ある相場師の手記

伊集院アケミ
伊集院アケミ

第八話「誇り高きものの堕落」

公開日時: 2024年12月29日(日) 05:31
更新日時: 2025年1月3日(金) 22:31
文字数:3,325

「他者の視線を常に意識し、読者のために書きましょう」


 このテーゼを素直に受け入れた、昔の僕に罪がない事は明らかだ。愚者である事は否定しないが、僕を嵌めたのは、僕にそれを勧めた作家様である。


 僕は彼らがそんなひどい連中だとは思いもしなかった。彼らの罠に嵌った僕は、「評価という地獄」と「意識という病」に捕らわれ、部屋に引きこもって、この『手記』を書く以外に何もできなくなってしまったのだ!


 これはもうなんのことはない、本当の暗渠だ。だが僕は、本当に悪いのは奴らの方だと思いつつも、やはりある種の痛みを感ずる。そして、訳がわからなくなればなるほど、ますますその痛みはひどくなっていくのである。


 さてここで一つ、自著を紙で出す夢を諦めきれない底辺作家を想定してみよう。彼は底辺ではあるが、誇り高き人物である。名前は何でもいいのだが、誰かを揶揄する意図は僕にはないので、ここではその名を、『伊集院アケミ』としておこう。


「はっはっ、なるほど! してみると、君は無視される事にも快感を見つけだそうというんだね?」


 諸君は笑いと共に、アケミをそう嘲るかもしれない。


「それがどうしたっていうんです? 僕は自分の作品に自信を持っているし、放置の中にだって快感はありますよ。僕は丸ひと月、1PVさえ付かなかったことがあるから、確かにそこに快感のあることを知っています」


 彼はそう答えるだろう。そしてきっと、こう続けるに違いない。


「でも、それが何だって言うんです? 作品はちゃんと更新しているし、宣伝だって何度もしている。つまり、タイムライン上でやり取りをする連中すら僕の作品を読んでいないということですが、この意地悪の中にこそ、快楽の秘密があるのです。この絶望の中にこそ、選ばれしものの恍惚と苦悩が表現されているのです」


 無論、この言葉は本心だろうが、放置されることにも快感が伴う事を知らなかったら、彼は最初から、作品を更新なんてしないだろう。彼はその事実を決して認めようとはしないだろうが、『作品が読まれない方がより快感が転がり込むことを、アケミはちゃんと知っている』のである。


 諸君、これはいい例だから、ひとつ話を発展させてみるとしよう。この無益な更新と告知には、当人の意識にとって屈辱的な、【放置】に対する苦痛軽減の意図がある。いや、それすらも演技なのかもしれないのだが、要するにこの行動の意図は、「やるべきことは、ちゃんとやっているのだから、悪いのは自分ではない」という【すり替え】を行う事だ。


 それは一見、最もらしく聞こえる。だが、それはやはり書き手の都合であって、そんなものは読者にとって一顧の値打ちもない。だが、おそらくは諸君も、彼と同じく自分の作品が読まれないことに苦しみ、彼のように考えたことがあるはずだ。


 ところで、何故君らはフォロワーや他の作家の事は責めるくせに、自分の方は平気なのだ? 自分は誰の作品にも興味がないのに、どうして、そんな人間が書く作品が他人の心を打つと、単純に信じておられるのだろう?


 果たして諸君に、鼠を馬鹿にする資格があるのかどうか、僕ははなはだ疑問に思っている。まあそういうのが、いわゆる底辺作家ワナビたちのよくある姿な訳だが……。


 勿論、お付き合いで評価を付けあったり、拡散に協力したりすることはあるだろう。時には、レビューを書くことさえあるかもしれない。だがそれが、決して自分の作品を愛してくれている訳ではなく、同じように宣伝に協力して欲しいからやっているだけであることを、諸君は痛感しているはずだ。


 つまり諸君は、程度の差はあれ、アケミと大して変わらぬ人間である。そして、その志ははるかに低い。その証拠に、傍から見たら取るに足らぬテキストしか書いてない商業作家が大勢のフォロワーたちにもてはやされてる姿を見て、羨ましくて仕方ないはずだ。


 鼠であろうとワナビであろうと、ほとんどすべての人間は評価の奴隷となっている。もし自身の作家性を放棄して【あっち側】に加われば、確かにカウンターだけは回るだろう。だが、回ったところで誰一人感想を残す者など居らず、無意味に増えたPVの数字だけが、永遠に諸君の心を苦しめ続けるのだ。


 孤高に作家性を貫くか? それとも読者の奴隷となって、何でも書くか? 


