銀の歌
第103話
瞬きの内に振り下ろされる刃。それはアルトさんの髪を斬り裂き、散らしていく。
「チッ」
苛立って舌打ちなどしているが、状況は変わらない。
荒い呼吸で「グルルル」と威嚇する、目の前の獣は、傷つきこそしているものの、まだまだやる気はありそうだった。
獣が身体から生えた硬質状のトゲを、逆立てる。それは束の間の膠着を終わらせる合図だ。
「クッ」
憎々しげにアルトさんは剣を構えると、獣の攻撃に合わせた。また平原に斬撃の音が飛び交った。
✳︎
さて、開話早々なぜこんなことになっているのか。それを説明するためには、話を多少遡る必要がある。
サスラの村を出たのは、三日ほど前のことだ。あの村では、行商経験を積む以外にも、不足していた食料などを買うという、切実な目的もあった(というより、本来はそちらが主)。そのため二日目の朝は、足りない日常品の買い物を行ったのだが、少ないお金では、買える物もたかが知れていて……。特に食料品などは重点的に補充したものの、やはり全然足りない。村を出てから三日目には、心配するほどに。
荷台には食べることはできない、獣の皮がぎっしりと置いてある。こんなことならやはり、売り物であろうが、バナンの実を買っておいた方が良かったのかもしれないと、道中何度も考えた。それほど食料事情が困窮していた。
最終的に、食料問題をどうにかするために、狩りを行うという話になった。
そうして罠にちっさい干し肉だとかをアルトさんが仕掛けている最中に、匂いにつられて来たのか、馬のような体躯の、四足歩行する動物が姿を表したのだ。その動物はやたら好戦的で、わたし達を見るや否や、突撃して来て……。
そして話が冒頭に繋がるわけだ。
四足獣の正体に関して言えば、すぐさま対応せざるを得なかったアルトさんに代わって、ヘテル君が教えてくれた。
全体的に黄色っぽい体色の、あの動物の名前は、レギオンというらしかった。別名を【紋様獣】と言い、殺した獲物の数だけ、身体に赤黒い紋様ができることから、そう呼ばれている、非常に好戦的な動物なのだとか。
そのため戦闘能力もその獰猛さに比例するように高くて。身体性能もさることながら、立ち回りというのが非常に様になっている。でかくて強靭だから強いヴァギスとは、また違った強さだ。
攻め手は素早く、守りは硬い。そんな風に隙が全くないレギオンは、闘い方が洗練されていると言えるだろう。アルトさんも相手をしていて、かなりやり辛そうである。幾度となく「チッ」という舌打ちが聞こえる。
レギオンの闘い方は主に、身体に生えている鋭利で硬化な棘で、相手を斬りつけるというものだ。ヘテル君が言うには、あの棘は皮膚が硬質化したものらしいが、とてもそうは見えないくらい硬い。だって鋼で出来た剣と打ち合える程の硬度だ。並大抵ではない。
そんな棘が身体から幾重にも生えている。しかも長さが、アルトさんが使っている短剣の二倍から三倍ほどはある。なるほど、確かに戦闘に特化している。
全身凶器と呼んでもおかしくないレギオンが、目で捉えるのも難しい速度で平原を駆け、アルトさんに襲いかかる。
何回かは弾くものの、すれ違うだけでも相手を斬り裂くことのできる身体だ。自然、アルトさんには無数の切り傷ができていく。まだ深い傷を負ってはいないものの、彼の身体からは血が流れ、辺りやレギオンに降りかかる。
「くっそ!」
この状況をどうにかしようともがくものの、いかんせん武器に差がありすぎる。今回は先手を取られた状況から始まったので、対応が全てにおいて一手遅れているのだ。
腰に備えてあった、護身用の短剣で渡り合えないのは、アルトさん自身、理解してることだろう。でもクリエイトの五文字だって言えない程、相手の行動が素早いのだ。少しでも隙を見せれば、ドスリと刺される。そんな想像が、側からでも簡単に出来てしまう。
段々と追い詰められるアルトさん。
そして何度目かの打ち合いの後、ついに短剣が折れてしまった。
「げっ……」
言ったのも束の間、頭にあるレギオンの硬質化した棘ー角とも言えるーが振り下ろされた。それはアルトさんの身体を縦に切り裂いた。
「アルトさん!」
ぶしゅと肩口から血が噴き出る。急所は避けていたのか、まだ動けそうではあるものの、ぐらりと態勢を崩してしまった。アルトさんは地に手をつき、肩を震わせた。
「ぐは」
噴き出た血を浴びたレギオンは、取り敢えずは無力化できたと考えたのか。次の目標として、荷台の上で縮こまるわたし達に、狙いをつけたようだ。
「ひぇ、こっちに来る!」
シーちゃんが嘶き、わたしは目をパチクリとさせる。そしてヘテル君やソフィーちゃんを抱き寄せる。レギオンの突進は早いもので、わたしは、彼らを腕の中に収めるくらいのことしか出来なかった。
