銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

第45話 彼女がみた世界 〜空車編〜

公開日時: 2020年10月19日(月) 18:30
文字数:4,693


銀の歌



第45話



 空に浮かぶ箱へと足を踏み入れる。すると木材の上を歩くかのような、【トンタン】という小気味好い音がした。


「お、おお……」


 けれどそれでいて、地に足がついていない、不安定さがあるのだから、不思議だ。


「取り敢えず乗り込みましたけど、これでいいんですか?」


「ああ、良いぞ!シリウスも乗るから、もうちょっと奥に詰めてくれ」


 空車なるものの説明を受けて。乗り込む前はわくわくとドキドキで、胸がいっぱいだったのだが、いざ乗り込んでみるとーー。さぁぁぁと足下に涼やかな風が当たる。それがこの場所の不安定さを物語っているようで。


 それでもって、つい下を覗き込んでしまったのだから大変だ。あまりの高所に目眩がする。ドテっとその場にヘタリ込む。


「セア。大丈夫か?」


 シーちゃんと共にアルトさんが、なるはやで乗り込んできた。彼らが一歩進むごとに、空車は激しく揺れる。こんな振動落ちてしまうんじゃないか……。そんなことを思いついたら、もう耐えきれなかった。


「ちょちょちょちょ! まっ、待って!! 待って下さい!!」


 シーちゃんの身体が半分くらい入り込んだ所で停止した。


「ん? どうした」


 彼らは、いったいなんのことだと首を傾ける。その様子に内心怒りを感じて、心配していることを、喚くようにして伝える。


「あ、あの、あのですね!! 分かってるんですか!? ここがどこか!!!」


「えっ。いや、そら。分かる……けど?」


 なおも不思議そうな顔を浮かべる。だから言ってやった。


「いいえ! 分かっていません!! ここは……下に落ちたらすぐdieな場所ですよ!! 一歩でも踏み外してみて下さい。死にますよ、この高さ……」


 女の子座りをしているわたしは、鼻の先を指で素早くこすると、神妙な顔つきでゴクリと唾を飲みこんだ。


「いや、その体勢で格好つけるのは無理だろ。いいから、乗るぞ……」


 やれやれといった調子で、足を踏み入れてくるアルトさんとシーちゃん。彼らに静止するよう、呼びかけた。


「Hey! stop! so you are stupid!」


「うるせえなぁ。いいから詰めろ」


「oh!!! oh my god!!」


 それでも彼らは止まることなく、無情にも乗り込んできた。そんでもって乗り込んできたアルトさんに、頭をひっぱたかれた。


「いったぁぁい!」


✳︎


「うう。痛い。ジンジンする」


「そんな笑いを誘うような声で言われても、あんまり同情できないんだが……」


 それでもわたしがメソメソとべそをかきつづけていると、アルトさんがわたしの手を取って、半ば強引に立ち上がらせる。


「悪かったよ。まぁ怖いわなぁ。だけど耐えてくれ。少しの間だけだから。ほら手をしっかり握ってろ。何かあったら助けてやる」


 アルトさんは自分の手を差し出すと、わたしにしっかりと握らせた。


「これで平気だ」


 そう言った後に、逃げるように滝の方を見て、アルトさんはぶつぶつと呟いた。


「ああ〜これだったら翼獣や翼虫、怪鳥に乗った方がマシだったか……? いや、それじゃあシリウスが一緒に行けねえからなぁ。……ま、なんとかなるだろ」


 それだけ言うとアルトさんは、また不思議な言葉を並べ始めた。


「°°°°#°°%%°##<÷÷×」


 それはやはり言語にはならない言葉で、聞いていて、あまり気持ちのいいものではない。認識に齟齬が発生する感覚、といったら分かりやすいだろうか? 脳内がピリピリと痺れる。


『確認しました。それではこれより空車を移動させます』


 やたらと通気性のいい乗り物は、ガタンと音を立てて動き始めた。先程までは陸地に戻ろうと思えば戻れたのだが、動き出した今となってはもう遅い。陸地から完全に切り離され、ここはもう、空に浮かぶ小舟となった。緩やかな速度で滝の方へと近づいていく。


