「いてっ」
「大丈夫?」
「うん、枝に引っかかっただけだから。大丈夫」
膝を抱えてうずくまるヘテル君のふとももには切り傷があって、そこからは血が滲み出していた。痛そうだけど、かすり傷に見えた。本人も大丈夫と言っているから、そこまで心配することでもないかもしれない。
シーちゃんの手綱を握るアルトさんは、わたし達がまた歩き出すのを、道の先で待っていた。
それで再び歩き出したら、アルトさんは何も言わずに、また前を向いたんだ。
✳︎
巨大な樹木の枝や幹が絡み合い、折り重なった樹上は、最早足場と呼んでいいものだった。幅も太さもあり、緑の苔が生えて、その上から土だって乗っている。そんなだ、木の枝から木が生える……なんてことにもなっている。
虫の鳴き声、獣の息使い、黄緑と緑の配色が作り出すここは、樹海の中だった。
足場が安定しているとはいえ、歩き慣れない地形だから、さっきヘテル君が細かい枝に引っかかったように、油断すればわたしも、きっと自然の洗礼に合ってしまう。
森に入ったばかりの時は、ここまで入り組んだ地形はなかった。でも流石に、二、三日も森の中を進めば、険しい道のりにもなる。
唯一助けられたのは、何故かこの近くに、無人の小屋があったこと。森が本格的に入り組む前の場所に、準備をしろとでも言うように、置いてあったのだ。
昨晩は安全な場所でぐっすり寝れたから、体力はまんたんだ。
ちなみに、シーちゃんに繋がれた荷台もそこに置いて来たので、今日の彼女は、とても身軽そうだ。背中にはほんの少しの荷物しか括り付けられていない。
まぁだとしても、馬の足からしてみれば、ここは不安定な足場だろうから、シーちゃんが苦もなく着いてくるのがすごい。だって段差はあるし、足元には枯れ木、それから木のうろが作り出す、簡単な落とし穴もある。
よくあんなに、すいすいと歩いていける。
そんな風に感心しながら、アルトさんの後を追う。そしてそれがいけなかった。足元の注意を疎かにしてしまった。
ずるりと嫌な音がした。
「へ?」
どうやら湿った落ち葉を踏んづけてしまったらしい。これだから湿ったものは嫌なんだ。
なんて考えてる間に、身体はどんどん傾いていって、ついに足を踏み外してしまった。
「うわっ!」
大きい木とは言え、それでも木は木だ。横幅には限界がある。道って言ったのだーれ? 道って普通、踏み外すこととか有り得ないと思うんだけど。
そんなこんなであわや落下という時。落ちてくわたしの手……ではなく足首を掴んでくれた。
「何やってんだお前?」
アルトさんに冷たい目をされる。
「むーー。しょうがなくない?」
反省してねえな。そんな目を向けられる。
何か言い返したかったけど、アルトさんに手を離された瞬間、頭から地面に落ちていく。随分と高い位置だから、脳天が割れて死んでしまう。
不利な体勢だから、何も言えなかった。
それで、アルトさんはわたしの身体をぐいぐいと引っ張って、樹上の上に戻るには後一息という所。と、そんな時。不思議なことが起きた。突然目の前が真っ暗になったのである。
「えっ? えっ? な、何? アルトさん! 目の前が真っ暗になりました! 何これ!?」
大声で叫ぶと、アルトさんは何でもないことのように、それだったらと教えてくれる。
「お前のスカートだよ。星の持つ指向性。引力に従って、下へ引っ張られてんだ」
「なるほど」
正直何言ってるのか分かんなかったけど、なんかまぁ、落ちてるってことだよね?
理屈はいまいち理解してないけど、状況については理解した。つまり、いつもはパンツを隠してくれているスカートが、今は顔を隠しているってことだ。単純だね! ん……? あれ、てことは、今パンツどうなってるの。
瞬間、全てを理解した。両の手で、スカートを上へと持っていき、なるべく、そこを隠すべく努める。そして叫ぶんだ。
「アルトさんのへんたーーーい!!! このクソ野郎がぁぁぁああああ!!!!」
「てめ、この、いきなり何を言う!」
「パンツ見た! パンツ見た! パンツ見た!」
「あっ、そういうこと」
言われてすぐは理解してなかったアルトさんも、【パンツ】という単語を聞いた瞬間理解したみたいだ。そして呆れた様子で、あいつは言いやがるのだ。
「いや、もうこっちは見慣れてるから。気にしなくていいぞ」
「なんで見慣れてるんですか!? 変態!!」
「このやろ!」
脚をじたばたさせながら、暴言を吐き続ける。アルトさんは額に青筋を浮かべながら、それでも冷静に弁論するのだ。
「お前……! だって今でこそヘテルが家事やってるけど、この間まで服洗ってたの俺だからな! そりゃ知ってるよ」
すごい正論が飛んできて、一瞬何も言えなくなる。気になったのは、ヘテル君が少し顔を赤らめていたこと。……まぁでもいいんだ! そうだ恥ずかしいんだ! 今わたしが、恥ずかしいと思っている心は本物だ。感情のままに突っ走る。
「それとこれとは別なんですよ!! 変態! エッチ!」
「じゃあ自分でやれよ!」
「それは面倒なので嫌です!」
「てめ!!」
ついに切れたご様子。力が入ったのだろう、その拍子に、わたしの身体はあっという間に、持ち上がった。足首は掴まれたままだが、頭は樹上すれすれで、手を伸ばせば、先程いた場所に帰れる。でも、ちょっと今、そんなことより立て込んでるから。
「この! 女の子のパンツ見て、謝罪の一つもないんですか? だからアルトさんはクソ野郎で、女の影の一つもないんですよ!!」
「脚を滑らせたの、だーれ!?」
不利な状況でする喧嘩程、厳しいものはない。だって負け戦。敗戦処理だ。でもね、やっぱり、恥ずかしいものは恥ずかしいの!!
そんな訳で、こんな無様を晒していても、文句はちゃんと言い続けた。そうしたら──。
「もう最低! 友達0人! スカポンタン!」
「……そうか。じゃあ、そんなろくでなしの俺だ。人を助ける義理はないよな」
そう言われた時、違和感を感じた。そう、アルトさんの表情に怒りではなく、諦めが宿ったのだ。
「えっ?」
なんとなくの行く末を察して、身震いした。そしてその想像は案の定。
──落ちていた。身体は落ちていた。わたしは落ちていた。
星の指向性の引力とやらに引っ張られて、わたしは落ちていた。
「あああああああああああああああ!!!! 人でなしぃいいいいい!!!」
見下すような視線のアルトさんめがけて、最後に断末魔を残した。
アルトさんの隣でヘテル君は、顔を抑えていた。
前話に書き忘れてしまってごめんなさい!
お知らせです。
123話に予告しましたように、今回、お知らせがございます。
結論から申し上げますと、銀の歌は長期の休載期間をいただきます。理由としましては、現在の文字数が、当初の予定を大幅に超えてしまっているからです。
そのため一度休載期間を設け、物語の内容を、見直していこうと思います。現状、このままいくと、いつ終わるか分かりません。内容を整理し、終わるまでの見通しが立ちましたら、その時は、再び書かせていただきたく思います。
読者の皆様には、申し訳ありません。また、帰って来た時に、よろしくお願いいたします。
※補足事項です。
現在書き終わっている部分までは、投稿させていただこうと思います。銀の歌の残り更新回数は、後5回となります。短い間ですが、今少し、よろしくお願いいたします。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!