしは解放された。


✳︎


「鬼、くそ、ゴミ」


 解放された後は、呪詛の言葉を思いつく限り言い続けた。


「あれはお前が悪いだろ」


 それはその通りだが、だからと言って加減はある。あんなこと麗しい女の子にしちゃいけない。

 自分のことは棚に上げ、ヘテル君に助けを求める。


「アルトさんが酷いんだ。ヘテル君! 助けて」


 自分の方に引き寄せるようにぎゅっと抱きしめると、ヘテル君は唐突に巻き込まれたことに困惑したのか、冷や汗をかき始めた。


「てめ! 味方を増やすな」


 抗議の声が飛ぶがそんなことは気にしない。酷いことばかりして、敵を作る方が悪いのだ。だからあっかんべーを返した。

 そうしたらアルトさんは、いい加減このやり取りが無駄だと気づいたらしく、また本を取り出して読み始めた。そんな彼を見ていたら、何か思う所があった。


「ねぇアルトさん」


「なんだよ……!」


 先程のこともあったから、返す言葉には、もうこれ以上邪魔しないでくれといった拒絶、いや、嘆願の想いがこめられていた。だけど今から聞こうとするのは、だる絡みの類ではない。もしかしたらずっと繊細な話。


 アルトさんに尋ねる。


「アルトさんって味方いないんですか?」


 脈絡のない唐突な言葉の暴力に、アルトさんはむせたが、すぐに取り繕って「急にどうした?」と訝しんだ。真っ当な質問だと思ったが、個人的には脈絡があるので、そのまま続けた。


「アルトさんって大抵一人じゃないですか」


「ど真ん中の豪速球投げるのやめない?」


 アルトさんはどんびいて言う。


「ソフィーちゃんも、アルトさんに拾われたのに、あんまり懐いていなさそうですし……。どうしてです?」


 血を吐いたアルトさんは、これ以上はやめてくれと、手で制して来た。

 まぁ、一人本を読む姿を見て、ふと気になっただけだから、そこまで追求しなくていいのだが。

 慌てふためく姿がちょっと面白かったし、いい復讐にもなるから、もうちょっと訊くことにした。子どもって、ほら純粋だから。


「ヘテル君はあの鬼、どう思う?」


 アルトさんを指差して尋ねる。彼は「人に指を向けるものじゃありませんわよ」と、何か吹っ切れた口調で咎めてきた。もちろん無視したが。……おかしくなっちゃたのかな?


 またも急に話題を振られたヘテル君は、戸惑った様子で、まごまごしている。どっかの翠髪と違って、言葉を選び、少し物静かなヘテル君は、流石に答え辛いのかもしれない。

 なので答えやすいように二択にしてあげた。


「好きか嫌いかで言ったら?」


 ヘテル君が口を開けて停滞する中、後方でアルトさんが、もうやめてくれと嘆いていた。

 誰も幸せにならない質問をしたと思ったが、ヘテル君の様子を見て、少しだけ罪悪感が薄れた。


 ヘテル君は落ち込むアルトさんを見て、少し悩んだ後、もう一度彼を見た。すなわち二度見だ。そしてその時、目が合ってしまったようなのだ。すると、すすすとヘテル君は目線を逸らした。


「げぉぉお」


 血を吐いて、アルトさんは地面に倒れた。


「大丈夫ですか!?」


 駆け寄って身体をゆすると、誰のせいだと睨んできた。なので「いったい誰のせいでしょうね?」とすっとぼけたら、拳がきつくしまっていく音が聞こえた。


✳︎


 悪ノリから始まった騒動は、ようやく終わりを迎え、落ち着きを取り戻しつつあった。だが残された余韻は、清々しいものではなく、暗雲立ち込めるものだ。


 ヘテル君は全体的に縮こまっているし、アルトさんは不満を溜め込んでいた。

 ここまでやる気はなかったので、罪悪感が湧いてきた。責任を感じて、この状況をどうにかしようと、まずは一番の被害者であるアルトさんに歩み寄った。


「あの〜アルトさん?」


「あ?」


 柄の悪い返事に一瞬びくりとする。

 背後から、やめておけという視線が届いてくるが、どうかここは任せて欲しい。責任はちゃんと取る。


「あのですね。あ、アルトさんって、す、素敵だなーーって」


 言ってて自分で思った。余計なことしたって。


「急にどうした、ついに頭がいかれたか。元々か?」


 上手に油を注げましたね。これが料理番組なら百点満点だ。アルトさんの声は怒りで震えている。


 このままではまずい、どうにかしなければ。


 頭を巡らせるも、すごまれたこともあって、そもそもアルトさんに視線を合わせることすら困難になっちゃった。視線はあっちこっちと好き勝手に動き、焦点が定まらない。


 死を悟った時だった。乱れる視線の先に、この状況をどうにかしてくれる、打開の一手が、そこに居た。


「あーー。ほらシーちゃんって、アルトさんとずっと一緒にいますよね」


 予想外の一手だったのか、アルトさんの意識が分散していき、急速に彼の怒りがおさまっていった。


「それがどうした?」


 訝しんでいたが、その声にはいつも通りの冷静さが、戻りつつあった。内心で、安心から息を深く吐いた。

 この機を逃してはならない。


「誰かとずっと一緒にいるというのは、いうまでもなく凄いことです。

 わたしはアルトさんのことを鬼だと思っていますが、でもそれは、表面だけしか見ていないからだと思います。本当の貴方は凄い人です。でないと、シーちゃんがずっと一緒に居てくれるはずがありません」


