「母親が人間ってことは、おま……アクストゥルコは亜人だったんだな」
本格的な話し合いに入る前に、最初は擦り合わせから行った。エスペンの村で聞いたアクストゥルコの言葉は、大切なことばかりで、どれも忘れてはならないものだったが。いかんせん、あの時の彼女は興奮していた。だから、つい言ってしまっただけで、事実と異なる部分があるかもしれないと思ったからだ。
話し合いをするのなら、情報は出来るだけ正しく認識しておくに限る。それがヘテルとの話し合いから学んだ事だった。
そんな訳で、一番気になった部分から、確認のために訊いたのだが、初っ端から選択を間違えたらしい。
アクストゥルコは見るからに不機嫌そうにした。そしてぎらついた眼(まなこ)で言うのだ。
「誰が亜人だ……」
鋭い言葉。決して相容れぬと主張するようで、強く冷たかった。
「すまない……。間違えた。両親は二人とも銀狼だったな」
あの時、母親が人間だと、確かに聞いたと思ったんだけど、勘違いだったようだ。変にこじれては困るから、非を認めて素直に謝った。
しかしだ。謝罪を終えて頭を上げてみたら、どこか居心地を悪そうにするアクストゥルコがいた。そういった反応をしたのは何故か、背景を探ろうと、今までの事を思い出して考えてみたが、どうにも分からなかった。
唯一思いついたのは、やっぱり母親は人間で合っていたということ。
複雑な事情を抱えるゆえに、反射的に否定してしまった。その事を悔いているのではないだろうか?
だが……だ。仮にそれが事実だとしても、俺が踏み込むことは許されないと思う。それに、全くもって検討外れだった場合は尚更だ。
アクストゥルコが特に言及しないのなら、このまま話を進めるのが一番丸いのだと信じた。
それで他の事実確認を続けようとした時、アクストゥルコは言ったのだ。
「母親は人間で合っている。亜人と言う言い方が気に食わない……。獣人もそうだが、それはお前達が勝手に作り出した言葉だ。そう呼べと言った覚えも、それを受け入れた覚えもない。お互いが許容した言葉だけが使って良い分け方──区別で。それ以外は差別だ」
「…………」
「第一、亜【人】だと? 人間は他の生物と別だと言いたいか? ヒトの名がつくのは、名誉でも何でもない!」
それを聞いて思わず瞑目した。耳が痛い。
「あたしは銀狼だ。全生物の、一つ上に位置する生命体だ。人間の血は混じっているが、あたしの種族は銀狼だ。亜人だなんて呼ぶな。反吐が出る。銀狼と呼ぶ気がないから、獣と言え。そっちの方がずっといい……!」
アクストゥルコの言葉を受け取って、俺は、セアやヘテルと種族について話し合った、いつだかの日を思い出していた。知っている事、学んだ事を得意満面に話したが、今となってはあれが恥ずかしくてたまらない。
亜人や獣人と言った方が、差別的でないと思っていた。だって実際、亜人だ獣人だと呼んで、悪い顔をされた事はなかったから。それで問題はないと思い込んでいた。
だが、確かに。そう呼んでくれと言われたことは一度もなかった。獣人や亜人と言った言葉の語源は、どこだったのだろう。いや、ぼかすまい。現状やアクストゥルコの話からも推察できる通り、そういった呼称を作ったのは人間だ。
そしてその際、許可を取ることはなかっただろう。勝手に名前を付けられた当人達は、壇上にも立てず、是非を問う事すらできなかった。昔はもっと、彼らと人間の距離は遠かったから。
亜人や獣人といった言葉が広まった後の彼ら。今を生きる獣人や亜人達は、その呼び方を生まれた時からされている。だから疑うこともない。でも過去、いつの間にか、そう呼ばれることになった彼らは、何を思ったのか……。
「分かった。銀狼のアクストゥルコ」
今を生きる者のほとんどは、それを差別と思わない。だから誰もがそうするように、俺も深く理解せず使い続けてきた。その身に染み付いた偏見の言葉が、今、最悪な形で指摘された。なんてことはない、常識を疑うことすらしなかった、自分の愚かさゆえの失態だ。
アクストゥルコは不満そうにしている。
「悪かった、浅慮だった」
その態度を見て、頭を下げた。多分、今までの俺だったら、認めるだけで終わっていた。誤ちを認めたのだから、これ以上は必要ないと。実際、商談だとかでは、それで済んだ。それが良いとされた。でも目の前にいるのは、何より道理を重んじる人ぶ……銀狼だ。だから、誠意を示すことが必要だった。
相手によって接し方を変えるのは、大切なことだった。
アクストゥルコも機嫌を少し直してくれたみたいで、うんと頷いていた。それで最初は得意げに、段々と気勢を減退させて言うのだ。
「そうだぞ。銀狼だ。多くの生物より、ずっと優れているんだ……」
先程も聞いた、銀狼は優れているんだぞと主張する、誇りの言葉。アクストゥルコの口から直接は、あまり耳にしていないが、内心ではずっとその言葉を作り続けていたのだろう。今までの態度から、なんとなく察する事ができる。
