竹林で薬草を摘み、温泉の湯も手に入れた俺たちが家に戻ったときは日も傾いたころだった。
久しぶりの風呂を堪能したどころか浸かりすぎて、ポカポカを通り越してのぼせてしまった俺はダイニングの椅子に深く腰を下ろしてから、リンから渡されたうちわをパタパタと仰ぎながら「ふうっ」と大きく息を吐いた。
「大丈夫ですか、トウマ様?」
ユンが心配そうに俺の顔を見る。俺は口角を引き上げて「だいじょうぶ」と答えた。
「うん、薬が効いたから」
のぼせてため池の縁に突っ伏すような形になった俺に、ユンは摘み取った薬草を使って即席の気つけ薬を作ってくれた。とんでもなく苦かったけど、その薬のおかげでふらふら、ぼんやりの状態は脱している。
ただし、口の中に広がった恐ろしい苦みはまだ取れていない。
ちらりとユンの手にした籐の籠を見る。薬草の他に俺の洗濯物が入っている。パンツは自分で洗うと言ったんだけど「慣れてますから」と軽く笑って断られてしまった。
倉橋斗真20歳。彼女いない歴20歳。これまで母親以外に洗ってもらったことのないパンツは異世界でケモ耳の美少女の手によってきれいにしてもらえるようです。
ああ、なんかとても複雑な思いだよ。
「おかえり、トンマ~!」
留守番をしていたク・クルが俺のところにやってくると、足に体をこすりつけた。ピンっとまっすぐにしっぽを立てて、喉をゴロゴロ鳴らしている。
「ただいま、ククル」
あえてククルと繋げて呼びつつ、小さな頭をなでなでした。俺の手に合わせるように顔を傾けたク・クルは目を細めて両方の口角を持ち上げて笑っている。
「ねえねえ。おふろどうだった? おっきかった? あつかった? きもちよかった?」
つぶらな瞳をキラキラ輝かせる。そんな彼を抱き上げると、俺は膝の上に乗せた。
「すごく気持ちよかったよ。うちのお風呂より大きかったよ。熱々だったから、ククルはきっと入れないね。今度は一緒に行こうな!」
「うん! いくー!」
俺に甘えるように手を伸ばす子猫の姿はとても愛らしい。ああ、こんな姿が10年も見られるなんて、こっちの世界はなんてすばらしいんだろう。
俺のいた世界の猫ちゃんは一年足らずで大人になってしまう。子猫でいる時間はとても短くて貴重なんだ。
それに子猫は子犬と違って小さいうちに亡くなってしまう確率がとても高い。子犬に比べるとすごく弱いんだ、猫の子供って。
だから目を開けていない状態の野良の子猫を拾ってしまった場合、生存させるのはとてもむずかしい。二時間おきに授乳させなきゃいけないし、排せつの手伝いもしないといけない。体温も低くなりやすいから、湯たんぽとかで温めてあげなきゃいけないし、目の病気や回虫がいることだって多いんだから。
「ふあああああ」
膝の上で丸くなって寝始めたク・クルを撫でていたら、なんだか俺もすごく眠くなってしまった。きっと、風呂に入って体が温まったからかな。あとは美少女たちの変なプレッシャーに押し負けたことも原因のひとつかもしれないけどな。
早めに休もう。明日はリンと市場に買い物へ出かけるんだし。
そう思って席を立とうとしたときだ。
俺の目の前に透き通った琥珀色の液体が入ったお茶飲みが静かに置かれた。
爽やかな花の香りが琥珀色の飲み物から漂って顔をあげると、ユンが優しい笑顔をたたえて立っていた。
「花茶です。リラックス効果をより高めてくれるお茶なんですよ」
「花が入ってるの?」
「はい。マツリカというお花を乾燥させたものを青茶と一緒に抽出させたものなんです。少し独特ですけど、後味はスッキリしますし、ゆっくり寝られると思いますから」
ユンの説明を聞いてから、俺はお茶を口に含んだ。
エキゾチックな香りの後に、コクのある味が追いかけてくる。
さっきまで口の中を占拠していた苦みが途端に消えてなくなって、爽やかな感覚で満たされた。
「美味しいな、これ! 俺の世界だとジャスミンティーの味にすごく似てるよ!」
「それも花茶なのですか?」
「うん、たしかそう。俺の母親がフレーバーティーが好きでさ。高校のとき、水筒の中身がいろんなお茶だったんだ。おかげでお茶にはすごく詳しくなったんだ。自分で淹れるまではしないけど、なんかすっごく懐かしい気持ちになったよ」
「まあ、ステキなお母様!」
「きっとこれ飲んだら、あの人喜ぶだろうなあ。それくらい美味いよ!」
俺の言葉にユンは嬉しそうに目を細めた。
「ごちそうさま」
お茶を飲み干して器をユンに返す。彼女は「はい」と返事をすると、ニッコリとほほ笑んだ。
「今日はもう休むよ。夕飯は眠くて食べられそうにないから」
「はい。ではお夜食をこちらに置いておきます。起きたときに食べられるようでしたら召し上がってください」
「うん、ありがとう!」
「おやすみなさい」
「おやすみ、ユン」
ユンにあいさつをした後、俺は眠そうな顔をしているク・クルを連れて部屋に戻った。
ベッドに横になると、柔らかな薄手の毛布を引き寄せる。その上にそっとク・クルを乗せると、彼は気持ちよさそうに毛布を踏みはじめた。
ウールサッキング。そう呼ばれている猫がリラックスしたときにする行為だ。
手をグーパーしながら毛布やタオル、あとは飼い主の腕などをもみもみするのが特徴。
これがまた食べたくなるほどかわいいんだよ! 見ているだけで癒されてしまう、猫好きにはたまらないしぐさのひとつ。
でね、この行いは子猫が親猫の乳を吸うしぐさで、母恋しさにやるとも言われている。甘えているときに使うしぐさだから余計にメロメロになるのかもしれない。
そう言えば、ク・クルの親のことについて聞いてなかったな。
この家にいるということは、ハクに引き取られているということなのだろうか。
ユンとリンもハクに育てられたと言っていた。
ハクは孤児を引き取って育てているのだとしたら、ク・クルにも親はいないのかもしれない。
「そうだよな。まだ、さみしいよな」
喉をゴロゴロ鳴らしながら、一生懸命に毛布をちゅっちゅと吸っている小さな頭を撫でる。
「俺がそばにいるから、安心しておやすみ……」
そっと声を掛けて、俺は彼の頭に鼻を近づけて目をつむる。
イチゴミルクの香りがほんの少し鼻腔をくすぐったけど、それ以上にもうまぶたが重すぎて、そのまま意識を手放した。
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