銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

幕間 夜にたゆたう②

公開日時: 2021年2月8日(月) 18:30
文字数:4,771



銀の歌



幕間




 今日も空が暗い。いや、時間帯を思えば、それは当たり前のことなのだが。ただ、なんというか。いつも見てきた空よりも、ずっとずっと暗いのだ。


「アウ。オオオウ」


 暗い空に遠吠えを一つくれてやる。昔は、こんな時間帯に遠吠えをしようものなら、お母さんに『日が落ちて、どれだけたったと思ってるの! ご近所に迷惑でしょ!』などと怒られたものだ。

 銀狼ーー狼だっていうのに、遠吠えが怒られるのは、今でも納得できないが……しかしお母さんはそういう人だった。昔はそんな小言が煩わしかった。けど母親がいない今は、そんな言葉どうあっても聞こえてこなくて……。

 だから、それだったら、気がすむまで吠えてやろうかと思った。でもどうにも気が進まなかった。理由として、一人遊びは虚しいという想いがあった。


 でも……それ以外にも、何か理由がある気がした。それが何か考えていたら。


「うるせえなぁ、もうあいつらが寝てるだろうが」


 背後から声がかけられた。この声の主は、自分にとって、あまり好ましい人物ではない。でも返ってこないと思っていた反応が、返ってくるのは、癪なことだけど少し嬉しかった。だってこれでもう一人遊びではないのだから。


 声の主の方に振り返る前に、一度空を見る。すると綺麗な半月が空に浮かんでいた。それを確認した後に、改めて後ろへ振り返る。そしてあたしは姿を変えていく。


✳︎


「知らない」


「てめっ、この……!」


 厳しい視線に言葉は遮られる。彼女の身体に生えてある小さな産毛は逆立って、尻尾だってたてられている。

 アクストゥルコが、俺の事を警戒しているのは明白だった。


「でもお前、前はカリナのことを知ってると」


「知らない、知らない! だったら忘れた、今日忘れた」


 そう言うとアクストゥルコはそっぽを向いた。


 「くっ……!」


 先程から言っていることが無茶苦茶で、話にならない。アクストゥルコが元々、思考力が少ないというのであれば、話にならないのは仕方ないが。以前ちゃんとした双方向のやりとりができている。

 であるから今日、このような態度ばかり取られるというのは、そもそも彼女に会話する気がないということだ。思い当たる【原因】はいくつかある。だけど、ここまで拒否反応を示される【理由】が分からない。


 前の夜の時にも、途中からこんな風な、つっけんどんな態度であった。あの時は、また日を改めれば、会話が出来るだろうと踏んで、一時撤退をしたのだが……。どうやら日を改めても無駄らしい。

 こいつが会話をする気がないのは分かった。だけどこちらには会話をする理由がある。だから今回は、早々に撤退ではなく食い下がる。


「まぁいい。お前がそんな態度を取ることは、ある程度予測していた。だからこそ……」


 がさごそと懐に手を入れる。


「これを持ってきた」


 俺が懐から取り出したのは、以前狩ったググズの干し肉だ。


 「……肉?」


 アクストゥルコが反応を示した。これを好機とばかりに、今自分が取り出したものについて、詳しい説明をすることにする。価値を高めるためだ。


「ああ、その通り。しかもこれはただの干し肉ではない。ググズの部位の中でも、特に希少な、綺麗なサシの入った赤身肉だ。本来なら焼いていただく所、贅沢にも干し肉の材料にした。もちろん干し方にも手は抜いていないぞ。塩や胡椒などの高価な香辛料。それからいくつかのハーブを使った。ピリリとした刺激がありながらも、なごやかさもあるこの干し肉。うまいぞ? 食ってみたくはないか?」


「……」


 自分の手元に注目が集まっているのを感じる。どうやら効果はあるみたいだ。


「そうだろう。そうだろう。食いたいだろう。俺だって食いたい。なんでこんなもの作ってるんだろう、少ない物資の中で、俺本当に何やってんだろうと葛藤して、作った一品だからな」


