銀の歌

Goodbye to Fantasy
プチ
プチ

第73話 死臭

公開日時: 2020年11月23日(月) 18:30
文字数:4,662

銀の歌



第73話



「ここよ。この小屋の中に彼女はいるの」


 そう言って連れて来られたのは、天幕が張り巡らされた場所の少し遠くにある木製の小屋だった。部屋に入るための扉の前には剣士が二人立っており、見張りをしているようだった。

 わたし達のことを認識すると、その内の一人が、犬のようにきゃんきゃんと近づいてきた。


「こんばんはであります。トーロス剣兵長……とデカ女」


 比喩ではなくもふもふした尻尾を振り回す少女は、トーロスさんには愛想よく、後ろで車椅子を押すラックルさんには冷たく振る舞った。


「ふんふん。何か獣臭いな。【サクヤさん】気をつけた方がいい。ここらにはどうやら野犬が出るみたいだ。それもきっと、野山で小便を恥ずかしげもなく撒き散らす、品のない犬に違いない」


「貴様殺されたいのか……!」


 ぐるるるると低い唸り声をあげて、ラックルさんを見る。鼻が少し尖り、身体には赤毛の混じった体毛が生えた彼女は、間違いなくただの人ではなかった。恐らくは獣人なのだろう。

 そして見た感じ、どうもラックルさんとサクヤ……さん? は犬猿の中の様だった。


「おや。別に誰もあなたのこととは言っていませんよ。それとももしや……図星でしたか?」


「殺すぞ」


 怪しげな笑みを浮かべるラックルさんは、楽しそうに上から見下ろし、サクヤさんは今にも飛びかかりそうに、牙をむき出しにした。

 衝突は免れないかと思われた時、パチンという手を叩く音が響いた。


「お願いだから、すんなりと通してちょうだい。ラックルは下手に煽らない。サクヤちゃんも敵対心をむき出しにしないで」


 トーロスさんが嗜めるように言うと、サクヤさんは尻尾や耳を垂れさせしょげて、ラックルさんはにまにまと口元を歪めていた。


「ここはトーロスさんに免じて殺らないでやるが、次に同じように馬鹿にしたら、ただで済むと思うなよ」


「今やらないのですか? なんとも情けない犬ですね」


「ボクを犬と言ったな!!!」


 ついに堪えきれなかったのか、ラックルさんの前掛けを掴んだ。そうするとそこへ、げんこつが飛ぶ。


「はいそこ。うるさい」


「キャン!」


 頭をぶたれたサクヤさんは悲しそうに目を伏せた。


「目を瞑ってちゃお仕事にならないでしょ。……中に入りたいの開けてくれる?」


 トーロスさんに叱られたサクヤさんは、怯え気味に目をうっすらと開けた。


「それは構いませんが……後ろの方達もご一緒で?」


「そうよ。お願いね」


 椅子の上からトーロスさんが微笑みかけると、サクヤさんは何も言い返さず、「分かりました」と頷いて、扉を開けてくれた。


 トーロスさんはサクヤさんに感謝の言葉を述べると、わたし達に部屋の中へ入るよう促した。わたしやアルトさんは扉を抑えてくれているサクヤさんに、軽く会釈をして小屋の中へと入っていった。

 最後にトーロスさんとラックルさんが入ってくる訳だが、ラックルさんは扉の内側に入りきるその時まで、サクヤさんに見下したような視線を送り続けていた。


✳︎


 小屋の中は薄暗く閑散としており、窓際にベッドしか置かれていないという無防備さだった。やけにひんやりとした空気があるこの部屋は、死者が眠っていそうなほど静かでもあった。というよりも事実、ベットに横たわる【彼女】を見て、ここは死者が眠る部屋なのだと理解した。


 彼女は赤黒く汚れた修道服を纏い、清涼な死の臭いを小屋の中いっぱいに漂わせていた。

 月明かりに照らされた寝顔は、彼女が本当は生きているのではないかと感じさせるほど、綺麗だった。

 けれど一切寝息を立てていない彼女は、そんなことは幻想だと言っているようだった。


 横たわる彼女に近寄ると、自分でも分からないほど、あまりにも自然に彼女の手を取っていた。無防備にさらされる彼女の手は驚くほど冷たかった。


「殺人鬼、都市伝説とも呼ばれた破壊の権現銀狼は、息を引き取ったわ」


 背中越しに、トーロスさんの声が聞こえて来る。淡々とした言葉はそれだけに、何の脚色もない事実だけが伝わってきた。


「彼女、多分悪い子じゃなかったですよ。頭に靄がかかるようで、思い出しにくいですけど……そう思います」


 つい数ヶ月前に起きた、大きな出来事なのに、何故か鮮明に思い出すことが出来ない。そんな微かな記憶でしかないけれど、それでもその【微か】が言っている。彼女は悪ではなかったと。むしろ、他に裁くべき人がいると。


「それでもこの子は殺しすぎたわ」


 わたしの言葉を否定も肯定もせず、殺すに足る理由があったと、それだけ簡潔に告げられた。だからわたしも「そうですか」としか言いようがなかった。

 彼女の手を下ろしてあげると、振り返った。


「一様実際に見てもらいながら、ことの顛末を知らせておこうと思って。あなたには迷惑をかけたから、知る権利があると思う」


 頷くと、彼女からだいたいのことを聞いた。


 まとめると以下のようなことだ。

 一つ山林へ追い立てたられた彼女は、決死の覚悟で特攻をかけ、トーロスさんと相討ちのような形で崖から転落したこと。一つその後も懸命に生きようとして、這いずり回った形跡があったこと。ーーそしてもう一つ。


「私達は彼女を埋葬するために、この墓地まで来たの」


 殺人鬼は逃亡生活をついに、自分の死という形で終わらせたのである。


「彼女には悪いけれど、これでようやく私達も肩の荷が降りたって感じよ。私達は殺人鬼事件の担当から外され、あなた達にもこれで正式に謝罪ができるわ」


 思えば因果なことだったと思う。彼女のお陰でとっても大変な目にあったけど……。彼女のお陰で、聖騎士団の人達、大切な友人と出会えたのだから。

 誤認から始まったあの騒動は、それでもついに今日、トーロスさんの手引きによって、終わりを迎えたのだ。わたしは彼女の謝罪を黙って聞いて、最後にうんと頷いた。


✳︎


 そのままの流れで、情報共有がなされた。内容は主に、アルトさんとラーニキリスさんが話し合ったことについてだった。


「ありがとう。大旨理解したわ」


「いや、礼はいい。上のやつ……【まともに会話が出来て】賢い上のやつには、元々伝えなければならない内容だからな。ラーニキリスから伝えられるであろう内容を、今少し早めに伝えたに過ぎない」


「そう……なの。まぁ確かにあの人達は……。

 でも私はそこまで賢くないわ。ユークリウス剣士長やアスハ副剣士長に話す方が絶対いい。私はもうこんなだし」


 出会ってからここまで、後ろ向きな発言を一切しなかったトーロスさんが俯いた。自分を卑下する、それでいて慎ましい言葉は、なんというか聞いていて心が痛かった。


「…………いや、あんたは頭が回るよ。

 そりゃあ知識面だったらユークリウス剣士長様には勝てねぇのかもしれないが、周りを……そうだな。周りの人達を見て物事を考えるっていうのは、初歩的なことだけど、とても大切だと思う。それも慮る心から来ているのだから。

 お前みたいな頭の回し方は、俺には難しい」


 思わず目を見開いてアルトさんを見た。言葉遣いは荒いが、彼が、誰かをここまで素直に褒めるのは珍しい。

 トーロスさんも驚いたのだろう。頬を染めて、もたつきながら「ありがとう」と言っていた。


「照れるなぁ。ごめんなさいね。私としてはもう役目は終わったつもりだから、正直ユークリウス班にいる意味は薄いの。こんな足じゃあ、僻地の調査なんてお荷物にしかならないし。聖騎士団の中央には、書類仕事もたくさんあるはずだから、そちらをやった方がいいと思っているのだけれどね」


 困ったように、こめかみを細く長い指でかく。その繊細な仕草が、まさにトーロスさんの心境を表しているようだった。

 彼女が今言った言葉には、多くの諦めが含まれていた。合理的な判断なのかもしれない。でもそんな諦めばかりを言わせたくない。

 言いたいことはたくさんある。でも言うべき言葉が、思うように頭の中で構築できない。どうしてこんなに、自分は口下手なのだろう。


「無理してこんなものまで作らせちゃって、アスハ副剣士長にも困りものですよ。本当に。動けない部下なんているだけ邪魔でしょうに」


 トーロスさんの価値観が、人のためになるようにと作られているからこその言葉なのだろう。消極的で優しい言葉だ。ただしその優しさの矛先は、一つとして自分に向いてはいない。


 まだ続くと思われた彼女の自虐は、これまで沈黙を守ってきた一人の女がぶち壊した。


「あなたは必要な人材です」


 ラックルさんが言った。


「貴方は……多くの人に慕われています。他の者がこの班を心地よく思うのは、間違いなく貴方の存在が大きい。指示は的確ですし、人の気持ちに敏感で手助けが上手い」


「!?」


 トーロスさんは自分の耳を疑うように、二回ほど目をパチクリと瞬かせた。


「何よりアスハ副剣士長が泣きます。あの人が自分を保っていられるのは、間違いなく貴方のお陰だ。ユークリウス剣士長は、あの人にとって憧れが強すぎる。心の支柱にはなりますが、心の支えにはならない」


 言われるたびにトーロスさんは顔を赤くして、ついには耳までも真っ赤にした。「な、な、な」とわなわな震えている。きっと褒め言葉に慣れていないのだ。少なくない動揺が見てとれる。

 ラックルさんはその様を見て満足そうに、口元を左右に広げた


「私はアスハ副剣士長の支えになりたいと思っていますが、私では貴方の代わりにならない」


 「そんなことは」と、トーロスさんはすぐさま反対意見を出そうとするが、ラックルさんはそれを封殺した。


「ですから……居てください。私も慕っていますから」


 ラックルさんが持ちうる最大の殺し文句だった。流石のトーロスさんも彼女から顔を背けると、恥ずかしそうに俯いた。「そんなこと」と言う言葉は、怪我をしていることも相まってか、非常に弱々しい。


 トーロスさんはその後、しばらく喋れないでいた。


✳︎


「さて、それじゃ俺達はそろそろ」


「はい。サクヤちゃんに客人用の天幕まで送らせますから、少し待っていて下さい。ラックル……サクヤちゃん呼んできて。……喧嘩しちゃダメよ」


「そんな数秒では流石に喧嘩できませんよ。

 扉の前ですよね? あの駄犬は」


「なんだと! 聞こえたぞ!!!」


 サクヤさんは憤怒の表情で、ガチャっと扉を開けて入って来た。それに対しラックルさんはまたも、「上官の許可なく部屋に入室するとは、流石に野蛮な生活をしてきただけはある」などと煽りを入れていた。


 トーロスさんは二人のやりとりに呆れていたが、わたし達に対しての対応が先だと判断したのだろう。明日からの流れなどをもう一度簡単に確認すると、ゆっくり休んで下さいと気遣ってくれた。


 そんな頃には彼女達の言い争いも、ちょうど落ち着きを見せていた。トーロスさんに言われたらしいサクヤさんは、わたし達を案内するべく、先導をしてくれる。


 わたし達を見送るトーロスさんの笑顔には儚さがあって、先ほど見た殺人鬼さんのことが頭をよぎった。


 だからわたしはアルトさん達に断りを入れて、踵を返したのだ。彼はいよいよ愛想をつかしたのか、何も言ってはくれなかったけど、今はこれが正しいと思った。

 ヘテル君にはアルトさんが付いていてくれることだし、わたしの様な過ちはしないだろう。


 行ったはずの人物が帰って来てしまったのだから、トーロスさんは困ったように眉を寄せていた。

 「どうしたの? 忘れ物?」そう言って尋ねてくれるが、わたしが戻って来たのは、そういう理由では決してない。

 首を横にふった。


「いいえ。わたしは……トーロスさん、一緒に寝てもいいですか?」


 トーロスさんは、どうしたことかと、頬に手を当てていた。



第73話 終了

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