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10話 ライブハウス

公開日時: 2020年9月2日(水) 12:41
文字数:4,388

10話 ライブハウス



十一月もあと僅かになったそんな週の土曜日。ライブハウス前。


«sins»«ジェミニ・シンドローム»他1組が出る今日のライブは開場午後五時、開演午後五時半だが、ライブハウス前には各バンドのファン達の長い列が出来ていて、その中に僕と雅さんはいた。


この列に並んでライブを楽しみにしているファン層は大体十代から二十代後半くらいで男女比は半々だった。


顔合わせやリハーサルの為、春樹さん達は先に中に入っているという。


「まだ開場まで時間があるのに結構並んでるね」


「結構な人気バンドばかりだからね。洵はライブハウスは初めてだっけ?」


「うん、前に誘ってくれた時はテスト期間だったし、«sins»に出会うまでは音楽に興味なかったから」


路上ライブの後に1度ハコでのライブを観に行こうと雅さんが誘ってくれたことがあったけど、運悪くテストが控えていたから泣く泣く諦めた。

雅さん曰く、その日に僕を«sins»に引き合せるつもりだったという。


直接出会ってからも1度こういうライブの機会があったらしいけとど、僕は入院、中退などでバタバタしていて行けなかった。


「洵は前で思い切りテンション上げるか、後ろで静かに楽しむのどっちがいい??」


「テンションの高い暴れまくる僕を想像できる?」


「春樹達がびっくりしそうだな」


「でしょ?雅さんは?」


「俺は後ろで静かに見守るタイプ」


「そんな気がした」


僕達は同時に笑い出す。

どうしてそんな簡単なことが出来なかったのだろう。

どうして僕はこの優しい従兄弟を嫌っていたのだろう。


「……後ろでいる方がアイツの全てを感じられるんだ、真剣な顔やギターを愛でる指や、汗、全てが」


「……前の方がよく見えない?」


前列のほうが身近に感じられそうたと僕は思ったけど、どうやら従兄弟は違うようだった。


「後ろの方が全体を見れるし、それに、前列だと、なんか、その……緊張するんだ。……その……アイツが、かっこよすぎて」


顔を真っ赤にして視線を泳がせる姿はさながら恋する乙女だ。

「恋する」という意味では間違えてはいないが。


春樹さん達の話では雅さんと秋斗さんは高校時代からの恋仲らしい。

今までだって何度も何度もライブでの姿を観ているだろうし、恋人の色んな姿を目にしているだろうけれど、それでも毎回前列では赤面してしまうほどに雅さんは秋斗さんに惚れているのだろうか。


「……雅さんは、いつから、あの、その……」


「恋愛対象の話?」


「……うん」


「前に灰が言っていたように俺たちはあの頃からお互いしか興味ないんだ」


雅さんは少し苦悩の混じった優しい笑みで僕を見る。


「それって……」


「あ、開場したよ。中に入ろう。……この話はまた今度な」


締め切られていた扉がスタッフによって開かれファン達が次々にライブハウスの中に吸い込まれていく。

まだ開場時間ではないのになんでだろうと考えていたら、雅さんが想定より集客が多かったから早めに開場したんだろうと教えてくれた。


ライブハウス内。

ファン達の口から次々にバンド名や個人名が飛び交う。

そして僕はハッとした。

此処には«sins»のファン達も大勢いる。もしかしたらファン達の間では暗黙の了解かもしれないが、でも、アマチュアとはいえバンドは人気商売だし彼らの恋愛を快く思わない人種もいるだろう。

