銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
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第74話 母になれない娘(トーロス・アプシー)

公開日時: 2020年11月24日(火) 18:30
更新日時: 2021年4月24日(土) 19:10
文字数:6,493



銀の歌



第74話


 車椅子の持ち手を、ラックルさんから奪うようにして代わって、野営地の中をしばらく歩いた。その間トーロスさんからは、どうしてこんなことをしているのか質問ぜめにされた。

 ただそうは言われても、理由なく衝動的に行ったことだったため、何も言うことができなかった。そうしてだんまりしていたら、トーロスさんはやがて、仕方なさそうに笑い、車椅子を押されることを、黙認してくれた。


 トーロスさんの天幕の中に入ると、一つだけあるベッドの近くに車椅子を寄せて止めた。


「一様ベッドはあるけど一人分よ……?」


 本当に二人で寝る気なの? 言外に意味を含めている。わたしは、トーロスさんのそんな心配を、振り払うよう力強く言う。


「大丈夫です。それなりの大きさがあるみたいですし、二人で入っても足りますよ」


 トーロスさんは今現在こんな状態なので。足には当然装備はつけておらず、剣を帯刀するための装備も無い。身を守るための必要最低限の装備だけをしている。だがそれでも寝る時には邪魔だろうと考えたので、彼女の協力のもと、寝巻きに着替えてもらった。

 それらを終えて、トーロスさんの前に回ると、ベッドに運ぶために、彼女に倒れこんできてもらうよう頼んだ。「危ないかも……」と、車椅子の上から心配してくれる。でも気丈に振る舞って、余計な心配をさせないようにした。


 トーロスさんの身体を受け止めるために、屈んでいるわたしの方へ、ドスンと彼女が倒れこんで来る。自己申告していた通り、彼女の身体は、わたしにとってはそれなりに危険なものだった。今の彼女は弱って見えるが、元々は戦うために自分の体を鍛えてきた戦士だ。

 並の人よりも筋肉がついた身体は、鎧を脱いでも硬く重たかった。


 限界まで踏ん張って、ようやくトーロスさんの身体を支えることができた。その後なんとかトーロスさんを、ベッドの上に横たわらせることが出来たが、わたしの疲労っぷりったらなかった。

 うつ向いて、両膝に手を置き荒く呼吸した。


 そんなの見たら誰だって心配する。ましてやそれがトーロスさんなら尚更だ。彼女は心配そうな視線を絶えずこちらに送っていた。今にも声だってかけて来そうだ。

 でもわたしが、表をあげて力の限り笑みを作ると、トーロスさんは逡巡したそぶりを見せ、手元に視線を落としたのだ。


✳︎


 トーロスさんと一緒に横になるベッドは狭かった。だからわたしの言葉はまるっきり嘘だったのだ。けれどそのことには触れないようにして、お互いに背を向けて肌を寄せ合った。背骨がコツコツと当たり、そのたびにむず痒い変な気分になるが、なるべく彼女に広く場所をとってもらえるよう努力した。特に彼女の足元には、最新の注意を払った。


 横になっているものの寝ることは出来ず、トーロスさんの気配ばかりを感じとっていた。


「ねぇ、セアちゃん。やっぱり狭くない?」


 わたしが周囲に気を配るように、トーロスさんだって気を配っている。この質問は予想されたことであった。

 ここで『そうですね』などと返そうものなら、トーロスさんはまた気を遣って、きっと『移動しましょうか』とか、『今からでもアルトさん達の所に帰りなさい。案内してあげるから』とか言いだしかねない。


 邪推なのかもしれないが、わたしは「そうですか。そんなことはありませんよ」と笑ってごまかした。

 自分自身なんだか随分ひねた子になってきたなと思ったが、今はいいかと思うようにした。


 その後もなかなか寝つけなかったから、トーロスさんとぽつりぽつりと言葉を交わした。

 最初こそ上司ークソ英雄ーの至らない点を挙げたりする愚痴や、近況を話すだけのものであったが、やがてそれは自らの生い立ちの話へと変わっていった。


 まぁとは言っても、わたしが記憶喪失なのは、周知の事実なので、終始トーロスさんの話に落ち着いた訳だが。

 なんでも、聞けば彼女は八人兄弟の長女なのだとか。


「へぇ。それじゃ下の人達の面倒を見ていたんですか……。トーロスさんのことですから、きっと素晴らしいお姉ちゃんだったのでしょうね。みんなのことに気を配ったり、器が広かったりっていうお母さん気質は、そこから来たものなんでしょうね」


