銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

幕間 夜にうつろう②

公開日時: 2021年7月12日(月) 18:30
文字数:4,423


 今回二人が教会に来たのは、アクストゥルコが言った通り、服をもらうためなのだが、これがどういうことを指すのか、説明するのは簡単ではない。


 それでもその経緯と意味を、できるだけくだいて言えば、前者の方はお礼と、以前【少し】怖い顔をしてしまった罪悪感から来ている。そして後者の方は、そのまま言うと、訳が分からないのだが。言った通りの意味で、教会が統一の衣装だとしている女性用の衣服──修道女の服を貰いに行くということだ。


 現実問題、修道女の服が「くれ」と言ったら簡単に貰えるものかと言えば、そういう訳ではない。むしろ入手難易度は高め……というか特殊だ。


 なぜかと言えば、修道服とは敬虔な信徒の証であり、教会に属する者だけが頂けるものなのだ。欲しいと言ったからって、一般人が貰えるものではない。

 当然市場にも流通はしていないし、手に入れる手段は、ごく限られた方法しかなかった。事実上、非売品であるそれを入手するのは無理だからと、代わりに櫛を渡して、一度は断ってみたが駄目だった。アクストゥルコはあくまでも修道服にこだわった。


 それで、怖い顔をした罪悪感もあったので、ついにアルトは諦めて、修道服を手に入れる算段を立てようとしたのだが……。当然、良い方は思い浮かばなくて、アルトは最終的にこういう結論を出したのだ。


「…………という訳で、教会に入りたいらしくて」


 もういっそのこと、アクストゥルコを教会に入れちゃえばいいんじゃない? という事である。


✳︎


 教会の仕組みには不透明な部分が多い。しかしアルトでも知っている、修道士になるための条件がある。それこそがオーマ大陸にあるという教会の総本山、そこでの修練である。


 各教会で入信の手続きを終えた者達は神殿へと赴き、そこで数年間修練を行なった後、正式に信徒とされる決まりがあるのだが、その神殿へと赴くタイミングは各自の判断に委ねられている。なので取り敢えず入信して、修道服をいただいておけばいいという目論見である。


 まだ共に行動をして、カリナの対策をアクストゥルコの協力のもと行う必要はあるが、その後の彼女の人生にまで深入りする気は無い。実際に行くも行かないもアクストゥルコ次第だ。


 そんな無責任で悪しき考えをしているから、それが露見しないよう、アルトは今いい笑顔を作っていた。

 その見せかけだけの笑顔にほだされるのかは、目の前にいる修道女の、人柄にかかっている。


「あらあら、それは嬉しいけれど。でもこんな夜遅い時間に?」


 不審に思われたらしい。こんな時間に来たのでは、そう言われるのも当然だ。けれどここで引き下がるのは、アクストゥルコの都合上出来ない。まだ彼女の変異の仕組みは理解できていない部分が多いが……。少なくとも月が関係していることは、これまでの会話から分かっていた。

 なので『また明日の朝、おいでなさい』なんて言われるのが一番まずい。


「そのことは彼女に代わり謝罪します」


 お辞儀をして謝意を示す。でもそれだけで、非常識な時間の訪問が許される訳ではない。修道女も、何やら否定の言葉を考えているみたいだった。

 アルトはその気配を感じ取って、おじぎをしながらに、次の手を考えた。しかし妙案は浮かばなくて。


 しかし……だ。手をこまねていた時、なんと修道女が助け舟を出したのだ。


「あら、もしかして貴女……」


 頭上で低い声がした。何かに気づいたような声音。今更何に気づいたのだろう? アルトの頭には一瞬疑問が浮かんだが、今の状況を客観的に見たら、分かることがあった。


 今までも姿は見えていたが、アクストゥルコはローブを纏っているため、その素顔は判別しづらくなっている。そして背の高いアルトが前に立って邪魔をしていたので、修道女はアクストゥルコの顔を、なんだかんだ見ていなかったのだ。

 しかしアルトが頭を下げた事で、見通しがよくなったらしい。修道女はアクストゥルコの顔を、今、しっかりと見ていたのだ。


 そのことに気が付いたアルトは、冷や汗をかきつつ頭を素早く上げると、またアクストゥルコを自分の背後に隠すようにした。しかし、何をしても見られたという事実は変わらない。

 その証拠に修道女はうんうんと頷いて、何か納得していた。──そして次の瞬間だ。修道女から意外な言葉が飛び出たのは。


「もしかして、アクストゥルコちゃん?」


「……!」


 まだアクストゥルコは名乗っていない。けれど彼女の名前を、正確に言い当てた修道女に、アルトは危機感を感じた。


 この街でも獣人や亜人の差別は行われていないから、そこは気にしなくていいが。アクストゥルコには殺人鬼としての側面もあるため、いかに容姿が変わっていようと、隠せるものなら隠しておきたかった……というのがアルトの思考。

 そこには万が一、アクストゥルコの顔を知っていて、見分けられる人物。つまり被害者がいたらまずいという思いがあったのだ。


 ダングリオの街からだいぶ離れているので、杞憂だとは思っていたが、初対面と思わしき修道女が、いきなり名前を言い当てたのだ。──緊張が走る。


 アルトは腰に備え付けてある短剣に手をかけていた。そしてそれを引き抜こうとした時、その手が、背後の人物によって咎められた。


「お前!!」


 驚いたのも束の間、あろうことか、フードも外してしまった。


「ごんに゛ちは。お゛ばざん」


 獣の顔と身体で、ぎこちなく言う。せっかく隠していたというのに、これまでの努力が無駄になった瞬間だった。

 アルトはその行動に呆れてしまった。殺人鬼としての過去を持っているという自覚をもっと持って欲しかった。


 ただ、アクストゥルコがフードを外して、素顔を晒しても……。修道女は怖がる所か、懐かしむような顔つきで、にっこりとした笑みを浮かべた。

 そこには何か絆らしきものが見えた。


 謎が謎を呼ぶこの状況。一人訳の分からないアルトは混乱していた。何かあった時のために、見せかけでは臨戦体制をとったままだが、自分ではもう対処ができない。心の中では既に白旗を振っていた。


 だから修道女の言葉に、さらに意表を突かれた。


「あらあら、やっぱりアクストゥルコちゃんじゃない。もう怪我は治ったの? 大丈夫だった?」


「はい゛。お゛かげで」


「あら〜それは良かったわ」


 和やかに会話を進める二人に呆気を取られた。口がパクパクと動く。


「……失礼ですが、お二人は、その……。お知り合いだったので?」


 非日常から日常へと変わり、アルトはすっかり商人としての体裁も忘れて、日頃セアやヘテルに接するような態度になっていた。意識せずとも敬語を使っているのが、唯一の救いだった。


「ええ。実は私、この教会でお世話になる前は、他の教会で働いていたの。ここから遠いから分かるかしら……」


「だいたいは分かると思いますよ。私は行商人ですから」


 行商人と自分で言って、自分でそうだったと気づく姿は滑稽以外の何ものでもない。予想外の展開につくづく弱いなと、アルトは自分を卑下する。そんな彼の心情は知られることもなく、修道女は呑気な顔で、今度は笑みを保ったまま頬に手を置いた。


「そうなの? そしたら分かるかしら……。私、前はパルス国のダングリオって場所で働いていたのだけど……。母親が大分歳になって、急病を患ってしまって。だから母がいるこの街まで異動になったの」


 それを聞いて、即座にダングリオでのことを思い出す。

 カリナのことを知るために、最近はずっと、その辺りの日記を読んでいたから、すぐに気付くことが出来た。


 こいつ前任の奴だ、と。


 殺人鬼アクストゥルコが教会にいると判断するきっかけとなった、前任の人物の唐突な異動の話。その時は殺人鬼に殺られたとばかり思い込んでいたが、どうやらそういう訳ではなかったみたいだ。なんとも人騒がせな話である。


 結局死んでなかったんかい。アルトは心の中で叫んだ。


「なるほど。ですがまだ話の本筋が見えません。どういった出会いで」


 あの時の苦労を思い出しながら、若干キレ気味に尋ねると、「あらあら私ったら」という、お茶目な回答が返ってくる。


 アルトは自分の杞憂のせいとは分かりつつも、こちらの焦った心情と噛み合わない態度に、若干殺意が湧いていた。だけど、そんなことはもちろん表に出さないよと、表面状は愛想良く振る舞った。


「話を戻すわ。それで異動することにしたんだけど、教会っていうのは色々と大変なの。人数がとっても少ないのよ。このことを言うのは、身内の恥を晒すみたいで恥ずかしいけど」


「いえ、それは誰もが感じる所です。卑下なさる必要はないかと」


 アルトは適当に棒読みで返した。すると「優しいわね」と全く見当違いのことを言われてしまったから、そこでようやく気づいた。


 こいつセアと同じだわ。

 道理で腹が立つ訳だと一人納得して頷いた。


「続けるわ。代わりの人が来るまで時間がかかるから、そう簡単に行けるものじゃない。でも代わりの人が来るのを待っていたら、母の病に間に合わないかもしれない。そんな時に私を助けてくれたのが、アクストゥルコちゃんなの」


「はぁ」


 なぜ、そこで殺人鬼アクストゥルコが出てくるのか分からないアルト。ついその想いが言動に漏れ出てしまい、やっちゃったという思いから、慌てて口を塞ぐ。

 いくらこの修道女が自分と相性が悪いからと言っても、露骨な態度は、商人を名乗っている以上は、避けなければならない。どこでどう評判に傷がつくか分からないからだ。


 けれどそんな些細な事を、気にも留めないから相性が悪い訳で……。話はどんどん続いていく。


「アクストゥルコちゃんはね。教会の近くで血塗れで倒れていたの」


「えへへ」


 もうその時点で何かおかしい。というかお前もお前だよ、何照れてんだよ。アルトは心の中で突っ込んだ。


「それで慌てて介抱して、教会の中で休ませてあげたの。そしたらこの子、『恩返しがしたいから働かせてくれ』なんて言うのよ。私、驚いちゃった。しかもお金も何もいらないって。無償で働くって言って聞かなかったの」


 そりゃそいつが隠れ家を探してたからな!

 アルトは心の中で突っ込んだ。


 しかしアクストゥルコとの今までのやり取りを思い出すと、どうもそんな悪どい目的でやっている気がしなかったので……。心の中に、もやもやとした想いを募らせながら、続く言葉を待った。


「アクストゥルコちゃんは私と一緒に働いてくれて。そして私が自分の事情を伝えたら、『それまでの間は自分に任せてくれ』って言うの。この子と一緒に居たのは、ほんの少しだったけど、そのほんの少しの期間で、人柄がよく分かったから、任せちゃった」


 馬鹿かな? アルトは心の中で突っ込む。


 数日一緒に過ごしただけで、見ず知らずの他人を信用するのは、お人好しを通り越して馬鹿だ。口にはしないが。


 口を揃えて「懐かしいね」なんて言う姿を見ていたら、自分が何を警戒していたのか、分からなくなって。何もかも途端に馬鹿らしくなった。


 あれ、前もこんなことを思ったぞ? 思い出話に花を咲かす二人を見ながら、アルトは首を傾げていた。

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