小枝や落ち葉を踏んで歩くこと数十分、入り組んだ獣道を通り抜け、やっとこさ開けた場所に辿り着いた。
「着きましたね……着きましたね……」
はぁはぁと息を荒げて言う。
時刻は早朝。湖でのあの騒動をなんとかやり過ごして、わたし達は対岸へと渡ることに成功していた。湖を渡った後しばらく歩いた所で、夜も更けてきたので、一休みした。
そうして朝を迎え、再び歩き出し、ようやくここまでたどり着いたのだ。
「大分体力ついて来たな。お前」
シーちゃんの手綱を緩く持ったアルトさんが、後ろからやってくる。デジャブだ。こんなこと前にもあった気がする。いや、あったのだろう。だからアルトさんは、以前と比較した言い方をするのだ。
「こんな生活してたら、嫌でも体力はついてきますよ。旅人過酷過ぎないですか?」
「そう言うな」
苦笑しながら受け答えするアルトさんは、わたしと比べ、随分余裕があるように見える。流石に経験の差か……。アルトさんの横で歩くことは、まだまだできない。
心の中の葛藤が表に出ていたのかもしれない。アルトさんが声をかけてくれた。
「そんなに落ち込むな。本当にお前は成長したと思うぞ。獣人の里に着くのは、もっと時間がかかると思ったんだけどな。予想よりもずっと早い」
あくまでも理知的に客観的な評価をしてくれる。あんまりにも冷静に励ましてくれるので、反論の余地もなく、自責の念が軽くなってしまう。
こういう風に励ますから、わたしが増長するというのに……。
アルトさんの気遣いに触れて、小さな声で「ぁりがとぅ……ござぃます」と感謝して、照れ臭さから、アルトさんから顔をそらす。そして辺りを見渡した。
「ここが獣人の里なんですね」
「ああ、その通りだ」
伸びをしながら受け答えするアルトさん。
「さっ、まずは少しここを見て回ろう」
そう言うアルトさんだが、数歩いった所で立ち止まり振り返ると、「忘れてた」そう呟いた。そしてわたしに何か、毛皮のついた外套のようなものを手渡した。
「これは?」
「取り敢えずそれは着といてくれ。彼らに対する最低限の礼儀だ。必要になる」
アルトさんは必要最低限の説明だけして、手渡した物と同じ物を、手本を示すように着てみせた。
手渡された外套をじっくりと見て、鼻を近づけ匂いを嗅いでみる。
「獣の匂い……?」
不思議に思いながらも、アルトさんに言われた通り、外套を羽織った。
✳︎
「わーい! 泥団子を喰らえ!」
「やめろよー。砂場の泥の中に含まれると考えられている、クロストリジウム・ディフィシルは下痢や腹痛を引き起こすんだぞー!」
獣人の子ども達が、和気あいあいとじゃれ合っているのを、眺めながら歩いて行く。
服なんかろくに着ていない子ども達は、泥だらけになって笑いあっている。現代の子ども達が忘れてしまった、子ども達の理想の姿がそこにはあった。
「なんだか、素敵なところですね! アルトさん」
「個人的には、やたら理知的なガキがいて気にいらねぇなぁー」
アルトさんはどうして素直になれないんだろう? そんなことも思うが、まぁ今更だ。生来の物に見えるから、言ってみたって、今日明日で変わりはしないだろう。なので気にしないで話を続けることにした。
「それにしても本当に、お洋服着ていないんですね〜。事前にアルトさんから聞かされてはいましたが……恥ずかしくないんですかね?」
侮蔑的な意味で言ったと誤解されないように、なるべく音階を高くし、おおげさに尋ねた。
