今章もそろそろ終わりが近いです
銀の歌
第87話
カンという音は幾たびも鳴る。鋼と鋼が交わる音だ。こういった音を間近で聞くのは、実は久しぶりのことであった。
自分が強いなどとは思い上がっていない。だからこそ地位に甘んじることはなく、空いた時間のほとんどを鍛錬に当てて来た。
だが戦いで、武器を迫り合わせることが少なかったのも事実だ。鋼の音を聞く機会なんて今を除けば、最近だとアルトとの一戦程度。それにその時だって、たったの二撃、それだけしか鋼の音を聞かなかった。
だというのに……。
右から迫る横払いを防ぐとすぐに弾いて、一歩踏み込んで反撃の一撃を入れる。しかしそれを相手は、腕の装甲で防ぎ弾いて来る。こちらもその勢いを利用して、回転斬りを放ちはするが、しかし楽々と大剣によって防がれてしまう。
「ふっ!」
力を込めて押し込むと、それには付き合わないと鎧の人物は、後ろに飛んだ。仕切り直しか。理解して呼吸を整える。そして淀みのない頭で思うのだ。
今日はいったい何度、鋼の音を聞いたのだろうと。
音に慣れない自分がいて、剣士なのにと、自嘲気味に笑いたくもなった。だが、この者の差し迫るような気迫の前では、そんな余裕は生まれなかった。
上から迫る袈裟斬りに、両手持ちを止めて剣を合わせる。それから剣先側の下に腕を押し当てた。
片方に重心があるだけでは、重さに対応し切れずに、滑る可能性があると考えたからだ。実際……ドスンとのしかかって来る大剣の圧は、両手持ちのままだったら剣先が保たず、肩口にこの大剣が落ちていたぞと言っているようだった。
剣の下で腕の筋肉が悲鳴を上げている。この痺れる感覚も久しぶりだった。
上段を取られて押し切られそうにもなるが、しかし今自分が持つのは、アスハの命を削って使う伝説の剣だ。武器に差がある。宿主の命を喰らうこの剣の硬度と言ったら、並み居る剣では一合と持たぬほど。
だから不利な状況に陥ったとしても、この剣であれば返せる。キン! と弾いてしまう。あわよくば姿勢が崩れてくれると、尚よかったが、そんなことにはならない。敵ながら流石だ。
ここまで打ち合って分かったこと。
鎧の人物は腕がいい。武器の差があるというのに、それを力量だけで補っている。なんの言い訳もない純粋な強さ。それでいて自分よりも高い背丈と、かなりの硬度を持つ鎧。そしてそれを着ていながら、俊敏に動く肢体。
どれをとっても、敵ながらに褒めるほかなかった。【この相手は自分よりも】そう認めるしかない事実があった。
しかしそれでも負けられないと剣を強く握る。こちらは時間制限付き、なんとしてでも早々に決着をつけなければならない、もちろん負けるのも。
「……なしだ」
剣に収められた風の竜の力を惜しみなく使い、制御できないほどの一撃を振る。腕の血管が何本か切れた音が聞こえ、激しい痛みを感じたが、後ろから聞こえてくる悲痛な声を聞いたら、瑣末なことだと思えた。
竜の力を使った渾身の一撃は剣や鎧に阻まれ、相手を少し吹き飛ばす程度で終わってしまう。このまま打開できないのかと少し弱気にもなったが、打ち合っていて一つ違和感を覚えた。それは腹部の鎧の激しいひび割れと、その辺りの防御が他よりも固いということである。
勝利の兆しを見た気がした。
後は隙さえ作れれば……。そう考えながら、攻めの勢いや手数は緩めずに、大技は温存して、力を蓄えることとした。
「はっ!!」
鋼と鋼が打ち合う音がまた聞こえた。
※
「凄い……圧倒してる!」
命の剣を持ったユークリウスさんの攻めは怒涛で、相手に息つく暇さえ与えない。鎧の人は距離をとろうとするのだが、すぐさま詰められて、上手く大剣を扱えていない。
ユークリウスさんは大剣に対して、距離を詰めるという行動をとったので、なんて無謀なことをと最初こそ考えた。でも近づけば近づく程、鎧の人物は動きが鈍くなっていて……。
長く大きな剣は、懐に入られると何もできないらしかった。せっかくの攻撃力も、ああなってしまっては形無しだ。現に先ほど短く持った大剣で上段から反撃をしたのだが、ユークリウスさんに見事に防がれてしまった。
しかもその防ぎ方といったら、剣を両手で持たないで、片手でだけだ。なんて凄い! 剣を短く持っていては、やはり威力が出ないのだ。
そしてユークリウスさんは剣を弾くと、大きな一撃を叩き込み、鎧の人を弾き飛ばした。命の剣を持った彼は、なんと強いことか。このままいけば、ユークリウスさんが勝つことは、疑いようもないだろう。
「…………厳しそうね。剣士長」
「どうしてですか? どう見たってユークリウスさんの方が優勢ですよ」
トーロスさんが、どうしてか物憂げに言う。もう勝利は目前だと思うのだが。