 気付けば涙が流れていた。でもそれは必要な犠牲だからと割り切った。そして、さぁ取引だとアクストゥルコを見た。先程見せた彼女の反応は、上々だと思うが、果たして……。


「いらない」


 一蹴だった。


 その言葉に面食らい硬直する。何かの聞き間違いかと思い、今度は指差しで干し肉、それから彼女を指した。意味は『これ、お前いらんの?』である。帰ってきたのは、横に首をぶんぶんと振る、『いらない』という返事だった。


 犬は肉が好きだろ? という考えは一旦白紙に戻し、大人しく干し肉を自分の懐へと戻す。


 この状況、一見手詰まりに見えるかもしれない。だが、そんなことはない。なぜなら、俺はいつだって不利な状況で戦い、どうにかして来た男だからだ。今回も、もちろん二手三手と用意して来ている。


「そうか。だが……これならどうだ?」


 懐から新たにバッと取り出す。


「…………酒?」


 アクストゥルコが、自信なさげに呟いたのを聞いて、選択を間違えたかなと感じた。でも今更引っ込めるのもどうかと思ったので、いけるとこまでいこうと思った。


「その通り。だが、もちろんただの酒ではない。この酒瓶に入っているのは、かの酒造りの名匠ゼルが酒造した、清流系列の一つ。【清流・藍】だ!」


 そこまで言い終えると、わざとらしく酒瓶を揺らした。中の透明な液体が、青色へと少し変化した。


「!?」


「ふふ、驚いただろう。そう、【清流系列の酒は色が変わる】。しかもただ変わるだけではない、味も一緒に変化する。振った分だけ色の変化は強まり、それに比例して味も辛口から甘口へと、この【清流・藍】は変化していく。

 清流は喉越しが良いのはもちろん、この味の変化の奇抜さで、一躍名を馳せた。だが本質はそこではない……。なんと言っても高いその度数。ヨイレツという植物の種から作られたこの酒は、鉄の乙女の加護を受けることで、非常に酒精分の強い酒となった。酒好きにはたまらないだろうな……。【清流・藍】30年ものの俺の秘蔵の酒だ」


 自分の中ではやりきった感が強く、どうだ? という得意満面さが出てしまった。少し目的とそれ始めたので、再度気を引き締めた後に、「どうだ……?」といつもの商談の時の顔で尋ねた。


「いや、いらない」


 ぱーん! 自分でも何故やったのか分からないが、気付けば秘蔵の30年ものの酒は、地面に叩きつけられていた。


「そもそもあたし、お酒飲んだことない」


 とどめの一撃だ。


 最初に酒を出した段階で、あまり好みでなさそうなのは分かっていた。なのにそれでも突っ走ってしまった。

 だから今、先ほどの自分の語りぶりを思い出して、真っ赤な顔で、秘蔵の酒の残骸を、何度も強く踏みつけることになっているのだ。こんな衝動にかられたのは、きっとしょうがない。しょうがないと思わせて欲しい。


「まだなんかあるか?」


「…………」


 取りつく島もない。結局今回も失敗に終わる。

 【カリナ】という何かが、セアや俺達に悪意を向けるというのであれば、いつかは必ず、それは対処しないといけない問題だ。であれば、カリナに関する情報を知っているこの女だって、避けては通れない問題だ。手をこまねきたくはないのだが……。


「今日の所は手のうちようがないな」


 諦めたよとうつむく。それを見てアクストゥルコは、どこかホッとしたような表情を浮かべていた。恐らく面倒くさいやりとりから、解放される喜びなのだろう。

 今はまだ力関係がこちらの方が上だから、こんな風に振る舞えるけど、こいつが力を取り戻したら、きっと、ほっと一息つくどころじゃない。一息つく前に首と胴が離れ、息を引き取ることになるだろう。


 早いうちになんとかしなければ。


「なぁ、おい」


「ん、なんだ?」


 終わりだと安心しきったからか、アクストゥルコの方から声をかけてきた。


「幾ら何でも物でつろうっていうのは、あたしを甘く見過ぎじゃないのか?」


 アクストゥルコが首を横に倒して、心底疑問だと訊いてくる。が、当の俺だって、そんなことを言われることが心外だ。


「甘く見たつもりはない。むしろ俺は、ちゃんとお前が対等な立場にあると思っているから、こちらから渡せるものを用意したんだ。言ったろ、取引だって。だから甘く見てるつもりはないが……。

 いやまぁ、『渡す品の価値がなさすぎる、あたしを甘くみてるのか?』って言われたら、反論のしようがないんだが。それに関しては銀狼の価値観が分からなかったからな……。だが多分お前の言いたいことはそうじゃなくて、だろ?」


 アクストゥルコは面食らったように目を丸くした。


「ああ、そうなのか……」


 俺の言った言葉を咀嚼し終えたのだろう。うんと頷くと、疑惑の色を薄めた。


「それは、分かったが。でもだとしたらお前、相当贈り物の選び方悪いぞ」


「ぐふぅ!」


 結局言われたくないことを言われた。曲がりなりにも、商人として生計を立てているから、その言葉は結構こたえるのだ。そしてだからこそ、その後にボソッと呟かれた言葉を、俺は聞き逃した。


「もっ……可愛…………ったのに」


「今、何か言ったか?」


「何も」


 商人としてやってはいけないことその二である。取引相手の発言を聞き逃す。今日だけでもう、大分立ち直れない程のダメージをくらったので、流石に撤退を余儀なくされた。


「悪かったな。……贈り物の趣味が悪くて……」


「飲み物や食べ物以外は無かったのか?」


「ああ〜。鼈甲(べっこう)の簪とかもあるがな」


 懐からさっと取り出して、少しだけ見せる。

 これも一様、とある商談の戦利品ではあるのだが、そこまで値の張るものではない。あくまでおまけだ。だがそれでも、相手の反応は見ておくべきと、わざと興味を引かせるようにチラと見せたのだが。


「…………」


 碌に反応はない。一瞬目の色が変わった気がしたが、瞬き一つ後にはあの無表情なのだから、見間違いだろう。

 今日はダメだったかと、この場を後にしようとする。だが、アクストゥルコへの声かけは忘れない。


「おい、お前も早く寝ろよ。セアに生活の速度を合わせているのはお前も分かってるだろ。明日も早いからな」


 この物言いがもしかしたら、アクストゥルコの機嫌を悪くさせる一助になっているかもしれない。だけど、彼女は完全に信頼できる相手ではない。信用は勝ち取るべきだが、油断して後ろからざくりなんていうのは、あっちゃいけない。多少は高圧的に出ておかなければ、牽制もできないというものだ。


 それに今言ったことは、嘘でもなんでもないし。


「あっ、そうそう。だから、日が落ちてからの遠吠えはやめとけよ。あいつらの眠りの妨げになるからな。街の中だったら近所迷惑になるぞ」


「……ああ、それは。悪かったよ」


 やけに素直だなと思った。しかし、物憂げに慈しむ様な瞳で、童謡を歌う姿を思い出して、まぁそれがこいつなんだろと納得した。何というか歪な純真さがあるのだ。


 「じゃあな」と手を振って、帰ろうとする背中に、今度はあちらから声がかかった。


「……お前の価値観はある程度分かった。お前の守りたいものもある程度理解した。でもお前のやり方は、あたしには適していない。あたしは商人じゃない。お前の目が……目が……どうしても気にくわない」


 俺なんかよりも、よっぽど酷い言葉をくれる。

 だが今の発言の中には、俺達の関係を良くするための、何か重大な要素が隠れている気がした。

 商談において、取引相手の言葉は、聞き逃してはならないものだ。それが例え世間話であろうとも、発した言葉には必ず意味があり、欲求が隠されている。だからこそ一言一句を俺達は聞き逃さない。

 そしてなにより、取引相手が自ら発した言葉には、引き出した言葉よりも、よっぽど純粋な欲がある。だから今の言葉はしっかり覚えておくべきだ。


 俺は「そうか」とだけ返して、そのまま寝床へと帰っていった。


✳︎


 誰もいなくなった草原で彼女は夜空を見上げる。


「ああ、そうか。いつもより空が暗いと感じるのも、お母さんがいないのに叫べないのも、ああ、そうか。……人の街で生きすぎたんだ」


幕間 終了

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