大地を蹴る音が鳴るよりも早く、ユークリウスの突きはアルトに迫っていた。
それはあまりにも速すぎて。凡庸な言葉では、表しきれなかった。
「クリエイト。視覚強化」
アルトは魔法を唱える。これでかろうじて見える筈だからと。そして考える。見えたならさっきと同じ。なんとか防いで不意打ち。その繰り返しと。
これらは甘い打算だ。しかしそう思い、頼りにする他なかった。
突きとは、長物の武器で行うのが普通だ。剣で行うのも可能だが、剣の利便性とは万能性に他ならない。だから剣をレイピアのように、それも上段で構えるのは、自ら万能性を捨てた弱い構えと言えるのだ。剣を縦に持ってしまえば、そこから出来るのは突き一択。
しかしユークリウスは、最速の攻撃を行うために、動作が少なくていい構えを取って攻撃する。その速さは、あり得なかった。
アルトに迫るのは、ほぼ同時に放たれた10連撃。
これを全て避けるのは無理。見えた時点でアルトは、そう判断した。そして、だからこそ、あえて一つ目をくらいに行くしかないと決断した。
受け身を取る用意だけして、胸中へと向かう、一つ目の突きに剣を合わせる。
短いような長いような、いいやほんの一瞬の間に行われた一つ目の突きが、ついにアルトに突き刺さる。
その一撃は、受けに回ったアルトの剣を軽々と壊し、胸部へと刺さり、胸骨も砕いていく。突きと呼ぶには破壊力がありすぎるものだった。それに彼は、攻撃に合わせて後方へ飛ぶ用意もしていたので。
「ウッおおおお!!」
骨や剣が砕ける音と共に、アルトの身体は回転しながら吹き飛んでいく。
最初何が起きたか分からなかったが、事態を理解できるようになると、なんとか空中で踏ん張り、姿勢を安定させた。それで手や膝を地面にぶつけながら、最終的には右手を地面に擦りつけて、無理矢理勢いを殺して、その場にとどまった。ただそうなると、当然、指の爪は剥がれた。血が流れ、なんとも痛々しい様だ。
カエルのような体勢でうずくまる。しかし相手が待っていてくれる保証はどこにもない。だからアルトは痛みを無視して「クリエイト」と呟き、剣を具現化させると、左の手で持った。
「アルトさーーーん!!!!」
悲痛な叫び声が上がる。アルトはズタボロだ。もう右手に力はろくに入っていない。だけどそんなの、ユークリウスからしたら関係ない事。まだアルトが動けるのを理解すると、追撃を行うべく迅速に迫った。
アルトは立ち上がり、ユークリウスの攻撃に合わせるべく構える。ユークリウスは右手に剣を持ち、袈裟斬りしようとしているのがわかった。
それを見てアルトは、カウンターをして、ユークリウスをここで殺すと決めたのだ。
アルトの頭から、繰り返しの考えは消えていた。消さざるを得なかった。消耗が予想していた以上に酷かったから。
ユークリウスとの距離はもう僅か。凶刃がアルトに迫る。
✳︎
「な……に…………」
アルトは予想していた、先ほどのやり合いで見た、右上から左下に抜けて行く袈裟斬りを。
ユークリウスの振るうそれは、右上から左下への袈裟斬りのはずだった。本来ならそのような剣の軌道だった。しかし現実、アルトの目に映るのは、【剣だけが】右上から左下へと落ちて行く様子だった。
不意に行われたそれを、アルトは目で追う事しかできない。風の影響も受けず、ただ落ちて行く剣は、そのまま左手へと辿り着いた。
派手さも何もないそれに技名なんてない。それは単なる剣の受け渡しだった。
しかし意味ならある。これでアルトが予測していた前面、右上からの袈裟斬りではなく、側面からの横斬りとなる。
怯んで動けないアルトを置いて、ユークリウスは行う動作を加速させ、身体をひねらせて剣を放つ。
アルトは必死に戦い、死力の限りを尽くした。けれど彼はここで生きる事を諦める。そうせざるをえない状況まで追い込まれた。そしてユークリウスの剣がアルトを切り裂く! その刹那。
「ダメェェエエエエェェェェェェェェェェ!!!!!!!!!!」
誰かの絶叫、それとポン! という不可解な異音が鳴った。
ユークリウスの鋭敏な五感は、剣を振るっている時でありながらも、絶叫とは別に、もう一つの小さな異音も捉えていた。しかし、何をしようがもう遅いと彼は考えた。
だからアルトめがけてそのまま剣を振ったけれど、不思議な事に剣が届かなかった。ユークリウスの放った剣戟は淡い色の光を放つ、薄緑の花弁に遮ぎられていたのである。
誰が行ったのか、出所はアルトの側からは見えなかった。けれどユークリウスの方からは、はっきりと見えた。泣きじゃくる少女の首飾りが、輝き光っている所を。
「これはっ……!? あの少女もまさか魔法を使う? 魔力による障壁……。いや、それよりも上位の……結界か」
ユークリウスは戸惑う。やられる側のアルトよりも、不意をついて剣を振った側とでは、同じ出来事でもショックの大きさが違う。
つまりは──アルトの足が先に動く。
アルトは正しく状況を理解していなかったが、やる事だけは明白だった。加えて考える事が少ないのもまた、明暗を分けた。何がなんだか分からないが、ユークリウス達が動揺している今なら、隙をついて逃げられると判断したのだ。
アルトは足を引き、ひとまずユークリウスの剣の間合いから逃れた。──そのすぐ後だ。薄緑の花の結界が、ユークリウスの豪腕によって、破壊されたのは。
間一髪である。後ほんの少しでも、足を引くのが遅れていたら、アルトはやられていた。
生唾をゴクリと飲み込み、アルトは持っている剣を振りかざして、未だー剣を振ったことによりー体勢が整っていないユークリウスめがけて投げた。そして剣を投げると同時に、それを推進力として、後方へと飛び退いた。
投げられた剣の狙いは、緊迫した状況にもかかわらず、正確だった。ユークリウスが動けなければ、確実に胴体へ突き刺さっただろう。
しかしユークリウスは、百戦錬磨の英雄だ。剣を持っていては避けられないことを即座に判断し、剣を手放した。そうして斜め後ろへと、余裕を持って引いたのだ。
投げた剣が当たらなかった事に歯噛みするが、それならそれでいいとアルトは納得する。なぜなら、距離は取れたから。
焦る頭で状況を把握しながら、最適解を探して行動する。その様はまさに、必死であった。
ユークリウスに背中を向け走り出す。完全に逃亡姿勢だ。
本来戦闘の時、相手に背を向けるのは死を意味する。だがアルトは、聖騎士団の戸惑い具合から、全力で走った方が助かる可能性が高いと感じていた。
そして絶望と困惑で、身動き一つ出来ないセアの元へ駆け寄ると、走りながら片手で拾いあげた。
「シーリイイィィウゥゥゥスーーーー!!!!」
それから大きく叫んだ。その奇行に対して、怯えた瞳でセアは問いかけた。
「どうしたん……です、か? 頭が……おかしくなったんですか?」
アルトは顔をしかめた。
「そりゃお前だ! いいから黙ってろ、舌を噛む!」
アルトは死に物狂いで走り、広場の出口である曲がり角で跳んだ。そして、そのまま跨ったのだ。黒の布を身につけ、茶色の毛並みをたなびかせる彼の愛馬に……。
✳︎
馬はわたし達を乗せると、一度だけブルルルと前足を上げてたなびく。やむおえない事態とはいえ飛び乗るという選択肢を選んだことで、二人のバランスはぐらぐらだった。このまま走り出せば落馬するのは火を見るよりも明らかだった。
しかしありえないことではあるが、アルトさんの愛馬がたなびいた事により、わたし達の身体はグラグラとしない安定したポジションに移動できた─いや誘導されたといった方が正しい─。
この子─アルトさんの愛馬─が、わたし達の今の状況をしっかりと理解して気遣ってくれているのが不思議と分かった。
ただここでふと、ある違和感を覚える。何故この子の背にあった荷物が消えているんだろうと。
…………いや、それは今はどうでも良いはずだ。まずはこの場から逃げなければ。
「よしっ! 行くぞシリウス! 土手っ林の方へ突っ走れ。勢いよく降りるぞ。ショートカットだ。そこであいつらを振り切る!」
アルトさんが叫ぶのと同時か、それより半アクション前に、この馬ーシリウスーは走り出す。後方を振り返ると、騎士団の一行が、慌ただしくしていたのが見えた。
けれどわたし達の動き出しの方がずっと早い。村の中を駆け抜け、やがて出口まで来ると、整備された緩やかな坂を見つける。
しかしわたし達が行くのは、そちらではない。土手林の方、アルトさんの先程の言葉からもわかる通り、整備も何もされていない、急な斜面の方を一気に駆け下りるみたいだ。
土手林の方へと入って行く、それも物凄いスピードで。土手林には、この勢いでぶつかったら、タダではすまない硬い木や、こけてしまいそうな不安定な足場がある。しかし、それでもわたし達は、そこを駆ける、駆ける、駆ける!
「ウワァァアアアアアア!!!!!」
とんでもない速度で、木々の間をすり抜けて降っていく。風はごうごうと激しい音を立てながら、わたし達の身体を包み込む。木の葉や落ち葉も風と一緒に、わたし達の頬をかすめていく。耳に届く風鳴りは甲高く、まるで怒号のようだった。
目を瞑りアルトさんにしがみつく、怖い現実を忘れたくて。だがそれは今の危険な、この状況だけではない。今日の全ての出来事からだ。
どうか今日の怖い事は、全て夢であるようにと強く願って、目を瞑りアルトさんの体にしがみつく。
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