銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

エピローグ 悪意の根城

公開日時: 2020年11月6日(金) 18:30
更新日時: 2021年4月20日(火) 15:36
文字数:5,450


銀の歌



 エピローグ



「お〜て〜てつなーいでー、帰りましょ。お〜うたを歌ーってーかーえりましょ〜」


 ペチペチ。ペチペチ。


 灯と呼べるものは、数個の燭台だけの薄暗い部屋の中。愛らしい幼子の声と、何かを叩く音が響いていた。


 部屋の真ん中を見てみれば、そこには一人の女の子が座っていた。彼女はくすんだ灰色の長髪を持っていて、綺麗とは言えない褪せた色の服を着ていた。

 そんな彼女は、人形を前にして、それの手を握るなど、遊んでいるようだった。先程の声と音は、彼女が作り出したもので間違いなかった。


「お〜て〜て。に〜ぎいってーくーるりんぱ〜」


 女の子は人形の手を取ると、空中でクルリと一回転させた。その瞬間、その人形から、ぼきぼきぼきと嫌な音がした。


「ぎゃあぁ。や、ヤメ、や2(9メ、テ」


 何か嗚咽を撒くような、女児がおままごとをするには適さない、醜悪な声がついで聞こえてきた。

 しかしその音にも声にも、女の子はさして反応せず、どんな大男でも殺せるような、愛らしい笑みを見せた。


「お〜て〜てはーじいーて。あ〜しもーげる」


 彼女は人形の足を踏むと、しっかりその場で固定して、人形の手をピンと弾いた。次の瞬間人形は弾きとばされ、遠くの壁に激突した。弾かれた人形の手は赤く腫れ上がり、見るも無残なものだった。


 だがそれよりも酷い光景が、目の前にはあった。


 女の子は先程、人形の足を踏みつけ、しっかり固定していた。そしてその足はまだ、女の子が踏みつけ続けている。言い換えれば、本体は飛ばされたというのに、足ー下半身ーだけは幼女の元にとどまっているのだ。


ブシャァ。鮮やかな血と臓器が床を汚していく。


「アアアアアアアアアア!!!!!!!!」


 ビクンビクンとお人形さんは大きく震えた後、どチャリとその場に倒れ伏し、小さく痙攣して動かなくなった。


「お〜てーて……あれ? 動かないの……?」


 ひとしきりがっくりとうなだれた後、少女は何事か思い出したように、手をパンと叩き鳴らすと微笑んだ。


「そうだ! また繋げればいいんだった」


 あろうことかうつ伏せになっている上半身だけのそれを、手招きをするだけで引き寄せた。

 この奇怪な現象を目の当たりにすれば、誰であれ少なからず正気を失うことだろう。しかしそれよりも、もっともっと酷いことーー常軌を逸したことが、これから始まることを考えれば、些事でしかないのかもしれない。


 ぐちゃ。ぐちゃぐち。ぶち。ぷちぷち。ポキ。


 痛々しい人体の破壊音が響いた後、下半身と上半身で分けられた彼の身体は繋がった。

 だがそれは最早人間と呼べる代物ではなかった。人間の関節の可動区域を越えて四肢は動き、通常あってはいけない場所に目、口、鼻がある。

 けれどそれは不幸なことに、どんな理論かは分からないが【息を吹き返してしまった】。


「ーーー! っはぁ。っはぁ!」


 パクパクと頭部から生えた口は荒く呼吸をし、股関節に取り付けられた眼球がギョロリと動く。


 人形は何か言葉を発しようとしたのだろう。しかし人形である彼は、少女の姿を視界に収めると、『もうなんの期待もしていないよ』と言いたげに涙をにじませた。


「あはっ。これでまた遊べるね。お人形さん」


 彼はその後も彼女によって、しばらくの間こねくりまわされ、人の尊厳を散々冒涜されることとなった。彼が修復不可能な程の肉の塊になって、死ぬことを許されたのはそれから数時間後のことだった。


✳︎


「とまぁ。ひとしきり僕がナレーションをしてみた訳だけど、どうだったかな?」


 ガチャリ。ドアを開けて、僕は肉か……お人形さんと遊ぶ彼女の元へと歩み寄る。血で浸った床の上を、ピチャピチャと音を鳴らしてだ。そのためにお気に入りの洋服は汚れてしまったが、音を立てたことで、彼女により早く気づいてもらえた。


「あっ……カリナさん!!」


 僕の存在に気づいた彼女は、人形の腕だけを持って、トコトコこちらへ駆け寄ってきた。その様はなんとも愛らしく、笑顔はまばゆいものだった。

 この笑顔を一秒でも早く見るきっかけとなったのだから、服の一着や二着の汚れなんて、さしたる問題でもないのかもしれない。


「ただいま。マーガレット」


 貼り付けた笑みは決して壊さぬまま、穏やかに彼女のほおに触れる。臓器や血肉がこびりついていたので、ヌルリとした感触があったが、小さな女の子のもっちりとした肌は、それらを差し引いても、良いものだった。


