銀の歌
第44話
前回のあらすじ
『左腕が折れた』
アルゴザリードとの闘いを終え早数日。わたし達はあれから何日も、ひたすら山道を歩いていた。代わり映えのない景色の中を行く。
「ぐへぇ。熱い〜きつい〜」
崖沿いをよろめきながら歩く。前にいるアルトさんは、こちらへ振り返ると呆れ顔をした。
「頑張れ。後少しだ」
その言葉をここ数日で何度聞いただろうか。結局まだ、アルトさんの言う目的地には辿り着いていない。
「はぁ〜アルトさ〜ん」
はぁはぁと吐息を漏らしながら、山道を歩く。
「そもそもの話、目的地ってどこなんですか?」
ようやく坂を登りきり、アルトさんの隣まで辿り着く。疲れから、顔を上げることもできず、ぜぇぜぇと呼吸を荒げる。
「あれ……。言ってなかったか?」
「言ってませんよ!!」
食い気味に反応する。こう、バッとアルトさんに近づいて、つかみかかる勢いで。
「あはは。悪い悪い。でもさぁ、見てみろよ」
アルトさんは前方の景色を指し示す。今までは登り坂だったから、視界なんか開けていなくて、見えるものと言ったら、鬱蒼とした木々ぐらいのものだった。
しかし今は違う。ついに坂を登り終えたわたし達の目の前にある世界は、今までの疲れを吹き飛ばす程の素晴らしさがあった。
ドドドドドド。激しい音を鳴らして水がどんどこ下へと流れていく。露出しているむき出しの岩に何度もぶつかり、進路を変えながら。恐らくこれは【滝】と呼ばれるものだろう。だがとても大きい。そして横にも広い。その雄大さに、水しぶきがこちらまで飛んで来ているのかと錯覚した。
いや、事実。冷んやりとしたみずみずしい空気は、間違いなくここまで届いている。
「おおわぁあああ!!」
開きがあるにも関わらず、滝は目の前にあるかのように思えて、迫力に押しつぶされる。
景色に圧倒されていると崖下から一羽の鳥が飛んできた。そしてそれを追いかけるように、今飛んで行った鳥よりも一回り大きい鳥が、同じく崖下からお腹を見せて飛んで行った。
驚いて後ろに数歩下がれば、崖上と滝との間には、多くの鳥や飛翔する生物がいることに気づいた。
「す! すごいですね!! アルトさん!」
「ああ、そんで……。ほら、あそこ」
巨大な滝や山々に挟まれたところを指し示した。
「うわぁ!すごい!」
眼下には広大な自然が広がる。それを見てようやく気づく。ここはきっと渓谷だったのだ。山々の間に出来ると言われる、自然の芸術。高所から見る景色は、どこまでも広く美しく、また神秘さがあった。それにこれは。
「って、あれ?」
「気づいたか」
アルトさんが指し示す場所には見覚えがあった。
それもそのはず、その場所は数日前、アルゴザリードの幼体を捕まえた場所だった。
「へぇぇ!! 繋がってたんですね!」
「繋がってたってのは……ちょっと表現がおかしい気がするが……まあ、あの川はそういうことだ。あの巨大な滝の滝壺を水源としてる」
何故だろうか? アルトさんに訂正されたにも関わらず、どうも繋がっているという言葉が相応しいように思えてしまっていた。自分の考えはなかなか変わらず、むしろより一層、景色や一つ一つの出来事の繋がりを意識してしまい、なんだか妙に嬉しくなり、愛おしい気持ちが芽生えてきた。
ドドドドと激しい水の音を聞きながら、自然の中に自分の思いを馳せた。
世界はなんて素晴らしいのだろう。
綺麗な景色は心を洗ってくれる。中に溜まり込んだ不純物を融解して、どこかへと運んでくれる。そんな思いを感じていた。
✳︎
