銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
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第67話 人を救うのは特別なことじゃないと信じきっていて④

公開日時: 2020年11月16日(月) 18:30
更新日時: 2021年4月22日(木) 14:02
文字数:4,748


銀の歌



第67話


 水しぶきが上がり、剣が振るわれた。その瞬間、辺りは不自然なほど水蒸気が出て、何も見えなくなった。

 やがて水蒸気で出来た霧が晴れていくと、苦悶の顔で笑うアルトさんの姿が浮かび上がった。


「おい……。そういうことか。なるほど、道理で弱っちいくせに、おっさんは旅をすることが出来た訳だ」


 アルトさんの剣は赤く燃える身体を持つ、炎の虎とでもいうべき何かに、攻撃を遮られていた。

 アルトさんはすぐに小屋の方に意識を向けた。すると一人の女の子が小屋の前で、もたれかかるように立っていた。その子は首元に蛇の人形を巻き、真っ暗なとんがり帽子をかぶり、木でできた杖を持っていた。

 その姿は、わたし達が想像する魔女像そのものであった。


「【八月魔法】炎獣ウルグルス」


 小さく唱えていた。アルトさんがたまに使う暦魔法だろう。だが【8月】というのは聴き馴染みがない。アルトさんが普段使うのは【一月】とか【二月】だ。

 それから見た感じ、エリーゼちゃんの魔法行使とアルトさんの魔法行使とでは、大きな開きがあるように見えるが。


「なんだ? 高速詠唱か? 詠唱破棄か? まさかとは思うが未来への干渉や、過去干渉の類いじゃないよな? まぁ、なんにせよ高等な技術であることに変わりないんだが……」


「アルトさん!」


「なんだ」


 応えてくれるがこちらへ視線は移さない。あくまでも注意は、とんがり帽子をかぶった子と、両目が異業と化したあのおっさんに向いている。一瞬の余所見すらできない程、あの子は強いらしかった。


「【八月】って言うのはどれほど凄いんですか……? 」


「……暦魔法は数が大きくなるごとに、階級が上がり効果が強くなる。俺が通常使える範囲は、頑張っても【四月】が限界だ」


「ていうことはいつものですね……」


「そうだな。俺よりも強い」


 言いづらそうにアルトさんは答えた。非常に歯切れが悪かった。半ば予想できたことだけど、実際に本人の口から伝えられてしまうと、絶望感はつのる。


「それで……どうするんだ? おっさんとエリーゼ」


 おっさんの近くにいる魔法で作られた獣は、煌々と燃え上がり、流れてくる川の水のことごとくを、瞬時に蒸発させてしまっている。そんな獣がアルトさんを警戒して、待ち構えているのだから、いくら彼でも飛び込みようがないみたいで。

 だから現状、アルトさん側から動くことはできない。トリオンさんとエリーゼちゃんの出方を伺うしかない。


「どうもこうも……分からないよ」


 エリーゼちゃんの声は静かで冷たさがあるものの、ふわりと空を漂うかのように聞こえてきた。例えるなら雪のような声であった。彼女の声は初めて聞いたけど、アスハさんに負けず劣らずの美声だ。


 場違いながら、エリーゼちゃんの可愛い声に胸がとくんと揺れ動いた。だけど彼女が纏う冷たい雰囲気は本物で、アルトさんと同じくらいの冷徹さを感じた。

 アルトさんが睨みつける中、エリーゼちゃんは悠々とトリオンさんの元まで歩み寄った。


「どうするの?」


 能面のような顔で、業務作業とでも言いたげに、口だけを動かす。その振る舞いは、幼い容姿に似つかわしいとは思えなかった。そんな歪な彼女の言葉を、トリオンさんは慣れたように受け入れて……。


「……このまま逃げようと思う」


 簡潔に答えていた。


「……うん。……分かった。それでいいのね? ウルグルス……」


 エリーゼちゃんが獣の名を呼ぶと、その子は予備動作もなくーー破裂した。それも、辺りに激しい爆音と熱風を起こしてだ。


「うおっ!」


「きゃぁ!!」


 それぞれに悲鳴をあげる。ヘテル君とわたしは肩を寄せて抱き合った。それからアルトさんは、いつのまにかわたし達の前で立ちはだかっていて。自分の身とマントを使って、わたし達のことを庇ってくれていた。


「アルトさん!!」


「大丈夫……もともと当てる気はなかったみたいだしな」


 川の水が一気に気化し、水蒸気が起こると霧のように辺りに広がった。だがしばらくした後、何事もなかったように晴れていった。そうして何ら変わらぬ風景を、わたし達の前に映し出した。ただしーー。


「奴ら……」


 二人の姿を消して。


✳︎


 あれから少しの間ーアルトさんだけがー、周りを捜索してみたが見つからなかった。まんまと逃してしまったという訳だ。


「何やってるんですかアルトさん……」


 だからいつも通り、自分のことを棚に上げてアルトさんを責める。


「お前なぁ……」


 アルトさんもいつも通りの突っ込みをしてくれる。つまりは、わたし達の関係は元どおりというわけだ。

 けれど、完全に同じではない。だってわたしは、ちゃんと分かっているし、反省もしている。


「わたし……何をどうすればよかったのでしょう?」


 そんなことを訊く。わたしからすれば反省の表明なのだが、アルトさんはそれを好ましく思わなかったみたい。顔を背けられてしまった。

 それでアルトさんは、ヘテル君の方へと近寄った。何をするのかな? と見てみれば、どうやら怪我がなかったかを確認しているようだった。

 そして一通り確認し終わった後、アルトさんは唐突にヘテル君を抱きしめた。


 びっくりして目を丸くする。でもそれはわたしだけじゃない。当の本人であるヘテル君もだ。けれど驚きはすぐに、理解に変わる。


「ごめんな。怖かったろう」

 

 アルトさんの言葉は温かかった。純粋に相手を思いやる気持ちだけの抱擁に見えた。


 この三日間アルトさんはヘテル君に対して、距離をとって接しているように、わたしからは見えていた。

 だからこんなことをするなんて驚きだった。度肝を抜かされた。それにわたしが判断する、アルトさんの性格的にも、今の行動は合っていない。


 ヘテル君もまた、どこか思う所があったのだろう。眉を八の字に曲げていた。

 でも決して嫌がってはいなかった。恥ずかしそうにするものの、その抱擁から抜け出すことはなくて。抱擁を許し続けたのはきっと、アルトさんの行動が、嘘偽りないものと分かったからだろう。


 アルトさんは言うことが厳しい。それは他者にも自分にも。もっと頭を使え、もっと上手くやれ。そんなことをずっと言い続けている。

 誰にでも厳しいアルトさんだから、自分の失敗や至らなさは、逃げもせず直視している。テテネちゃんの時もそうだった。


 だから今彼は。


「危険に晒してすまん」


 頭を下げているのだ。自分の至らなさが原因だと。

 でもアルトさんはわたし達のことをちゃんと守っていた。それに今回責められるべきなのは、言いつけをろくに守りもしなかったわたしだ。だというのに彼はそう言って謝った。

 見ているこっちの方が息がつまり苦しくなった。


 でも同時に理解する。これが守る、人を救うっていう覚悟なんだって。


 言葉はきついものの、それは覚悟の違いから来るものだった。アルトさんは責任を持って、わたし達のことを守ろうとしていたのだ。それをいつもわたしは……。

 心の中で涙した。考えが足らなかったことに。


 そんな時、頭にチョップが飛んできた。


「い゛で!」


 ヒリヒリと痛む頭を両手で抑え、チョップしてきた人を、上目遣いで見上げる。

 けれど負い目や、恥ずかしさ、そういったものを感じて、すぐに俯いてしまう。そうしていると、アルトさんが隣で屈んだ気配がした。どうやらわたしと、視線を合わせようとしてくれているみたいだ。


