夕暮れと夜の、ちょうど境目。アルトとソフィーが街道を歩いていた。
「尻がいてぇなぁ。いくら何でも、もうちょい呼びかけ方はあっただろ?」
物言わぬ森犬しか連れていないのに、そこに誰かいるように喋るアルトは、道行く人からしたら関わりたくない人だ。
その事を分かっていないアルトではないが、それを差し引いても言いたくなったのだ。
「……」
けれどソフィーからの返事はない。元々人の形態をとっていなければ、身体の構造上、人間の言葉を喋れない彼女ではあるが、アルトはそう言うことを求めているのではない。
とりあえず何かしら、その体形でも分かるやり方で謝罪が欲しかったのだ。
けれど結果は残念ながら。
「……それに、もう大分良い時間帯だが?」
返事がないことを察して、追い討ちをかけるようにアルトは言う。彼の言葉はだいたいが正論だが、こんな時でも腰に手を当て、ー意識してのことではないかもしれないがー妙に格好付けてしまうから、ソフィー……アクストゥルコは謝る気にならない。
「はぁ」
客観視が出来ないアルトではない。しかしその手の類は把握出来ないらしい。アクストゥルコの意図が読めず、唸ることしかできなくて。
ギクシャクしたまま歩く二人。そんな彼らが向かうのは教会であった。
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教会とは簡単に言えば、同一の教典を持つ者達が一同に介するための場である。又、神の教えを広めるための拠点にもなる。今紹介したこれらは、教会の一側面でしかない。他にも様々な意味があり、色んな理由で教会という組織は成り立っている。
では何故それらを一番に取り上げたのか。理由は宗教体系にある。
世界には神のように敬われる存在は多々いるが、全ての在るものが、実際に神として認識するのは、【アタラクト神】だけだ。
そしてそれは言語が異なっていても同じである。アタラクト神は、全存在の共通認識として常にある。ゆえにどれだけ離れた場所で、異なる文化を発達させても、【教えと神は変わらない】。
つまり種を問わず、この世界の全存在は、アタラクト神の教徒であると言えるのだ。
なので最初に示した定義、同一の教典を持つ者達、神の教えを広める場。その役割はほとんど失っている。せいぜいが、アタラクト神にまつわる話を伝えることくらい。思想と存在については、何をするまでもなく知っている。
だから教会は、代わりに新しい役割を担っている。それが、【この世全ての不条理】、並びにそれが産み出したとされる【異業種】に対して、警鐘を鳴らすこと。
教会には異業種を倒せるほどの戦力はない。だが影響力は何故か強い。そのため教会があること自体、異業種が苦しむ要因の一つになっている。又、神に愛された存在である、神隣花を探すことも役目としている。
そんな教会の前へ二人は来た訳だが、彼らの目的は、今話した事と関係なくて……。教会の近くにある茂みへと入っていった。
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銀色の体毛を持つ獣は夜空を見上げ、そこに欠けた月があることを確認すると、祈るように目を伏せた。
周囲を警戒しながら、その様子を見守るアルトの視線は、下から上へと上がっていく。やがて目線は、ほぼ水平を向くようになっていた。
「服は?」
「取り敢えずローブを持ってきた」
荷物袋の中から、年季の入っている茶色のローブを取り出す。それを見てアクストゥルコは、鼻を鳴らし匂いを嗅ぐと、すぐに顔を背けた。
嫌なのだろう。
分かりやすい反応のため、アルトはすぐに察したがついた。しかし、持ち合わせているのはこれだけ。だから無理矢理押し付けた。そうするとアクストゥルコはローブを舐め、悲しそうに俯いた。
「埃っぽい」
「仕方ないだろ。駄々をこねるな」
素直な感情をさらすアクストゥルコは幼く見えた。カリナの情報を得るためとはいえ、泣きついた自分が情けなく思えるほど。
