銀の歌
第38話
「どうしてあなたは、旅をするんですか?」
アルトさんの目を見つめながら尋ねた。彼は口元を隠すように手を当てると、少しの間考え込んだ。それから「そうだな」と、わたしのことは見ずに、どこか遠くを眺めながら呟いた。
「あぁ。まだお前には話してなかったか。俺はな……世界地図を作りたいんだ」
「ふぅ〜ん。そうなんですか……」
手元の草花をいじりながら返す。
「なんだお前!? 興味なさそうだな……。自分で聞いておいてそれって」
「いや、そう言う訳じゃないですけど……」
だってもう皆ー読者ーあらすじでその情報知ってるし……。
この独善的な気持ちは、アルトさんには分からない。しかし何かを感じ取ったのだろうか、眉間を人差し指で押して伸ばすと、気持ちを落ち着けた。
「……仕方ねえなぁ。誰にも言ったことがないんだけどな、せっかくだ。教えてやるよ」
「何をですか?」
「俺が世界地図を作る理由だよ」
「俺はな」言ってからアルトさんは下を向いてしまった。非常に言いにくそうな様子だ。本当に今まで誰にも言ったことがなかったのだろう。どう切り出せばいいのか分からないようだった。数秒の間が空いた後、彼は意を決したように語り出した。
「故郷に帰りたいんだ……」
意外な言葉に目を見開いて尋ねた。
「国と国の境にある?」
「国境」
「田舎の若者憧れの?」
「上京!!」
はぁはぁと息を荒げて、突っ込んでくるアルトさん。いい反応だなぁ。なんて人ごとのように内心思う。
「二番目のは【きょう】しか合ってねぇじゃねぇか!!」
✳︎
「故郷……ですか」
静かな声で囁く。それに対しアルトさんは「うん」と、こちらを見ずに静かに頷いた。無理矢理にわたしが彼の瞳をよく覗き込んでみると、そこには確かな殺意が宿っていた。
わたしの頭にはこぶができてしまっている。あれからぶっ叩かれたりしたけど、ようやく話を戻すことに成功した。
なるべく、なるべく声の音階を低くして、真剣な空気を保とうと努力する。
「でも、アルトさんって故郷……分かりますよね? わたしの様に記憶喪失って訳でもないんですから」
そう言うと彼は難しそうな顔で、もみあげの部分をかいた。
「……俺はな。育った場所は分かるんだが……生まれた場所が分からないんだ」
「ーーんん?」
えっ……それどう言う意味? 言わんとしている事が分からず、首を90度傾ける。それを見てアルトさんは「まぁ、これじゃ分からないよな」と苦々しく笑った。
「簡単に言うと育った場所と生まれた場所が俺は違うんだ」
「……多分」と最後だけ弱々しく、消え入りそうな声量で呟いた。
「俺の昔話は前したな?」
「はい。なんでも孤児だったとかで」
「ああ、だから親の顔も知らん。んで飯は残飯漁ったり、店から盗んで食ってたりしてた」
アルトさんって顔に似合わず本当野生的だよなぁ。彼の事情を改めて聞かされて思う。大分厳しい人生を送っていたんだと。
そしてだからこそ性格がひん曲がっちゃったのかもしれない。
アルトさんの今までの行動の辻褄合わせを、自分の脳内で行う。そうして彼に対して、理解を深めていくと、その中であることに気づいた。
「あれ? でもそれって何かおかしくありませんか?」
「ん、何がだ?」
「だって親……や助ける人がいないのに、どうやって生きてこれたんですか?」
当たり前で単純な疑問だが、どう考えてもアルトさんの話はおかしい。残飯を漁ってたとか、食べ物を盗んでたとか。それから以前、ゴロツキを倒したこともあるとか言っていた筈だ。それらの話を踏まえて聴くと、今彼が言ったことには、確かな違和感が残るのだ。
ーーだってそれは、自分が完全に、一人きりで生きてきたとでも言いたげだから。
