猫を吸わないと生きていけない猫ジャンキーな俺が異世界で猫耳美少女たちと同居しながら酔拳の使い手を目指すことになりました

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第11話 盲目の老女

公開日時: 2020年10月13日(火) 22:10
更新日時: 2020年10月13日(火) 22:11
文字数:3,698

村長の息子で香草を扱う店の主であるドンガたちとのケンカの後、俺たちは市場を回って、野菜や魚、麺類を買い込んだ。そのついでに衣装を売る屋台にも寄って、ク・クルが入りそうな革製の小さなポシェットを購入してから家へ帰った。


「たっだいま~!」


食材が詰まった大きな紙袋を片手で易々と持ったリンが元気に玄関の扉を開けると、待ち構えていたようにユンが玄関先まで駆け寄ってきた。


「おかえりなさい。大丈夫だった? ケンカとかしてない?」


ユンが問いながら俺とリンを交互に見つめる。


「あ、ああ。ぜんぜん。問題なかったよなあ、トウマ?」


リンが俺に同意を求める。市場での一件は伏せろ……ということらしい。


「え……うん。ぜんぜん。本当にぜんぜ大丈夫だったよ」


ケンカをしたとは言えず、精一杯の笑顔を作って答える。

若干、声が上ずっているのを悟られないといいけどな。くうっ。俺って本当にウソつくのがへたくそだわ。


「そう。それならよかった」


ユンがほっとしたように胸をなでおろす。きっとユンもわかっているんだ、市場が危ないところだということを。

するとユンは「あのね」と切り出した。


「クウ・メイ様がいらしているの。トウマが帰ってくるのを待っていらしたのよ」

「え! クウ・メイ様がいらっしゃってるの! 体調よくなったんだ!」


リンがぱっと顔を輝かせて奥へと駆けていく。

玄関から入ってすぐの部屋の中央に置かれたテーブルにハク・レン様と初めて会う白髪の老女がひとり座っていた。


「クウ・メイ様! いらっしゃい!」


老女を見るなりリンが喉をゴロゴロ鳴らすようにして抱き着いた。

着物のような袖の長い紫色の僧衣に身を包んだ老女はリンに優しい笑みを返しながら、よしよしというように頭を撫でた。


「買い出しお疲れ様、リン。とても偉いわね」

「偉いなんてとんでもない。クウ・メイ様がいらしているとわかっていたら、もっと早く帰ってきたのに!」

「お気遣いなく、リン。その気持ちだけでとてもうれしいわ」


そう言ってクウ・メイ様は胸の前で手を合わせた。


「荷物置いてくる! 今日は夕飯食べていってね! たくさん栄養のあるもの食べて、もっと元気にならなきゃ!」

「ええ、そうさせてもらうわね」


クウ・メイ様の言葉にリンは顔をほころばせた。まるで母親に甘える子供みたいだ。


「トウマ! くれぐれも失礼のないようにな!」


そう俺に釘を刺すと、リンは台所へ荷物を置きに行った。そのあとをユンがついていく。


「それではあらためて。私はクウ・メイ。神の啓示があって、ここにいるハク・レンにあなたを探しに行かせた者です」


長い白髪をゆったりと後ろでひとつに束ねたクウ・メイ様は慈愛に満ちた目で俺を見た。

きっとすごく美人だったんだろう。年を重ねてしわもあるけれど、その名残は消えていない。とても上品な居住まいで、ものすごい存在感がある。これは神に近い人だからこそのオーラなのだろうか。自然にこちらも背筋が伸びた。


「あっ……倉橋斗真……です」

「大丈夫ですよ、トウマ様。私はあなたのことをよく存じ上げておりますから」

「さ……さようですか」


慌てて視線を逸らす。期待されている感がものすごい勢いで押し寄せてくる。

でも申し訳ない。俺、みんなが思うような英雄になれるような要素ゼロなんです。ただの猫好きなんで。


「ここはちょっと息苦しいですね。少し……新鮮な空気を吸いに行きたいのですが、トウマ様。申し訳ないですが手伝っていただけますか?」


そう言ってクウ・メイ様が俺に手を差し出した。とまどう俺にすかさずハク・レン様が「クウ・メイ様は目が見えぬのだ」と説明した。


「あっ……! はいっ!」


慌ててクウ・メイ様の手を取る。とても細い手だ。


「ありがとう」

「いえ……ぜんぜん」


俺はクウ・メイ様を気遣いながらゆっくり歩いて家の外に出た。庭先に置かれた丸太の上に彼女を座らせると、俺もその隣に腰を下ろした。


「とても戸惑っているでしょうね。突然異なる世界に連れてこられた上に、救ってくれなんて言われたのですから」

「まあ……そう、ですね」


たしかに戸惑っている。さっき市場で聞いたリンの話にしても、ケンカで何の役にも立たずにリンに守られっぱなしだったことも、俺の中では消化できずにグルグル回っている。

だって俺は特技なんてない普通の大学生で、コミュ障で、人とつき合うのが苦手で、ただ猫が好きなだけで、猫を吸わないと心が落ち着かないだけの弱虫で。

なのに世界を救う英雄になれるような酔拳の使い手で……って、たしかにこっちの世界では猫を吸うことで強くなれるみたいだけど、それでも信じられなくて困っている。


「戸惑うのも無理のないことです。むしろ、戸惑うことなく受け入れてしまえるほうがおかしな話なのです。己をよく理解しているからこそ不安を抱き、怖くなる。でもそれはとても普通のことで、命の尊さをよく知っていらっしゃる、実に人らしい感情であると私《わたくし》は思いますよ」

