銀の歌
第111話
「それでは早速、お品物を拝見させていただきます」
ワイトさんは品物を見せて下さいと、手渡してもらえるよう、自分の手を前に出した。
アルトさんが動こうとしなかったので、ヘテル君は空気を読んで、毛皮を一枚、荷台から取ってきて手渡した。
ワイトさんは、丁寧な態度で感謝の言葉を述べた。それからヘテル君の容姿を見て、口元が緩んだのか、意図して喋ったというよりは、つい言葉が漏れ出たみたいに話した。
「おや……。これは可愛らしいお嬢さんでいらっしゃいますね」
ほぅと感嘆したように言うので、それが商人等がよくやるお世辞の類ではなく、心からのものと分かって、ヘテル君は恥ずかしがった。助けを求めるように、アルトさんの隣にそそと寄った。
それを見て、何か微笑ましくワイトさんは笑って、「手伝いの方ですか?」アルトさんに訊いていた。
「いえ、その子とこちらの子は私の弟子です。そしてこの子は……男ですね」
足元に居るヘテル君の頭をぽんと叩いて答えた。そうするとワイトさんは、今までの余裕のある態度をがらりと崩して、大きく口を開けた。
「それは、失礼なことを申し上げました。謹んでお詫び申し上げます」
ワイトさんは、ぎょっとした形相をすぐに改めると、ヘテル君に向けて、礼儀正しく頭を下げた。その所作が、大変きっちりとしたものだったから、わたし達二人は戸惑った。
ややあってヘテル君は、ぶんぶんと首を横に振った。
「ええ、本人も気にしていない様子ですので、査定をお願いしてもよろしいですか?」
ヘテル君の様子を見て、アルトさんが代わりに、気を取り直して欲しいという意図の元、気遣って声をかけた。
「はい、それはもちろん」
アルトさんの声かけで、ようやく頭を上げたワイトさんは、今度は返事の意味として、ゆっくり頷いた。
そして、へテル君から手渡された毛皮を検める。その視線は鋭く、慌てふためいた姿からは、予想もできない変わりよう。──というよりはまぁ、こちらの方が彼の普通なのかもしれない。
簡単にではあるが、ワイトさんは毛皮を検めてくれたみたい。
「これはチィーラン※の毛皮ですか。そうなりますと、サスラの村周辺の森で取れたものでしょうか。ムィクリファの首都側のものであれば、いくつか売り場所はあったでしょう。ウェンの大森林は……一流の狩人でも迷いますからね。昔いた、ある部族だけは狩りを行えたそうですが」
※リスに似てる。(割と大きい)
ワイトさんの言葉に間違いはなく、その思考の鋭さに恐怖した。なんでそこまで予想できるのか。
「保温性や防水耐性も高いチィーランの毛皮であれば、服にも使えますね。惜しむらくは獣臭ですが……。他には何かありますか?」
恐怖に震えていると、ワイトさんは好意の入り混じった笑みをたたえて、アルトさんに促していた。
「いえ、私からは何も」
アルトさんが首を振って答える。
「そうですか……」
するとワイトさんは少し残念そうな、ともすれば期待外れのような面持ちで頷く。
「では毛皮が四十枚でよろしかったですか?」
ワイトさんが念を押すように尋ねる。これが最後のチャンスだとでも言いたげに。何か気づくべきことがあるのだろうか?