「またチョップ……食らいたいのか?」


 そんなことを言う。いけないことをしているから直せという意味合いがあるみたいだけど、なんのことを指摘しているのか分からない。

 俯いていることが悪いことなのかと考えて、取り敢えず顔を上げた。そうしたらそこには優しい笑みがあった。


「そうだよ。それでいい」


 アルトさんは大仰に頷くと、「一つ質問がある」そう言った。


「何ですか?」


「うん。お前はこれから先、誰かが困っていて、その先でまた危険な目にあうとしても、人を助けよう……救おうと思うか?」


 前までなら元気に「はい!」と即答していただろう。だけど【はい】と思っていたばかりに、アルトさんを困らせてしまった。

 忘れかけていたが、アルトさんは記憶喪失のわたしを拾ってくれた恩人なのだ。そんな人を苦しませてまで、自分の価値観を守るべきではないのかもしれない。

 だからもうこんなことが起きないよう、わたしはいいえと答えるべきなのだろう。


「はい……! 救いたいです」


 だけど泣きながらアルトさんに訴えてしまった。


「だってわたしは……。人を救うのは当たり前のことだって信じきっているんです」


 失望されるだろうと思った。今回の件で何にも学んでいないと、貶されると思った。それでもいいと思った。


──だけどアルトさんは、満ち足りたように目を細めていた。そして「それでいい」と言っていた。


「お前のアホさには嫌になる時が多い。

 でもお前が人を気遣って能天気に笑う良い子だから、俺達はお前の味方をしようと思ったんだよ。それは俺に無いものだから、大切にしてほしい。

 ……ああ、そうだ。身勝手に信じてろ。尻拭いはしばらくの間は、大人がなんとかしてやる。そうやってしばらくバカやって、迷惑かけたその後で、大人になればそれでいいよ」


「………………悪いものでも食べました?」


「あっ? んだと?」


 アルトさんはくっくっくっと笑って「そっちの方がお前に合ってる」と満足そうだった。

 こちらはというと、なんだかもう本当に、差を思い知らされている気がした。年の差? 経験の差? 具体的には分からない。でも間違いなく、明確な差が存在していた。

 なんだってこんな、……いいんだろう。


 思考の中でくらい言葉は埋めるべきだったかも、いや、そもそも素直に言えば良かったのかもしれない。でも絶対に言ってやらないんだ。

 だってアルトさんは、突っ込まれるためにわざと……ているのに。そんなことを言ってしまったら、彼の気遣いを無駄にしてしまう。第一、今回のこともわたしのせいだ。そんな風に言って逃げるのは違う気もする。


 いや、違う違う。全部違う。分かっている。


 言えないのは単純だ。

 冗談でもなんでもなく、心からそんなことを言うなんて。──だってそんなの。





「恥ずかしい……よ」


「ん? 何か言ったか」


 不思議そうにこちらを見るアルトさんは、本当に何も気づいていないようだ。だから急いで顔を背け、火照った顔を見せないようにした。

 まだ覚悟の意味も、完全には理解できていないけど、わたしの中で何かが変わった気がする。


 合縁奇縁。拾ったことで傷ついたこともあった。けれど拾ったことで成長した部分もあった。出会いとは実に異なものだ。


「さて。しばらく休憩したら、また歩くとしよう。次の目的地は……まぁ、あとちょっとだし【ルスク街】まで行くとしよう」


 アルトさんは言うと荷物を整え始めた。


「分かりました!」


 頷くとアルトさんの手伝いをした。いつまた、トリオンさん達に出会ってもいいように、まずはアルトさんに任せっきりなこの状況を、少しでも改善していこうと思ったから。

 人に教わる前に、人にやれと言われる前に、人に考えろと言われる前に、少しでも自分で頑張って足掻いて、立派になろうと思った。


 これ以上アルトさんを、恩人を悲しませないために。


「……おお。これは逆に俺がやることないな」


 なんて聞こえてきたけど、聞こえないふりをした。


 決めたんだ。次にあの人達に会う時には、アルトさんへの甘えをなくして。ヘテル君、君の人生に責任を持って向き合っていようと。わたしが守る……救うんだって。


 わたしの瞳は希望に満ちて、前を向き始めていた。


第67話 終了




 そしてその二日後。ルスク街の宿屋にて、料理に舌鼓を打っている、とんがり帽子の女の子と、相変わらず鬱陶しい前髪を垂らすおっさんと、ばったり会ってしまった。


「まぁそりゃ、途中まで一緒の目的地、目指してましたしねぇー」


 隣で橙髪のおっさんが、なんかほざいてた。


三章人物紹介 追加


トリオン

 たまに一人称が「おっさん」になるタイプのおっさん。ガタイの良い大柄な男性で、いつも楽しそうに笑っている。会話をするのが非常に上手で、答えにくい質問はのらりくらりとかわし、いつの間にか話題がすり替わっているなんてことも……。なんでもあけすけなようで、実際の所何を考えているのか分からない、掴み所のない人物。

 教養豊かな知識人でもある。



エリーゼ

 とんがり帽子をかぶった黒髪の女の子。小さい姿とは裏腹に、その身には膨大なる魔力を宿している。武術面ではなく、魔法面でアルトさんよりも優秀。また一人、アルトさんよりも優秀な人が出てしまった。無口系魔女っ子。

 ……最近やっぱり幼い子が多い気がする。


『なんとかはしようとしたんです』などと容疑者は供述しており。


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