20話 近づいてくる狂気
「あ"ーーーー……」
CDショップの仕事の帰り、僕は同じ時間に退勤した秋斗さんと途中まで一緒に帰る。
秋斗さんはずっとイライラして唸っていた。
「まだお触り禁止、ですか?」
「……あれからキスもしてない」
「あー……」
この間のスタジオ練からもう2週間だろうか。
我慢の限界らしい。
まあ、しょうがねぇんだけどよー……と秋斗さんは力なく呟く。
「あいつとキスしてたら止まんなくなってやばいんだよ」
「……あー……」
僕も最近最愛とキスすると止まらなくなって、ダメになるからよく分かる。
吐息が、感触が、お互いの熱が、たまらなくて。
秋斗さんは「おー?」といやらしくニヤニヤする。
「なんですか」
「いや、『わかる!』みたいな顔してたからお前も男になったなと」
「……まあ、分からなくもないというか分かりますけど。春樹さん可愛いから、止まらなくなる」
最愛の片割れさんは切れ長の瞳をめいいっぱい見開いて、そして、くっくっ、と喉を鳴らして笑う。独特な、彼の笑い方。彼の癖。最愛もごく稀にたまに似たような笑い方をするけど秋斗さんは頻度が多い。似合う。双子だけど、別の人間なんだと思った。
「あいつが可愛い、ねぇ」
「……可愛いですよ、たまらなく」
「搾り取られんなよ?」
「……気をつけます」
彼はまたくっくっと笑う。
そして、僕に絡みついて、悪戯に笑う。
「気をつけろよ?あいついつか『中に出して♡』って言うぞ」
「なっ……?!」
秋斗さんが最愛と同じ顔でトンデモ発言をしたから僕は赤面してしまう。
でも、彼が「あ、やべ……」と言って慌てて離れたので、彼の視線の先を見ると独占欲でイライラした様子の雅さんがいる。
「……随分、仲良いね?」
「あ、いや、雅、これは、違うっ!!」
「……何が違うのカナ??」
にっこり。
効果音がつくくらいの笑顔だけど、目は笑ってないし、声はいつもより低い。
本当に独占欲強いな。それならお触り禁止とかしなくても……と思うけど、いや、身体が大変だから仕方ないか。と彼の恋人と僕の恋人がよく似た双子だと言うことを思い出す。
僕はさっきの仕返しに意地悪した。
「雅さん、僕、セクハラされたんだけど」
「おい、洵!!」
「へぇ……??」
恐ろしいくらいの笑顔で雅さんは秋斗さんを睨む。
セクハラは本当だし。
あれは立派なセクハラ。
「せっかく今日はお前の好きなカレーを作ってやろうと思ったのになぁ??」
「……いや、ホントすんません」
雅さんは手に食材がパンパンに詰まったスーパーのレジ袋を持っていた。
最近、自炊を覚えたらしい。
「……洵のせいだぞ」と最愛の片割れさんは言うけど僕は「僕は知りません」と舌を出した。
「いい性格になりやがって……って、おい、雅!」
「お前なんか一生洵にセクハラしてろ」
「はぁ?!」
従兄弟がスタスタと歩いていってしまう。
秋斗さんははぁ……とため息を吐いて「……今日はめちゃくちゃにしてやる」と凶悪な顔をした。
僕を押し倒してくる時の最愛と同じ顔をしていたので不覚にもドキリとなった事は隠そう。
「……じゃあ、俺行くわ、春樹によろしく」
「はい。あんまり無茶しないでくださいね」
「お前とこんな話するとはなー」
最愛と同じ顔で笑って、恋人を追いかけ荷物をかっさらおうとして失敗して抱き寄せて拒絶されている秋斗さんに心でエールを送る。
次の日のスタジオ練に来るはずだった雅さんは欠席していて、でも秋斗さんがスッキリした顔をしていたから僕は察した。
僕は最愛を迎えに行く。
ーカランカラン……
「いらっしゃいま……ああ、洵くんか!」
「こんばんは」
店にいたのは僕のことを春樹さんの『同棲している恋人』と把握してくれている店長さんだった。
「ちょっと待ってねー」と店長さんはバックヤードを覗き楽しそうに「お迎え来たよ!」と笑う。
「ちょっと待ってね、今裏でちょっとした作業してるから」
「あ、はい」
ブログ更新でもしているのかな?