 地上から遠く離れたこの場所は、尿意をもよおすにはちょうどいいだろう。


「ア、アルトさん!」


「ん、どうした?」


 怖さを紛らわすようにアルトさんの名前を呼ぶ。特に用があった訳じゃないが、とても怖かったので、呼んでしまったのだ。アルトさんの腕を手繰り寄せ、ぴとりと自分の身体に這わせるように擦り付ける。


「どうした?」


「え、えと、その? ああーーー」


 「どうした」と問われ、頭の中が真っ白になる。ただでさえ恐怖心で頭が真っ白になっていると言うのに、不審がるようなそんな声を出されたら……。

 半ばパニクりながら、アルトさんに質問する。


「あっ、あの! その! あっ、そうです! どうして水路からじゃいけなかったんですか?」


 ガタガタと揺れる空車の中、さらにガクガクと足下を痙攣させて、アルトさんに尋ねる。


「ああ。そのことか。それについては、あれを見てもらえれば分かるかな?」


 アルトさんは下の方を顎でクイッと指し示す。そう、下の方を。


ーー見れるわけがない!!

 極力見ないようにしていた下方。このまま見ないようにしておきたかった周りの景色。でも尋ねてしまったので、仕方なく半目を開けながら、アルトさんの視線の先をなぞろうと頑張る。


「あっ、おい。そんな猫背で見るのは危ないぞ。俺の腕はいくらでも握ってていいから、もちっと胸を張れ」


 そんな無茶な。思ったが、もう逆らう気力もなく、言われるままに姿勢を変えていく。


ーーその瞬間。


 世界の風景が目の中に一気に飛び込んでくる。先ほど崖の上で、滝を見た時と同じ感じだ。サァッと景色が変わっていく。だがそれは物理的に変わったのじゃない、心の中で変わったのだ。


「あれー?」


 まるまるようにして、なるべく見ないようにして、それでも見えてしまっていた景色は、どこまでも恐ろしかった。だが開き直って堂々とした態度で見る景色は、先程と同じだというのに、何かが違う気がした。


 サアアァァと風が足下を撫でる。それはやはり全身をすくませたが、これも先程までとは何かが異なっている気がした。


「あれ?」


 恐怖心はある。もちろんたくさんある。だがどことなく、心がふわりと浮かぶような高揚感を感じていた。空車から見る世界は広く、大空は青々とどこまでも広がり、沢山の鳥たちが競うように自由に飛び回っていた。


「ああ。あれだ」


 アルトさんの言葉に促され、下を恐れることなく見てみると、やはり圧巻の光景だった。


 ドドドドドドドドと滝が音を鳴らし、水が渓谷に降り注ぎ、それが滝壺となり、大きな川となり、幾つにも細分化し小川となる。

 そしてそれぞれがそれぞれの、異なった世界を創り上げているのに気づいた。小川にはいかにもな草食動物が列を作って水を飲み、アルゴザリードの幼体が、生き生きと泳いでる。大きな川からは沢山の命の音が聞こえてくる。


 空を見れば鳥たちがいて、下を見れば陸上生物がいて、川を見れば魚がいて。アルトさんは「それ違くね」って言ってたけど、やっぱりわたしには、世界が繋がっているように見えた。


 そしてそれをここまで味わえたのは、きっと空車の上だったからだ。渓谷の全部を一息に見ることができる場所だからこその結論だ。

 滝と山とを間に挟んだ渓谷が織りなす、生態系の全部が観れたのだ。感慨深い。いいや、それだけでは収まらない程、充足感を得ていた。


 まるで一枚の絵画を切り取ったのかのよう。


「おい、いい加減あれ見ろって」


 いつのまにか恐怖も忘れ、吹き抜けから顔を出して、世界を覗き込んでいた。そんなわたしに呆れたのだろう。声が届いてくる。


「あっ。すみません」


 シュンとなってアルトさんを上目遣いで見つめる。こう、子犬のように。


「いや、まぁいいけどさ」


 吹き抜けの手すりにつかまっているのを見ると、アルトさんはしゃあないなといった感じで、どこか優しく笑っていた。そして彼は【自由になった手で】、もう一度下の方、滝壺近くの大きな川を指差す。