ただ、その言葉は、一回目と二回目で大きく印象を変えた。
一回目は人間と自分とを分けるために、怒りの感情から使っていた。しかし二回目は義務感のように、何かに言わされているのかと勘ぐりたくなるほど、迷いに満ちたものだった。
なぜ、そんな悲しい顔をするのだろう。
銀狼が強いというのは客観的な事実で、驕りじゃない。種として強いのは、誰もが納得する所。咎める者はいない。だというのに何故だろう。
「……」
上手い言葉は見つからない。そこに足を差し込む余地があるのかも分からない。だから、取り敢えずは、自分が最も得意とする立ち回りを選んだ。
「優れた種、その通りだ。でも流石にユークリウス……英雄様には勝てなかったか」
皮肉混じりの話題逸らし。これが相手に、良い印象を与える訳でないのは知っている。でも、その悲しい顔をされ続けるよりは、嫌悪の表情を出してくれた方が、俺としてはずっとありがたい。
そんな目論見は、きちんと上手くいってくれた。
「……なんだと? ユークリウスってあの鬱陶しい長髪だろ。そりゃ疲れてたら勝てないかもしれないけど……。でも万全の状態だったら、絶対に負けないぞ!」
はねっかえりの言葉は、気勢があった。また、強い言い文句は、負けず嫌いな性格をも伝えてくれた。元気になってくれたのは良いと、はいはい言って受け流した。そうしたら、アクストゥルコは憤慨した。
「違うもん! 一回も負けてないもん! あたしは強いんだ!!」
あまりにも強い反論に、ここまで琴線に触れさせる気はなかったと、内心たじろいで、どうにか着地点を見つけようとした。それで、本当に? と訊いてみた。そうしたら「断言できる! あたしのが強い!」と言われてしまった。
ちょっと、ここまで強く言われてしまうと、これが単なる強がりじゃなくて、何か意味深なものであると勘繰ってしまう。
でもあの時のアクストゥルコは、間違いなく誰かに傷付けられていた。致命傷を負っていた。状況証拠的に考えて、そんな事が出来るのは、ユークリウスだけだろうと思っていた。けれど、もしこれが勘違いであれば、それはちょっとした事だ。
単なる話題逸らしでしかなかったが、思わぬ謎との対面になった。
「じゃあアクストゥルコは誰にやられたんだ?」
いや、そんなことはないと思いながらも、万が一の可能性を捨てきれなくて尋ねた。そうしたら金髪という単語が返って来た。
「はぁ」
いや、それだけじゃ分からない。言外に示した。そうすると、言いづらそうではあったが、なんとか具体的な事を教えてくれた。
「たしか……テューイって言ってたかな」
「テューイ」
相槌のように、つい反射的に繰り返す。
「あたしを追いかけ回す、面倒くさい奴ら──聖騎士団。あいつも同じ服を着てたから、聖騎士団でいいよな? その聖騎士団の一人、テューイって奴が、でたらめに強かったんだよ」
空中で手をわちゃわちゃと動かして、そのテューイという人物を表そうとしていた。それは言葉が不自由な、未だ幼い子どもが行う動作であったから、少し思う所があった。
でも、もちろん何も言わなかった。ヘソを曲げられては困るからと、アクストゥルコの話を遮らないよう、慎んで聞いていた。
「その日は夜だった。ちょうど人を殺していた時を見られてしまって、それで聖騎士団の奴らに、街の中で追いかけられた。さんざん追いかけっこをして、逃げ場のない路地まで追い詰められて。一人跡を追ってきた、あの忌々しい金髪の男と戦って……あたしは、負けたんだ」
その話を聞いて、ひとまずこう返した。
「ユークリウスには、本当に負けなかったんだな?」
「何回か戦ったけど、負けたことはない。毎回痛み分けだ」
それらをもって、頭の中で話を整理し、自分の脳に回答を求めた。ユークリウスよりも強い聖騎士が、本当にいるのかということを。ただ、その成句を頭に染み込ませると、ありえないという回答が、すぐ返って来た。なぜか? ──簡単だ。
単純に、あんなやつより強い人物が、ほいほい居る訳ないと言うのもあるし。なんといっても……。
【ユークリウスよりも強い人物が、無名であるはずがないからだ】
ユークリウスの戦いぶりは都合、二回ほど間近で見た。その度に化け物だと感じたし、これが竜を殺せる大英雄かと思わず頷いた。ただ、そこまでであるとも思ってしまった。
ユークリウスより強そうな人物は、歴史を掘り起こせばいくらかはいるし、実際にいた。例の死体騒ぎの時に、この目で見た。だから彼より強い人物がいるというのは、まぁそういう事もあるのだろうと納得できる。
だが、テューイなんて人物は聞いたことがない。
あの鎧のことも、確かに詳しく知らないから、無名の実力者だっているにはいるだろう。でも、聖騎士団に所属しておいて、無名であるというのは訳が分からない。ユークリウスより弱くても、【多知の将ザガン】や【王国の守護者ダリ・ジェハード】などは、多くの者が知る聖騎士の名前だ。何だったらそれらの名前は、一部では、ユークリウスより有名だ。
