銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

幕間 後半 夜に色めく②

公開日時: 2021年5月17日(月) 18:35
更新日時: 2021年5月21日(金) 06:48
文字数:5,824

銀の歌



幕間 後半



 あたしの対応に戸惑ったのではない。こいつは、もっと別なことに対して動揺していた。


「そう……だな。

 アタラクトと同じか。意訳した意味であったなら、どれほど救われたか。だが、どうしても違うんだな。そういう風に言われるのなら……完全に固有の名だ」


 何やら考えていることがあるみたいだが、それはセアの話、本筋とは関係がないものだ。


「おい、あたしはちゃんと分かってるぞ。失望は大丈夫だ。だから話を戻せ」


「えっ、ああ、すまん」


 全く……なんであたしが、誘導しなくちゃいけないんだ。もっとしっかりして欲しい。

 何か変な違和感を感じるが、むっとした感情の方がずっと強いので、そちらは無視して、足を踏み鳴らして、睨むように見た。


「悪かった。早計な判断はしない」


 言い訳することもなく夜空を仰いだ。その素直な姿勢に免じて、取り敢えずは許し、話を戻した。


「じゃあそもそもだ。

 聞いてる時は説得力がありそうだったから、口は挟まなかったけど、よく考えるとおかしいぞ。

 カリナはあたしと同じように千年間生きている。しかもあたしと違って、ずっと活動してたっぽい。カリナの目的の全てがセアだとするなら、あいつの千年間ってなんだ?

 …………褒めたくないけど、あいつは目的なく動くやつじゃない。頭がすっごくいい」


「むぅ」


 ぐうの音も出ないのか、アルトは押し黙った。彼にしてみれば、この手札は反則もいいところかも。千年間の空白を、何も考えてなかった訳じゃないだろうが、情報が足りなくて、考えることすらままならない。


 でもそれはあたしだって同じ。カリナに関することで知っていることなんて、ほとんどない。だから情報は渋らずに、重要そうなことは全部教えた。嘘をついたり隠したりなんて、人間とは違って、誇り高い銀狼は絶対しないんだ。


 だからそんな目で見たって無駄だ。こっちが話せることは、もう殆ど話した。有用そうなことはもうない。後はせいぜいが、たわいもない雑談や忘れたいことだけだ。


「妄想は終わったか?」


 鋭い口調で切り込む。そこには敵意しか込めていない。

 会話には応じてやっているが、あたしは別にこいつの味方という訳ではない。むしろ人間なんて、殆どが殺すべき対象だ。


 一様命は助けてもらったみたいだし、あのまま土の中に埋められていれば、間違いなくカリナに連れ去られていただろうから、その分の義理を、今は果たしているだけに過ぎない。


 こいつの推測は面白かったが、この言葉に返せなければ、それで終わりだ。

 そんな思いで突き放して、また何度目かの間が空いた。見てはいないので、様子は分からないが、きっとアルトは考え込んでいるだろう。


 考察というには十分な時間を与えた。それでまだ答えが出せないなら、今日はもう期待するだけ無駄だろう。

 また一睡もせずに夜が明けてしまうのも嫌なので、アルトを追い返そうと思った。けれど待ったの声がかかった。


「だが、だが、セアが関係しているのは間違い無い! そうと考えなければ、俺が経験した非日常に説明がつかない。こんなことが起きないように、慎んで生きてきたんだ。だから……!」


 アルトの言い分は分かっている。実際頷ける部分は多くあるし、良い説明だったかもだ。推測を『そうだね』と、カリナを知っているあたしに、肯定して欲しかったのだろう。

 この推理をもとに、対策を立てていいという確信を得てこそ、安心して次の段階へ進める。そういうことだろ。


 でもカリナをよく知ってるから、アルトの説明に頷くには、千年間が意味不明だ。一人の少女が世に現れるまで、何をしていたという話だ。

 あいつは間違いなく目的と、それ相応の悪意を持って、ずっと行動していた。その理由が分からない限りは、うんと頷けない。


 ただ暗闇の中、よく見ようと目を凝らしたのがいけなかった。冷徹になるには見てはいけないものを見てしまった。

 アルトの声は誠実だったし、本当の言葉がそこにはあった。


──感情が見える。暗雲の中、手探りにでも進む他ない、不条理を嘆く感情が。誰と闘うのかさえ分からないのに、それでも守るために闘わなければならない決死の感情が。


 感情が見える。セアやヘテルを助けてあげたいって感情が。


「……………………………………」


 こいつは悪人だと思う。


 良い人間も悪い人間もいっぱい見てきた。だから分かる。目の前にいるこいつは、悪人だ。それもすごい悪人で、おまけに平気で嘘をつくような、あたしの最も嫌いな人格の悪人だ。


 でもどうしてだろう? セアやヘテルに関わることとなると、こうも誠実になるのは。


 ……あたしは人間が憎い。それは間違いない。でも、良い人間も悪い人間もいっぱい見てきた、見てきたから……。


「なぁ、おい」


 背の低い草っ原の上で、四つん這いになっているこいつに声をかける。

 その声に反応したアルトが顔を上げると、そこにはやはり、先程見た感情通りの、それを体現したような顔つきがあった。


 だからこう声掛けしてやった。


「カリナが記憶を消したり、ぼやけさせたりするのは見たことがある。でもあいつは記憶をどうにかできるだけで、事実は消せない。あったことはなくせない。つまり」


 本当は教えてやるつもりなかったんだけどな。これは自分で気づくべきことだから。そこまで情けをかける必要はない。でも、教えてやりたいな。


「お前、日記をつけてるだろ? あそこにないのか、カリナのこと、それからセアと出会った時のこと。そのことが書かれてあるなら、あたしにも教えてくれ。何かは言えるかもしれない」


 感嘆の息を漏らしたアルトの行動は早かった。荷台まで駆けて、荷袋を持ってくると、いくつかの手記を並べた。

 ばらまかれた手記の上で、アルトの手は一瞬硬直したが、気になることを思い出したのか、一つの手記へと真っ直ぐ手が伸びた。

 それを手早くぱらぱらめくると、やがてアルトは乾いた笑い声を上げた。


「そうか、そうだ。記憶がないから分からないではなく、分からないから、分かる箇所が見つかるんだ。

 どうして気づけなかった。そうだよ、一番怪しいのは記憶が不自然に曇っている日じゃないか。見返せば敵の名前なんてすぐに思い出せたんだ。カリナ、もうすでに出会っていたんだ」


 手記を見せつけてくるが、人間の文字はそこまで読めないので、内容の殆どが分からない。だが、そんなあたしにも例外がある。あいつの名だけは、どんな言語体系だろうと、絶対に間違えない。


 いくつかの文字の羅列の後、確かにその名は書かれていた。カリナ・A(アリア)・ヴィエストリオと。


 もう見たからと手記を突き返す。するとアルトは、改めてその手記を凝視して、いくつかのことに気づいたようだ。


「A(アリア)。そうか、そうか。けれど今考えるべきはそちらではない。

 俺の知り合いにカリナなんていない。だからカリナと会うためには、必ず引き合わせた誰かがいる。今俺が知るべきは、カリナに引き合わせた奴の名前だ」


 アルトはついにそれを見つけたようで、怒りで手を震わせた。ぴりという、紙が裂ける音がする。


「ギーイ……あいつか。

 話を聞かなきゃいけない奴が、また一人増えた」


 怒りを孕んだ声で、低く唸るように言う。そして体内から取り出した銀色の糸で、一羽の鳥を編み上げた。そして、それに手紙を持たせると羽ばたかせた。


 アルトの変わりように、足が一歩下がった。それが気取られたのか、彼がこちらに振り向て来た。その時の彼の形相は……。

 態度になんか出したくなかった。でも肩は震えてしまった。


「次の街ボフォルに着いたら、あの女と会う。そのための手紙だ」


 戸惑いを疑問と捉えたのか、聞いてもいないことを言う。


 今、アルトは多分興奮している。そしてその興奮の源となっているのは、彼にとっての衝撃的な事実や、考えることの多さ、そこから派生した気苦労などだ。

 色んな感情が目まぐるしく回っている。なんかもうぐちゃぐちゃだ。


「そこまで焦らなくてもいいと思うけど……」


 心配している訳じゃない、人間がどうなろうが知ったことじゃない。でも怒りの中に、自分でも気づかないような痛みを抱えられているのは、目を離せなくなるから、見える側としては困ってしまう。


 そんな想いから漏れ出た言葉だったが、理性が飛んでしまっているアルトの耳には、届いていないみたい。


 「何か言ったか?」アルトは言っていた。


 あたしは伸ばした手を引っ込めて、「いいや、何も」そう返したんだ。




✳︎




 深夜の森深くで、影が走る。影は木々の合間を縫うように動いていく。

 その木々の下には、影から逃れるようにして地を駆ける動物マヘトがいた。


 身体中に剣のような硬化した皮膚を伸ばした、その獣の名はレギオン。陸地の上では敵がいないとされる最強の肉食獣だ。


 そんな獣が、どう見ても逃げているようにしか見えないその姿は異常だ。

 レギオンが簡単に狩られる側に回るようなら、その森林の生態系は崩壊する。王者の不在や、突然のなり替わりとはそういうこと。だからこそ唯一彼らを狩ることができる人間達は、レギオンに滅多に手を出さない。


 彼ら自体戦闘力が高く、更に森林の奥地に引きこもっているから、そもそもレギオンに手を出こと事態が、既に異常なのだが。

 そんな彼が追われている。しかも森の奥深くで。人間達が間違っても入らない場所で。何かの影に。


 自分が何かに追われる側になる経験をするのは、レギオン自身も初めてだったために、その逃げ道はあまりにも出鱈目だ。

 他の動物達が間違って、彼の進行方向に躍り出ようものなら、見向きもせずに吹き飛ばされるか、弾き飛ばされるだろう。そこまでの戸惑いである。


 だからか。彼は哀れにも、気づかない内に、その影に誘導されてしまった。


 レギオンは一心不乱に逃げる。しかし途中でズチャという音と共に、何かに当たってしまった。

 記憶力にも優れたレギオンは、森の構造、特に自分の範囲内のことは、よく理解している。だからこそ出鱈目な逃走経路とは言え、途中道を迷うこともなく、ずっと走っていられたのだ。


