ある相場師の手記

伊集院アケミ
伊集院アケミ

第七話「偽物」

公開日時: 2024年12月29日(日) 05:31
更新日時: 2025年4月19日(土) 10:27
文字数:3,206

 直情的な人間に共感する事は出来ない。例え本当にいい奴であったとしても、迷いなく進んだら、たまたま時代が味方したような奴らと、握手をするなんて堪らないのだ。


「他者の視線を常に意識し、読者のために書きましょう」


 このテーゼを素直に受け入れた昔の僕が愚者であった事は否定しないが、僕を嵌めたのは、僕にそれを勧めた商業作家たちである。僕は奴らがそんなひどい連中だとは思いもしなかった。


 罠に嵌った僕は、「評価という名の地獄」に捕らわれ、部屋に引きこもるしかなくなってしまった。そして、誰も読むこともなければ、評価されることもないこの『手記』を書く以外には、何もできなくなってしまったのだ!


 これはもうなんのことはない、本当の暗渠だ。そして僕は、『間違っているのはアイツらの方だ』と嘆きつつも、やはりある種の悔しさを感ずる。そして、訳がわからなくなればなるほど、ますますその悔しさはひどくなっていくのである。


 その悔しさを理解してもらうために、自著を紙で出す事を諦めきれない一人の底辺作家を想定してみよう。彼は貧困ではあるが高潔な精神を持ち、周囲の無理解に耐えて作家を目指す人物である。名前は何でもいいのだが、特に誰かを揶揄する意図はないので、ここではその名を『伊集院アケミ』としておこう。


「はっは、なるほど! してみると、君は無視される事にも快感を見つけだそうというんだね?」


 諸君は笑いと共に、アケミをそう嘲るかもしれない。それがどうした? 実際その通りだ。良いものを産み出しているにもかかわらず、当世の人間にはまったく評価されないことにこそ、芸術家の仕事の価値はあるのだ。悪いものが駆逐され、良いものが評価されるのは、物語の中だけだ。


「僕は作品に自信を持っているし、顧みられない事では傷つかない。確かにそこに、ある種の快感のあることも知っています。でも、それが何だって言うんです?」


 彼はきっと、そう答えるだろう。そして、こう続けるに違いない。


「でもそれは、本物の芸術家が誰しも通る道なのです。作品はちゃんと更新しているにもかかわらず、閲覧数が伸びないという事は、タイムライン上でやり取りをする連中すら、僕の作品を読んでいないということを意味する訳ですが、この絶望の中にこそ、選ばれし者の恍惚と苦悩があるのです」


 無論、この言葉は本心だろうが、『放置の快感』こそが彼の求めているものでなかったら、彼は作品を更新なんてしないだろう。彼は決して認めようとはしないだろうが、『読まれない方がより快感が増すことを、アケミはちゃんと知っている』のである。


 諸君、これはいい例だから、ひとつ話を発展させてみるとしよう。この無益な更新は、実際には快楽を増すための自作自演に過ぎない。しかし、この行動に含まれたもう一つの意図は、「やるべきことは、ちゃんとやっているのだから、悪いのは自分ではない」という『意識のすり替え』を行う事だ。つまり彼は、自身の快楽を増幅させるだけでなく、苦痛軽減もちゃっかりと図っているのである。


 確かにそれは、一見、もっともらしく聞こえる。しかしそれは書き手の都合であって、そんなものは読者にとっては一顧の値打ちもない。面白くなかったり、めんどくさいから読まないだけだ。だが、おそらくは諸君も、自作が読まれないことに苦痛を感じ、アケミと同じような行動をとり、同じように考えたことがあるはずだ。


 ところで、何故君らはフォロワーや他の作家の事は責めるくせに、自分の方は平気なのだ? 自分は誰の作品にも興味がないのに、どうしてそんな人間が書く作品が他人の心を打つと、単純に信じておられるのだろう?