 当然。興奮するよね。こんなの。


 笑みは崩さないように、彼女のほおに媚びりついた肉塊をとってあげると、それをぽいと空中に放り投げてハンカチで手を拭った。


「いい子にしていた?」


 綺麗な細工が施されたハンカチで、彼女の口や鼻の汚れを取ってあげる。

 彼女……マーガレットはそれをくすぐったそうに少しだけ嫌がって、されるがままにされている。なんだかんだ言って、きっと気持ちいいんだろう。


「うん! わたしいいこにしてたよ」


 臓器がこびりついた洋服で、僕の足に抱きついてくる。これで完全に、僕が大切にしているこのズボンは、使い物にならなくなってしまった。この世界では汚れ落としなんて、そこまで発展していない。


 彼女の笑顔と天秤にかければ、すぐ諦めもつくが、心は騙せないらしい。やはり僕は少し落胆していた。

 だから僕は頬を膨らませると、人差し指を一本立てて、子どもにも伝わりやすいような、【怒っていますよ】ポーズをとる。


「あっ……でもダメだよ。いくら楽しかったとしても、ちゃんと身体は綺麗にしておかなきゃ」


 ほんのちょっとだけ怒気を込めたそれは、子どもにとっては、僕が想像するよりも恐ろしいものに見えてしまったようだ。目に見えてしゅんと反省されてしまった。


「ごめんなさい。カリナさん」


 終いにはメソメソとべそをかいて泣き出してしまった。面倒くさい状況になったなと感じながらも、この現状を創り出したのは僕だという自覚もある。この頃の女の子は、多感なものということを失念していた。

 ということなので、マーガレットを慰めるべく、朗らかな笑みを浮かべた。


「いやぁ。そこまででもないけれどね? 僕……実を言うとそんなに怒ってないから。その証拠に。ほら」


 パチンと指を鳴らして、空中に穴を創り出す。そこから全裸の人間を男女合わせて五、六人程呼び出す。

 それらは皆涙目で、苦しげな表情でもがいている。しかし口は粘性の高い紙で塞いであるし、手首や手足はロープで縛っている。


──だから何の身動きも取れない。


 僕からしてみれば、嗜虐性を刺激され過ぎてしまう。そんなものをマーガレットの目の前に用意する。すると彼女は、僕とはまた違った、喜びの色を浮かべ、目尻を下げた。


「えぇ。いいのぉ? こんなに沢山の【お人形さん】をもらっても」


 瞳の奥にのぞかせるのは僕とは違う純粋な嗜虐心。幼く多感な子どもだからこそ、何のしがらみも気にせず、自由に遊べるということなのだろう。

 僕が彼らで遊ぶには、年を取り過ぎた。仮に僕が彼らで遊ぼうというのであれば、きっと遊び過ぎてしまう。死に所を間違えさせ、満足することができなくなってしまう。


 若いっていいな。そんな素朴な感想を抱いて、マーガレットに許諾の言葉を伝える。


「もちろん!」


 耳にかけられた眼鏡を掛け直し、ピントを合わせて言う。そうするとマーガレットは、暖かで柔和な、年相応な顔で笑った。


「……大好き!」


 マーガレットはバスケットを持った、買い物帰りの少女のようにーいつのまにか千切っていたらしいー生首を抱えて、はにかんだ。そうして生首を片手で掴んだまま、僕に飛びついてきた。そのまま組み倒され、彼女の手によってあぐらをかかされた。そしてその上に彼女は座ってきた。


「これは、どういうこと?」


「えへへ……」


 僕が尋ねると、マーガレットは頬を赤く染め上げて笑った。


「わたしのね。指定席……!」


 くねくねと足をもつれさせる姿は、非常に心穏やかになるものだった。ーーあぁ。微笑ましい。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛゛」


 頭部が外れ脳みそが丸見えな、ビクンビクンと震える人形の姿も相まって、僕は恍惚の想いだった。


✳︎


 編み棒を二本持ち出してきたマーガレットは、僕の膝上で爛々気分で、人形を編んでいた。とても楽しそうだ。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


 ビクビク。ビクビク。振動が僕の方にまで伝わってくる。マーガレットの柔らかな背中が、あますことなく僕の身体にあたり、緩やかな揺れとの相乗効果で、揺りかごにでも入れられてるような気分に陥る。

 このまま、夢気分のまま蕩けていようかと思った。でも一つ、伝えなくてはならないことを思い出してしまった。


「そうだ。忘れてた」


「……なぁに?」


 マーガレットは作業中の手を一旦止めると、こちらへ振り返った。


「うん。以前おっきな、蛇の人形を君に送ったでしょう。本当にありがとう。あそこまで使えるようにしてくれて。ピット器官が使えなくなったのは少し残念だったけど。でも十分なものだったよ」


 マーガレットの瞳を見つめて、忌憚のない感謝の言葉を伝える。人を褒める時には、目を見つめてあげた方がより効果が出る。いつだったか、大学の講義で学んだことだ。


 それが実際どのくらい効果があるのか、実際のところは分かっていないが、それでも多少は意味があったのだろう。

 耳まで真っ赤に染めて、恥ずかしそうに俯く姿からは、隠しきれない喜びがあるのが見てとれた。

 マーガレットの頭を撫でてあげると、さらにことさら嬉しそうにはにかんで、「うふふ」と甘えた声を出した。そして僕は考える。


 このくらい褒美を与えてあげれば十分だろう。次の仕事をしてもらえる……と。


「マーガレット」


「なぁにカリナさん?」


「ルスク街近くの共同墓地……。行ってくれるかな?」


「……」


 マーガレットは静かになってしまった。どうやら少し考え始めたらしい。そして自分の頭に乗せられた僕の手を、大事そうに握って強く笑った。


「うん、分かった!」


「ありがとう……」


 冷たい瞳で答える。

 家族も同然のマーガレットに、墓地なんていう場所に向かわせてしまうのは心苦しい。でも彼女は強力な駒。腐らせておくには惜しい。


「でも大丈夫。安心して。そこで君に行ってもらうのはいつも通りのこと。ただお人形さんを編んでいればいい。それが彼らにとっては苦痛になる」


 居場所と微笑み。世界から見放された彼女を縛るには、これ以上のものはないだろう。彼女には僕しかいない。だから彼女は僕の頼みだったらちゃんと聞いてくれる。

 それに彼女に対する愛情に嘘偽りはない。本心で彼女のことをよく思っている。


 だからマーガレットはこんな顔をする。


「うん。大丈夫。カリナさんと離れるのは悲しいけど……。やることが終わったら、また遊んでくれるんだよね?」


「勿論だよ」


 ポンポンと頭を二度叩くと、マーガレットを膝上から降ろす。その時彼女は、名残惜しそうに顔を歪ませていた。だけど偶には心を鬼にしなくてはならない。それにこのままだと、僕が興奮してしまう。


「さぁ、行くんだ。【肉塊を編むものマーガレット】。屍肉が多い場所なら、君は無敵だよ」


 マーガレットを歩かせる。幼い少女にあんな顔をさせるのは本当に心苦しい。それに彼女の笑顔を見れない時間は、僕にとっても口惜しいものだ。けれど彼女は使うべきだ。

 例え彼女の笑顔を見るのが、これで最後になったとしても。


 心の中で謝る。

 ごめんね。でも僕の一番の目的は……君ではない。


 マーガレットを暗闇の中に入れ込むと、指をパチンと打ち鳴らし、飛ばしてあげた。



✳︎



 マーガレットがこの場から居なくなってすぐのこと。

 僕と同じように眼鏡をかけた、見目麗しい一人の女性が、こんこんとドアを開けて部屋へ入って来た。その手にはティーカップや、細々とした小瓶が乗せられたお盆があった。

 それらを気遣ったゆったりとした動作や、しなやかな足運びは、彼女の品位や慎ましさを表しているようだった。普通に見れば、彼女はなんの変哲も無い給仕だが、そうではないことを僕はよく理解している。


 彼女の入室を無言の笑みで迎え、やたらと出張った腹を大切に大切に撫でた。

 しばらくはされるがままにしていたが、やがて僕の手を払うと、部屋の中心部へと歩いて行った。


 彼女は小瓶の蓋を開けると、そこに入ってある粉を一掴みして部屋にまいた。するとどうしたことか。先程までは影も形もなかったテーブルや椅子の数々が、徐々に姿を表し始めた。


「イブン=グハジの粉?」


「はい。その通りです。旦那様」


 無言の笑みを返すと、彼女が椅子を引いてくれたので、そこへ腰掛けた。


「いちゃつくな。馬鹿野郎ども」


 そこに厳しい男の声が響く。ドアから入室して来たかと言えばそれは違う。

 僕が座るよりもその人物は先に椅子に座っていた。これは何も、高速移動だとかをして、僕よりも早く座ったのではない。元からそこに座っていたのだ。

 振りかけた粉には、見えなくなっていたものを、見えるようにする効果がある。


「うん。ごめんごめん」


 穏やかな笑みを浮かべて辺りを見渡す。そこには今粗暴な声をかけて来た男以外にも、多くの者が椅子に腰掛けていた。そして給仕の女性が、でっぷりとした腹を抱えて僕の後ろに控える。いつもの配置だ。


「ごめんよ。大王。それじゃあみんな揃ってることだし、話を始めようか」


 皆が揃ってるのをもう一度確認すると、瞳に冷ややかなものを帯びさせる。


 さぁ、いよいよ始まる物語の動乱。ここまでの話は僕から言わせればプロローグに過ぎない。これから始まる惨劇に、僕らも花を添えるとしようじゃないか。



エピローグ 終了

 第二章これにて終了です。

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