銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

第38話 記憶をなくした青年

公開日時: 2020年10月8日(木) 18:30
文字数:4,435


銀の歌



第38話




「どうしてあなたは、旅をするんですか?」


 アルトさんの目を見つめながら尋ねた。彼は口元を隠すように手を当てると、少しの間考え込んだ。それから「そうだな」と、わたしのことは見ずに、どこか遠くを眺めながら呟いた。


「あぁ。まだお前には話してなかったか。俺はな……世界地図を作りたいんだ」


「ふぅ〜ん。そうなんですか……」


 手元の草花をいじりながら返す。


「なんだお前!? 興味なさそうだな……。自分で聞いておいてそれって」


「いや、そう言う訳じゃないですけど……」


 だってもう皆ー読者ーあらすじでその情報知ってるし……。


 この独善的な気持ちは、アルトさんには分からない。しかし何かを感じ取ったのだろうか、眉間を人差し指で押して伸ばすと、気持ちを落ち着けた。


「……仕方ねえなぁ。誰にも言ったことがないんだけどな、せっかくだ。教えてやるよ」


「何をですか?」


「俺が世界地図を作る理由だよ」


 「俺はな」言ってからアルトさんは下を向いてしまった。非常に言いにくそうな様子だ。本当に今まで誰にも言ったことがなかったのだろう。どう切り出せばいいのか分からないようだった。数秒の間が空いた後、彼は意を決したように語り出した。


「故郷に帰りたいんだ……」


 意外な言葉に目を見開いて尋ねた。


「国と国の境にある?」


「国境」


「田舎の若者憧れの?」


「上京!!」


 はぁはぁと息を荒げて、突っ込んでくるアルトさん。いい反応だなぁ。なんて人ごとのように内心思う。


「二番目のは【きょう】しか合ってねぇじゃねぇか!!」


✳︎


「故郷……ですか」


 静かな声で囁く。それに対しアルトさんは「うん」と、こちらを見ずに静かに頷いた。無理矢理にわたしが彼の瞳をよく覗き込んでみると、そこには確かな殺意が宿っていた。


 わたしの頭にはこぶができてしまっている。あれからぶっ叩かれたりしたけど、ようやく話を戻すことに成功した。

 なるべく、なるべく声の音階を低くして、真剣な空気を保とうと努力する。


「でも、アルトさんって故郷……分かりますよね? わたしの様に記憶喪失って訳でもないんですから」


 そう言うと彼は難しそうな顔で、もみあげの部分をかいた。


「……俺はな。育った場所は分かるんだが……生まれた場所が分からないんだ」


「ーーんん?」


 えっ……それどう言う意味? 言わんとしている事が分からず、首を90度傾ける。それを見てアルトさんは「まぁ、これじゃ分からないよな」と苦々しく笑った。


「簡単に言うと育った場所と生まれた場所が俺は違うんだ」


「……多分」と最後だけ弱々しく、消え入りそうな声量で呟いた。


「俺の昔話は前したな?」


「はい。なんでも孤児だったとかで」


「ああ、だから親の顔も知らん。んで飯は残飯漁ったり、店から盗んで食ってたりしてた」


 アルトさんって顔に似合わず本当野生的だよなぁ。彼の事情を改めて聞かされて思う。大分厳しい人生を送っていたんだと。


 そしてだからこそ性格がひん曲がっちゃったのかもしれない。

 アルトさんの今までの行動の辻褄合わせを、自分の脳内で行う。そうして彼に対して、理解を深めていくと、その中であることに気づいた。


「あれ? でもそれって何かおかしくありませんか?」


「ん、何がだ?」


「だって親……や助ける人がいないのに、どうやって生きてこれたんですか?」


 当たり前で単純な疑問だが、どう考えてもアルトさんの話はおかしい。残飯を漁ってたとか、食べ物を盗んでたとか。それから以前、ゴロツキを倒したこともあるとか言っていた筈だ。それらの話を踏まえて聴くと、今彼が言ったことには、確かな違和感が残るのだ。