 貴方が交流を厭わぬ人間なのであれば、お付き合いで評価を付けてもらったり、作品の拡散に協力してもらえたりすることはあるだろう。時には、レビューを付けて貰えることさえあるかもしれない。だがそれが、決して自分の作品を愛してくれている訳ではなく、同じことを自作にやって欲しいからしているだけであることを、貴方は痛感しているはずだ。


 はたして諸君に、アケミのような鼠を馬鹿にする資格があるのか、僕は疑問に思っている。程度の差はあれ、諸君はアケミと変わらぬ人間であり、その志ははるかに低いからだ。その証拠に、取るに足らぬテキストしか書いてない商業作家が大勢のフォロワーにもてはやされてる姿を見るたびに、諸君は羨ましくて仕方ないはずだ。


 自身の作家性を放棄して【あっち側】に加われば、確かにカウンターだけは回るだろう。だが、回ったところで誰一人感想を残す者など居らず、無意味に増えたPVの数字だけが、永遠に諸君の心を苦しめ続けるのだ。


 孤高に作家性を貫くか? それとも読者の奴隷となって、何でも書くか? 


 どちらを選ぼうと、売文業者の道は地獄である。そしてどちらの道も、諸君が望む姿、つまり「作品を書いて、生活の糧を得る」という現実には繋がっていない。あまりにも沢山の作家が居るから勘違いしがちだが、どだいWEB小説というのは、無料で読み捨てられることを前提として作られているものなのだ。さらに言うなら小説というものが、元々【そういうもの】なのである。


 食うためには、他の媒体の力を借りる必要がある。諸君がそれに納得しないで反抗を続けるとなれば、諸君はただ気休めに自分で自分をぶん撲るか、拳固をかためてこっぴどく壁に叩きつけるかしか、他に手は残されていないだろう。


 アケミは、少なくともこの時点では、諸君よりマシな作家であった。だが、誰からも読まれぬ屈辱と、誰の者とも知れぬ嘲笑が原因となって堕落し、ついには、情欲の極みに達する快感を欲するだけの、奇妙なイキモノになってしまうのである。


 僕は諸君にお願いがある。二十一世紀の底辺作家ワナビたちが放置に苦しめられ、毎日必死に投稿してる宣伝ポストに耳を傾けてもらいたいのだ。それも作品を投稿してから二日目、ないし三日目あたりがよろしい。ロクに作品も書かず、いつも何かしら呟いているような暇人のツイートではなく、下手は下手なりに本気で誰かの心を打ちたいと思い、一生懸命書いているワナビたちのポストを見て欲しいのだ。


 今の流行りの言葉を使っていえば、「悪役令嬢もので書籍化など、作家性を放棄してるに等しい」と唱えている本物志向たちのポストである。渾身の作品を投下したにもかかわらず、評価が得られないことで、日を追うごとに彼らのポストは、なんとなく嫌な、胸の悪くなるほど意地の悪い調子になるはずだ。しかもそれが、ひっきりなしに続くのである。


 評価の奴隷である彼らは、そんな書き込みをしたところで、なんの役にも立たぬ事を心得ている。その行為は、ただいたずらに周りの人間の精根を疲れさせ、いら立たしい気持ちにさせる事を良く知っている。にも関わらず、彼らはそういうポストをすることを止められないのだ。


 かつては彼に好意を持っていたフォロワーたちも、今はもう彼のポストには嫌悪の念しか抱かず、ミュートするようになる。


「あれはもう【面当て】から意地になっているだけで、ただのクズですよ」


 時折覗きに行っては、そんな陰口を叩かれていることを知る。ミュートされてる事も、当人はすっかり知り抜いているのであるが、こういう自意識や屈辱の中にこそ、情欲にも似たあの快感が含まれているのだ。


 彼はきっと、内心でこう思っていることだろう。


 僕は今、貴方がたのタイムラインを汚している。フォロワーたちを寝かせないようにしている。僕がこれだけ苦しんでいるのだから、皆も僕が、『作品を読んで欲しいと思っている』ことを、一刻一刻、止み間なしに感じて苦しむがいいんだ!


 貴方たちが僕の本性を見破ってくれたからこそ、僕はこのような歪んだ快楽に目覚めたのだ! 貴方たちは、僕の下品な書き込みを見るのがお嫌なんでしょう? それなら勝手に嫌がるがいい。今にもっとひどい奴を、書きまくってやるから……。

 



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