「……そう、なんですか?」

「ええ。命を粗末にする者は怖さを知りません。不安もありません。命を奪うことにいっさいの躊躇もありません。人を人とも思わぬ魔物の所業です。ですが恐れを知る者は違います。命を粗末にしません。生きのびる道を探します。不用意に誰かを傷つけることもなく、守ろうとするでしょう。ゆえに猫神シン様は守るための力として酔拳を授けていったのです」

「守るための……力」


ええ……とクウ・メイ様は大きくうなずいた。


「酔拳はもろ刃の剣。ひとつ間違えれば身を滅ぼしてしまう拳です。ですから、命を粗末にする者には与えられないのです。対して暗黒拳は奪う拳。攻撃の拳です。酔拳と暗黒拳は楯と矛なのです」

「でも……守るだけではダメなんでしょう? ワンを倒さなければ、この世界に平和は訪れないって」

「ええ、そうですね。ワンを倒さねばなりません。そして暗黒拳を封じなければなりません」

「正直、俺は自信がありません。この世界にいた酔拳の使い手たちがやられてしまったのに、俺みたいな武術もやったことがない人間がそんなヤツに勝てるだなんて……到底思えません」


俺ひとりでどうにかできるわけがない。この世界の酔拳の使い手たちだって敵わなかったんだ。修行して挑んだどころで殺されるのは目に見えている。


「ひとりなら、そうかもしれません」


クウ・メイ様が静かに言いながら、俺の手を取った。細いけれど、とても温かな手が俺の手をそっと握った。


「でも、あなたはひとりではありませんよ、トウマ様」

「あの……トウマでいいです。様ってつけられるのは……ちょっとくすぐったくて」

「では、トウマ。もう一度申しますが、あなたはひとりではありません。この先もずっと、ひとりで戦うことはないでしょう」

「ああ、えっと。それはク・クルがいるからってことですか?」


俺の傍猫である子猫のク・クル。間接的にではあるけれど、一緒に戦ってくれるという点はあながち間違いじゃないけど。


「ク・クルもそうですが、もっと強い味方がたくさんいるでしょう?」

「リン……かな。彼女は俺より強いですしね。それからユン。彼女も治癒の魔法が使えるみたいだし。うん。一緒に戦ってくれたらケガをしても大丈夫そう。あとは……ハク・レン様か。でも、彼は猫だしな。あんまり吸ってもいけないみたいだし」

「でも、彼はあなたと同じ酔拳の使い手ですよ? そしてマスターでもあるのです」


は? 酔拳の使い手!? マスター!? 極めた人ってこと!?


「じゃあ、ワンの罠にはまって呪いをかけられた最後のひとりってハク・レン様なんですか!?」


目を白黒させる俺に向かって、クウ・メイ様は力強くうなずいた。

だから大勢の人の前で名前を呼んじゃいけないのか! 正体がバレたら困るから。

だけどどんな呪いなんだろう? ワンを倒さないと解けない呪いって……


「彼にかけられた呪いは人になれないこと。小さな猫の体ではワンを倒すほどの力も技も使えないのです。もちろん、下っ端程度では猫の姿の彼にも歯が立たないでしょうけれど」


強いのか! そんなに強いのか、あの白猫様は!


「彼の鍵しっぽはワンの呪いの証なのです」

「鍵しっぽが呪いの証!? 日本だと鍵しっぽって幸福の証なんですけど!」

「そうなの……ですか?」

「はい! 鍵の子はしあわせを運んでくるんですよ! 俺の家にいた初代猫も鍵しっぽだったんです! その子も白猫で、ブルーアイズで! 小さい頃は体弱くて、肺炎になって死にかけて! でもめっちゃくちゃかわいかったんですよ!」


その子は俺が中学生のときに亡くなっちゃったけど、今でも俺の中では白猫は特別なんだ。


「では、そうなりますように私は神に祈りましょう。ハク師のしっぽがあなたに大きなしあわせと勝利をもたらすようにと」


そう言ってクウ・メイ様は胸の前で手を合わせた。

右手に握られたヒスイ色の数珠が日の光を浴びてきらめいている。

祈られちゃったよ、俺。これってやっぱりもう逃げられないってことだよな。


「俺、強くなれますかね?」

「ええ。ハク師の教えを受ければ必ず」


クウ・メイ様はそう言って目を細めた。なにも映し出さないはずの彼女の目にはしかしハッキリと力強い光が映っていた。





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