 どちらを選ぼうと、売文業者の道は地獄である。どちらの道も諸君が望む姿、つまり「自分の作品を書いて、生活の糧を得る」という現実には繋がっていない。あまりにも沢山の作家が居るから勘違いしがちだが、どだいWEB小説というのは、無料で読み捨てられることを前提として作られているものなのだ。さらに言うなら、小説というものが、元々【そういうもの】なのである。


 食うためには、他の媒体の力を借りる必要がある。諸君がいつまでもそれに納得しないで反抗を続けるとなれば、諸君はただ気休めに自分で自分をぶん撲るか、拳固をかためてこっぴどく壁に叩きつけるか、それより他に手は残されていないだろう。


 アケミは、少なくともこの時点では、諸君よりマシな作家であった。だが、誰からも読まれぬ屈辱と、誰のものとも知れぬ嘲笑が原因となって堕落し、ついには、情欲の極みに達する快感を欲するだけの、奇妙なイキモノになってしまったのである。


 諸君、僕は諸君にお願いがある。二十一世紀の底辺作家ワナビたちが放置に苦しめられて、毎日必死に投稿してるツイートに、少し声を耳を傾けてもらいたいのだ。


 それも作品を投稿してから二日目、ないし三日目あたりがよろしい。いつも何かしら呟いているような暇人のツイートではなく、下手は下手なりに本気で誰かの心を打ちたいと思い、一生懸命作品を書いている人間のツイートを見て欲しいのだ。今の流行りの言葉を使っていえば、「なろうから書籍化など、作家性を放棄してるに等しい」と唱えているワナビたちのツイートである。


 渾身の作品を投下したにもかかわらず評価が得られないことで、日を追うごとに彼のツイートは、なんとなく嫌な、胸の悪くなるほど意地悪い調子になる。しかもそれが毎晩ひっきりなしに続くのだ。


 評価の奴隷である鼠たちは、そんな書き込みをしたところで、なんの役にも立たぬ事をちゃんと心得ている。その行為は、ただいたずらに自他の精根を疲れさせ、いら立たしい気持ちにさせるのを良く知っている。にも関わらず、彼らはそういうツイートをすることを止められないのだ。


 かつては彼に好意を持っていたフォロワーも、リアルの知人も、今はもう彼のツイートを読みながら、嫌悪の念さえいだくようになる。


「あれはもう【面当て】から意地になっているだけで、単なる悪ふざけですよ」


 などと陰口をたたかれる。そういう事も、当人はすっかり知り抜いているのであるが、こういう様々な自意識や屈辱の中にこそ、情欲にも似たあの快感が含まれているのだ。


 彼はきっと、内心でこう思っていることだろう。


 僕は今、貴方がたのタイムラインを汚している。フォロワーたちを寝かせないようにしている。僕がこれだけ苦しんでいるのだから、皆も僕が、『作品を読んで欲しいと思っている』ことを、一刻一刻、止み間なしに感じて苦しむがいいんだ!


 貴方たちが僕の本性を見破ってくれたからこそ、僕はこのような歪んだ快楽に目覚めたのだ! 貴方たちは僕の、下品な書き込みを見るのがお嫌なんでしょう? ふん、それなら勝手に嫌がるがいい。今にもっとひどい奴を、書きまくってやるから……。


 諸君! 諸君はこれでもまだわからないだろうか? ミュートをすれば実害はないと、切って捨てられるだろうか? 他人の目を気にして書くことは地獄である。そして、この快感のありとあらゆる陰影を理解するためには、より深く徹底的に精神的発達を遂げ、底の底まで人間を自覚しつくさなければならないのだ。


 諸君はまだ、笑っていられるのか? それならば、こちらも愉快だ。諸君! 僕の洒落には下品なところがあって、おまけに自分で自分をまったく信じてない様子だが、その理由は、『僕が僕自身をまったく尊敬していないから』である。


 そうだよ。これほどまでに自意識の発達し、自身を痛めつけることでしか快楽を得られない人間が、『自身を尊敬する』なんてことがありうるだろうか?


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