 ダングリオの街である程度仲良くなったとはいえ、あの時はまだ壁があったと思う。それが今日、うち壊れたような気がして、遠い存在が身近になったようで、なんだか少し嬉しかった。知らない一面を覗けた、より一層深い仲になれたという事実がわたしの心を満たしていく。

 けれどそんな自分とは打って変わって、トーロスさんは、何か不快感を覚えたのだろうか、歯をきしませていた。


「……わたし何か傷つけるようなことを言ってしまいましたか? ……ごめんなさい。言いたいことをやっぱりまだ直球でしか言えません」


 トーロスさんに嫌われたくなくて、彼女の怪訝そうな様子を感じ取るとすぐに謝った。でも謝罪の仕方が悪かったかもしれない。多分な弱さを含ませてしまった。

 だからトーロスさんを慌てさせてしまったのだ。彼女は寝返りを打って、こちらへ振り返ると、すぐにわたしの発言を否定した。


 だからわたしも、トーロスさんの方へ寝返りを打って振り返る。気を遣わせてしまったことを後悔しながら。

 そしてお互い何も発せず、視線だけが絡みあった後、トーロスさんがおもむろに、「むしろこれは私の問題」と短く言った。


「私ね。お母さんじゃないの……」


 その後の言葉はまるっきり要領を得ないもので、トーロスさんにしては珍しい言い回しだったと思う。わたしは頭にはてなを浮かべて、「そりゃあそうでしょうよ」と眉を寄せた。そうすると彼女は、わたしが今まで見たことない類の、子どもっぽい表情を見せて、ふふふと笑った。


「ううん。そういうことじゃなくって、わたしはお母さんになれないんだって言いたかったの」


「はぁ。……というと?」


 聞き返すとトーロスさんは「一般人にこんなことを言うのは気がひけるんだけど、今更だし」と自分自身に言い聞かせるように呟いて、わたしのほっぺに手を乗せた。


「わたしね。母親殺されちゃったの」


 今日で何度目だろうか。目を丸くしたのは。


 つくづく思うんだ。辛い過去を抱えているのは、悲しい感情を抱いているのは、誰もが同じではないかと。それはもちろん【種類は】違うと思う。喪失だったり、離別だったり、不満だったり、思い通りにならない不条理にだったり、色々あるとは思う。

 でも根っこにある【辛さ】は、誰もが共通なのではないだろうか。今こうして話しているトーロスさんも、非常に辛そうであった。そしてそれを語らせたのは誰か……。考えなくても分かることだろう。


 だから最後まで聞くべきなのだと思った。辛さは『辛い』と誰かに言った段階が一番辛い。でも最後まで誰かが聞くことで、辛さは感情となって相手との間に、新たな絆を構築する。そんな気がする。


「私の母は凄い人だった。一様貧乏貴族とはいえ、父方の方が苗字付きではあったから、ただの村人だった母にはなれないことがいっぱいあったと思う。結婚するまでにも障害があったと思うし、結婚してからもあったと思う」


「父は仕事好きだったから、外でいつもお偉い人達と仕事をしていた。身の丈に合っていない内容だったから、父は毎日一生懸命勉強をしていた。そんなだったから、家のことは母親に任せっきりで……。だっていうのに毎年子どもを、母にこさえさせた」


「母は『お父さんは凄いんだよ』といつも言っていた。決して貶すことはしなかった。子どもにも夫にも優しい良い妻であり母だった」


 在りし日を懐かしむトーロスさんは寂しげだった。それに見入っていた時、ふいに疑問を投げかけられた。


「セアちゃん。【異業種】って知ってる?」


「ええ、まぁ……」


 ヘテル君の事を思い出し、一瞬どきりとしたが、なんとかそれだけ言うことが出来た。


「ふふ。まぁそうよね。私達が異業種を狩ることを専門としているのだものね。アルトさんから聞いたよね」


 「そうですね」と同意を示す。すると訊きたい事を訊けたのか、トーロスさんは納得したように頷いて、「話を戻すね」と再開した。


「ある日私達の住む小さな町に、一匹の獣が迷い込んだ。いつもだったら猟師の方々が追い払ったり、仕留めたりしてくれているんだけど、今回に限っては違ったの。その獣は【異業種】になっていた」