ユークリウスより弱くても、有名な通り名は、この通りある。だというのに、ユークリウスよりも強い人物が、俺の耳に入ったことすらない。……これはあり得ないのことだった。だからテューイと聞いた時、思わず繰り返したのだ。
それが誰か全く分からなかったから。
「あいつは強かった。なんていうか……剣に愛されてた。言い訳のしようもない強さだった」
ダングリオで殺人騒動が起こってから、なんだかんだでもう数ヶ月が経っている。だから記憶が色褪せるのは普通のことで。実際、アクストゥルコも思い返すのに時間を使っているように見える。手振りが多くなるのも、語彙や身につけた表現方法の少なさだけが問題ではないだろう。
けれど……話すアクストゥルコの視界には、間違いなく、そのテューイという人物がいた。俺を見ているようで、俺に意識は向けられていなかったから。
どれほど時間が経っても、忘れられない記憶というのはある。時間が経ち、古ぼけた絵画に、今でも高値が付くように。アクストゥルコの中で、テューイとの戦いは、それほどの鮮烈な記憶ということらしい。
「ああ、でも。思い出すと今でも腹が立つ。あいつは、あたしにトドメを刺さなかった。あたしはお腹を抑えてうずくまっていたのに、トドメを刺さなかった。腹が立つ」
時間をかけて思い出すごとに手振りは減って、その代わり感情が目立つようになった。獰猛な肉食獣がやるように、歯をガチリと噛み合わせた。
「でも、一番、腹が立つのはお願いをされたこと。あんな状況で、あんなことを頼むなんて、頭がおかしい」
「……お願い事ってなんだ?」
それは聞いていて意味が分からなかったし、お願い事という単語には、何か深い意味がある気がした。
「ん? ああ。よく分かんないことを言われたんだ。えっと……」
そう言ってアクストゥルコは立ち上がると、数歩駆けて立ち止まり、ケーキにナイフを入れるように、空中に手刀をおろしたのだ。そして言う。
「ここから」
なんのことか全く分からず、口元を手で覆った。そしてどういう意味なのか考察しようとした。ただアクストゥルコが、また数歩駆け出してくれたので、説明が終わっていなかったのを、それで察した。
アクストゥルコは続けて立ち止まった場所で、同じ動作をした。それで口にした内容が……全く意味の分からないものだった。
「ここまで……を、ひき裂いてくれって言われたんだ」
話の途中だから分からないとかじゃない。話が終わっても分からない。それはアクストゥルコ……銀狼に強いて頼む程のことなのか。
思わず頭を抱えた。そうするとアクストゥルコは、幾分か柔らかい笑みを浮かべ、こちらの心情を理解してだろう、自虐気味に笑って言った。
「な、分かんないだろ。あたしも分かんなかった。それに心を読んでも、その意図が全く分からなかった。今でも覚えてる。あいつの心、すっごく澄んでて、純粋だった。邪な思いは欠片も何もなかった」
アクストゥルコが言うには、下心もない願いだったという。それを聞いて──『謎だ』と思う。
「それだけやってくれれば、逃してあげるとかなんとか言われて。人間に情けをかけられてまで、逃げる気はなかったけど。つい……な」
ついの部分にはあえて触れず、そのテューイなる人物の思惑について考えるが、聞けば聞くほど、謎だけが深まっていく。──いや、これは俺が解決しなければならない、謎ではないのだろうけど。
「それで、やってあげたら、なんだか眠くなって。起きてみたら、そこには誰もいなくって。
その後は色々あって、教会に辿り着いて。えっと……だいたい知ってるだろ」
最後の一行は投げやりだった。まぁ、実際知っていたので。深く掘り返すことはせずに、簡単に返した。
✳︎
いっぱい話したから、喉が渇いてしまったらしい。アクストゥルコは、手渡した水をこくこくと飲んでいる。それを見ながら、さて、と思う。
「うん。凄く興味深い話だった。だけど、まぁ。な……」
話は一区切りついただろう。あまり悠長に話していては、また時間が来てしまう。だから、次を切り出した。
「そろそろ本題といこう」
思う所がある話だったのは事実だけれど、本題でない上に、手がかりもほとんどない。この謎は現状、謎のまま置いておくしかなかった。
話題を逸らそうとは思っていたが、流石に長く寄り道をし過ぎてしまった。これからの旅を考えれば、また、いつ話が出来るようになるか分からない。次が必ず来る保証がないのだから、今は貴重な時間だ。
脱線はしたが、確認はすんだ。ここからは話を戻して、アクストゥルコの膿に再び触れていく。それが触ってしまった者の責務だと、理解していたから。
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