「そこまで気ー使うこたぁねえよ。あいつらだって、人とは違う生活をしてるって感じてるし、文明の水準に差があるのも、知ってるだろ」
意図が伝わった──必要以上に伝わったのだろう。人の機微に敏感なアルトさん。わたしの疑問に答えるよりもまず、わたしの感情を優先してくれたみたいで、「大丈夫だよ」と笑ってくれた。
「んでだ。質問に答えるけど……。あいつらは人間に近い姿をしているが、価値観は獣に近い。服がなくて恥ずかしいって感情は乏しいと思うぞ。だからこっちも凝視とかせず、普通に接すればいいんだよ」
里の雅な風景を見て回りながら、アルトさんは言う。いつも通りの補足も忘れずに。
「ただまぁ、何事にも例外はある。例えば人間の街で暮らす獣人なんかは、周りの影響を受けて、羞恥心を覚える。それで大抵は、服を着るようになったりする。
要するに環境だよな。周りの環境がその時その時どうかで、価値観なんて変わってくる。ここでは大人も子どもも、ほとんどの人が服を着ていない」
頷きながら、自分にも納得させるように話して行く。その内わたしへの説明と言うよりは、現状把握といった意味に変わっている気がした。
「皆同じだから、【恥ずかしい】。そんな思いは生まれないんだ。……分かったか?」
思い出しようにこちらを流し目で見る。
「はい。分かりました! 大丈夫ですよ!」
不安は解消されましたと親指を立てる。
「よろしい。んじゃ俺は馬小屋に行って、シリウス預けてくっから。お前は適当にこの辺で待ってろ。馬小屋行き終わったら、長のとこ行くからそのつもりで」
長? 頭にはてなを浮かべながら、気怠げに手をひらひら振って、その場を去って行くアルトさんを見送った。
多分一番偉い人のことかな? そんな風に考えて一様納得するが。小さな不満は溜まる。アルトさんっていっつも一言足りない。自分が意味を分かってるからって、言葉足らず……。
何かアルトさんの行動に違和感を感じながらも、なるべく気にしないように努めた。そしてまた置き去りにされた事に気がついた。手持ち無沙汰だ。
暇だなと考えて辺りを見渡す。周りには先ほども確認した通り、獣人の子ども達が楽しそうにはしゃいでいる。
また家々の造りは、人間の文明より、やはり水準が低く見えた。木や固そうな葉、あるいは土を固めて、壁や天井とした、そんな物がほとんどだ。住人達の手作り感が垣間見える。
風情がある? いや……少し違う気がする。けど、なんだかこういうのも良い。人の住む街よりも、よっぽど自然と調和してるから。
獣人達の暮らしを覗き見しているようで、歪な恥ずかしがあるが、同時に親しみも覚えて、なんだか嬉しくなった。他人が他人じゃなくなったような。そんな感覚だ。
それから家々について、もう少し詳しく説明すれば、どこの家の前にも魚が吊るされていた。どうやら干物を作っているらしかった。……ただ魚が吊るされる間隔は結構広めだ。これにも何か意味があるのだろうか?
アルトさんがこれを見たらきっと、『へぇ。なるほど。そういうことか』意味深に呟きそうだなと思った。
考えてぷふっと吹き出す。そして家々から目を移し、辺りを見渡すと、あることに気がついた。
それは……子どもはいるけど、大人の姿が見えないということだ。大人の男性、女性、どちらもいない。目につくのは子どもばかり。
大人はみんな家の中で何かやってるのかな。それか会議とか?
色々と考えては見るけど、全て憶測に過ぎない。慣れないことはするものじゃない。そんなことを考えるよりも、情報を実際に見聞きした方が、わたしには向いているなと思った。
だからさらに里の奥の方へと入って行った。
✳︎
しばらく歩くと広間のような場所に出た。ヤチェの村でアルトさんに言っていた。『どの村にも集会できる、広間のような場所がある』とは本当だったみたいだ。
ここは村ではなく里らしいが……いまいち違いが分からない自分にとっては、同じようなものだ。
ただヤチェの村で見た広間と比べてみると、少し違う箇所がある。それは木でできた椅子や机があることだ。何組かがポツリポツリと規則性なく並べられている。
そしてそこに一人だけ、誰かが座っていた。
誰だろうか? しかしあの背の高さを見るに大人、それもがたいがいいから、男性かもしれないと思った。
獣人の里に辿り着いて、始めて見つけた大人を前に、感情が昂ってきた。だからわたしは後先を考えることもせずに、その人物に駆け寄った。
「こーんーにーちーは!!」
明るく声をかける。
近づいて分かったことだが、この人物……地毛ではなく、わたし達と同じように、毛皮でできた外套をかぶっている。それも頭巾が付いたやつだ。頭巾を深くかぶっているため、素顔がよく見えない。
どうやら今この人は、動物の皮を薄く加工したものに、何かを書いているようなのだが。ペンを持つその手は痩せこけていて、老いた人の手のように見えた。
しかし背筋がびしっとしていることから、老人ではないように思えるが……。
と、ここでようやく口を開いてくれた。
「あぁ。貴女も同じようによそ者だな」
自分のことを親指で指すと、その人物はそう言った。想像した通り男性の声だった。しかし軽快な口調でありながら、ダミが入った声音は想像とは異なった。
なんだかちぐはぐだ。こう……イメージと違う? 喋りと声音にギャップがある? 奇妙な感覚で上手いこと言葉にできないが。ようするにアニメ化した時、キャラの印象と声が違ったとかそんな感じだ。
内心でズコーとする。もちろん表情には出さないが。
その人物はいつまでも座らないわたしのことを気にかけたのか。「立っていてもなんだろう。座りなさい」優しく語りかけてきた。
命令的でありながら、不思議と嫌な感じはしなくて、なんでだろう? そう思いながらも気づけば言う通り座っていた。アルトさんが言っていたのなら、わたしは間違いなく素直に言うことを聞いていないだろうに。彼の雰囲気は独特だった。妙な迫力、威厳があった。
「こんにちは。それで……どうしたの? 旅人さん。何か当方に用事でもあったのかな?」
ペンを持つその手を止めると、彼はわたしに目線を合わせた。仄暗い頭巾の隙間から見える、その眼光には何か決意のような物が宿っていて、自分に話しかけたからには、何か大切な用件があるのだろう? そんな風に言っているように思えた。
しかしわたしにはそんな大層な考えはない。手持ち無沙汰だったから暇を潰したくて、それと誰かと会話したかったから、話しかけただけ。用事なんて何もない。せいぜいがおままごとでもしませんか? である。……ごめん、言い過ぎた。そこまでじゃない。
でもそんな風に言われると、やっぱりそれに見合うだけの用事はないから。とっても困ってしまう。しかし何か言わないことには、話が進みそうもない。
わたしはなんとか考えぬき、そうして一つ聞きたいことがあるのを思い出した。
「あーーーあのですね。手紙の書き方を教えて欲しいんです。お返事を書きたくて!」
「──!?」
その言葉を聞くと、目の前の人物は驚いていた。それから「はは」と控えめに笑っていた。予想外だったのだろう。
「いや。すまない。そんな用件で話しかけてくるとは……。なんだ噂を聞いた来た訳ではなかったのか。思い上がった」
明るい口調で受け答えする彼は、なんだかとっても人が良さそうで。悪いことをしたなと罪悪感を覚えた。
「ええと、手紙の書き方ね。もちろんいいよ。教えよう」
唐突な無茶振りにも、笑顔で対応してくれるこの人物は、名乗ることもせず、動物の皮を加工したものをくれた。
「それじゃあ。教えてあげるから。一緒に書いていこうか」
ペンと黒い液体の入ったものを、わたしの手の届きやすいところまで押し出してくる。なんでそこまで優しく教えてくれるのか、不思議に思って尋ねた。
「なんであなたはそこまでしてくれるんですか?」
自分では当たり前の問いかけだと思っていたのだが、彼にとっては違ったらしい。またも彼は「はは」と控えめに笑った。
「いや。すまない。噂を聞きつけて来たんじゃないからね、貴女は」
謎の人物は一つ間を置くと、ゆっくり静かに呟いた。
「困っている人がいたら、誰だって何だって、自分の信念の元に照らし合わせ……助ける。
当方はヒーロー。困った時は呼んでくれ。『助けてヒーローと』」
自分のことをヒーローと名乗る、謎の人物と縁を結んだ瞬間だった。
““““““““““““““““““““““““““““““““““““““““““““““““““
シグリアへ。
あなたのせいで死にかけました。訴訟。
後誤字があります。死んで下さい。
素敵すぎるセアちゃんより。
””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
銀糸鳥(ぎんしちょう)を送ります。送信しました。
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