もう半歩もないという所で、アルトさんは叫んだ。
「くっそ、ギン素具現!!」
するとどうしたことか。レギオンは脚を滑らせたように、傾いた。倒れこむのはすんでのところで堪えたようだが、気になってレギオンの様子を見てみると、前脚の一つに先程まではなかった大きな穴が出来ていた。
そこからは赤黒い血がどくどくと流れ、白い骨がうっすらと見えた。
あれではバランスを失うのも道理である。
「後ろがお留守だぜ?」
レギオンがバタついているところに、アルトさんは背後からにじり寄った。そして胸部のあたりに掌を置く。すると次の瞬間、辺りの大気が揺れ動き、ドンという大きな音がどこからともなく鳴り響いた。
しばらくの間を置いて、辺りにまた静けさが戻ってきた。そんな頃、レギオンはずしんと大きな音を立てて、横たわった。
「強かった……」
アルトさんはぐったりとして言っていた。
✳︎
「でも、やはりおかしいな。レギオンは滅多に人前に出てこないんだが」
もぐもぐと口の中の物を咀嚼し飲み終えた合間に、アルトさんは話す。
「そうなんでもぐね」
対するわたしは、しっかり口の中に食べ物が残った状態で喋る。
ぼろぼろ落ちるのを嫌ったアルトさんからは窘められた。
思わぬ食料が手に入ったので、今は鍋を囲んで食べていた。昼間っから鍋とは豪勢であるが、それは予期せず仕留めた獲物が、あまりに大きかったためである。足の早い部位から食べて、後は燻製にするらしい。
「ま〜たヴァギスさんとかが、暴れているんじゃないですか?」
「それは嫌だ」
箸休めに冗談めかしながら言ったら、アルトさんは本気で嫌がっていた。
なので別の話題でもふろうかと考えると、ちょうど気になっていたことを思い出したので、そちらの方に話の舵を切った。
「そう言えば何ですけど。さっきあの子の脚……に穴が開いて、急にぐらついたんですけれど。あれって何がどうしたんですか?」
レギオンの痛々しい脚の様子を思い出し、言葉に詰まったが、それでもなんなく言い終えた。するとアルトさんは「ああ」と、何でもないように教えてくれた。
「あれだったら、俺の血がレギオンに付着していたから、指向性を発現させただけだ」
「うん、うん?」
首はななめ四十五度を指し示す。
「だからな。この世のあらゆる物質にはギン素が宿っているだろ? 生物の身体、血の一滴にだって当然それは流れている。だからあの時は、自分の血液に流れているギン素に向かって、遠隔的に指向性を発現させたんだ」
と言われても、いまいち分かりづらい。
するとアルトさんは、表情から察したらしい。補足を入れてくれた。
「ようするにアスハ? がやってるあれだ。自身のギン素特性を、血を通して遠くの場所に発現させたんだ」
難しいことはないとさらりと流す。それを聞いてようやく納得できたが、理解したら今度は別の疑問が頭に浮かんだ。
「あれ。でもそれだったらなんで、【穴】が空いたんでしょう? トーロスさんから聞きましたけれど、ギン素って地水火風のどれかなんですよね」
単純にそれだけ尋ねると、アルトさんは少しだけ顔を強張らせたが、すぐにいつもの澄まし顔に戻った。
「それはトーロスが勉強不足なだけだ。確かに地水火風の理論は有名だし、説得力もあるが……。本来ギン素ってのは自分の在り方を写すものだ。それがたった四つの種類なんかで表せるわけがないだろ」
ばっさりとトーロスさんの主張を切り捨てる。
「そう言うもんですか」
トーロスさんには悪いけど、アルトさんに同調する。だってこういう小難しい話に関しては、彼の方に一日の長があることを知っている。
それに何より、こういう説明状態のアルトさんは、やたら論理的で、歯向かったら面倒臭いことも知っている。
なのでトーロスさんの名誉を守りきることの出来ない自分を、どうか許してほしい。
「じゃあアルトさんのギン素ってなんです? レギオンさんの脚に穴を開けるなら、地水火風のどれでもないですよね?」
そう訊いたら、またアルトさんは顔をしかめた。
「それは、まぁ、えっと、なんて言うか。apmンm'amネw」
「えっ、なんて?」
うわっ、露骨に誤魔化そうとしている。
自分のギン素の特性を知られるというのは、アルトさんの説明に基けば、つまりは自分の在り方を知られることと、同義なのかもしれない。だとすると秘匿主義の彼が口籠るのは、まぁ分からない話ではないが、それにしたって汚い大人の誤魔化し方である。
「じゃあ、まぁ、もういいですけど……」
ぶぅと口を膨らませて、もうその話には触れないよと態度で示すと、アルトさんはホッと一息ついて、露骨に安堵していた。
「はぁ……」
これだから汚い大人はと内心罵倒しながら、それでも気の使えるわたしは、「じゃあわたしはどんなギン素なんでしょうかね?」と尋ねた。