しかしアルトさんは、恐らくワイトさんの意図を裏切って、こともなげに「ええ」と言う。
「……では先程の非礼、それから今後の親交もかねまして、ルカナスタ銀貨五十枚ではいかかでしょうか?」
指を五つ立てたワイトさんはそれだけ言う。
これで商談は決まりかな? 意外と早かったな……。なんて思ったりもしたが、決まりかけた商談に、アルトさんが待ったをかけた。そして話す内容は、【わたし達】にとって予想外のもの。
「【私からは】何もありませんが、この子達からはあるのです」
心臓がびくんと、一際大きく音を出す。アルトさんの言った言葉の意味が理解できたからだ。そして実際に聞こえた訳ではないが、ヘテル君の心臓だって、大きく揺れ動いたに違いがなかった。
「おや」
ワイトさんの視線が、わたし達へ向けられる。
ここまでは視野の範囲外にいたのだろう。彼の視界の中にはずっと居たはずだが、改めて向けられた視線─注意─の中には、これまでは感じなかった、対人商売をする人特有の、相手を品定めする雰囲気があった。
アルトさんは自分の役目を終えたように、後ろへ引き下がった。そしてすれ違う際に、わたし達にだけ聞こえるよう囁いた。
「ヘテル、セア。頑張れよ」
気圧されそうなわたし達に、勇気を与えてくれる言葉だった。でも同時に、逃げ出すことも許されなくなった。
信頼の証だった。戦いの舞台を任せてくれたのだ。
「これは……そうですか。では改めて聞かせていただきましょう」
ワイトさんは納得したように頷くと、先程ヘテル君に見せたような笑みではなく、何か含みをもたせた笑みを浮かべた。──戦いが始まるのだ。
✳︎
「では、早速お聞かせ願えますか。話を遮ったということは【何か】があるのですね?」
ワイトさんは粘っこいような、一つのミスも許さないような、所作の全てを見据えるような目付きで尋ねて来た。
ごくりと唾を飲む。
相手が発する雰囲気に気圧されているのもあるが、唐突に場を譲られたために、【何か】とは言われても、【何も】用意していないから、口を開くことができないのだ。
時間だけが過ぎることを確信して、つい唾を飲んだ。そしてその音は、自分が思ったよりも大きかった。
ワイトさんの目付きが変わった。
これ以上、無言なのはまずいと思い、何かを喋ろうとして、口をぱくつかせた。その時だ、隣でヘテル君が口を開いた。
「はい、それは、どの毛皮も、かなり質が良いもの、ということ、です」
流暢ではなく、カチコチしたぎこちない喋りだった。しかし意味は通じるものだった。そしてその、ようやく絞り出した言葉に対して、ワイトさんは分かっていたように「そうですね」と頷いた。
いや、ぼかすのはやめよう。ワイトさんは分かっていたのだ。分かっていて、言わなかったんだ。そっちの方が有利だから、わざわざその商品は良いものですよ、なんて言うはずがない。商人は誰だって、安く買って高く売りたいんだから。自分で色を付けられない商人は、安く買い叩かれる。
「これだけ立派なのは、まず目にすることが出来ないですよ!」
そのことを理解したから、わたしも声を上げる。正直この毛皮がどう立派なのか分からないが、真面目なヘテル君が適当言うはずもないだろう。便乗だ。
わたしの方は大した根拠もなく言ったので、内心ドキドキだったが、ワイトさんは否定せずに、頷いてくれている。
「ええ、本当に素晴らしい目利きです。失礼ですがどなたが」
ワイトさんが尋ねて来る。
少し緊張して、返す言葉が遅れた。あの時、どの毛皮を買うか見繕ってくれたのは……。
「僕です」
ヘテル君が答えた。
「おや、貴方が」
「はい、僕は狩猟部族の出で」
「道理で……」
わたしは思考が真っ白になっていて、何も出来ないが、ヘテル君は明瞭な意志でもって、答えて見せた。
そんなだから、商談中だというのに、ヘテル君って狩猟部族だったんだと、漠然にそんなことを考えた。
「ですが、どれだけ質の良い物であろうと、チィーランの毛皮は、隠しきれない獣臭がします。やはりこれ以上値を上げるのは厳しいですね。丈夫な毛皮ですから、買う人はおられますが、購買層は限られてきます」
笑みを浮かべたまま、困ったようにワイトさんは手を振る。だが顔を見れば分かるように、本当に困ったようには見えない。むしろ想定内と言いたげであった。
つまりそれ込みで、最初に提示した額が適正であると、判断していたということ。
しかしそうすると、どうして当初の値段設定が、あれだったのだろう……?
そこまで考えて、答えに行き着くとぞっとした。
──理由のない好意。なるほどこういうことかと、その不気味さを理解した。
ワイトさんが最初残念そうにしていたのは、その目利きの良さを主張しなかったからだ。そしてその上で、その分の値段も、あったものとして上乗せしてくれていたのだ。
それはあまりにこちらを舐めたものだ。
しかし甘やかされていたと分かっても、どうにかワイトさんの想定を上回りたいと考えても、どうすればいいのか分からなかった。
悔しくてスカートを、シワができるほど、強く握りこんだ。
「…………その獣臭を、どうにか出来るとしたら、どうしますか?」
結果は変わらない。予想外の展開は起きない。
隣で意義が上がったのは、そんな結末を迎えそうな時だった。
第111話 終了
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