「それでこれからどこ行くんですか?」
滝を眺めながら、崖沿いを歩く。ようやく景色が変わったことを喜びながら。でもでもここは山の山頂付近。目的地とやらがあるようには、とても思えない。だから尋ねた。
「これから行く場所は【獣人族の里】だ」
「獣人?」
「ああ。そうだ。あそこにある大きな滝。あれを通り過ぎてしばらく歩いたところに、獣人族の里があってな。今回そこに物品を売りに行こうと思っていたんだ」
「ついでにその辺には、探したいものもあったしな」アルトさんは小さく続けた。
その語り口は既知の情報を言うような、なんでもない口ぶりで……。だけどもちろん、わたしはそんな話一度も聞いていない。
助けられた身だ。どこへ行くんでも構わない。でもせめて行く場所くらい事前に教えて欲しかった。
「へぇー、そうなんですか」
「悪かったって」
不満を隠し切れていない声音で言うと、アルトさんは、苦々しげに笑っていた。
「むー。仕様のない人ですね。
それから、滝を渡った先に獣人族の里があると言ってましたけど、そしたら進行方向違くないですか? あんな巨大な滝ですよ、迂回するにも難しいですし。どうしてこんな所まで」
しぶしぶこの件は不問にして、これからのことを訊く。アルトさんの頭の中には、解決策や予定があっても、わたしの中にはない。このままアルトさんの先行ばかりが続けば、わたしはもちろん、彼だってきっと困ることになると思う。
しかしそういった思いは届かない。訊かれたアルトさんは、楽しそうに頬を緩ませた。
「それは見てからのお楽しみってやつだな」
✳︎
白いギプスをはめた左腕を抑えながら、アルトさんが先を行くこと数時間。やけに開けた場所で彼は立ち止まった。
「急に立ち止まってどうしたんですか?」
「ああ。ここからあの滝を渡って行こうと思ってな」
「へ?」
アルトさんを不審な目で見つめ、その後あの大きな滝に視線を移す。ここから何キロも離れた所にあるあれは、ちょっとやそっとじゃ辿り着けそうもない距離だ。ましてやあの滝を乗り越えるなんて、不可能だろう。
何言ってるんだ……こいつ。
しかもわたし達がいる場所はとても高い崖の上。どうやったって行ける訳がない。
「そんな顔をするな。ちゃんと行けるから。あそこ見てみろ」
アルトさんが指差した方を見る。岩が重なり合い水を弾き飛ばし、滝の隙間とでも言うべき、アーチ状の空間があった。ここからだと遠近法で小さく見えるが、実際は一軒家くらい、簡単に収まるだろう空間がそこにはあった。だけど。
「確かに抜けられそうな場所があるにはありますけど……これはどう考えたって無理ですよ」
アーチ状に開いた空間は、あろうことか滝の中腹辺りにあった。つまりあそこにたどり着くには、まず滝壺で散々に水を浴びる必要がある。それもあんな巨大で勢いのある滝だ。水の粒の大きさも、速度もハンパないだろう。当たれば怪我じゃ済まない。どころか、死ぬということだって十分に考えられる。
それから何度も言うようだが、崖と滝との間には、大きな渓谷がある。こんな開きがある以上、ここからあそこまで行くというのは、あまりにも荒唐無稽である。
「どうしてこんな所に来たんです? もしあそこから抜けるとするなら、わたし達は渓谷を通ってなきゃダメなんですよ? 道……間違えてませんか?」
アルトさんの顔を覗き込むように、上目遣いで尋ねる。しかし彼は「いいや、ここで合ってるよ」と軽く言った。そして次の瞬間、アルトさんは四つん這いになって地面を触り始めた。
出た……アルトさんの奇行!
最早わたしの中では恒例とかしているアルトさんの謎の行動。実際には色々と意味があったりするのだが、説明を一つも行わずにするそれは、わたしからしてみれば奇人のそれだ。
この世界の仕組みについて、まだまだ不勉強なのはあるけれど、こうも想定外な行動ばかりだと、流石に首を傾げざるをえない。
アルトさんの奇行を見守ること数秒。払われた土の下から、あろうことか謎の物体が現れた。それは一見すると平たい鉱物のように見えて、紋様が刻まれていた。それから紫色の光を発しているようにも見えた。
「見つかったか……」
一仕事終えました。アルトさんはそんな顔をしている。しかしわたしは、それが何か分からないから、褒めることも貶すこともできない。だから彼の恒例の事後説明を待つ。
「これが何か疑問に思うだろう?」
ほんとだよ。だから早く教えてくれ。
わたしは思う。いつもアルトさんは一言遅いと。どこかの探偵なんだろうかと思うほど、答えを教えるのにもったいぶる。今回も前振りなく行われたが、ようやくここで、あの滝を渡る解決方法がアルトさんによって示される。
「そうだな。さっき言ったお前の言う通りだ。あの滝を陸路や水路で渡るんだったら、ここまで来たのは間違いだろう。だがしかし、道は何もそれだけじゃない」
「と、言いますと?」
尋ねると、待ってましたと言わんばかりに、指を顎に当てたアルトさんは、得意げに言った。
「道は空にもある」
アルトさんは言うと、紫色の光を放つ物体の上で、何か不可解な言葉を喋り始めた。
「++++===||||\\〒〒〒÷÷:」
およそ言語とは思えない言葉。わたしの脳はそれを言葉として認識することを拒んだ。なんだか頭痛がする。わたしの体調とは裏腹に、不思議な物体は紫色の光を強めた。
[古代言語。カナンの文字を読み込みました。ギン素を拡大提示。これより【空車】を起動させます]
抑揚のない、一定の間隔で刻まれた言葉が、どこからともなく聞こえてくる。すると目の前に、銀色の採光を放つ一筋の糸みたいなものが現れ始めた。
銀色の糸は崖から伸び、激しく蛇行しながらも、やがて滝の中腹にあるアーチ状の空間を通り抜けた。まるで針に糸を通すようだった。さらに、その銀色の糸に吊り下がるように、数人は入れる程の大きさの、箱のようなものが作られた。
それはくすんだ茶色の木材でできていて、所々が植物によって覆われている。また、前と後ろがゴキブリホイホイみたいに空いていて、横面にはふきぬけがあり、大変通気性が良さそうだ。空に浮かぶその箱は、なんだかとっても不思議で、現実の景色に見えなかった。
まるで空に浮かぶ列車だ。
列車というには安全性も大きさもまるで足りていない気がするが、どういう原理で空に浮かんでいるのか分からないそれは、今のわたしではそんな風にしか形容できなかった。
いつのまにか側に来ていたアルトさんに、肩を叩かれた。
「どうだ……これが空の道。空車だ」
肩に手を置かれて不快だったので。『お父さんやめて! 触らないで!』とバシッとはたこうとした。
そうしようとして、アルトさんの顔を見て気づく。
そこには無邪気な笑みを見せる青年がいた。年の頃に全くあっていない、幼い童子のような輝いた目をする青年が。
夢や空想に溢れたその眼差しを見ていたら、今までの彼の行動に、なんだか納得した自分がいた。
「ーーーー」
振り払おうとした手を、自分の内へ寄せた。
「なぁ!! すごいだろう! 実はこれを見るのは俺も初めてでな! 楽しみにしていたんだよ」
大人の体裁を取り繕うとしているのだろうけれど、隠しきれない喜びが、アルトさんの感情を如実に語っていた。そんな彼を横目に見ながら、今回はわたしが、いつも彼がするような、呆れたため息をついた。
それから数分くらい、アルトさんの喜びをただ聞いてあげたんだ。
「空車ってのは、昔の文明の発明品でな……それで………………」
第44話 終了
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