そんなデリケートな質問を軽々しく口にしてしまった事を僕は反省した。


今まで雅さんと秋斗さんはどれだけ苦しみ悩んできただろう。

そして僕は気づいてしまった。

さっきから雅さんは秋斗さんの名前を口にしていない。

秋斗さんの名前の代わりに「アイツ」という言葉を使っていた。

少し苦悩の混じったそんな表情で。

どうかこの優しい従兄弟達の愛に平穏が訪れますように。そう願い、僕はハコでの初めてのライブに没頭した。


1組目は男性3人組のインストバンドだったが、ライブハウスというものはなんて心躍る場所だろうか。

あの地獄から逃げ出してから幾度と«sins»のスタジオ練や路上ライブを観てきたし、ジャンルは少し偏ってはいるが様々なバンドの音楽を感じていた。

でも、ライブハウスでの音楽はまた違う。


音の反響、メンバーの光る汗、ミスをカバーするアドリブ、メンバーの切羽詰まった表情、恍惚。どれもが秀でて輝いていた。

「ライブ」というものの虜になって抜け出せない。


インストバンドの曲は歌詞がついていない分想像が掻き立てられて言の葉の波が決壊寸前だった。


嗚呼、ダメだ。詞を書きたい。

こんな状態で«sins»と«ジェミニ»の音楽にたどり着けるのか。


でも、そんなのは杞憂だった。

実架さんを中心としたバンド«ジェミニ・シンドローム»。

«sins»は身長は平均より少し高め程度だが外見が近寄りがたく威圧的な印象。一方、«ジェミニ・シンドローム»は比較的人懐っこい外見だが男性陣が縦に長いせいか«sins»とは別の意味で威圧的だ。

«ジェミニ・シンドローム»の面々はボーカルとベース、上手ギターと下手ギター、そしてキーボードとドラムの顔が恐ろしい程に瓜二つだった。

そういえば「ジェミニ」って確か双子座って意味だったような。


前奏が始まる。

«ジェミニ・シンドローム»の売りである人懐っこさが微かに残っている程度で印象がガラリと変わる。

実架さんの小さな身体からは想像も出来ないくらいの声量、迫力、攻撃性、そして苦悩、悲哀、思慕。


ーー貴方さえいれば、それでよかった。

貴方さえ私の隣でいてくれていたら

私は何もいらない

貴方との日々は幸福で、幸福しかなくて

あなたの笑顔が私の心を満たしていく。


貴方がいれば私は何も望まないのに

貴方との恋は禁じられたお戯れ

継母達は恋する2人を引き裂き

私と貴方の心をも引き裂いた


二度と会えないなら死んだ方がマシ。

だから逃げよう、2人だけの楽園へ

足枷が重りになって海に沈んでしまう前にーー


激しい曲調とは裏腹に切ない歌詞が胸を締付ける。

曲の中のストーリーが自然に頭の中で再生される。

なんて悲しい物語だろうか。

よく見ると前列のファン層は男女比は半々で激しい曲調に合わせて飛び跳ねたり声を上げたりしているが、後方で僕達のように静かにライブを楽しんでいる層ははぼ女性で、切なく涙を流していた。


「音楽って、すごい」


そう呟いた僕の言葉は隣にいる従兄弟には聞こえたのか聞こえなかったのかわからなかったけど、従兄弟はふと微笑んでいたようなそんな気がした。


実架さんのギャップと繊細な物語を持つ曲たちに魅了されているとあっという間に«ジェミニ・シンドローム»の出番が終わり、トリの«sins»の出番になる。

やはり各バンドごとのファンの入れ替わりはあるようで、開場からずっとこの場にいる僕達のようなファン達もいれば各バンドの演奏終了と同時に帰っていくファン達、逆にトリの«sins»の出番になってから入って来たようなファン達もいた。

そういった入れ替わりを見るのも楽しい。


少し明るくなっていた照明がまた暗くなる。

高まる興奮、高鳴る鼓動。ステージに向かって個人名が投げかけられる。きっと春樹さん達が円陣を組んだのであろう雄叫びが舞台袖から聞こえてきた。明るく照明で照らされるステージ。

舞台袖から«sins»のメンバーが登場する。

いつもはおどけてみせる灰さんが、いつもは雅さんしか見えていないお調子者の秋斗さんが、クールに見えて優しい泪さんが、そして、厳つく見えて優しくて逞しくて、可愛らしい春樹さんが澄まし顔で定位置へ。


「«sins»です。よろしく」


それぞれの相棒のチューニングが終わったのを見計らって春樹さんが短く囁く。ファンの悲鳴。そして始まる前奏、春樹さんの絶叫、


『塵』。


この曲で盛り上がらない方がおかしいのでは。

前列の人は跳ね上がり、拳を掲げ、後方の僕達ですら身体が自然に揺れる。

激しいながらも切ない旋律、繊細で力強く心地よいギター、身体の奥に響くベース、ドラムの刻む音が心拍数をあげる。そして心を揺さぶる切なく儚い歌詞と、その歌詞の切なさ儚さ危うさを春樹さんの力強く儚い歌声が僕達の心に感動を送り込む。


この«sins»というバンドはどうしてこうも僕を、僕達を惹き込むのか。


興奮で僕達の心拍数が上がったまま、曲調がガラリと変わる。


『幸せだったあの日々』


ーー幸せだったあの日々

絶えず電波が僕らを繋ぐ

途切れないライン

眠た目で紡ぐ愛

優しさが僕の

孤独すらかき消して

苦痛すら蹴散らせて

憂鬱なんか吹き飛ばして

辛いことなんか忘れて

僕達は愛を囁きあう。


どうしてどうしてどうして

貴方は僕を見ていない

どうしてどうしてどうして

最初から貴方は僕を見ていなかった

貴方からの連絡はなくなり

使う場所の無くなったスタンプ

何もかも意味がなくなる

全て、僕の前から消え去った


悲しみが僕の首を締め上げ僕は堕ちる


どうか誰か僕を掬いあげてくれーー


僕の忘れられないトラウマ。

でも不思議と苦しくない。

どちらかといえば春樹さんの方が苦しそうだった。


雅さんの言っていた意味がわかった。とてもじゃないけどライブハウス前列じゃ観られない。

春樹さんの苦悩に歪む表情が官能的で扇情的でどうにかなりそうだった。こんな官能的な春樹さんを前列で観た日にはきっとあの世に逝ってしまうだろう。


もう、春樹さんしか見えない。


ふと、春樹さんと視線があった。それはファンによくある勘違いかもしれないけれど視線が絡まった瞬間、春樹さんがニッと挑発的に不敵に笑った。

その時、僕の中で何かが溢れそうになる。今までそんな感情があったのかと思うようなそれは、激しい、情欲。


僕が春樹さんに溺れて夢中になっている間に二曲目は終わる。


「あー、っと。改めまして«sins»です。今のとこ次の曲は俺たちの大切なやつの苦悩の曲です。アイツがもう2度と悲しみで泣くことの無いように歌います。聞いてください」


『嘘に愛された悪魔』


ーー「貴方は私達の元に舞い降りた天使よ」

なんて笑えるね。

天使なんて僕には不釣り合い

僕は嘘に愛された悪魔

死神がその首を狙う、悪魔


「死にたい」を口にすると

死神は悪魔の前に現れた

死神の言の葉は悪魔(ぼく)の心を切り刻む

死神は悪魔を殺さない

悪魔(ぼく)の苦しみを糧に死神は生きる


僕は自ら死神の鎌に首を捧げ

激痛と苦痛の中で消えていくーー


胸が、苦しい。

今までのことがフラッシュバックする。意識が遠のきそうになる。

でも、もう大丈夫だ。優しい従兄弟が肩を抱いていてくれている。優しいあの人たちの音楽が僕を包んでくれている。


もう、独りじゃない。


これで終わりか……。僕はいつの間にか乱れていた呼吸を整えながら感動の涙を拭い、舞台袖にはける«sins»を見送った。


「雅さん」


「ん?」


「«sins»引き合わせてくれて、ありがとう……」


やっと言えた。やっと大好きな従兄弟に目を見て「ありがとう」を言えた。


従兄弟は優しい微笑みで泣いていた。



ーつづくー

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