翌日、花茶の効果もあってスッキリ起きられた俺は、リンとふたりで市場へ出かけた。
そう、美少女との初デートなんだよね!
といっても、ぜんぜんデートの雰囲気はない。
いいじゃないかっ! これまで女子とふたりで出掛けたことなんてなかったんだから! これくらい楽しんじゃってもいいじゃん!
デート先である市場はおいしい匂いと人の熱気であふれていた。
色とりどりの野菜らしきものや果物らしきもの、スパイスや肉っぽいものなどを売る屋台がひしめき合って並んでいる。
店先の大きな釜でぐつぐつと煮込まれた白濁色のスープや、セイロで蒸した肉まんからは食欲をそそる、いい匂いが漂ってくる。
俺は旅行先の土産道を歩くみたいに屋台を横目に見ながら、これまでの人生では着たことがないチャイナ服に身を包んで歩いていた。
ライトグリーンのチャイナ服は俺の大好きなカンフー映画に出てくる主人公たちが着ているものとそっくりだ。
170cmある俺でも余ってしまうくらいのゆったりとした大きさの服。それこそ袖もちょっと長めなんだけど借り物だから仕方ない。
とはいえ、大きさだけは気になるものの、スラブ織りという着古したような風合いをした純綿の服はしっくりなじんだし、逆にレトロな感じが俺の心をくすぐった。
ただ難点なのは頭の上のケモミミカチューシャだ。それもこれも猫人族の世界だから当然なわけで。
逆にケモミミがない人は呪いをかけられたサルの一族だし、サルの一族になりたいケモ耳の人は自分の耳を削いで献上しないといけないんだって。
耳を削ぐって怖すぎる! 日本で言うとカタギに戻りたい反社会的勢力の人が「指一本で勘弁してくだせえっ!」みたいなことになるのかな?
いや、指一本じゃ抜けさせてくれないか。
それでさ、話を元に戻すとね。呪いの一族やその一派は多くの人の畏怖の対象となっているんだって。だから人の多い町に出るなら当然、カモフラージュしなくちゃいけないわけで。
でもさあ、ここの世界シャンミャオは俺がよく見たカンフー映画の舞台とよく似ているのが俺的にはすごくうれしいわけよ。
アオザイっぽい服とか、チャイナスーツとか、スリットの入ったぴっちりドレスとかを着て歩いているケモ耳の人たちでいっぱいだ。それに普通の猫もたくさんいる。
生まれて10年くらいまではみんな猫の姿らしい。人の姿になるのも勉強と練習が必要なんだって、リンが説明してくれた。大人になれば人の姿になるのも、猫の姿になるのも自由自在になるらしい。
もう猫の人やら、普通の猫ちゃんやら、どこを見ても俺の好きなものばっかりなわけだよね。
これだったら吸うのには困らないし、猫成分枯渇の禁断症状に陥ることもなさそうだ。
ちなみにリンが言うにはこの村はまだ小さいほうで、都のペイランはもっと賑やかで華やかなんだそうだ。
俺からしたら十分すぎるくらいに活気があるけどな。だって村の大通りはそれこそ観光地のお土産通りくらいには混雑しているんだから。
いつか都に行けるのかな? 行けるといいな。せっかく異世界に来たんだ。見られるのなら見ておきたい。世界中のお猫様を吸ってまわりたいっっっ! ワンの脅威さえなければぜひとも!
「ねえねえ、トウマ、トウマ! あれが大袋ねずみだよ! ね? すごい金額でしょ?」
肉屋の露店にぶら下がるものを指さしてリンが笑った。カピパラにそっくりな動物がぶらさがっている。その体には紙が貼ってあり、金一と書かれている。
「金一? そんなに高いの?」
「そりゃあ金貨一枚だからね。あたいたちには貴重な収入源だよ」
ここの通貨の価値がよくわからない。金貨? じゃあ銀貨とか銅貨とかあるのかな? まさかニッケル使った通貨はないよね?
「俺、ここの通貨価値がよくわかんないんだけど」
「あっ、そっか。トウマはお金も持ってないしな」
そっか、そっかとリンは肩から下げた麻布で織られたサッシュから革製の袋を取り出してみせた。
「えっとね、これが金貨ね。金貨一枚は銀貨10枚と同価値なんだ。で、こっちが銅貨。銅貨10枚が銀貨一枚と同価値で。それからこっちの穴の開いた銀色のお金が10枚で銅貨1枚。これがこっちのお金だよ」
となると、金貨は日本でいうところの一万円。銀貨は千円。銅貨は百円。一円玉に穴が空けたみたいな小さな効果が十円っことなんだな。うん、それならわかる。
「じゃあ、あの肉は金貨一枚だから俺の世界で言うと一万円か! そりゃあ高いな」
「そうなんだよねえ。あたいたちから買い取るときはその半額しかくれないのにさあ。ぼりすぎだっつーの」
「それでも売れるんだろう?」
「まあねえ。大袋ねずみってすばしっこいうえに警戒心強いからさ。罠を仕掛けてもかからないんだよ。だからとっ捕まえるしかないの。まあ、あたいの前では大袋ねずみなんて赤子も同然だけどねえ」
えっへんとリンは鼻を高くした。
「今、いくら持ってるの? 予算は?」
「今月は残り銀貨三枚だね」
今月? 銀貨三枚? 三千円? 俺のバッグ代もそこに含まれてるんだよな?
「えっと、リン。あと何日あるんだっけ?」
リンが指を折って数える。
「十日……だな」
まて! 十日で三千円だと!? しかも四人分の生活費だよな? 電気、ガス、水道というライフラインにお金はかからなそうにしても、食費三千円って……ざらっと市場の売り物見ても足りねえんじゃねえのか、それ!
「まあまあ、トウマ。実はこのお金をさらに増やす方法があるんだよ」
ニヤニヤとリンが悪い笑みを浮かべると、市場の路地のほうをくぃくぃっと指さした。
人だかりができている露店があって、そこから悲喜こもごもの声があがっている。そこへ向かってリンがスキップしていく。楽しげに長い黒しっぽを揺らしながら。
なんか、デートっぽくっていいなって思ってたけど、めっちゃ雲行き怪しくなってきたよ。
「ちょ……待って、リン!」
リンは俺の制止も聞かずにずかずかと人だかりの真ん中へ入っていく。俺は「すみません」とか「ごめんなさい」とか小さく謝りながらリンの後ろに立つ。
やっぱりな。リンが言う『お金を増やす方法』っていうのは『博打《ばくち》』だった。
テーブルの上に三つの湯飲みが伏せて合って、その中のどこにコインが入っているかを当てるものだ。コインを湯飲みに入れた後動かすので、動いた先がきちんとわかれば当てられる……と単純明快な博打だ。これ、カンフー映画でも見たことがある。
露店の主はいかつい体躯の坊主頭。目つきは鋭くて、いかにもヤバそうな雰囲気を醸し出している。っていうか、八百長とか平気でやりそうな匂いがプンプンするんだけど。
「さあ、賭けた、賭けた! 当たったヤツには掛け金の三倍を支払うぜ!」
湯飲みを移動し終わった店主がそう大声を張り上げた。
「よしっ、右だ!」「俺は左に賭ける!」と言った声とともに、湯飲みの前には硬貨が次から次に置かれていく。
「じゃあ、あたいは真ん中で」
誰も賭けていない真ん中の湯飲みに、リンは銀貨三枚、全財産を置いた。
「ちょ……ちょっとリン!」
俺はリンの肩をくいっと引っ張った。
「どうした、トウマ?」
「おまえ、全財産突っ込むってどういう神経してんだよっ!」
耳元でひそひそ話す。するとリンは「まあ、見てなって」と八重歯を見せて余裕の笑みを浮かべた。
「嬢ちゃん、いいんだな?」
「おうっ、もちろんだ」
自信たっぷりに答えるリン。その周りで、他の湯飲みに賭けた男たちがクスクスと笑っている。すっごく嫌な予感がするんだけど大丈夫かなあ、これ。
とはいえ、俺にはどうすることもできない。頼む! 外れないでくれ!
店主がニヤニヤしながら湯飲みを開けた。まずは左。コインなし。「うわあああ」という嘆きの声がそこ、ここで上がる。
これで三分の一の確率が二分の一の確率に上がった。ごくりと唾を飲みこむ。
「じゃあ、次は同時に開けるぞ?」
しんっと静まり返る。
当たれ! 当たれ! 当たっててくれ!
祈るように見つめる中、店主が二つ同時に湯飲みを開いた。
「あっ……!」
「よおっしゃあああああっ!」
リンが腰のあたりで両手ガッツポーズする。リンのひとり勝ちだ。
「やられた~」「すっからかんになっちまったわ」「お嬢ちゃん、強運だなあ」とか。
賭けていた連中がぼやく中、リンは店主から賭け金の銀貨三枚と他の人の賭け金、それとは別に店主からもお金を受け取っている。
「じゃあ、トウマ。行こっか」
「いくら勝ったの?」
「えっと、ひとり勝ちだったから賭け金の三倍の銀貨九枚と他の人の賭け金を合わせると……金貨一枚と銀貨十二枚、それから銅貨五枚かな」
元手の三千円に二万五百円増えたってことか。
「でもまあ、今日は少ないほうだな」
リンがお金を数えながら答えたときだ。リンの背中をトントンッと叩く人物が現れた。
「はいはーい」
リンがくるりと振り返ると、小学四年生くらいの小さな男の子がひとり立っていて、リンに向かって手を差し出した。その男の子にリンは銀貨を数枚乗せた。
「銀貨九枚、たしかに」
男の子が一枚ずつ銀貨を数えた後で言った。
「じゃあ、またよろしくな」
「うん。オヤジ殿につたえとく」
バイバイ、リンが男の子に手を振ると、照れくさそうに笑いながら男の子は戻っていってしまった。
どういうこと? またよろしく? オヤジ殿につたえとく?
「うんとね、あたい。あそこのオヤジと取引してるんだ。こうやって勝たせてもらうかわりに肉とかも安価で直売してるんだ」
「え! それって八百長!?」
「ちょっと声デカいってば、トウマのバカ!」
「ご……ごめん」
慌てて声を小さくすると、リンは「ここでは当たり前のことだよ」と答えた。
「取引も実力のうちなんだ。そうやって頭使って賢く生きないと、なんでもかんでもはぎ取られちまう。どんなに信仰心が厚かろうと猫神シン様が助けてくれるわけでもない。だから……みんな知恵をふり絞って、なんとか生きてんのさ。まあ、それもこれも暗黒拳のワン一派のせいなんだけどな」
「ワン一派のせい?」
「ああ、そうさ。ヤツらがこの世界をめちゃくちゃにしてる。法外な税金を商売人たちは課して、払えない奴は投獄、拷問、流刑。死刑だってよくある話。そのせいで孤児や貧困者もすごいんだ。あたいたちがどんなにがんばっても……ワンたちを倒さないかぎり、この世界に真の平和なんか訪れないのさ」
リンが悲しいとも怒りともつかない声で言ったことに、俺はなんとも答えられなかった。
「さあ、ク・クルを入れるバッグ、探そうぜ?」
「ああ……そうだな」
二ッと八重歯を出して笑うリンに笑みを返しながら、俺は空を見た。
抜けるような青い空には小さな白い雲がぷかぷか浮いていた。
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