ーーだってそれは、自分が完全に、一人きりで生きてきたとでも言いたげだから。


「親の顔も分からない内から孤児になったっていうことは、アルトさんは当時相当幼いはずですよね? 物心つく前でしょうから一歳か二歳でしょうか……。

 でもそれならその時はどうやって生きていたんですか? 話を聴く限りじゃ味方もろくにいなかったみたいですし。そんな状況じゃいくらアルトさんでも生きていけると思えません。

 あなたの話は【自分が一人で動ける】様になってからのことばかりです。あなたが何もできない頃の話がまるでありません。どうしてですか?」


 相槌を打つ暇さえ与えず、自分の中に湧いて出た疑問をぶつけていく。そうするとアルトさんは、面食らった様に身体を引かせた。

 目を丸くして何も言わずにこちらを見てくる。


「ねぇ。どうしてです?」


 問い詰めていくとアルトさんは、本当に小さな声で、「すごいな」と呟いた。それから彼は居住まいを正した。


「そうなんだよ。俺も分からないんだ。お前の言う通り、俺の記憶は途中から……。恐らくは5歳頃から唐突に始まっている」


 なかなかに衝撃的な発言だ。普通物心つく前の記憶だって少しくらいはあるはずだろうし、3歳や4歳であれば、ある程度の記憶はあるのではないだろうか。

 いやまぁ、記憶喪失のわたしが言うのもおかしいんだけど……。


ーーーーまさか!?


 今度はわたしが驚いて、アルトさんの瞳を覗き込む番だった。何に思い至ったか気づいたのだろう。彼は薄く笑って言った。


「ああ。そうだよ。俺も記憶がないんだ」


✳︎


「だから……ですか?」


「ああ。だからだ。育った場所は分かるが、生まれた場所が分からない。だから故郷に帰りたくて、世界地図を描いている」


 話を聞いて点と点が繋がり線になった気がした。アルトさんが世界を放浪する理由、彼がなんでもできる理由。そしてわたしを助けてくれた理由……。


「でも、自分の故郷を探すのって大変じゃありません?」


 それもなんの手がかりもなしに、そう心の中に思い浮かべたけど、言うのを躊躇った。

 しかしそれは杞憂だと、アルトさんにしては珍しく、明るい表情をした。


「何言ってんだ……あるだろう?」


「む? 何がですか?」


「あるんだよ。この身体が……」


 どこか憂いを帯びた様子で、アルトさんは自分の胸に手を置いた。


「身体ぁ。ですか?」


「その通りだ。髪の色は? 瞳の色は? 骨格の作りは? 寒さに強いか、暑さに強いか? 何が得意か? 何が不得意か?」


 目を瞑り、独り言の様に言う。ただしアルトさんのその様子には、寂しさとか虚しさはないように見えて。宝物を探す子どものように楽しそうだ。


「そういった元々自分が持っている全てが、自分を知る情報の手がかりになる。例えば、褐色の肌」


 言われてアスハさんの姿を思い浮かべる。


「あれはここよりもずっと遠くの大地、ヴェルズリイ大陸の南西に見られる肌だ」


 アルトさんの話す事に夢中になり、いつの間にか呼吸をすることも忘れていた。……こういう現象を話に引き込まれるとか言うのだろう。思い返してみれば前にもこういう現象があった。殺人鬼がどこにいるのか推理している時だ。