動く死体に関しても、バラしたそばから少しづつ復活するので、どうやったら倒せるのかとやきもきはした。でも、残量を使い切ったのか、地下から不意に出現することはなくなったし、復活すると言っても、そう【少しづつ】だ。
ユークリウス班の皆さんは、直った側から倒したり拘束するなどして、ちゃんと対処している。
もう何も、不安に思うことはないと思うのだけど……。
でもトーロスさんは言うのだ。
「……ユークリウス剣士長が手間取ってるの初めて見た。あれは相手の動きを牽制してるんじゃなくて、牽制させられている。してるのとさせられてるのじゃ、意味が大きく違ってくるわ」
「……?」
「現にユークリウス剣士長の動きが、私達でも見えてしまう」
最初の言葉は理解し辛かった。でもその後に続く内容を聞いて、確かに何かおかしいと、わたしも思えた。
「剣士長の戦いかたは自由に動き回って、速さと剣の重さで相手を圧倒して、不意をついて倒すやり方だと思う。でも今回は、相手の動きを封じるのに容量を割いている。普段通りの立ち回りに見えない。いつも一撃か二撃で終わってたから、断言はできないけど。
でもセアちゃんも見たでしょ? アルトさんとユークリウス剣士長の戦いを」
思い返せば確かに、アルトさんと戦った時のユークリウスさんは、剣の重さもそうだったが、立ち回りの方が目立っていた。なんというかあの時は、もっと余裕があった気がする。
それを念頭に置いて、今のユークリウスさんの戦い方を見れば、はっきり言って動きが弱い。死体達じゃないけど、目の前から迫ることしかできなくて、一切不意をつけていない。あれでは追い詰めることはできても、倒すのは難しいかもだ。
「じゃあ、何です。ユークリウスさんは負けてしまうんですか?」
訊くとトーロスさんは、ぶんぶんと首を横に振った。ただその顔は曇っていた。
「それは……命の剣まで使ってるんだから無いとは思いたいけど。でも……何よりユークリウス剣士長には、分かりやすい時間制限があるから」
視線が戦いからそれ、アスハさんへと移る。まだ大丈夫そうだけど、彼女が苦しそうにしているのは変わらない。時間をかければ、それだけ彼女の命に関わる。
何もできないのかと歯噛みして、ただ戦いを見守ることしかできない自分を恨んだ。さっきの力を使えればと願ったが、先程の奇跡のような現象は起きてくれそうになかった。
「セアちゃん……。そうね、悔しいね。後、後何か、何か一手でもあれば……!」
いつのまにか繋がれた手は、トーロスさんの中で暖められていた。それで不安は少し和らいだ。どこまでも優しい、献身的な彼女の役に立てればと、彼らの戦いを凝視して観察する。
ただやはり何も分からない。戦士でないわたしでは、無駄なのかと落胆した。でも、とある違和感を覚えたんだ。
「……あっ」
「どうしたのセアちゃん?」
「いえ、その。疑念くらいなんですけど……」
自信無さげに言うとトーロスさんは、「気づいたことがあるなら」と優しく諭してくれた。それで決心がついた。
「あの鎧の人、結構な怪我を負ってますよ。それこそさっきのユークリウスさんと同じで、わりと致命的な怪我を。あっ、ほら。ふらつきました!」
同じ景色を共有しているトーロスさんも、わたしが言うと気づいてくれたみたいで、目を丸くした。
「どういうこと?」
不思議だと見つめられて、少し気恥ずかしくなる。でも発見したのはわたしだ。自分なりの根拠を添えて説明する。
「あの人の鎧、よく見ると腹部の辺りが大きくひび割れてるんです。あの破損具合なら中の肉体……多分骨まで痛んでると思います」
「だとしたら一体どこでそんな怪我を……? 最初はついてなかったわよね? えっと確か…………。あっ……」
トーロスさんは言葉を失ったように口元を抑えた。それでわたしのことを驚愕の目で見つめる。だから、うんと頷いた。
「そうです。わたしが殴りつけました。あんまりあれじゃ意味ないかなと思いましたけど。意外とダメージが入ってたみたいです」
そう、だから自信がなかった。あんな偶発的なことじゃあ、自分がやったことだったとしても、自信が持てない。
今だって思い違いをしていないか不安だが、その気づきをトーロスさんは喜んでくれた。
「そっか。そうなのね! ありがとう、教えてくれて!」
「いえ、お役に立てたのなら……よかったです」
嬉しそうに破顔したトーロスさんは、「そう、だから剣士長、大技振らなくなってきたのね……」と、自分の考えを整理するためなのか、独り言をぶつぶつと呟いていた。
断片的に聴こえて来るので、とても気になって尋ねてみた。
「それはどういうことですか?」
「うん? ああ。つまりは隙を伺っているんだと思う。相手の腹部の防御が緩んだところへ、大技を繰り出そうとしているみたい」
「なるほど」
「そう。だから後は隙が。一瞬でもいいから隙を作れれば……」
トーロスさんは眉間にしわを寄せると、くぐもった声で言った。分かっていながらそれをどうにかできる手段がないからだろう。あれだけ命中精度がいいのだ。彼女が射ればいいのでは? そう思うけれど、あそこにいるのは二人とも熟練の猛者だ。
仕方ないこととは言え、トーロスさんの腕前では、あの二人には遠く及ばない。下手に射っても、あしらわれて終わりだろうし、逆に利用されてしまうことだって考えられる。
だから隙を作る役目は、実力者が行わなければならないのだ。でもそんなことができる人、この場にいたかどうか……。
悩んでいるとわたしの肩に手が置かれた。
「……話は聞いた。その注意をそらす役は任せろ」
ポキポキと首の骨を鳴らして、一人の男が前に出た。その人は「クリエイト」と呟くと、わたし達の制止を振り切って駆け出した。
✳︎
「チィ…………」
振るった剣は弾き返される。仰け反って相手の反撃を許してしまう。少し腕を切り裂かれ、感覚が鈍ったが、安く済んだと思うべきだろう。
怯まずに再度突進をしかけ、相手に有利位置を取らせないように動く。相手は逆に今の一撃を喰らっても、怯まないことに驚いて、反応が少し遅れていた。
「ハッ!」
ガガッと二発剣戟を打ち込めば、相手には当たるものの、やはり腹部だけはしっかり守り通していた。
弱点は分かるのに、そこをつけないのは苦しい。あそこを攻撃できたのなら、まず間違いなく痛手をあたえられるというのに。
少し引いて戦いながら、再度打ち込む隙を狙う。もちろん相手に思考する余裕は与えたくないので、牽制の手は休めない。
鋼の音はもう十分聞いた。アスハの体力的にもそろそろ限界だろうし攻め込みたい。これ以上かすり傷の付け合いをしても意味はないだろう。そう考えて、意を決し必殺の構えをとる。
外せば厳しいが、いくら待っても揺さぶっても、隙を見せないので致し方ない。
力を込めると、銀色に光輝く剣から風の力を放出させた。そしてその風は、やがて自分の体を包み込んでいく。吹き荒ぶ風は、辺りのものを遠くへと飛ばす。
「ふぅ……」
相手はその隙に距離をとる。それに関しては必要経費だと割り切った。それに……その程度の間合いであれば、この剣からは逃れられない。
じりじりと足を動かして近づき、相手の反応を待つ。怯えて距離を取ろうと更に後ずさるならよし、硬直するならよし、飛び込んで攻撃してくるのでもまた良かった。
大きく分けて相手の選択肢は三つ思えるが、中でも一番助かるのは、後ずさってくれることだった。
攻撃の場合も確実に当てられるとは思うが、こちらも手傷を負うのは避けられない。
待つこと数秒、ついに待ち望んだ瞬間が来た。
だがどうしたことか、その行動は三つの選択の内のどれでもなかった。鎧の人物はその場で、袈裟斬りを放つと、後ろへ引いたのだ。
「!?」
何故何もない所に向けて、剣を振ったのかは分からないが、【後退した】ことは間違いない。これ以上離れられたら間合いの外に出てしまうし、行動して後隙を晒したのも間違いない。……色々と不安はあるが、やるしかない。
目を大きく見開いて、大きく踏み込み突進した。もちろんその速度は今までの比ではない。一直線に進むだけのものだが、これを避けれた者は未だかつて存在しなかった。
仕留める自信を持って突撃したが、驚くことにその先には剣があった。
詳しく言えば相手の体の前で剣だけが動いていた。剣を投げたり放ったのかと思ったが、そうでもない。相手はちゃんと大剣を握っている。
ではこれは何かと聞かれれば、それは間違いなく残像であった。剣の技法の一つに、斬撃を残す斬撃があるのは聞いたことがあった。その類かもしれない。
タネは分かったが、何にせよ、まずかった。
斬撃に当たるだけ当たり、こちらの攻撃は届かないだろう。
相手への距離が遠い。せっかくの一撃も無為に帰してしまう。顔をしかめたその時、剣が一本、鎧の人物に突き刺さった。
頭の防具と鎧の隙間の首筋にえぐりこまれたその剣は、致命傷にこそならないものの、妨害ー嫌がらせーとしての意味は十分だった。
どんな原理かは分からない。でも相手が残した斬撃は、その妨害で掻き消えた。
「行け! ユークリウス!」
どこからか声が聞こえた。それに促されるままに、当初の狙いどおり腹部へ向かって剣を振る。
「はぁぁぁぁああああ!!!!!!」
その後、張り詰めた空気が破裂するような、大きな破壊音が墓地に響き渡った。それはこの場にいる者全員に届き、戦いの終わりを知らせるようだった。
ふと誰かが、眩しさから空を見上げた。
するとそこには、雲一つない青空が広がっていた。
第87話 終了
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