銀の歌
第61話
火花のパチパチとする音に僕は起こされた。
おぼつかない思考。おぼろげな記憶。明瞭にならない視界。目を開けるとそこは一面の闇だった。
よくよく見つめていると、それが星空なのが分かった。
「そんなのって! ないですよ……」
誰かの怒声が聞こえる。
「だが事実だ。異業種ってのはそういう奴らなんだよ。あいつらは存在するだけで嫌われる」
「それにしたってあなたの予想は酷すぎます! 親からも見捨てられてるだろうって……」
誰かの怒声が聞こえる。高い熱量を持った言葉の数々だったが、それはだんだんと収まっていき、行き場のない怒りへと昇華されていっているようだった。
声の高い人ー恐らくは女性ーが歯ぎしりをする。癇癪を起こして騒ぐ女性というのを、あまり見たことがないから驚いた。でもその様に、不思議と嫌悪感はなかった。
ぼんやりとしていたが、なんとか半身を起こして、彼らの方を見る。
「あっ……起きましたね。おはようござ……こんばんは」
今は夜間だから、声をかけてきた女性の顔ははっきりとは見えないけど、声の綺麗さから、とても美人な人だなと、直感的に思わされた。それと頰を流れたと思わしき通り道が、彼女の顔にはあった。
「わたし達はその……悪者じゃないです。さっきはごめんなさい。それとその触って……なんでもないです」
顔を赤らめて勢いよく頭を下げる。最後の方は何を言っているのかは分からなかったけど、何故だか雰囲気から理解できる。言葉通りこの人は悪い人ではなさそうだと。目の前にいるこの人の言葉には、なんでだか不思議な強制力があった。……嫌悪感を持たれにくい人間もいるのだな。取り敢えずは、そう認識しておいた。
そんな女性は、しばらくしてから顔を上げると、僕に向かって問いを投げかけてきた。
「何があったのかちょっとだけでも教えてくれませんか?
って! ああ……そうそう。忘れてました。わたしの名前はセア。そしてこっちのむすっとした気難しそうなおっさんは、アルトさんです」
「誰がおっさんだ! まだ19だ!」
「彼から見たらアルトさんはもうおっさんですよ。まぁー。わたしは美人なお姉さんですけれど」
自己紹介を始める二人の息はとても合っていて、話に聞く劇のようだった。
少し縮こまっていると、セアと名乗った女の人が一歩前に出て、手を指し伸ばしてきた。
顔を見れば花が咲き誇るほどのまばゆい笑顔だった。
「それで。あなたのお名前は何ですか?」
「僕は……」
✳︎
「ヘテル?」
わたしの手は握られはしなかったが、目の前にいる女の子……リテイク。
目の前にいる男の娘は、自分の名前を教えてくれた。
「へぇ〜ヘテル君って言うんですね〜」
彼が男だと言うことを忘れないために、しっかりと最後に君をつける。
「うん。僕の名前はヘテル。ウーマ族のものだ……です」
どこかたどたどしく、自信なさげに言うヘテル君に痛ましさを感じた。でもなるべくそれを、彼に察知されないように振る舞う。
そんな時アルトさんが、「ウーマ族?」と訝しんで呟いていた。
「どうしたんですアルトさん?」
「いや、なんでもない。気にするな」
でた。いつもの。
「はぁ。まぁ別にいいですけどね」
唇を突き出してふてくされ気味に言った。
アルトさんがこうやって意味深なことを呟くのは、最早わたしの中では日常とかしてしまった。なので深く突っ込みはしない。
それに今は、ヘテル君の方が重要なのだし。
「あっ、そうそう。さっきあなたの服を変えたんですよ!」
「えっ!?」
言った瞬間、ヘテル君は絶句した。良かれと思ってしたことだっただけに、その反応は傷ついた。
「見たの?」
眼光鋭く怯えたような瞳で訴えてくる。その言葉を聞き、えっ、何ち◯こを!? と一瞬疑ったが、すぐに考え直した。ヘテル君が、何故不安そうにしているのか思い当たったからだ。
「ほら。だから止めろっつったのに」
今のアルトさんの言葉は、果たしてどちらにだったのだろうか。わたしの思考の方なのだろうか。いや、そんな馬鹿なことを考えている状態じゃない。
二つの意味で気難しそうな表情を浮かべ、オタオタとしていると怒声が飛んできた。
「見たのかって聞いてるんだ!!」
ヘテル君が大きく叫んだ。物音一つない夜の森には、その声はよく響いた。
「そうぎゃんぎゃん騒ぐな。もう夜だぞ」
驚いて声も出ないわたしの代わりに、アルトさんが面倒臭そうに返答した。
アルトさんの冷静な言葉を聞いて、ヘテル君は一旦の落ち着きを取り戻す。しかしまだあの子の警戒は、全く無くなっておらず、以前怯えたままだ。
「見たの……か?」
ヘテル君は小さくそう言った。アルトさんはこれ以上引き伸ばしても意味ないだろ。そう言いたげな様子で、わたしのことを見た後、簡潔に言った。
「ああ。見た」
ーーダッ。
アルトさんの言葉を聞いた瞬間、ヘテル君はすぐさま駆け出した。
アルトさんはそれを見越していたのだろう。先ほどよりも大きな声で、ヘテル君に届くよう話し出した。
「あのなぁ。コスタリカ……聖騎士団の奴らんとこにつきだすって言うんなら、今こうしてのんびり話してんのは違うだろ。俺達はお前を害す気はないよ。
別にお前を嵌めたりなんかしねぇよ。やるんだったらお前が気絶してる間に、なんかしらしてる筈だろ?」
こういう時アルトさんの冷静な思考や、順序付いた論理的な言葉は非常に有難い。わたしだったら取り敢えず追いかけて、肩を掴んで「大丈夫ですから!」と言ってしまう気がするから。
「なんで僕に、そんなよくしようとしてくれるんだ」
警戒をむき出しにした声音ではあるが、ひとまずヘテル君は立ち止まってくれた。
「正直言うと、俺は面倒だから捨てようと思ってた。感謝すんだったらそっちのアホ女にしろ」
俺から話すことは以上だと、そこで言葉を打ち切り、わたしの方を見ると、顎をくいっとヘテル君の方に向け動かした。それを見て、ここからはわたしの役目なんだと理解した。
なるべく刺激しないようにと心の中で呟き、ヘテル君に近寄る。
「……えへへ」
何を言っていいのかわたし自身分からず、ついて出た言葉は戸惑いだった。
「ごめんね、勝手に。なんだろう。異業種っていうのなんだよね。ヘテル君は……。わたしは無知だからよく知らないんだけど、それは難しい病気……なの、かな」
途切れ途切れに言葉を紡いでみるが、それらはなんとも不恰好なものだ。
「アルトさんから聞いたんだけど、なんでも異業種は悪い奴で、この世の不条理だとか。だから多くの人に狙われる。でも異業種になるのは最初からじゃなくて、突然前触れもなくなる……。それは酷い話だなって。
ううん。違う。言いたいのはそういうんじゃなくって、異業種って実の所わたしは全く分かってないんですけど……。ただヘテル君はこれから行く場所あるのかな?」
「それが心配で」
「なんで宝箱に入っていたのかとか、聞きたいことはあるんだけど、それは今はいいや…………。今はね。あったばかりでなんだけどヘテル君が心配なんだ。あなたがいいならしばらく一緒にいてほしい。逃げるのは後ででもできると思う!
だから少しだけでも」
途中からは涙まで出てきた。自分の言葉の拙さに情けなくなる。こんなものでどうやって彼の警戒心を解こうと言うのか。どうして彼の事情を聞けると言うのか。何故助けられると考えたのか。
自己否定に押しつぶされそうになる。これ以上言葉を絞り出せなくて俯いていると、あろうことか、向こうから助け舟を出された。
「どうしてそんなに、よくしようとしてくれるの?」
先ほども言われた言葉。しかし一度目よりもずっとずっと穏やかなものだった。
異業種なんて立場で辛いだろうに、それでも気遣いをしてくれるヘテル君。彼の対応に目頭を熱くさせながら、情けない笑みを浮かべる。
「わたしね。記憶喪失なんだ……」
ヘテル君はハッとしたような顔をすると、何か悟ったように口をつぐんだ。それを見て、更に言葉を続けることにした。
「だから……異業種も知らないし、言葉も知らなかったし、計算も何もできなかったんです。一人の辛さって知ってるんだ。心細いよね。今のヘテル君と、目覚めたばかりのわたしじゃ、状況も背景も大分違うと思うんですけど、一つだけ同じことがあります。
【誰も助けてくれない】。頼りにできる人がいないっていうことがおんなじです……でもわたしは運が良かった」
敬語とぞんざいな口調と色々とごっちゃになって、それでもなんとか、ヘテル君をこの場に繫ぎ止めるべく、必死になって言葉を選んで笑いかけた。
「目覚めたばかりの時、アルトさんがそこにいた。そしてたくさん! た〜〜〜くさん! 守ってくれたんです……。
ヘテル君。異業種の事情を聞いた時思ったんです。助けたいって。それが【よくする】理由じゃダメですか?」
祈りを込めた言葉。これじゃどっちが助けようとしてるのか分からない。
それでも少しはヘテル君に、わたしの言葉は届いたみたいで。彼はコクリと無言で頷いくれた。それを見て、ようやく安心できた。
「そうですか。良かった……。なら一緒にご飯、食べませんか?」
視線を合わせるために中腰になると、手を差し出した。今度は握ってくれるかな? 期待込めたものだったが、しかしヘテル君の反応は色よくなかった。
やっぱりダメだったかと縮こまったが、その後に続くヘテル君の言葉で、それが杞憂だったことに気が付いた。
「敬語いらないよ」
ヘテル君はそう言うと、控えめにだが、わたしの手をしっかり握ってくれた。その時の彼の様子は、まるで迷い子が灯りをみつけたような、そんな風だった。
「そうなんで……。うん。じゃあ一緒に食べよう。ヘテル君」
手を握ったまま、最後にそれだけ言って、アルトさんのいる焚き火まで、一緒に歩いて戻った。
第61話 終了
「君は優しいね」
「…………貴女ほどじゃないよ。誰かのために泣ける人……初めてみた」
「……? 何か言ったヘテル君?」
「ううん、何も」
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