奇怪な物音に気づいて、垂れた耳をピクリと動かせば、その音が自然に発生した訳でないことを知れる。
カランカランと鳴る音は、木立の至る所から鳴り響く。音を発しているのは、確かに木だろう。しかし工夫が凝らされている。単純に木々がぶつかり合って鳴るのではない。薄い板のように木に、木片を打ち付けて鳴らしている。
何度か……聞いたことがある。
だから時間をかければ、思い出す事が出来た。
確か鳴子だ。
人間や知恵を持つ生物は、作物を育てることがある。その作物を育てる畑の周りに、縄を括り付け音の出る絡繰を設置する。そして獣が縄に触れたりすれば、その振動により、絡繰は音を鳴らす。
音が鳴る事で獣は警戒するし、仕掛けた側は獣の接近を知れる。言わば鳴子とは、獣から作物を守るための見張り役。考えられた工夫だと思う。
夜間において、この大きく特徴的な音は、寝ていたとしても気付きやすい。こういう仕組み考えた奴らは、頭が良かったに違いない。色んな意図を複合させ、ちゃんと実現させている。
そしてその意図を知っているから不思議だった。耳を立ててようやく気付けるほど遠くで、鳴っていたから。
仕掛けたのは、まぁアルトだろう。他の奴らがそんな事をするとは思えない。
であればなぜ、音が鳴っても気づかない所に置いたのか。銀狼のあたしは耳が良いから気付けるが、人間にこの距離は無理だ。それも寝ている人間には。
鳴子だけで十分って判断?
一瞬そうと考えたが、アルトの人間性を考えたら、それは否定出来た。
確かに自然界にはない音だから、ほとんどの獣は警戒して、近寄っても来ないだろう。でも、そうでない奴もいる。だとするなら、鳴子はあくまでも気休めで、獣避けの本命があるはずだ。
あいつは、色んな可能性を危惧している。そういう奴だ。
それにほら。鳴子だけじゃ追い払えなかった例外が、こんな風に現れた。
──太い枝の上。体長2mはあるだろう巨体を揺らし、のしのしと緩慢な動作で歩いている。二足歩行で尻尾は引きずって、いかにも重量がありそうだ。
その体躯でどうやってここまで登ってきたのか……【アルゴザリード】。それが奴の名前。
少し緑っぽい色が入った青の甲殻は、並の鉱石よりも硬く、体重を乗せた尻尾の振り下ろしは、大木をもなぎ倒す。牙にある麻痺毒は、一度でも噛みつかれたら終わりだ。雑食性の羽の生えた蜥蜴。ドラゴンもどきと馬鹿にされることもあるが、油断すれば命取りとなる。非常に危険な生物だ。
アルゴザリードは首を傾げながら、あたしの事を見下ろして、吟味するようだった。
その視線には、どこか侮りがあった。小さい成りだからと、馬鹿にしているのかもしれない。それで、さっき話したアルゴザリードの説明に、付け忘れた言葉があるのを思い出した。
鳴子の音──自然界で発生しない音に、大抵の生物は警戒する。それは臆病だからに他ならないが、臆病というのは賢さをも意味する。
賢いが故に、未知のものを警戒する。知識を溜め込み、何が安全で何が危険かを判断する。それが出来た生物だけが生き残れる。だから臆病なのは、ある意味で必然だ。
しかし何故だろう。例外が存在するのは。
アルゴザリードというのは、欠点らしい欠点が、鈍足という事くらいしかない。……いや、その時点でだいぶ致命的だけど、他の能力値を考えれば、種が存続する素養はあると思えた。
けれどアルゴザリードというのは、色んな生物から【低く見られている】。頑強で大きい身体は、それだけで敵わなくなる。人間だってその内の一つだ。武器を使ったのならともかく、素手だけでやり合えなんて言われたら、普通勝てない。
でも下に見られる。それは何故か。
──簡単だ。頭が悪いから。
アルゴザリードというのは、絶望的なまでに頭が悪い。目の前で誰かが落とし穴に落ちた時、それを理解する事なく、同じように歩いて落ちる。
彼らは想像して警戒する事ができない。自分が痛い目をみれば別だが、その程度の認知では、未知に対してお粗末だ。
こんな風に、アルゴザリードは頭が悪い。だから鳴子が鳴ったって、見かけない生物が目の前にいたって、特別な警戒をしない。彼らの頭の中にあるのはいつだって、【腹減った、なんか食べたい】だけだ。
究極的に馬鹿なのだ。どうして種が存続して来たのか、理由が分からないくらい。森で最も捕食しやすい生物。なんて言われていたりもする。