 そんな彼だ。何かから逃げる経験は初めてとは言え、ここが行き止まりであった覚えはないのだ。だというのに、走りが止められた。この事態に更にレギオンは困惑することとなる。そして気づいてはならないことに気づいてしまう。


 走りが止められたまでは、百歩譲って良かった。だけど、普通自分を止めるものがあるとすれば、それは巨大な大木や、岩壁である。勢いよく走ってぶつかりでもしたら、大怪我間違いなしである。

 だが、レギオンの頭部が味わっているのは、ぬるりとした感触だ。


 何かおぞましい想像を引き起こしながら、それでも彼は動かなければ始まらないと、ぬるりとした壁から頭を引き抜き、首を振る。

 すると地面に何か、赤い飛沫が飛んだのに気づいた。それに対して鼻を凝らすと、何か、よく嗅ぎ慣れた臭いがした。


 どくんとはねる心臓を抑えるように、知らず知らず、一歩二歩と引き下がる。後ろからあの影が迫っているのも忘れて。

 そして何歩目の後退か、恐らくは十歩、それだけ引き下がって、自分が当たった物の全貌が確認できた。


 その何か巨大な物体は、半月に照らされて、辺りの草木を枯らして、おぞましく積み重なっていた。


 レギオン達は優れた思考能力を有するが、言葉らしい言葉は持ち合わせない。せいぜいが感情表現や、家族間で決められた、独自の合図くらいのものだ。

 だから、そう、その物体を見て言語化出来なかったのは幸いだったし、言葉をなくして悲鳴をあげても、誰もその情けなさには気づかないだろう。


「AAaaaAAAAAAAAaaaaAAA!!!!!」


 叫び声。全ての者が寝静まる、静寂な深夜の森に放たれた咆哮は、誰の耳にも届いたであろう──大絶叫だ。


 でもそれは仕方ない、こんな悪意を持って行われたとしか思えないような、醜悪な物体を見せつけられては、泣き叫びたくもなる。


 レギオンの目の前にあるのは、簡単に言えば肉塊であった。けれど例えば加工が施された肉塊のような、そういった上品さではなく。かと思えば肉食獣が食い散らかした、腐肉の後のような肉塊でもなく。

 ただおぞましい肉の塊であった。


 何十、何百と積み重ねられた肉の数。ある者は腹部を切り開けれて、臓物を外に垂れ流しながら絶命し、ある者は何百という小さな針が突き立てられ絶命し、またある者は生きながらに、脳天に短剣を突き立てられて苦しみの声を上げていた。けれどその者も、身体の半分がなく、ピンク色の肌を晒していて、どうして生きているのか、分からないような様だった。


 生きていようが死んでいようが関係ないほど、ピンクや赤が重ねられたそれは、やはり言葉にするなら……。


「あはっ。よくここまで走ったね。偉かったね、君もすぐに彼らのもとへと行けるから、君も【肉塊】でいいだろう?」


 小さな断末魔が森の奥深くで、今度は耳を傾けなければ分からないほど静かに響いた。


 首と胴を引き離して、無造作に首から上を投げ捨て、首から下を蹴り飛ばしたその影は、ぱんぱんと手を叩く。汚いものを振り払うというよりは、一仕事終わったといった装いで。


 今まで闇に溶け込むようにして見えなかったその影も、ことここに至っては、月の光に逆えず、ついにその姿を晒していった。


 その人物は、朽ちた葉のように、ボロついて色褪せた緑色のマントを羽織っていた。そして首元に真っ赤なスカーフを巻いて、トーロスよりも、高い位置でポニーテールを作っていた。


 露出した肌に返り血がついているのはもちろん、美形な顔にも返り血が、十分な量ついていた。その量が、どれだけの動物を殺したかを、指し示していた。


 顔の口元付近に着いた返り血を、ペロリと舌で可愛らしく拭った彼女の名前は、ギーイ・ツェンベルン。


「……お? 私に銀糸鳥が飛んできたのかな?」


 夜空を眺めてそれを発見した彼女は、肉塊の上へと器用に登っていく。そして手紙を手に取った。


「なになに?」


 ぐちゃあと飛沫が散乱し、身体が汚れるのもお構いなし。仰向けに寝そべった彼女は、血に塗れた手で手紙を開く。


「へぇ、また私を呼んでくれるんだ」


 手紙を読んで、にひひと下劣な笑みを浮かべながら、誇らしげにする彼女は、天使と悪魔の両方の顔を併せ持っていた。そして彼女は天空に告げた。


「任せてよ。いついかなる時でも、貴方の師匠の私が助けてあげるから❤︎ ね、アルくん…………」


 肉のベッドの上で、ギーイは愛しい我が子を抱くように、手紙を包み込んだ。



幕間 終了

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