アルトがそう考えた次の瞬間だった。まるで感情を見たかのように、アクストゥルコは頬を膨らませて、「幼くない!」と語気を強めて言ったのだ。
アルトはそれに驚くとともに、夜ということを鑑みて、静かになるようになだめた。
しかし怒りは収まらなくて……。
アルトは気をそらすために別の話を振った。
「そういえば、お前達の変化ってどういう感じだ?」
人間へと変態したアクストゥルコを見ながら言う。人間体の格好が、いつもとかなり違うのだ。
細かな差は多々あるが、中でも鼻が違う。突き出るように飛び出ているそれは、人間の顔立ちとして歪だ。けどそれでいて眉毛があったり、輪郭が獣のものでなかったりと、いつも以上にどっち付かずだ。
アルトは今までの会話から、月がアクストゥルコの変化に関連していることは、察しがついていた。だからこの変化を見て、先程の彼女の視線を追って夜空を見上げるのだが……。自分では結論が出なかった。
中天に浮かぶどうとも表現できない形の月と、人間のように二足で立ちはするものの、いつもより獣の要素を色濃く残した彼女。
それらを安易に結びつけることはできる。例えば月が不完全だから、アクストゥルコの変異も不完全なのだと。しかしそう考えるには、完全の意味が曖昧すぎる。彼女が変異をするのは、三日月だったり半月だったり、満月の日だったりと、規則性がない。
満月の日だけとか、満月に近づくごとに……。とかだったら分かりやすいが、そんなことないらしい。
だから邪推なく、疑問に思って訊いたに過ぎなかった。しかし、この質問は失敗だったと、アルトはすぐに気づかされた。
「ぞんな゛の、分がんな゛いよ゛」
なんとなく発音が変だと思っていたが、喉の構造も少し違うらしい。ダミ声を入り混じらせて、ふてくされるようにアクストゥルコが言った。
「自分の身体のことだよな。それでも分からないもんなのか?」
下唇を噛む。情報を隠したのか? アルトは思った。けれど自分の身体を、寂しげに抱えるアクストゥルコを見て、見当違いなことを考えているのに気がついた。
触れてはいけない気がして、発言を取り消そうしたが、少し遅かった。
「だっでぞれは……。じかだな゛いだろ……。誰がに、教わる前に、皆、殺されだんだから」
藪蛇だった、ただ後悔しても遅い。
何も知らない自分が謝るのは無責任だと判断して、アルトは「そうか」と、辛うじて言った。
そして、その態度が功を奏したらしい。
アクストゥルコは首を横にぶんぶん振ると、ローブを深く被り歩き出したのだ。
「今ば、ぞれはいい。ほら゛、服を貰いに゛行っでくれ゛るんだろ? 行ご」
「そうだったな」
アクストゥルコの後に続いた。
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アクストゥルコは後ろに控えさせ、アルトは教会の扉に付いてあるノッカーを打ち鳴らす。静かな夜に打ち鳴らした人工的な音は、やはりよく響き、さして待つこともなく扉は開かれた。
中から一人の女性が出てくる。
口元に少しほうれい線が出ていて、落ち着いたゆったりとした動作から、それなりの歳を重ねた人物なのが伺えた。ただ、すらりとした立ち姿には、確かな芯があるように思われた。
そんな彼女に、まずは愛想良く挨拶をした。
「こんばんは」
そうすると修道女は、首を捻らせてしばしの間考え込んだ。けれど夜間に尋ねて来るような人物が、思い当たらなかったようで、修道服をふわりと夜風になびかせた。そうして朗らかな笑みを浮かべるのだ。
「あら、どちら様かしら?」
その問いは予想されたもので、予め用意していた言い分を口にする。
「はい、私はアークスという旅の商人なのですが。こちらに来たのは、その……ですね。私の背後にいる彼女が、教会に入りたいと申しまして、そこで私は見届け人として、尋ねに参ったのです」
用意して来たとは言え、苦しい事を言わなければならないのに変わりはない。
どうしてこんなことになっているのか。アルトはこれまでの自分の言動を恨んでいた。
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