「遠回しに俺を殴ってない?」


 アルトさんは反射的に返した後、少し考え込むようにして、シーちゃんのことを見た。


 今、わたし達は皆、街道からそれて草原に座っている訳だが。シーちゃん──彼だけは違う。堂々とした立ち姿で、座り込むわたし達を上から見下ろしている。

 冷静なシーちゃんは、こうやって皆で騒ぎを起こしていても、いつだって一人、落ち着いた様子で、世界を見渡している。その様は静か過ぎて、まるで死期を悟っているよう。


 そんな風に見えるから、シーちゃんの実体像が掴みにくい。彼は大きな体躯だというのに、少しでも目を離せば、その姿が見えなくなる錯覚がある。いつの日にか気付くことなく、蜃気楼のように、いなくなるような気さえする。

 特にここ最近は人数も増えて、前よりも意識を分配するようになったから。


 アルトさんは、そんなシーちゃんと、もう何年も一緒に旅をしているのだから、それはやはり凄いことだ。

 誰かと離れることなく一緒にいるというのは、難しいことだ。それが特に、一人でいることを好むような子であれば、きっと尚更だ。二人とも、誰かと一緒に居ることを好みそうな性格ではない。


 離れないそもそもの理由として、飼馬だからはあるだろう。だけど二人を見ていると、どうもそんな単純な関係には見えなくて。

 彼らの立場は対等で、その上でお互い、自分の役割を果たしている。それが、数ヶ月共に旅をしてきた、わたしの所感だ。


 それにアルトさんは、誰も見捨てず、傷つけることのない優しい人なのだろうか? その疑問に自問自答すれば、答えは……どうしてもノーだと思う。

 拾った他者は見捨てないかもしれないが、それ以外、特に自分は別な気がする。


 アルトさんにとって物は消耗品。武器はたくさん壊すし、自分の身体もたくさん壊す。わたし達のことは、なんだかんだちゃんと扱ってくれているが、彼が自分を大切に扱っている所は見たことがない。彼は自分の命や自分の消耗品に対して厳しい。


 そしてアルトさんは、シーちゃんを主従の関係で捉えていない。彼をもっと深い所で見ている。自分の物、あるいは自分自身だと捉えている節がある。二人は、阿吽の呼吸なんてざらだし。第一シーちゃんは、アルトさんから【手渡し】された物でしか、ご飯を食べない。

 そういう所からも思うのだ。簡単な関係ではないと。


 ちょっと精神状態が難しい二人だ。そんな彼らが、ここまで一緒に旅をしてきたのなら、それはやっぱり凄いことで、仲だって相当良いだろう。アルトさんに味方がいないっていうのは、落ち着いて考えてみたら、ありえないって分かっちゃった。


 今日のことは素直に反省して、ごめんなさいと謝ろうとした。その時。


「あいつも俺のこと、嫌ってるしなぁ」


 なんて言われたのだ。


「えぇ……」


 こいつ味方いないじゃん。


✳︎


「そもそもの話だけど。していい?」


「まぁ、どうぞ」


 耳糞をほじりながら、アルトさんに応えた。彼は露骨に嫌そうな顔をしたが、ほっておくことにするようだった。


「もう言ってもいい頃だと思うから、言っちゃうけど……。最初さ。こいつのこと男だって紹介しただろ?」


 アルトさんは隣に立つシーちゃんを、親指で指差す。


「ええ、はい。そんなこと言ってましたね」


 重なる記憶の頁をめくっていけば、その時の情景が、脳裏に浮かび上がる。

 深い森の中、シーちゃんのさらさらな髪を撫でるわたしは、彼のことを大層な美人さんだと思って、可愛がったけど。その時アルトさんに言われたのだ。シリウスは男性名に使われる言葉だと。


 名前一つで、男性か女性か分かるというのは驚きだが、便利でもある。あの時こそ、まだ世界に慣れていなくて、シーちゃんのことを女の子だって間違えたが、今ではそんなことはない。ちゃんと分かった上で、了承を貰ってちゃん付けしてる。


 過去の事を思い返しながら、あの時は自分も若かったと頷いて、それがどうしたんですと、アルトさんへ視線を向けた。


「ほんと悪いんだけどさ。こいつ男じゃないんだよね」


「え?」


「普通にメスだ。シー【ちゃん】で合ってる」


 ちょっと待ってほしい。ここに来て急に設定が変わるのは納得できない。


「は? ここまで106話ですよ! 今更嘘でしたは、読者からブーイングを喰らいますよ」


「読者からのブーイング? ちょっと何言ってるか分からないけれど……。ちゃんとした、ちゃんとしてるか? 理由があるんだよ」


 珍しく本心から戸惑ったようで、余裕もなさそうに、額を引っ掻いている。

 別にアルトさんが悪いわけではないが、露骨に男ですよと宣言しておいて、ここに来ての掌返し。それ相応の理由がなければ納得できない、わたしも、読者も。


 何か本筋とは関係ない怒りが、湧き上がるのを感じつつ、嘘をつき続けてきたアルトさんの、弁明を待ったのだが、返しの一言が予想外すぎた。


「その理由を簡単に言えば、俺が毛嫌いされているからだな。俺が女扱いするとブチ切れるんだよ、こいつ」


「嘘ですよね?」


 疑問形で投げかけるも、すぐにアルトさんは、「いや、ほんと」と肯定の意を示す。


「可愛いなんて言おうものなら、唾を吐かれる」


「嘘ですよね」


 それは流石に嘘だろう。否定の意味で投げかけるも、アルトさんは悟っていた。それで「試しにやってみよう」なんて提案するのだ。


「シリウス、相変わらず可愛いな」


 アルトさんが誰かを褒めるのは珍しくて、違和感があったが、まぁそんな程度だ。他には何もない。シーちゃんが彼を見る目も特に変わりなく、相変わらず冷静な目つきで、見下ろしている。

 まぁ視線は厳しいかもしれないが、そんなのはいつものことだし、言っていたようなことは起きない。


「何もないじゃないですか」


 シーちゃんはそんなことしませんよと、アルトさんを嗜めて、そっぽを向く。


「かしいな」


 口を尖らせて言っていた。そうして、わたし達皆ーいつの間にか参戦していたーが興味をなくした瞬間だった。


 ぺっという音がした。


 慌てて振り返れば、アルトさんの頬には白い液体が流れていた。


「どうしたんですかアルトさん?」


「いや、ちょっとな」


 何事もないように、きれいな布を取り出して頬を拭くと、「これで証明できただろ?」死んだ目で言っていた。

 状況証拠的にもう、そうだとしか思えないのだが、それでも念には念を入れておきたい性分だ。だからアルトさんにこう尋ねる。


「ちょっと見てなかったんで、もっかい言ってくれません? あっ、キメ顔で」


「俺で遊んでない?」


「いやでも分かりませんでしたし」


「クソガキがぁ……」


 ため息をついたアルトさんは、緩慢な動きで肩を回したり、手首の骨をポキポキ鳴らすと、意を決したようだった。


「本当に……可愛いぜ」


 アルトさんは頬を赤く染め上げ、笑みを引きつらせていた。すごく恥ずかしそう。ただ彼は、その中途半端な照れをなんとか誤魔化そうと、すぐに表情を取り繕った。

 それは今まで見せたことないくらい爽やかな笑顔だった。


 頑張ったというのが、よく伝わってくる、素敵な笑顔だと思う。ただ、その頑張りに対する報酬が、唾を吐きかけられることなのだから、なんて罪なことを提案してしまったのだろうか。


 悪ノリをして、痛い目を見たばかりだというのに。

 いい加減、反省した。もう二度と悪ノリなんてしない。


 アルトさんは恥ずかしいのも我慢して、そのまま処刑を待つ囚人のように佇んでいたが、やはり何も起きなかった。

 シーちゃんは侮蔑の視線をアルトさんに絶えず送り続けるが、それ以上は何もしない。


「やっぱり何も起きないですね」


「違うから、お前達が顔を逸らした瞬間に、こいつはやる気なんだって。さっきもそうだったろ!」


 呆れたように言うと、アルトさんは凄い剣幕で詰め寄ってきた。そこまで言うならしょうがないと、アルトさん達を見続けた。それから数分待った。


 けれどなにも起きず、というかシーちゃんはもう、そっぽを向いてしまっている。


「……まじで何も起きないのか?」


 何も起きなかった数分と、シーちゃんの視線がそれたことにより、アルトさんもここで、ついに警戒をほどいた。

 「ほら、大丈夫じゃないですか?」なんてアルトさんに言ったら、彼は困惑したように腕を組んでいた。そうしてわたし達全員が、シーちゃんを視界から外した、その時だった。


 ドン! という音が、何の前触れもなく、いきなり鳴り響いた。ついで蹄鉄のパキリという音。そして最後に聞こえてきたのは、「キュヒーン」という、【彼女】のする独特の鳴き声だった。

 その鳴き声は、今までに聞いたことがないくらい、怒りに満ちていて、声だけでは収まらないのか、何度も何度も地面を脚で、打ち鳴らしもしていた。


 その恐怖の異音を耳にしながら、恐る恐る振り返ってみれば、そこにアルトさんの姿はなく、代わりに後ろ蹴りをしたと思しき、シーちゃんだけがいた。

 蹴りの軌道を読んで、恐らくはこのように飛んでいっただろう軌跡を辿ってみれば、そこには彼が……。


 埋まっていた。


「そうはならなくない?」


 人が地面に埋まるという、衝撃的な事件が起きた今日という日は、シーちゃんに恐怖を覚えると同時に、アルトさんに同情をし、反省した一日でもあった。

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