銀の歌
幕間
セア達が眠る数時間前。スズノ山近郊ヤチェの村。
「負傷者はここに残り治療を。他のものは急ぎ班を編成しなさい!!」
夕暮れ時──波乱が過ぎ、落ち着きを取り戻し始めたヤチェの村に鋭い喝が入る。
声を張り上げ班をまとめようとするのは、セア達が王国聖騎士団と対峙していた時、ユークリウスの隣にいた水色の髪の女剣士。
彼女はユークリウス班に二人いる、剣兵長の内の一人で、名をトーロス・アプシーと言う。ムィクリファという国の北西、その辺りを流れる、アプシー川周辺を領地とする貴族の娘だ。
トーロスはユークリウス班のまとめ役であり常識人だ。いつもはにこやかな笑みを浮かべ、優しくて頼りになる雰囲気を纏っているが、この時ばかりは違った。今の彼女の声に、普段の優しさは感じられない。
どうも焦りや憤りを感じているようだった。その原因として考えられるのが。
「すまん、腕をやられた。俺は追撃班に混ざれそうにない」
「ふむ……。なかなかにあの者達は動き出しが速いな。今日中に追いつくのは不可能だろう……」
同じ階級でありながら、情け無いことを言う剣兵長のラーニキリスと。極めて冷静な声で、他人事のように呟くユークリウスの二人だった。
いや、もっと言えば、指示を聞いてくれない部下達も入るだろう。
トーロスは溜息をつき、手始めにラーニキリスに近づくと彼を叱責した。
「まったく……。ラーニ!」
「はい……」
ラーニと呼ばれた青年──ラーニキリスは、中性的な顔立ちのイケメンであり、学問書にも剣にも通じる、文武両道の優等生だ。そんな彼は普段なら、知的な印象と貴族然とした振る舞いで、─主に女性から─人気を博している。しかし今の彼は。
「なんであなたが冷静さを失ってしまうの!! あなたは班の皆を統率する立場にあるのよ!! 分かってる?」
ただ同期に叱られているだけの人だ。
二人は王国聖騎士団コスタリカに同じ時期に入団し、そのまま一緒に、似たような経歴を築いてきた。
「ぐうう。すまん」
一つとして言い返さないラーニキリス。彼は粛々とした態度を取る事で、謝罪の意を示しているのだ。
ただトーロスからすれば、その振る舞いは情けなくて、怒りを増幅させるものでしかない。それに何より彼女が怒っているのは……。
「はぁ、分かるけれどね……あなたの気持ち。殺人鬼に殺された彼はあなたの同期。つまり私の同期でもあったんだから……。でもね、私達は聖騎士団、命をはるのがお仕事よ。無くしたものでなく、残ってるものを考えなければ。
だから、あなたに言いたいのは」
トーロスはある人物に指を指す。
「なんで私だけに、ユークリウス剣士長の介護を押し付けた!」
そう……ここがおかしい。
ユークリウス・ラーレアンという男は、偉業を幾つもこなし、何千人と命を救ってきた大英雄である。
それにユークリウスの容姿は、ラーニキリスみたいに女性ばかりが評価する、中性的な顔立ちのイケメンではなく、あまりにも本物だ。強面ではあるが、堂々とした立ち振る舞いは存在として格好良く、男女ともに目を引く存在だ。元来の無口さも足され、他の追随を許さない。
小さな頃から学術書に親しみ、剣と共に生きてきた。まさに文武両道。まさにラーニキリスの上位互換。なんて素晴らしき人物だ! ……と、ここまでが表の話。実際は……。
「ふむ……そう怒るなトーロス。指揮官が騒いでも部下はついて来ない。何に対して怒っているのか、私には分からないが、一先ずは班を編成する方が先だろう。くだらない感情で叱責するのは後だ」
部下の怒鳴り声を聞きつけやって来たユークリウスは、上のものとして相応しい対応をする。けれど、彼女の内心といえばこうだ。
(何に対して怒っているのか、なんで分からないんですか? 班の編成の指示は出しました。そもそも一番腹を立ててるのは、誰に対してだと思ってるんですか?)
正論を言われて、八つ当たり気味に考えてしまうトーロスは、はたから見れば好ましいとは言えない。彼女は部下をまとめ指揮をとり、上司であるユークリウスを補佐する立場である。
けれど考えてみて欲しい。部下はトーロスの指示を無視した上、勝手に先行する。共に指揮をするはずの人間は、頭に血が上って自分の役目を果たさない。
そういった事実を考えず、ユークリウスは言っているのだ。なにより彼は、交渉の余地がありそうだった二人組の訴えに、全く耳を貸さなかった。
トーロスからして見れば、そもそもあの変な二人組みが、殺人鬼なのかも怪しいところだった。彼らの反応が嘘をついているようには見えなかったから。
しかしこの英雄、全くもって融通がきかず、一度こうと決めたら、なかなか考えが変わらない。ゼラチンのような脳みその持ち主だ。
ゆえにトーロスはユークリウスのことをこう評価する。
自分より階級が上であり。何を言っても耳を貸してくれない。そもそも説明したって理解もしてくれない。まともに付き合ったら、自分が疲れるだけの人だと。
そうしてさっきの心情に繋がるのだ。
(ああ……もう! これだから意思疎通できない人は!!)