「親の顔も分からない内から孤児になったっていうことは、アルトさんは当時相当幼いはずですよね? 物心つく前でしょうから一歳か二歳でしょうか……。
でもそれならその時はどうやって生きていたんですか? 話を聴く限りじゃ味方もろくにいなかったみたいですし。そんな状況じゃいくらアルトさんでも生きていけると思えません。
あなたの話は【自分が一人で動ける】様になってからのことばかりです。あなたが何もできない頃の話がまるでありません。どうしてですか?」
相槌を打つ暇さえ与えず、自分の中に湧いて出た疑問をぶつけていく。そうするとアルトさんは、面食らった様に身体を引かせた。
目を丸くして何も言わずにこちらを見てくる。
「ねぇ。どうしてです?」
問い詰めていくとアルトさんは、本当に小さな声で、「すごいな」と呟いた。それから彼は居住まいを正した。
「そうなんだよ。俺も分からないんだ。お前の言う通り、俺の記憶は途中から……。恐らくは5歳頃から唐突に始まっている」
なかなかに衝撃的な発言だ。普通物心つく前の記憶だって少しくらいはあるはずだろうし、3歳や4歳であれば、ある程度の記憶はあるのではないだろうか。
いやまぁ、記憶喪失のわたしが言うのもおかしいんだけど……。
ーーーーまさか!?
今度はわたしが驚いて、アルトさんの瞳を覗き込む番だった。何に思い至ったか気づいたのだろう。彼は薄く笑って言った。
「ああ。そうだよ。俺も記憶がないんだ」
✳︎
「だから……ですか?」
「ああ。だからだ。育った場所は分かるが、生まれた場所が分からない。だから故郷に帰りたくて、世界地図を描いている」
話を聞いて点と点が繋がり線になった気がした。アルトさんが世界を放浪する理由、彼がなんでもできる理由。そしてわたしを助けてくれた理由……。
「でも、自分の故郷を探すのって大変じゃありません?」
それもなんの手がかりもなしに、そう心の中に思い浮かべたけど、言うのを躊躇った。
しかしそれは杞憂だと、アルトさんにしては珍しく、明るい表情をした。
「何言ってんだ……あるだろう?」
「む? 何がですか?」
「あるんだよ。この身体が……」
どこか憂いを帯びた様子で、アルトさんは自分の胸に手を置いた。
「身体ぁ。ですか?」
「その通りだ。髪の色は? 瞳の色は? 骨格の作りは? 寒さに強いか、暑さに強いか? 何が得意か? 何が不得意か?」
目を瞑り、独り言の様に言う。ただしアルトさんのその様子には、寂しさとか虚しさはないように見えて。宝物を探す子どものように楽しそうだ。
「そういった元々自分が持っている全てが、自分を知る情報の手がかりになる。例えば、褐色の肌」
言われてアスハさんの姿を思い浮かべる。
「あれはここよりもずっと遠くの大地、ヴェルズリイ大陸の南西に見られる肌だ」
アルトさんの話す事に夢中になり、いつの間にか呼吸をすることも忘れていた。……こういう現象を話に引き込まれるとか言うのだろう。思い返してみれば前にもこういう現象があった。殺人鬼がどこにいるのか推理している時だ。
アルトさんの話には人を惹きつけるものがある。聴いていると、まるで真理の一旦を垣間見せてくれるようで……。
わたしは夢中になって話を聴く。
「例えば、美しい銀色の獣の体毛」
殺人鬼のことを思い浮かべる。
「あれは今から900年前に滅びた銀狼族か、天空に住むとされる銀狐族。そのどちらかのものである可能性が、極めて高い」
もう分かりましたよ、言おうと思ったけれど。アルトさんの人差し指に阻まれた。口元に彼の指がふわりと当たる。
「翠色の髪。それは非常に珍しいものだ。深い森に潜む、森の精霊と称される少数民族。彼らがお前と似た色の髪を持つ」