「原型はググズって呼ばれている四足獣だったと思う。身体の大きな動物マヘトでね。後ろ足で体全体を支えて立った時には、背丈が2メートルを超えたと思う」


「そんな化け物は、異業種にとりつかれることによって、さらに凶暴に、そして力強さを得た。少なくともあの時九才だった私には、アレに対して、恐れしか抱けなかった」


「多くの民家を襲って、たくさんの人を食い散らかした異業種は、我が家の塀や家の壁も打ち壊して入ってきた。当然私達は逃げ出そうとした。でも……」


「母はね。度重なる無理のせいで、身体を悪くしていたの。誰にも言ってくれなかった。だから私も気づけなかった。……ううん。気づくべきだった。気づけなかった私が悪かった」


「お母さんの助けになろうと、いつも下の子の面倒を見て、母親代わりをしているつもりだった。でもダメだった。私は一番気を配るべき人を見れていなかった」


「誰も知らなかった。母の足や目が悪くなっていたのを……だからあの人は逃げ遅れた」


「父はいつも通り仕事に行っているからいなくて。近くの人達は、もうすでに逃げるか喰われるかしていない。あの場には、私と母と数人の下の子達しかいなかった」


「だから私は…………母を見捨てたの」


「弱い私とは違って、あの人は当たり前のように『逃げて』って言ってた。頭を半分程食べられながら、身体を取り込まれながら『生きて』とも言った」


「だから……私は……」


 途中から息を荒くして、顔を布団の中に沈めて泣きじゃくるトーロスさんは、今までに見たことがないほど感情を吐露していた。

 痛ましさに顔を背けたくもなったが、彼女の肩や背を、思いやりを持って叩くことを選択した。わたしが出せる最適の解だった。

 この行いが実際、トーロスさんにどんな風に映ったのかは分からないが、やがて彼女は落ち着きを見せて、また静かに語り始めた。


「その後の母の居なくなった我が家の状況は散々だった。父は子ども達を置いていけないからと、なかなか仕事に出れなくなって、八人兄弟だったから食費がかさんで、すぐに貯蓄は尽きた」


「当然下の子達は泣いたり喚いたりした。食べるものも少なくて、父親もなれない育児や仕事で休む暇がなく。……少し荒れてしまっていたから」


「誰かがなんとかしなきゃいけなかった。そしてそれはきっと……長女である私の役目だった」


「母の代わりになろうとした。今まで以上に下の子達の面倒を見て、それこそ身を削る思いで、家族に尽くした。……でも九才やそこらの子どもじゃ、無理があったんだわ」


「私は母親になれなかった」


 トーロスさんはわたしの顔を見ると、ぐちゃぐちゃの顔でまた泣いた。ほおにいっぱい涙を滴らせて、布団を汚して、辺りには湿気なのかよく分からないけど、蒸れた暑さが込み上がっていた。それが彼女の必死さを、物語っているようだった。


「それからまぁ、色々あって……。私が稼ぐしかならなくなったりして……今ここにいる」


 話は終わりとそんな雰囲気を出して、今度は自分の力だけで落ち着き、呼吸を整えていった。


「なんてね……ごめんなさいね。重かったよね。貴方……なんとなく私の母に似ているから、ついつい甘えてしまったわ」


 最後に冗談っぽく笑って言った。


 そこまで聞いて、彼女の生い立ちを全部ではないが聞いて、わたしは、わたしは、わたしもきっと同じくらい……。


「泣いてるの? やっぱり貴方、私の母親と同じで優しいのね」


「アッ……アア、あ……う、っああ。アッ…………ああ、あ」


 熱気が篭る。布団は二人分の涙を吸い込んで、湿らせてぬくもりを作った。

 人の事情に首を突っ込むことがこれほど、重いことだとはつゆにも思わなかった。きっと表面しか見ていなかったのだ。友達だと言った彼らも、恩人だと言った彼も、守るべき彼も、表面だけしか見れていなかった。


 目の前にいるこの人も今、この時までは表面しか見ていなかったのだ。大切だと自分の中で確信を持っていたにも関わらず、抱える痛みに気づけなかった。

 トーロスさんはわたしの肩をぽんぽん叩くと「ごめんね」と言って顔を涙で、また歪めた。


「貴方があまりにも優しかったから……。私もね。寂しかったのかもしれない、怪我をして、この班の中で居場所なんかないんじゃないかと、最近は少し思ってしまっていたから。今日色んな人から話を聞いて、それだって杞憂なんだって分かったけど……私弱いね……ごめん」


「貴方は」


 弱くなんかないじゃないですか。言おうとしたけれど、上手く口が動かなかった。


✳︎


 二人で泣いて、二人で泣き止んでから、少し経った。湿った布団は寝苦しかったが、そんなものは今更だった。もともと小さな布団で二人は寝苦しい。

 思い出したように思って、トーロスさんを想って目を伏せる。少し疲れてしまったのだと思う。そのまま寝息をたてようかと思ったけど、トーロスさんはまだ寝かせてくれない。


「聖騎士団はね。異業種を狩る事を専門にしているの。だって言うのに、この班で純粋に異業種に対して恨みを持っているのは私ぐらいなの。笑ってしまうわ。

 ユークリウス剣士長もアスハ副剣士長もシグリア達も、誰も彼も恨みで聖騎士になった訳じゃなかった。もちろん私だって……正義を愛する心があったから、聖騎士になった訳だけど」


 ユークリウス剣士長達のことを、自分とは違うと褒める。トーロスさんにしては珍しい自虐だと思う。隙を見せてしまった人っていうのは、元に戻るまで、存外時間がかかるものなのかもしれない。だから、何か口を挟むのも無粋だと考えて、噤んでいた。


 だから気づかなかった。これがトーロスさんの優しさから来る警告だっていうことに。


「…………そんな彼らでも異業種を見たら、会話もなく斬り殺す。私だったらきっと一も二もない」


 背筋が震えた。先程まで見せていた可憐な、触れれば壊れるような脆い雰囲気はカケラもなく、狂気じみた覚悟が、トーロスさんの中に宿っていた。

 わたしはヘテル君のことを脳裏に描いた。


「恨みがある。異業種は私の母を殺した。許せないのは……彼らは食物を取らなくても生きれるということ。私達だって動物(マヘト)はいくらでも食べてきた。でもそれは【仕方がない不条理なもの】。でも彼らは……食べる必要がない……」


 闇に染まっていく瞳は病的で、ほおに置かれた手は心なしか重苦しく、トーロスさんの陰鬱さから、逃げることができないような感じがした。


「彼らを見ると私の手は震える。あの時の母の顔が映るから。だから私の一番の武器は弓なの」


「ねぇ。お願いセアちゃん。私の汚いものを晒させないでね。貴方ならきっとこの先異業種と出会った時、もしかしたら仲良くしてしまえるのかもしれない。ううん、もうすでにかもしれないけど」


 トーロスさんの言うことがドンピシャで、顔がこわばる。勘の良い彼女なら、もしかしたら気づいてしまうかもしれないのに、なかなかぎこちない表情を直せなかった。


「なんにせよ。私に異業種を、見せないで……! きっと……剣を持つ手が震えるから……」


 手をわたしの目の前に突き出すと、わなわなと震えさせた。それでトーロスさんは話は終わりと、纏った不気味な雰囲気をこそぎ落とし、瞼を閉じた。


 今回のことはわたしにとって……言わなくても分かるだろう。とてつもない程ショックだった。


 信頼できる人からの完全な拒絶は、わたしの心の安寧を脅かすようで、ドクンドクンと心臓を数回跳ねさせた。


 わたしがこうなる理由を、トーロスさんが知っているのかは分からないが、いよいよアルトさんの言葉が現実味を帯びてきた。彼が言った『異業種は世界の敵だ』と言う謳い文句が、間違いではないのかもしれないと、さらにわたしの心の奥底に、杭のように打ち込まれた。



第74話 終了

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