 アルトさんの話には人を惹きつけるものがある。聴いていると、まるで真理の一旦を垣間見せてくれるようで……。

 わたしは夢中になって話を聴く。


「例えば、美しい銀色の獣の体毛」


 殺人鬼のことを思い浮かべる。


「あれは今から900年前に滅びた銀狼族か、天空に住むとされる銀狐族。そのどちらかのものである可能性が、極めて高い」


 もう分かりましたよ、言おうと思ったけれど。アルトさんの人差し指に阻まれた。口元に彼の指がふわりと当たる。


「翠色の髪。それは非常に珍しいものだ。深い森に潜む、森の精霊と称される少数民族。彼らがお前と似た色の髪を持つ」


 ゆっくりと唇から離れていく指。意外な動作に面食らって、その後も目をパチクリさせるだけだったが、やがて自分は、今とんでもない事実を告げられたのに気づいた。


 ……そうなんだ。わたしはそんな人達と関わりがある可能性が高いんだ。


「自分と似たような容姿や特徴、寒さや暑さに強いみたいな。そういった自分と似た共通点を持つ人達を探し出す。それが自分の故郷に帰る一つの道筋になる。そういうことでしょうアルトさん?」


 呆れた顔で返してあげれば、自分がとんでもなくキザなことをしていたことに、アルトさんはようやく気づいたみたいで。照れ臭そうに頬をかいて、「おう」と言っていた。


✳︎


 夜空ももういい加減見飽きてきた頃だった。どんなに良い景色でも、慣れれば美しさを忘れるなんて酷い話だ。だけど事実は事実としてある。身体は正直だ。瞼はだんだん落ちてきたし、気が遠のいてきている気がする。


「眠いのか?」


 目をゴシゴシ擦って頷く。


「悪いなぁ。長々と付き合わせちまって」


「いいですよ。わたしが尋ねたことですし。

 …………あなたは【だから】世界を歩くんですね」


 さっきのことを思い出したのか、気恥ずかしそうに俯いて「ああ、そうだ」とアルトさんは言った。それからしばらく時間が空いて、いよいよ意識も限界といったところ。そんな時、アルトさんは声をかけてきた。


「寝る前にさ。一つ」


「ふぁんでしょー」


「お前の胸元の花のように、実は俺にもひとつだけ、故郷に帰るための手がかりがあるんだよ。というかそれがあるから、俺は自分の産まれた場所と、育った場所が別物だと判断したんだ」


 急に胸の辺りをジロジロと眺め出して、どういうつもりかと思ったら、そういうことか。

 随分と馴染み深くなった、花の入った瓶を撫でるように触れた。


「へぇ〜、ほぅなんですか? 貴方にとってのそれは何ですか?」


 アルトさんの故郷に帰るための手がかりとは何だろう? この恩人は色々話しているようで、核心を話すことはあまりないから、なんだかんだ謎が多い。だからそういった大事なな話は、眠気は凄いがちゃんと聴いておきたかった。


「ああ。それは【大きな石碑】だよ」


「ふぁあ、大きな石碑……? でふか」


 頭にはてなを思い浮かべ、山彦のように繰り返した。するとアルトさんが苦笑した。


「いや、すまんすまん。悪気はない」


 謝罪の時でさえ、口元が少し釣り上がっていたのだからムッとした。しかし側から見れば、とろんとした目で虚ろな様子のわたしは。大変間の抜けた表情をしているように見えるのだろう。


「俺が這って動くことしかできないような時に見た記憶だ。黒い、光も届かないような世界の中、それだけが立っていた。それだけは覚えていた。

 ……俺の故郷には馬鹿でかい石碑があるんだ。そして記憶の中の俺は、その石碑を見上げてる。

 純粋に、世界の美しさを知るのも、遺跡に眠る宝を見つけるのも楽しいが。取り敢えずの目的として、俺は今、その石碑を探して世界中を歩いているかな。世界地図を作りながらさ」


「ふぅん。そう……なんですか」


 意識を保ち、なんとか最後まで、話を聞き届けることは出来たようだ。達成感から? それともアルトさんが嬉しそうだったからかな? 知らず知らず笑みを浮かべていた。

 そしてついに限界が来たようで、こっくりこっくりと首が揺れ動く。


「ああ。もう限界か……長く起きていたもんな。お前も疲れてるだろ? 寝ていいぞ。

 シリウス。こいつを宿屋まで運んでやってくれ」


 意識を手放す間際に聞こえてきたのは、そんな言葉だった。


第38話 終了

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート