銀の歌
幕間
眼下には街並が広がる。小高い丘の上。そこに椅子を用意し彼は一人座っていた。すぐ目の前にはキャンバス。膝元には色々な色が乗せられたパレットと絵筆。
それから少し離れた後方の木陰で、足を折って四つん這いの姿勢で涼んでいる。
「ハァ。あいつと話してると本当に疲れるな」
彼は一人呟く。橙の髪をびんびんと引っ張り心底うんざりしたように。
「えっ? なんだって。んなこたぁ言うなよ。仕方ないだろ。人付き合いなんて苦手なんだ」
呆れたような顔をキャンバスに向け、肩をすぼめる。その態度からは、人を舐め腐っているのが感じ取れた。
「なに? ふざけてるのかって……そういう訳じゃないが。悪いな……。どうもまた形が崩れているのかもしれない」
独り言のように呟く青年は、パレットに乗せられた色を筆につけキャンバスに向かう。
サラサラと縦横無尽に筆はキャンバスの上を動く。
「なぁ……お前はどう感じた? この先、やっていけそうか? あいつと一緒にいたら、厄介ごとなんていくらでもふりかかってくるぞ」
橙の髪の青年は、驚いたような顔を浮かべさらに続ける。
「なんで分かるか? んなもん勘だよ……勘。
いや、まぁ真面目な話。あいつにはーーセアには謎が多すぎる。この先どんな災厄に巻き込まれても、文句が言えないくらいには、あの女は未知数だ」
視線を落とすと、考え込んでむむっと唸る。やがて彼はかぶりを振ると、絵筆を縦に持ち、眼下の街並みに突きつけた。次に描く場所を迷っているのだろう。
「まぁ、考えても仕方ないか」
自嘲するように薄く笑うと、絵筆に色をつけサラサラとキャンバスに絵を描く。考えても仕方ない、それはいったい何に対しての言葉なのか。「本当にアル君ったらよく分からないんだ」ついつい言葉が漏れ出たようだ。ついでに樹上でガサリと音を立てて。
ーーしまった。
そう思った時には、すでに遅かっただろう。案の定、橙の髪の青年ーーアルトは後ろを振り向き、驚いた様子も見せずに口を開いた。
「ああ、本当にな。俺もお前のことが分からないよ。分かりたくもないが……」
絵筆とキャンバスを足元に置き、うんざりした様子で、大げさに肩をすぼめた。
「どうしてここにいるギーイ?」
その後に発せられた言葉は、冷たさと非常にトゲのある、氷柱のような拒絶の言葉だった。
木から飛び降りて、アルトから見ても、見え見えではあるだろうが、それでも言い訳を話す。
「いやぁ、そういえば伝えたいことがあってね!」
アルトはため息をつき、話を促すように返答する。
「なんだ……?」
「うん。私はしばらく、アル君の求めに応えられなくなっちゃう。君の都合のいい女でいたいんだけど、大きな仕事が入っちゃってね」
はだけた胸に手を当てて、ぺろっと舌を出す。その仕草は扇情的だ。
「ハァ……今回が非常事態だっただけだ。誰がお前なんかに助けを求めるか」
えへへ。甘い猫撫で声を出しながら、手を頬に当てる。その後にっと卑しい笑みを浮かべて。
「分かってるよ! すぐに仕事を終わらせて、いつでもアル君の求めに答えるから」
「こいつ話通じねえな」そう言うと、アルトは背を向け、キャンバスに目を移した。ついに我慢の限界を迎えたのだ。
「ぶーーー!アル君が無視する!」
「だって面倒臭いし」こちらに背を向けたまま話を続けるアルト。ーーしかし。
「そんなんじゃぁ、とっておきの情報渡してあげられないんだぁ!」
背中を向けられてても、何とは無しに理解できる。今アルトは確実に顔をしかめた。
「とっておき……?」
ニタニタした笑顔で答える。
「うん♪」
アルトがこちらをまたも振り向き、静かに語りかける。
「言え……」
「ヤダ!」
一瞬の緊張。それと静寂。
「はぁ……だったらいい。とっとと失せろ」
手をシッシと振りながら言う。
「ええーーー!!! ヤダ! ヤダ! それもヤダ! せっかく忙しい間を縫って、アル君をおちょくりに来たのに!」
「子どもか!!」
その言葉を待っていた! 言わんばかりに。
「いつだって若い心と、魅惑のプロポーションを兼ね備えた大人だよぅ」
「へー、そっかぁ」
アルトはもうこちらを見もしない。アホな時間を使ったと思っているのだろう。そうしてまた、どこぞの風景の絵を描き始めた。
「忙しいんで帰ってくれる?」
気だるげに言うアルト。しかしその声に対して、反応は何も帰ってこない。
スンスンとすすり泣く声が聞こえ始める。しばらく経っても、すすりなく音がやまないのが分かると、アルトはこちらを振り向き、怒鳴り声をあげた。
「だーーー! もぅ! るっせ」
バキッ!! カラン
振り向くのを待っていたのだ。アルトは袖を掴まれ、座っていた椅子を足で蹴り飛ばされた。そしてバタンと大きな擬音を残し、その場に倒される。
「ぐぅお!」
上空を見据えるアルトは、どうやら軽い脳震盪(のうしんとう)を起こしているようだ。
「っててぇ〜」
アルトがすぐには立ち上がれないのを見ると、大の字に倒れ伏した彼にまたがって近寄り、耳元で囁く。
「アル君は私の……ステキなギーイちゃんのものなんだから、逆らっちゃダメでしょ」
魅惑なささやき。けれど。
「はぁ……るっさい」
アルトは一蹴する。見れば額に青筋が入っている。これ以上おちょくれば、彼は本当にぶちぎれるだろう。ここらが限界だろう。そっと囁く。
「北の森の中の洞窟。そこにアル君の探してるものがあるよ」
「!?」
アルトは今までの気だるげな雰囲気を取っ払い、目を開く。そして彼の行動を阻害していた足をどけ、背を向けると歩き出す。
アルトは上半身を起こして話しかけようとする。
「あっ、おいギー! あいて」
身体を起こす時に、キャンバスの木材の部分に思いっきり頭をぶつけた。それを見てあははと笑い、優雅に立ち去っていく。別れ言葉も忘れずに。
「あは、あははは! また今度♪ 素敵なギーイちゃんでしたぁ!」
不気味に笑う。その不敵な笑みの余韻をアルトに残したまま立ち去っていった。
アルトが最後にこちらの方へ向けたのは、疑いと侮蔑の目だった。
幕間 終了
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