このショップは店員さんのブログ更新も人気らしい。
僕は暇を持て余し、店内を物色する。
最近は、それも好き。
春樹さんに何か買ってあげたいけど、来月は沖縄に行く。
なんか流れで(バ)カップル3組で沖縄トリプルデートをすることになった。
灰さんは身重の奥さんがいるから行かない。
「あ、洵くん」
「はい」
「今日は跡、付けるの禁止ね?明日雑誌の取材来るから」
「……気をつけます」
うふふ、と笑う店長さんに、顔から火が出そうになる。
しばらくすると最愛が肩を回しながら荷物を持って出てきた。
「はるちゃんお疲れ様!」
「お疲れ様です、お先に失礼しまーす」
「お待たせ」と笑う最愛に笑い返し、店長さんに頭を下げて2人して店を出る。
スーパーに寄って買い出しを済ませてから家路に。
「そう言えばブログ更新してたの?」
「そう。今日俺の当番でな。なんか肩凝った」
「帰ったらマッサージしようか?」
「ふふ。うん、お願いするわ」
春樹さんと笑い合う。
それが幸せで、幸せ過ぎて、僕はどうにかなりそうだ。
でも、狂気は僕達に近づいてくる。
ーザワッ
またあの寒気。
誰かの視線を感じ、僕は振り返る。誰もいない。
「洵?」
「……ううん、なんでもない」
僕は違和感を感じながらまた最愛と笑い合った。
「そーだ、明日さ、泪と水着買いに行くんだけど、お前どんなやつがいい?」
「うーん、どんなやつと言われても僕はビキニ位しかわからないけど」
「んー、ビキニなぁ。でも腹の傷見えるしな……」
うーん。
2人で悩む。
「まあ、泪と相談するか」
「だね。でも春樹さんならなんでも似合うよ」
「ベタ惚れかよ」
楽しみだなー!!最愛は笑う。
幸せを感じていたのに。
〜〜♪
『堕ちて』が流れる。
あの人だ。
春樹さんは着信音が流れると、ビクリと身体を強ばらせる。
僕は春樹さんの手を握った。
「……はい」
独特な声が微かに漏れてくる。
でも、内容は分からない。
「……え、うん、うん、分かったその日なら秋斗も確か休みだから行くよ……じゃあ」
電話を切る。
春樹さんはため息を吐いた。
「……どうしたの」
「3日後顔見せに来いって」
「……そっか」
嫌な予感が、した。
その3日後。
感じていた狂気は形になって現れる。
「……これ、は……」
僕がレンタルショップのバイトを17時に終え帰ると、ある一通の封筒が郵便受けに投函されていた。
それは宛名も差出人も書いてない真っ白い、封筒。
不審に思いつつ僕は部屋に帰り、開ける。
『春樹と別れろ』
ただそう一言何かを切り抜いた様々な文字で表現されていた。
それが、ストーカーというものの仕業か、はたまたあの人の仕業かは僕は分からない。
けど、僕は春樹さんから離れない。絶対に。
彼女と別れるなら、
死んだ方が、マシ。
僕は悪意をびりびりに破いてゴミ箱に捨てる。
そして、今日はあの人に会いに行っている最愛の代わりに簡単な料理を作る。
作り終え、暇を持て余し、テレビを見る。つまらない。
最愛は帰って来ない。
不安になる。
22時になる。電話は通じない。
「……春樹さん……」
僕は忙しなく部屋の中をウロウロする。
しばらくして、鍵が開く音がして僕は玄関に走る。
「春樹さ……春樹さん?!」
そこには酷いまでに顔に殴られた様な跡のある春樹さんがフラフラしながら壁に寄りかかっていた。
「……ただいま」
「ちょ、これ、なんで、」
「……転けた」
「……どう転んだらこうなるの?……まさか、また茉妃奈さん?」
何も言わない。
肯定。
「……とりあえず手当しよう?顔だけ?」
「いや、身体もちょっと」
フラフラしているのはそれでか。
僕は春樹さんを支えながらリビング行き、春樹さんをソファーに座らせてから救急箱を探す。
それにしても、酷い。どうして、こんな仕打ち。
僕が救急箱を探していると、トンっと背中に体温を感じる。
春樹さんは僕に抱きついた。
「……旅行、行くっつったら、なんで男とって。なんで沖縄なんか行くのって、殴られた」
「……秋斗さんは」
「……俺を庇って殴られた」
「……僕はあの人が分からない」
「……あの人は俺達が心配なんだよ。大切だって言ってた。過保護なんだ」
大切なら。
「……大切なら相手の幸せを願うものじゃないの?なんで楽しみにしてることでそんな仕打ち受けなきゃいけないの。おかしいよ」
あの人は、狂ってる。
「私も、もうわかんな、はっ、う、くっ、はっ……」
「春樹さん!!」
春樹さんはしゃがみこみ苦しそうに浅い息を繰り返す。
あの時に僕がなったのと同じ、過換気症候群ーー過呼吸ーーと言うものだ。
僕は紙袋を持って来ようとするけど春樹さんはそれを許さない。
「春樹さん、離して、じゃないと貴方が」
『行かないで』
声は発せられなかったけど、彼女は確かにそう言った。
僕は困惑した。このままでは春樹さんが苦しい思いをするだけ……でも、離れられない。
どうしたら……
そして、僕は人の吐く息も二酸化炭素だと思い出す。
「……春樹さん」
僕は、泣きながら苦しむ春樹さんの唇に口付けし二酸化炭素を吹き込む。何度も、何度も、何度も。
少しして、彼女は落ち着いた息をし始め僕は安心する。
そして、彼女が苦しいから抱いてくれとせがむのでめいいっぱい愛した。
愛して、愛して、愛して、何度も大丈夫だと囁いた。
春樹さんを苦しませるモノを、僕は許さない。
ーつづくー
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