そうするとアルトさんは、「ああ、それだったら分かり切ってる。お前のギン素は回復だろ」と、割とさらっととんでもない事実を言ってくれた気がする。
✳︎
「ふぃーーーご馳走様でしたぁああ」
レギオンのお鍋を食べ終わり、膨れた腹は空へと突き出して、草原に横たわる。
「少し休憩したら、創世魔法の修練に入るからな」と戒めてくれるアルトさんは腹立たしい。だらしなくしていることへの当て付けかもしれないが、だからと言って、あまり余裕なく頑張っても、いい経験値にはならない気がする。ので、そんな建前の元、青草の匂いを嗅いで、現実逃避する。
「お前は本当に仕様のないやつだな」
アルトさんは腰を重そうな動作であげると、食器に手を伸ばした。どうやら片付けをするみたいだ。
「あっ、お母さん。お茶と茶菓子は三時にお願いしますね」
「厚かましいな!!」
気の桶を二つ用意したアルトさんは、ギン素を垂らし「指向性は水」唱えて、片方の桶に水を張った。
腕まくりするアルトさんの後ろから、ヘテル君がかけて行く。どうやら手伝おうとしているらしい。アルトさんは一度断ったようだが、結局彼に押し切られた。
ヘテル君は一つ食器を手に取り、水を張った桶の中で、丁寧に素手で汚れを拭っていく。その動作を何度か繰り返し、桶に溜まった水が濁り始めたら、予め掘ってあった穴に流していく。そしてまたギン素を使って水を貯め、食器をきれいにして、隣の桶に並べていく。
その一連の手つきは慣れたもので、滞りは一切なかった。
「……随分手慣れたものですよね」
「そうだな」
自分の仕事がなくなり、手持ち無沙汰になったアルトさんが隣で応えてくれる。
年上のわたし達が何もしないで、ヘテル君だけが仕事をしているこの状況には、少しばかり申し訳なさを感じるものの、ここ最近は、こういった景色を見ることも少なくなかった。
ヘテル君はサスラの村を出た後から、もうずっと家事の色んな事を、アルトさんに代わってやってくれている。元々彼はずっと、アルトさんの家事手伝いをしていたが、ついにあの村を出てからは、主導権を奪うに至ったのである。
「まぁ、やりたいと言ってるんだ。好きにさせよう」
アルトさんはそう言って、気を取り直したように本を取り出すと、それを読み始めた。仕事を奪われ始めた最初こそ、彼も曖昧な表情で唸っていたが、最近は諦めてか、逆にこの時間を有効利用し始めていたのだった。
アルトさんが説明状態の時にやたら強情で面倒臭くなるように、ヘテル君も家事をやろうとする時には、面倒臭くはないが、大変意固地になる。
小さな子がせっせと手伝いをする姿は、全くもって見苦しくはないが、その強情さはアルトさんに勝るとも劣らない。
だからこそ、家事にそこまで執着がある訳でもないアルトさんは、今日みたいに一様言ってはみるものの、粘ることはせずに、主導権をすっかりヘテル君に渡した。
アルトさんは『自分の時間が増えるし、お前につきっきりで教えられる時間が増えるから良い』と、今では肯定的に受け入れている。わたしも申し訳なさは感じるものの、世間一般的に家事手伝いとは良いことの筈なので、取り立てて否定することはない。というか称賛するし、何よりお前がやれよという話なのだが……。なのだが……。
一生懸命に食器洗いをするヘテル君を見る。その様はいかにも真剣といった風で、他の感情などないようではあるが、よく見ると口角が上がっているのが分かる。きっと彼は楽しんで家事をやっているのだろう。
最初、ヘテル君が家事をあんなにやりたいと言い始めたのは、何故かを考えた。初めに思い浮かんだのは、やはりサスラの村での一件。『自分は力に慣れていない』と言う彼に、わたしは『他の形でいっぱい協力してくれているじゃない』と言った筈だ。
だからそれを受けて、ヘテル君がより一層家事に励むようになったのではないかと。だとしたら分かりやすい動機で、何も変な感情を抱くことはないのかもしれない。
けれど何故だろう。誰にも分からないように、それでも密かな宝物を抱えるように、時折笑みをこぼすヘテル君を見ていると、言葉にできない奇妙な違和感が、胸中をよぎるのは。
「おい、そろそろやるぞ」
アルトさんから声がかかる。考えごとをしていたために、時間が過ぎるのを忘れてしまっていたようだ。いつの間にか膨れた腹もへこんでいる。休憩時間は終わりだ。ここからはまた、創世魔法を使いこなすための特訓が始まる。
ふふんと楽しげに、ヘテル君の黒髪が揺れ動く。
その後ろ姿を見て、わたしは胸の前に垂らしてある、花の入った瓶に触れた。
第103話 終了
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