「ほら、あれだあれ」


 アルトさんの指先をなぞり、下方ー滝壺付近ーを見ると、そこには大きな何かがいた。


「プッシャアアァアア!!!!」


 はるか上空を行く、この空車にも届くほどの獣の叫び声が、辺り一帯に響く。あれは……。


「あれはこの辺り一帯の川の主。グルーガ・ハリフ。アルゴザリードの成体を一口で食い殺す化け物だ」


 長い首の先にある頭、さらにそこから伸びる大きな口。口を閉じているというのに、収まりきらないのか、大きな牙が数本口の外に出ている。

 身体の大半が水の中にあるため、詳しいところは分からないが、全長はおおよそ4〜5mといったところだろう。


「なるほど……あれはきついですね」


「うん。まぁ別に倒せんこともないが、流石に骨が折れる……既に折れてるけどな」


 やかましいわ! ……倒せんのかい!

 心の中でツッコミを入れつつ、アルトさんが空路を選んだ理由に、一様納得する。


「あれ、アルトさん。じゃあ陸路はどうして選ばなかったんですか?」


「まず陸路がない」


「なるほど」


 ぴしゃりと叩きつけるようなアルトさんの言葉に、疑問はたやすく崩れ去った。


「それに、ここらは紋様獣のレギオン達が闊歩してるしな。あいつらはアルゴザリードやアージロンといった、陸の生態系の上位にいるやつらを、捕食対象としている化け物だ」


 また食われてる! アルゴザリード!


「はぁ。まあじゃあわたし達は、この道? 道を選ぶしかなかったってことなんですね。安全面という意味で」


 じっとりとした目で、アルトさんを怪訝に見つめる。しかしそんな態度を気にもしないようで、シーちゃんの手綱をクルクルと手すりの部分に巻きつけて、アルトさんは言う。


「まぁそれもあるけど……一番は」


 アルトさんが喋っている最中に、車内がガタンと揺れた。


「へ?」


 視界が傾いて行く。心なしかだんだんと身体が浮遊するような感覚も覚える。不安に思い、何事かと辺りを見渡してみて気づいた。空車は60度ほど傾いている。


「え?」


 勢いよく降り始めた。ガラガラガラガラ、そんな音が鳴り始める。


「えっ!? えっ!? えっ!?」


 困惑した次の瞬間。疑う余地がないくらいの大きさで、ガラガラガラガラガラガラ!!!!! と大きな音が鳴り始めた。


 最早気のせいじゃなく、身体は事実、重力に逆らい中に浮いている。しかもそんな状態なんて御構い無しに、空車は下へ下へと降り、時折進路を変えたりもして勢いを上げていく。


「ぎゃああああああああ!!!!」


 涙声で叫んでいると、アルトさんは組めない腕で腕を組み、したり顔でこんなことを言う。


「この通り。速いからだな……!」


 空に浮いているというのに、アルトさんはしっかりと空車内に足をつけ、楽しそうな笑みを浮かべている。


「うおおおおおおい!!」


 待って待って待って!!


 現実にも心の中でも叫び声を上げる。足場が不安定で、風通りの良い空車は、そんじょそこらの絶叫アトラクションに勝るとも劣らない。ーーいや、絶対劣らないわ。安全面を考慮していない、ジェットコースターとでも言えば、わたしの恐怖が少しは伝わるだろうか。


 空中で足をバタバタとばたつかせながら、なんとか手すりつかまろうと頑張る。というかここで頑張らなければ、即Deadだ。


「あっ!!」


 しかしその頑張りは、時速何キロかも分からない恐怖の絶叫マシーンの前には無力で、ついにわたしの身体は、完全に空車の外へと放り出された。


ーー死んだな。覚悟したその時、ガシッと腕を掴まれた。


「助けるっつったろ?」


 またもしたり顔で言うアルトさん。命がけでわたしの手を掴むその姿は、まるでどこかの童話の王子様みたいで、とっても格好良く素敵なものだった。それをみて叫ぶのだ。


「…………何の事前情報も渡さないで何言ってんだ! それに慌てふためく姿をみて、ニヤニヤ笑う。助けるのは、助けるのは……! 当たり前だろうが!! 人間としての感性を持て!」


 一喝した。


第45話 終了

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート