理性はそもそも、何を知っているというのだ? 理性はただ、今まで正しいと証明できたものを知っているにすぎない。ことによったら、ある種のことがらは、永久に証明できないかもわからない。これは悲しむべきことではあるが、おそらくは真実だ。
「人間という生き物は、自分の内部に存するいっさいのものを挙げて、意識的に、或いは無意識的に、『熱狂』に向かうための活動をしている。見当違いもあるけれど、とにかくそのために生きてるんだ」
「どうして?」
「賢明なこと以外に望んではならないという義務に縛られないためさ」
僕は、自信をもってそう答えた。
「人間という生き物は、この上もなく馬鹿げたことを望む権利を持ちたいと、心の底から願う。僕はさっき、動物に対して失礼だといったけれども、この気質があったからこそ、人間はこの地上の覇者になれたんだ」
「どういうこと?」
「もし人間が、何らかの法則によって動かされているのだとしても、少なくとも一部の人間は、『皆と同じ事をするくらいなら、死んだ方がマシだ』と思うように、プログラムされているってことだよ」
「だとすると、どうなるの?」
「群れという小さな単位で見た場合、ソイツはただのハタ迷惑な奴でしかない。だが、種という大きな単位で見た場合、ソイツは将来の希望となりうる」
おそらくは、まだ言葉もろくになかった時代から、群れに反発する人間はいたはずだ。そして、個や少数になることを恐れず、死地に飛び込んでいく奴らがいたからこそ、人類は滅びずに済んだ。画一的な群れは、それがどんなに巨大で力を持っていようと、何かのきっかけで簡単に滅びさる。恐竜と同じように。
「個や群としては正しくないけど、種としては正しいという事ね?」
「そうだ。そしてその正しさは、決して表には表しえない」
「この馬鹿げた行為、つまり、【自分自身の勝手な気まぐれ】こそ、この世で一番尊いものなんだ。何故ならそれは、僕たちとって最も重要で貴重なもの、すなわち【人格と個性】を保持してくれるからね」
「確かにそれは、人間にとっては尊いものでしょう。しかし熱狂というものは、その気になれば、理性とも合致することができるのではなくて?」
「熱狂を濫用しないで、適度に利用してゆけばいいことかい? 馬鹿げてるよ。この熱狂というやつは、殆どの場合、理性とは相反するものなんだ」
「群れからはぐれる者が、常に愚か者であるとは限らないわ」
「よろしい。ではひとつ、愚か者ではないケースを考えて見よう」
僕は頭の中で、少し思考を巡らせてみた。
「彼がたとえ愚かではないとしても、やはり、あきれ返るほどに恩知らずだ。そうは思わないかい?」
「その通りね」
「だろう? 人間という生き物の最も適切な定義は、『二本足で歩く、恩知らずの動物』だと僕は思う」
「恩知らずで、不道徳な生き物ね」
「その通りだ。確かにそれが、人間の正しい定義かもしれない。そういう人間は、種としては正しくても、個としてはやっぱりクズだ。僕はそのことは否定しない」
この不道徳の当然の結果として、無分別というものが出てくる。無分別が不道徳の結果に他ならぬということに、諸君も異論はないだろう。だがそもそも、「分別に富んだ人間」などというものは概念上の存在に過ぎぬのであって、この世には一人も存在しない。
もし仮にそんな者が存在するとすれば、そいつらこそが本物のキチガイなのだ。
確かに世の中には、非常に徳操の高い人たちがいる。彼らはできるだけ、【徳行と賢慮】に満ちた行動を取って、いわば自分の徳によって隣人のために道を照らすことを生涯の目的としている。ところがどうだろう? こうした人々は、人生の終盤に差し掛かると、突然気が狂ったように醜聞を乱造し、結局、自分自身を裏切る結果に終わってしまうのだ。
「このような奇妙な性質を賦与された生き物から、いったい何を期待することができるっていうんだ?」
「それは、老化による理性の減退に過ぎないとも考えられるわ。一般化するのは難しいでしょう」
「よろしい。ならば僕のようなオタクを使って、期間も数年間に限って考察してみよう」
答えは自明だ。条件を絞ったところで、結論は変わらない。
「僕のような人間に十二分の経済的満足を与えて、ぐうぐう寝たり、美食を貪ったり、自分の好きなアニメや漫画を消費するほかに、何もやることのない境遇に置いて見るんだ。一体、どうなると思う?」
「どうなるの?」
「実際やってみたことがある。半年もしないうちに、何もかもが嫌になって、僕は相場の世界に戻ったよ。金なんかまったく必要ではないにもかかわらずね」
「貴方がそうだったってだけじゃない?」
「いや、違う。勿論、そうなるまでの期間は人によって異なるだろう。だがそれでも、大半の人間は三年と持たないに違いない」
「何故?」
「そう言う人間を、これまで沢山見て来たからさ。そうして彼らは、それまで積み上げて来たものをほとんどすべて吹っ飛ばす。まるでそれが、運命であるかのようにね」
何一つ不自由のない状況に置かれてすら、人間と言う生き物は、ただ恩知らずな気持ちのために、生まれ持った天邪鬼な気質のために、その状況をぶち壊す。そうしてわざわざ、自らを破滅に追い込むのだ。
「人の心は、決して安寧など求めてはいないと?」
「そうだ。そんなものは、ほんのひと時の安らぎに過ぎない。美食の幸福や、経済的自由を棒にふっても、思い切り不合理な、馬鹿げた行動を取りたくて仕方なくなるんだよ」
この道理ずくめの分別くさい世界に、破滅と幻想の分子をまき散らしたいという気持ちから、人はこのような行動をとる。人間は、どこまでいっても人間であって、ピアノの鍵盤ではないということを納得したいがために、突拍子もない妄想を実現しようするのだ。
「経済的な自由や、何もしなくても良い時間なんてものは、幸せでも何でもないということ?」
「それを求めることは幸せかもしれない。だが、それを実際に手に入れてしまう事は、破壊と混沌の始まりでしかないんだ」
「再び個に戻ろうとするから?」
「そうだ。誰にも理解されないことは、存外に気持ちの良いものなんだよ。そこに関しては、僕は引きこもりと全く同意見だ」
『自分だけが、その価値を知っている』という快感に抗える人間は、この世にはほとんどいない。だから人は、それまでコツコツと積み重ねてきたものを、ふとした瞬間にぶち壊したくて仕方がなくなる。愚かな行為で金を失い、周囲に誰も居なくなって初めて、僕らは真の心の安寧を得るのだ。
「安寧を手にするとどうなるの?」
「またイチから何かを始める。それまでのノウハウをかなぐり捨て、今まで経験したこともないことをやりたくて仕方がなくなる。人生はそれの繰り返しだ」
「行き詰ってしまったらどうなるの?」
「どれもこれも手詰まりになって、何も出来ることが無くなれば、人間は全世界に対して呪詛を放ちだすだろう。ある意味で、それが人間の一つのゴールだ」
おそらくこの呪い一つだけで、自分の目的を達することだろう。すなわち、『自分が人間であって、ピアノの鍵盤ではない』ということを、本当の意味で確信できるからだ。
「混沌も、暗黒も、呪詛も、すべては表によって計算できるのだから、いっさいを未然に阻止することができ、結局は理性の勝利に終わるだろう」
諸君はそのように仰るかもしれない。だが仮にそれが事実だったとしても、その時は人間はわざと気違いになってでも、自分の主張を貫徹するのだ! 僕はそれを保証する。何故かと言えば、僕はこれまでの人生で何度も、その一歩手前までは行ったからである。
人間とは常に、『自分が単なる鍵盤ではないこと』を証明したがる生き物であって、人間の営みとは結局のところ、その証明に尽きているのだ。少なくとも、僕らのような人間はそれを証明しようと願う。僕は相場が好きなばっかりに、常にお上に付け狙われるような事態に陥ったが、それでも僕はその決断を後悔はしないし、これからも相場を作り続けようと願うのだ!
こうなってみると、そんな表はそもそも存在せず、少なくとも、熱狂だけは得体の知れないものに支配されていると主張してみたくなるのも、あながち間違いとはいえないだろう。
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