ゆっくりと唇から離れていく指。意外な動作に面食らって、その後も目をパチクリさせるだけだったが、やがて自分は、今とんでもない事実を告げられたのに気づいた。
……そうなんだ。わたしはそんな人達と関わりがある可能性が高いんだ。
「自分と似たような容姿や特徴、寒さや暑さに強いみたいな。そういった自分と似た共通点を持つ人達を探し出す。それが自分の故郷に帰る一つの道筋になる。そういうことでしょうアルトさん?」
呆れた顔で返してあげれば、自分がとんでもなくキザなことをしていたことに、アルトさんはようやく気づいたみたいで。照れ臭そうに頬をかいて、「おう」と言っていた。
✳︎
夜空ももういい加減見飽きてきた頃だった。どんなに良い景色でも、慣れれば美しさを忘れるなんて酷い話だ。だけど事実は事実としてある。身体は正直だ。瞼はだんだん落ちてきたし、気が遠のいてきている気がする。
「眠いのか?」
目をゴシゴシ擦って頷く。
「悪いなぁ。長々と付き合わせちまって」
「いいですよ。わたしが尋ねたことですし。
…………あなたは【だから】世界を歩くんですね」
さっきのことを思い出したのか、気恥ずかしそうに俯いて「ああ、そうだ」とアルトさんは言った。それからしばらく時間が空いて、いよいよ意識も限界といったところ。そんな時、アルトさんは声をかけてきた。
「寝る前にさ。一つ」
「ふぁんでしょー」
「お前の胸元の花のように、実は俺にもひとつだけ、故郷に帰るための手がかりがあるんだよ。というかそれがあるから、俺は自分の産まれた場所と、育った場所が別物だと判断したんだ」
急に胸の辺りをジロジロと眺め出して、どういうつもりかと思ったら、そういうことか。
随分と馴染み深くなった、花の入った瓶を撫でるように触れた。
「へぇ〜、ほぅなんですか? 貴方にとってのそれは何ですか?」
アルトさんの故郷に帰るための手がかりとは何だろう? この恩人は色々話しているようで、核心を話すことはあまりないから、なんだかんだ謎が多い。だからそういった大事なな話は、眠気は凄いがちゃんと聴いておきたかった。
「ああ。それは【大きな石碑】だよ」
「ふぁあ、大きな石碑……? でふか」
頭にはてなを思い浮かべ、山彦のように繰り返した。するとアルトさんが苦笑した。
「いや、すまんすまん。悪気はない」
謝罪の時でさえ、口元が少し釣り上がっていたのだからムッとした。しかし側から見れば、とろんとした目で虚ろな様子のわたしは。大変間の抜けた表情をしているように見えるのだろう。
「俺が這って動くことしかできないような時に見た記憶だ。黒い、光も届かないような世界の中、それだけが立っていた。それだけは覚えていた。
……俺の故郷には馬鹿でかい石碑があるんだ。そして記憶の中の俺は、その石碑を見上げてる。
純粋に、世界の美しさを知るのも、遺跡に眠る宝を見つけるのも楽しいが。取り敢えずの目的として、俺は今、その石碑を探して世界中を歩いているかな。世界地図を作りながらさ」
「ふぅん。そう……なんですか」
意識を保ち、なんとか最後まで、話を聞き届けることは出来たようだ。達成感から? それともアルトさんが嬉しそうだったからかな? 知らず知らず笑みを浮かべていた。
そしてついに限界が来たようで、こっくりこっくりと首が揺れ動く。
「ああ。もう限界か……長く起きていたもんな。お前も疲れてるだろ? 寝ていいぞ。
シリウス。こいつを宿屋まで運んでやってくれ」
意識を手放す間際に聞こえてきたのは、そんな言葉だった。
第38話 終了
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