そんな奴だ。そんな奴がだ。あたしの事を侮っている。これは腹立たしいことだ。あたしは腐っても銀狼。全ての生物の一つ上に君臨する生命体。種からして存在が違う。
だからそんな目で見られたら……。見られたら……。見られても…………。
──違うんだ。そもそも、こういう思考が。銀狼が種として強いのは、だって……。そのためだもん。誰かを馬鹿にするために強いんじゃない。他の子達を…………。
だからそんな目で見られても分からない。あたしは、もう全く分からない。怒られる。お父さんからもお母さんからも、怒られる。
「ボケッとしてんな」
その内に声が聞こえた。アルゴザリードは迷う事なくこちらに向かって来たが、その途中で、何かに脚を絡め取られて転ばされた。そして、そのまま。
「Ga?」
太い樹木の上ではあるが、その巨体が歩くには、些か慎重さが必要だった。でなければすっころび、身体の半分でも、樹上から出てしまうから。
セアが落ちていったように、幅があるといっても、木の上だから限界はある。柵で補強なんかされていない。脚を大きく踏み外せば、なすすべなく落ちてしまう。
転ばされたアルゴザリードは、すぐに落ちていく事こそなかったが、誰かに小突かれたら、それだけで落ちてしまいそうだ。
頭の悪い彼は、自分が今、どんな状態にあるかも分かっていない。小さな手足をバタバタと動かして、立ち上がろうとしているが、無駄な努力だった。
ひっくり返った虫は、独りで立てない。
そんなアルゴザリードに近づく影が一つ。それを見た時、アルゴザリードの行く末を察して、いつの間にか伸ばしていた前脚を下ろした。影は背後から忍び寄ると、そのまま──どん、と。突き落としてしまった。
「rrruuaaa!!!」
言葉にならない叫び声を上げながら、アルゴザリードは暗闇の中へと落ちていった。
そんなアルゴザリードに対して、何というか……罪悪感を覚えながら、目の前に立つ影に意識を向けた。
──それはもちろんアルトで、彼はアルゴザリードが落ちて行った場所から、下方を眺めている。
昼間ならともかく、見通しの悪い夜間に、そうする意味が分からなかった。でもその間中、こちらにずっと背を向けていたから、これが彼なりの配慮だというのに気がついた。
呼吸と、何より気持ちを整えて、人間の姿へと変じていく。
そうして用意が出来た後、『もう、こっちを向いてもいい』そんな意図を込めて呼びかけた。
「あいつらは?」
「ん? ああ。セア達なら、コクヨウカの木の上で寝ているよ。辺りが暗いからな。変な所に触って、刺激してしまうのが怖いらしい」
「そうか」
夕餉の時の会話は聞いていた。
既に樹上にいるが、あいつらはやっぱり、さらに木を登って、そこで寝たらしい。食獣植物というのもそうだが、不安定な場所で寝るというのも気がかりだ。寝返りでもうって、落ちなければいいんだが……。
声には出していないが、表情に現れていたらしい。アルトが肩をすくめた。
「コクヨウカの根本のすぐ近くにはシリウスがいる。大概のことはあいつがなんとかしてくれる。だから心配はない」
あたし達のように、特殊な能力がある訳でもないのに、心の動きを読むのだから凄い。
ただ弱い自分を見透かされているようで、なんとなく不愉快だった。
つい足踏みをする。
そうすると、大地とは違う樹上だからか、辺りが少し揺れたのが分かった。それで足場となっている木や、コクヨウカの木の上で眠る彼らの事を思い出し、意味もないのに慌てて足を上げた。
そうしたら、それを見ていたアルトが、また言うんだ。
「やっぱり優しいんだな。でも、自分の事も心配した方がいい。さっきのは少し危なかった」
「うるさい」
不満を口にしたら、アルトは口元を歪め、乾いた笑い声をあげた。ただ、その笑い方に悪意はなく。『なんとも言えない』そんな感情から生じたらしかった。
それで、お互いが喋る事なく、少し気まずい時間が流れた後、アルトが口を開いた。
「嫌がるかもしれないんだけどさ。少し……話をしよう」
アルトはその場に腰をおろすと、隣に来るように合図を出していた。これにも悪意は無かったし、嫌らしさもなかったら、誘いに乗っても良かった。
でも、自分の隣の地面をペチペチと叩いて呼ぶ動作が、まるで犬を呼ぶようだったから、腹がたった。
すぐ近くには寄らないで、離れた所、それも対角線上の所に腰を下ろした。
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