「見ててね」
規則性でもあるのだろうか。独り言のように小声で「手順は、えっと」と言っている。そうしてトーロスさんは逐一確認しながら、糸を指に巻きつけている。
まず横向きに人差し指と中指に二重に巻きつけ、次に親指に一度。さらにそこから小指と薬指に二重に巻きつけ、最後に手全体をぐるっと一週して取り外した。机に置かれたそれは、一見すると骨格だけの焼き芋のようだ。興味深くしばらく眺めていると。
バサ。控えめで無垢な音を立てながら、その糸の塊から骨格だけの翼が現れた。
「最初に人差し指と中指に、二重に巻くことで翼を作れるの」
感嘆の声を漏らす、その間にも目の前の糸の塊は変化していく。糸の塊の前方部分、そこに瞳が作られた。
「親指に巻いた銀素で瞳を作る。瞳があると、あんまり迷わなくなる。それに可愛い」
──トーロスさん!?
や、やめて下さいよ。あなたまでギャグキャラにはならないで下さいね……。
「それから……ほら出た」
トーロスさんが言うと、羽と目のある焼き芋の下の方から、二つの足がにゅっと飛び出た。足が出たそれは自分で立ち上がり、創造主ートーロスさんーを見た。彼女はそれを撫でてこう言う。
「はい。これで完成。簡単でしょ?」
──確かに。目の前の【それ】は、もう【それ】とは呼べない。不定ではない。ちゃんとした指向性を持っている。
「これが……銀糸鳥(ぎんしちょう)」
トーロスさんはわたしの呟きを聞くと、うんと柔らかに微笑んだ。そして彼女は「さぁ、やってみようか!」と促した。彼女の作業工程を見ていたかんじ、難しそうなことは何もなかったので。
「はい!」
元気よく返事をした。
✳︎
「そう、そこに。そうして……そう!」
「なるほど、こうですね? ……あっ!!」
「ああっっ!!」
銀色の糸を、親指にかけようとしたところで、ブチィ! 盛大な音を立てて千切れてしまった。
「これで……三十四回目の失敗ね」
テーブルには銀色の糸の残骸が所狭しと並んでいた。
最初は朗らかに、失敗を笑っていたシグリアさんやドルバさんも、今では今日の夕飯の話をしている。
ミリアさんが会話に参加しようと「パスタ!パスタ!」言ってるが、それを二人は積極的に無視している。必死になっているミリアさんは可哀想ではあるものの、少し可愛い。ラーニキリスさんは……気難しそうな顔で、厚い本を読んでいる。
わたしのことは放っておいて、各々今の時間を有意義に過ごしているのだ。
もちろん、それを酷いことだなんて思わない。こんな簡単なことを三十四回もやってできない方が悪いのだ。あっ、また……。三十五回になっちゃった。
頰にはいつのまにか涙が伝っていた。この涙のふるさとはいったいどこからだろうか? 不甲斐なさか、虚しさか。それとも……。
「大丈夫よ! 頑張りましょう! ほら、もう一回やってみよう! ……それとも……やめて他のこと……お店とかにでも行く?」
この人の異常なまでの優しさにだろうか……。
「うえぇぇん。ママぁ! できな〜い!」
「ママではないけど頑張ろう!」
聖騎士団のみんなが見放す中、トーロスさんだけはずっとずっと……ずっと……教えてくれていた。
「こ、こうですかね?」
トーロスさんに見せながら、人差し指と中指に糸を巻きつけていく。
「そう! そうよ! それで平気!」
次に親指……に行こうとした時。
「あっ! 待って! もう一周しないとダメよ」
そうだった。何回もやっているのに忘れていた。不甲斐なくてまた涙が。
「ほら。いいのよ。頑張って! いける、いける!」
なんかもう、本当に……。大粒の涙を流して、わんわん泣きたい気分だ。
でもそんなことしてもどうにもならない。だから涙を堪えて、自分の腕から取り出した銀色の糸を、必死になって指に巻きつけるのだ。もう間違えないようにと。
人差し指と中指に二重に巻いて、親指に一巻きして、最後に小指と薬指に巻いて……。
ゆっくりゆっくり動作確認しながら巻きつける。そしてついに。
「……できた」
糸は千切れることなく、わたしの手に正しい順序で巻かれている。わたしが恐る恐る外そうとした時、トーロスさんに腕を掴まれた。
「待って……。後一回……」
優しい声で諭されて、ようやく気づいた。まだ手の全体にぐるっと一周巻く作業が残っていた。
トーロスさんはわたしの手を取り、手に一周巻く作業を一緒にやってくれた。大切に大切に……壊れないよう、ちぎれないよう。そうしてなんとか一周回し終わり、恐る恐る手から銀色の糸を外していく。
外し終わった後は、待つ作業が始まった。ここからが大事なのだ。ちゃんとした銀糸鳥になってくれるのかどうかしっかり見届けなければ。
骨組みだけのそれは、やがて背から翼を生やし、可愛い目としなやかな足をつけた。それは自分の足で立ち上がり、【わたし】の方を見た。
──その動作を見て、今度こそ確信する。
「で、で、で、で!」
「「出来た!!!!」」
トーロスさんとわたしの声は重なる。彼女も一緒になって喜んでくれた。
「いやッッッターーー!!」
わたしの歓声はやたらと辺りに響いた。トーロスさんが周りに謝罪していると、シグリアさんやドルバさんも、わたしの様子にようやく気づいたようで。
「お疲れ様。ようやく終わったんだね。でもうるさくしちゃダメだよ」
「やるじゃあねぇか!」
シグリアさんは優しくそう言って、トーロスさんと一緒に周りに謝罪する。
ドルバさんは、細かいことなんて気にしねぇよ! とでもいいだけな豪快な態度で、銀糸鳥完成を祝ってくれた。
「なるほど……これが銀糸鳥ですか」
「ええ、そう。あとは指示一つ……と手紙を届けたい相手の銀素を提示すれば、銀糸鳥は動いてくれるわ」
理解の色を表情に浮かべる。
「ふんふん、なるほど。そしたら届けたい相手の銀素提示っていうのはどうしたらいいんですか?」
「ん……端的に言えば相手のギン素を体内に取り込めばいいんだけど。まぁ今から説明するわ」
鮮やかに微笑んで「簡単だから安心してね」と付け加えた。
「流石に……失敗しないよね……」
小さな声で呟いていたが、聞かなかったことにした。
✳︎
机の上にはわたしが腕から出した銀色の糸が三本だけある。他の物はラーニキリスさんが全部片付けてしまった。※銀糸鳥もほどいて片付けた。
「はい。じゃあ私が実験台になろうと思います」
トーロスさんがうんざりしながら周囲の人に宣言した。それを聞き「「おおーー」」と拍手を送るわたし達。
だけど、その態度をどうしてか、トーロスさんは快く思っていないようで、憎々しげにわたし達ー主にシグリアとラーニキリスーを睨んでいた。
でも分からないことは分からないので、そのことはあまり深追いせず、トーロスさんのことをただ見ることにした。
トーロスさんは机の上にある、わたしが出した銀色の糸を一本掴むと、自分の腕に巻きつけた。固結びで止めようとしているが、片手ではなかなか思うように行かず、奮闘するその姿はなんとも歯がゆそうだった。けれどなんとか結び終えた。
「はい……。人のギン素を自分の体内に取り込むにはいくつか方法がありますが、代表的なものを、三つ紹介しようと思います。まず一つ目がこれ」
わたしのギン素が巻かれた自身の腕を指差すトーロスさん。指先に誘われるように、わたし達はそこを視る。そうすると、あろうことか腕に巻かれていた銀素は、ずぶずぶと彼女の腕の中に入っていった。
「!?」
驚いたが周りの人達は全く動じていない。ということは、これをわたしが知らないだけで、この世界においては、今の現象はやはり、常識の範囲内なのだろう。
「次に二つ目」
トーロスさんが自分の腕からギン素をにゅっと取り出した。彼女はその後自分のギン素と、机に置いてあるわたしのギン素を結んだ。そして繋がれたギン素を自分の腕に刺した。するとギン素はつるつると体内へ入っていった。
「はい。これが二つ目」
──この世界の常識やばい。
そう思いながらトーロスさんの奇行を見届けた。ここまで二つの取り込み方の方法を教わったが、正直どれもクレイジーだと思う。
「よし。じゃあ最後になるよ。ただ、今までの方法に比べると、びっくりするかもしれないけれど、驚かないでね」
トーロスさんは意気込んだ様子だ。どう思われるか不安なのだろう。
けれどわたしの心にはゆとりしかない。びっくりした事が多すぎて、これからトーロスさんがどんな奇行をしたとしても、今のわたしなら受け入れられる気がする。
──だなんて思うんじゃなかった。目の前で広がる光景は、想像を絶するものだった。
控えめに言って今までの比じゃない。
あろうことかトーロスさんは、わたしのギン素を掴むと、口の中に入れ、もむもむと咀嚼し、呑み込み始めたのだ。
「まじかよ……」
あまりの光景についつい言葉が漏れる。やがてわたしのギン素を呑み込み終わったトーロスさんは、わたしの方を見て、「だから驚くかもしれない……って言ったのよ」顔を赤らめて言っていた。
✳︎
「まぁ、何にせよ。これで自分以外のギン素の取り込み方は理解できたわね?」
「ええ……そうですね」
目をそらしながら答える。
「……うん。ひきたいのは分かるわ。でもそれは一旦置いておいて、ギン素交換やっていきましょうか」
トーロスさんは自分のギン素をするすると左腕から取り出していく。
「相手のギン素を入手できたら、後はその届けたい人の銀素をちょこっと、銀糸鳥に混ぜればいいだけだから」
「混ぜ方は銀糸鳥を送りたい人の事を頭の中で思い浮かべる。それだけ。
私はもうセアちゃんからギン素を貰ったから、これからは私からだけなら、銀糸鳥を送れるわ。でもセアちゃんはまだ、私のギン素をもってないから、あなたからは送れない。
だから、まずは私のギン素を体内に取り入れて貰ってもいいかしら? そうしたら相互で送り合うことができるようになるから」
「早口やめて下さい」
先程のことがまだ尾を引いているからか、恥ずかしそうにやたらと早口でまくし立てるトーロスさん。それでも責任感の強さからか、私の茶々にもめげず、自身のギン素を抜き取り、机の上に置いた。
ここまで真面目で責任感が強いと、なにかと人生生き辛いだろう。
そう思って、これ以上茶々を入れるのは辞めようと思った。……思ったけれど、その自制心よりもトーロスさんの照れた顔の方が、ずっとずっと可愛くて……。
トーロスさんのギン素を一瞥すると、彼女に向き直って、無垢な瞳でこう言った。
「食べなきゃ……ダメですか?」
トーロスさんは真っ赤な顔になった上、口を引きつらせたが、やがて優しく微笑んだ。
「一番か二番を選んでもいいのよ」
真っ赤な顔の額には、ついでに青筋も浮かんでいた。
それも含めて可愛かった。
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