銀の歌
第110話
前回のあらすじ
『結局、あの後ごねたら、更にもう何枚か銀貨をもらえた』
「で、何買ったんだ?」
「わたふぃは、見ての通りですね」
貝蜜がたっぷりかかった甘いパンを、口いっぱいに頬張って答えた。そうするとアルトさんは、おもっくそ怪訝な顔をした。
「そんなお口パンパンに頬張らないの。口周りベタベタじゃない」
アルトさんに注意されたので、一口に食べることはせず、ぶちりとパンをちぎり、半分だけ咀嚼して飲み込んだ。
「これ、美味しいんですよね、貝蜜パン。特産品だそうですよ」
ちゃんと口の中に物がなくなってから答えたが、口元はべとべとのままなので、アルトさんは不快げな表情を強めた。
こういうのが嫌いなのは分かっている。何だかんだアルトさんは、周りに人がいる時は品を気にするから、だらしなくするのは嫌なのだ。
特に今日は、これから商談をしに行くのだから、そういった見た目の部分に、いつもより繊細になっているのだろう。
そういう訳でアルトさんからしたら、さっさとこ綺麗にして欲しいのだろうが、素直にはなれない。
だって本当だったら、もっとゆっくり貝蜜パンを味わいたかったのだ。まだ半分くらい手元にあるけど、それでもだ。
「たまに出て来るアルトさんのその言葉遣いも何ですか」
口元を拭う気がないのに気づいたのか、ごしごしと無理矢理、口元を拭かれてしまう。言葉で抵抗するも、健闘やむなし。ささやかな復讐は叶わない。
「ほんとクソガキだな、お前!」
どうしてだろう? アルトさんに対してだけは、何故か反抗心みたいなのを覚える。同じ注意の言葉でも、例えばトーロスさんから言われたのでは、ここまでクソガキ化はしなかったことだろう。
自分の言動に、自分自身でも違和感を感じている。
「まぁいい。ヘテルは何だ?」
呆れたように視線を晒すと、ヘテル君に関心を移した。
するとヘテル君は、一瞬びくりとしたように、全身を硬直させた。だけど、やがて手の中に持っていたものを、おずおずと見せてくれた。
それを見てアルトさんは、いささか驚いているようだった。
「ね、わたしもびっくりしましたが、なんでもそれは」
「香木……だろ?」
流石アルトさん。わたしはヘテル君が買ったそれを見ても、どういうものか分からなかった。まごまごする彼の説明を聞いて、それがどういった名前で、どういった用途で使われるかを知った。
「香り付けに使うやつだな?
俺達商人や、女どももたまに使う。だがあくまでもそれは、貴族階級の奴らの物だ。庶民の間で香り付けの類は必需品ではない、嗜好品だ」
体臭を誤魔化せるのは、個人的にはありがたい事だと聴きながらに思った。でも同時に、必需品でないという弁には納得した。だって今まで会って来たほとんどの人が、野生的であったり、土の匂いがしたから。体臭を良しとする文化があるのは、分かりきったことだった。
ただ一人。誰かは思い出せないが、甘い香りをさせていた人物には会った事があると思う。今から思えば、あれは香り付けだったのか。
「それにこれは香木から作った香水もか……」
珍しい物を見たと、ヘテル君の手元から、それをひょいと取り上げて眺めた。
「う、うん」
ヘテル君は萎縮したように頷いた。それを見てアルトさんは何を思ったのか。独り言なのか、彼に向けてなのか、分かりにくい声量で呟いた。
「だから大喰らいのこいつが、パンだけだったのか……。高かっただろ?」
「……うん。
あ、でも以外と安かったんだよ。それはラルバっていう木から削り取られた物なんだけど、独特な匂いだから扱いが難しくて。後セアさんは、途中で何個か食べ終わってた」
「ああ、な。理解した」
アルトさんは苦笑してわたしを見ると、納得したように頷いた。それで虫歯にはなるなよと、また呆れたように言ったのだ。当然ぷんすかしたが、わたしの事は眼中にない様で、ヘテル君だけに関心を寄せていた。
「無言で借りて悪かったな」
ヘテル君に言って、香水を彼の手元に戻した。
「うん、大丈夫」
ヘテル君は何かを恥じた様子で、目線を合わせずらそうにしていた。反対にアルトさんはいつも通りの様子で、荷台から前の席へと移って、シーちゃんに声かけていた。
二人の独特な雰囲気に、どうしてだか落ち着きを失って、わたしはそわそわした。目に何を映せば良いのか分からなくて、視線はあっちこっちへと移ろいだ。最終的に行き着いたのは、ずっと我関せずを貫いてたソフィーちゃんであった。
ただソフィーちゃんに関心を持てば、彼女にも何か変化があったことに気付いた。何やらもぞもぞ動いていたのだ。
気になってよく見ると分かった。ソフィーちゃんは鼈甲の簪で、自分の身体をすいていた。前足や口を使って……器用なものだ。
その様は艶やかで、種族は違えど身だしなみに気を使っている女の子の姿をそこに見た。そして思ったのは……。
わたしって一番美意識低い? ということだった。
※口元べとべと13歳。
✳︎
さて、荷車を進ませ辿り着いたのは、アラカルト商会という場所だった。
そこは前に行ったことのあるスルト商会に比べれば、こじんまりとした建物で、この街に馴染ませようとしたのだろうが、どこか隠してきれていない異国風な雰囲気があった。
アラカルト商会の店舗を【異国風な】といったが、まさにそれはその通りで。アラカルト商会は元々この国、ひいてはこの大陸に本店を置いた店舗ではない。本店はオーマ大陸の北西部にあるとかで、今こうやって他の大陸や他の国に出張って来ているらしい。
野心に燃えた商会ということだ。
「あまりここは頼りたくなかったんだけどな。でも仕方ない」
不吉な言葉を聞きながら、商会の荷馬車の搬入口に回ればそこは……こじんまりとした建物からは予想がつかないほど大きかった。
多くの人々が荷を運び込んでいる。活気がある。人の出入りの多さは、賑やかさの証とはよく言ったものだ。
口をポカンと開けていたら、そのことに気づいたか、アルトさんが話してくれた。
「アラカルト商会は商売根性たくましい上に、一人一人が優秀だ。異国であっても、必ず利益を上げている。
世界で一番大きな商会はどこかと尋ねられれば、色んな商会の名が上がるだろう。しかし敵に回したくない商会はと尋ねられれば、多くの者が口を揃えて言う。『それはアラカルト商会』だとな」
ほぇえ〜と頷く。
こういった一つ一つの見識が、アルトさんの口からは、多分な説得力と共に驚くほど出てくる。こういうのを耳が良いと言うのかな? アルトさんは優秀な人だ。
その上、気位も高いから、アルトさんは他者をそこまで褒めない。なのにここまで褒めちぎるのであれば、それはよっぽどということだ。
アルトさんの話に興味を惹かれ、気になってさらに詳しく尋ねれば、驚きの事実が判明した。
なんでもこの街で、ルカナスタ硬貨が早々に流通するきっかけを作ったのが、この商会なんだとか。異国の人を招き寄せるのに一役買ったらしい。国の機能を麻痺させる一旦を担ったのであれば、それはたしかに恐ろしい。
ここまで聞けば、アルトさんの先程の発言の意味がなんとなく分かって来る。
ようするに忌避した理由っていうのは嫌われるのが怖いのだ。失敗が出来ないから、あまり行きたくなかったのだろう。
うんうんと納得して、搬入口に到達するのを待っていたが、そこではたと気付く。
あれ今回ってわたし達が売るんじゃなかったっけ? と。
いや、でもまさかそんなことはないだろう。わたし達の役目は、きっと買うまでだったんだ。
そう思い込もうとするも確証を得ないもので……。諦めてアルトさんに尋ねた。
「いや、今回俺は、ほとんど何の助言もしないぞ。自分達で頑張れ」
──青ざめる。アルトさんの話がどこか他人事だったのは、まさに他人事だったからだ。彼がこの毛皮を売るものだとばかり……。自分達が売るとなれば話は別だ。容姿に気を使う必要も出て来る。
「相変わらず鬼では……? 自分では嫌われるのが怖くて、近づけない商会に、素人二人を行かせますか、普通……」
恨み言の一つも言いたくなる。
「もう帰りましょうよ! それかどっか別の商会に行きましょう!」
そう叫ぶも何も変わらない。アルトさんは確固たる意志で、ここと決めたらしかった。頑固なアルトさんだ。こうなったらもう梃子でも、考えは変わらないだろう。
諦めたと女の子座りでへたり込み、両手で顔を抑えた。
見えはしないがヘテル君の方からも、荒い呼吸が聞こえて来る。彼も緊張しているらしい。
引き返すのは、今からでも遅くないのでは? そんな現実逃避をしている時だった。
何か意味の分からない言葉を聞いたのは。
「嫌われる……ね。むしろ逆だ。不自然に好かれているから、この商会は嫌なんだ。理由の分からない好意ほど、怖いものはない……。あまり貸しを作りたくないんだが、ここだったら、あまりにも安くは買い叩かれないだろ」
苦々しくアルトさんが言っていた。今の言葉が真実だとすれば、もしかしたらそこまで気負う必要はないかもしれない。
ヘテル君と顔を見合わせて安堵の息を漏らした。警戒心がゆるゆるになっていくわたし達とは対照的に、一人前に座るアルトさんの口元は硬く閉められていた、
「ようこそ、アラカルト商会へ!」
快活な男性の声を聞いて、搬入口から荷揚げ場へと、男の案内の元、荷馬車を進ませた。
✳︎
男の案内に従って進むと、取引を行ってくれる人の元へと連れて行かれた。アルトさん曰く、小間使いでない商人相手に、荷馬車に乗ったままでは失礼とのことなので、その人を目にすると、わたし達は皆、荷馬車から降りた。
※ちなみに、逆に小間使いに対しては、気を使いすぎるのが失礼になるそうだから、不思議だ。
案内の男は役目は終わりだと引き下がった。そして代わりに、こ綺麗にした若い男性が恭しくお辞儀をしてきた。
わたしもそれにつられて、ついぺこりと同じくお辞儀する。アルトさんだけが、下手な感情を隠して、困ったようにしていた。
「本日皆様方のお相手をさせていただきます。ワイトと申します。当商会のご利用を、店主に代わりお礼申し上げます。本日はどういったご予定で、本商会へといらしたのですか?」
「……毛皮を買い取ってもらいたい。ここの店舗ではないが、アラカルト商会にはいつも世話になっている」
ふとすれば不遜ともとれる態度で、ワイトさんに話しかけたのにはびっくりした。でもそれに対して気を悪くした様子は一切なく、むしろそれが当然だと言うようだった。
だがこれはアルトさんだけでなく、周りを見渡せば、他の外来の商人達も、偉ぶって話しているように見えた。そう、あくまで見えた。
相手のことを、本当に下に見ている者は一人もいなくて、ただ対等な立場を守るために、そういう振る舞いをしているようだった。
相手をするアラカルト商会の人達が、ここまで畏まっているのは、わたしでは想像もつかない色んな理由があるのだろう。
「いいえ、こちらこそ助かっております。アークス様からはいつも、良い品を買い取らせていただいております。そしてもしかしたら試しておられるのですか? 以前こちらの商会に立ち寄っていただいたこともございます」
──!!
びっくりした。何にかって言えばそれは単純で、こちらはまだ名乗りもしていなのに、当たり前のように、アルトさんの行商人名を言うんだから。
もしかしたらこの商会に居る人達は、一度でも来てくれたことのある商人さんの名前は、全員覚えているのだろうか?
そのことに思い至ると、ぶるりと寒気がした。これは敵に回してはいけない。
まぁアルトさんも、一度行ったことのある店舗の人に、かまをかけるなんて、相変わらず人が悪い……のだから?
──いや、あるいはそう言うのが習わしなのかな。いやいや、スルト商会ではそんなことはしなかったし……待て待て、単純に駆け引きでは?
どつぼにはまっていく感覚を覚えるわたしだ。
まぁ答えを言ってしまえば、アルトさんは本当に忘れていただけらしいのだが、その話を聞くのは、それからしばらく後のことで……。
今のわたしには分からないことだ。
第110話 終了
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