ユークリウスは家族と五歳の頃から離れて暮らし、【剣と学術書のみ】に囲まれて育った。勤勉な彼は娯楽に興味を向けず、卓越した強さを持つため、人々からは一歩引いた位置で話された。そんな人生だから遊びはなく、友人と呼べる者も一人しかいなかった。後のつながりは、小動物に対して一方的に話しかける程度だった。
ユークリウスは自分の過ちを自認することができない。過ちを犯しても、圧倒的な力で全てをねじ伏せられたからだ。その積み重ねの結果。人の気持ちが分からない人物になってしまった。
一番厄介なのは、ユークリウスに対して、誰も何も言えなかったこと。彼は、自分が意思疎通を下手だと知らないのだ。
説明は長くなったが、ラーニキリスとトーロスは、そんな英雄の不完全さに気付き、いつも人間関係の部分で、それとなく手助けして来た影の功労者である。
けれど今回はラーニキリスが使い物にならなかったので、トーロス一人で頑張らなければならなかった。その過程で、多くの気苦労や腹立たしいものを抱えてきた。
言うなれば、この班で起こる全ての問題事を、一人で背負ってるようなものだ。パンクするのは当たり前。
しかしそうは言っても、優しいトーロスは、上司にも部下にも怒りをぶつけない。なので彼女は、ユークリウスに何か言われても、いつもこのように答えるのだ。
「はい、失礼いたしました。ユークリウス剣士長……」
「分かればいい」
温度のない冷淡な一言が、さらにトーロスを苛立たせる。
やがてユークリウスはその場から離れて、他の者の様子を見に行った。トーロスはそれを恭しく礼をして見送り、その後もずっとうつむいていた。
そうしてトーロスの中に溜められた、行き場のないストレスは全て……。
「だ、大丈夫か? トーロス」
一向に動きを見せないト―ロスを慮って、ラーニキリスが声をかける。
「ラーニ~〜~?」
「ああ。なんだ?」
「元はと言えば、貴方がもっとしっかりしていれば!!」
「うっ。す、すまん」
やつあたり気味に同期へと収束する。重ねて言おう。この班の影の功労者は、トーロスとラーニキリスである。
そしてここにはいないが、パルス国の首都には駐留班として残された、もう一人の厄介者がいる。ユークリウスと同じくらい、社会に適応できていないアスハという人物が。
この後追撃が上手くいかず、首都へ帰らざるをえなくなって、二人が頭を抱えたのはまた別の話。
幕間 終了
「剣士長!!」
ユークリウスの耳に、聞いているだけで元気になりそうな無邪気で明るい声が届く。そちらに振り返れば、幼さを残した一人の少女がいた。
「ミリアか……どうかしたか?」
ユークリウス班には女性が五人いる。その内の一人である、一般剣兵のミリアがユークリウスに話しかけたのだ。
「うん、えっと……はい! 剣士長、実は殺人鬼の残したと思しき荷物が、広場前の曲がり角で見つかりました!」
「そうか……それで? それがどうかしたのか」
「えっあっ、はい! 実はですね、その荷物……というより状況が不自然で」
「ほう……」
「あの殺人鬼の二人組の片方は、山に登る前、村に立ち寄ったみたい……です! それで自分の事を行商人だと言ってたらしくて、馬にいくつも商品を乗せていたのが確認されてるんですね。
だけどね、あの二人が馬に乗ってパッカパッカ逃げる時、私達が見たお馬さんには、荷物が乗ってなかった……んです!」
「それのどこが不自然だ……? 広場に入る前、荷物を馬から降ろしただけの事だ」
「それがミ……私達の荒事を見て、怯えて逃げた村人の証言によると……。広場の角でね、馬が自分で身体を震わせて、荷物を降ろしていたらしくて」
「……ほぅ」
「それだけじゃなくてね。柵に繋がれた手綱を、前脚を使って、器用に外していたというのも、聞きました!」
「…………そうか」
「それでですね、それを聞いてミリア思ったんです」
ミリアは幼い顔に似合わない程、真剣な表情をする。ゴクリと唾を飲む音。そして──。
「わー! すっごーーいって! とっても驚きました。ねっ剣士長。とっても不思議だよね?」
「……………ミリア。……私にはお前の言いたい事が分からないが」
前髪をいじりながらユークリウスは言う。
「……そう言うこともある」
「──そうなの? でもきっと剣士長が言うならそうだと思う。じゃあこのことは誰にも、シグリアとかにも伝えなくていい?」
「……そうだな。共有する価値のない情報だ」
「分かりました! 失礼します剣士長」
タッタッタと走り去っていくミリア。
──以後、この情報は誰にも伝わらなかった。
ユークリウス 備考:クソザココミュ障
ミリア 備考:アホ
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