ある相場師の手記

伊集院アケミ
伊集院アケミ

第七話「『壁』の話」

公開日時: 2024年12月29日(日) 05:31
文字数:2,062

 そこで今度は、快感の持つある種の繊細性を理解せず、かといって、直情行動型の人間のように【壁】を乗り越えるほどの情熱もない普通の人間――つまり、君たちについて語りつづけるとしよう。


 君たちは、僕らのような人間に会合すると、牡牛のごとく喉一杯に咆え散らかす。弱い人間には強く、強い人間には媚びへつらうのが、君たちの特質だからだ。しかし君たちは、前述した【壁】にぶっつかると、直ぐに大人しくなってしまう。

 

【壁】とは一体なんなのか? それは、これまで何度も述べてきた自然の法則であり、自然科学の結論であり、もっと単純に言ってしまえば数学である。たとえば、「人間は猿から進化したのだ」と証明されたら、顔を赤らめて怒ったところで仕方ないから、それはそのまま頂戴しておかなければならない。


 こうした壁はまるで鎮静剤か何かのように、平和をもたらす一種の呪文のごとく、世間では考えられている。


『なろうはこれからも、一番の小説投稿サイトであり続けるのだ!』


 と考えることと同じだ。そう信じてさえいれば、何も面倒くさいことを考えずに済むし、痛みも治まる。だがそれは、この壁が「二×二が四」であるという、ただそれだけの事にすぎない。二×二が四であることも、なろうが読者数で圧倒的である事も事実だろうが、果たしてそのことに、一体どれほどの価値があるだろう?


 僕の主張を分かりやすくするために、もっと極端な例を出そう。


 いわゆる偉人と呼ばれる人の存在は、数万人の命を犠牲にしても守らねばならぬ。したがって、あらゆる善行も義務も、その他あらゆる偏見も世迷い言も、この結論を基礎として解決されるべきである


 と、証明されたとしよう。それもやはり仕方がない。自分が屠殺される側の人間であったとしても、それはそのまま受け入れなければならない。なにしろそれは、「二×二が四」であり、数学なのだから。うっかり口答えでもしようものなら、キチガイ扱いされてしまうだけでなく、命まで奪われかねないのだ。


「自然は、君の意見には無関心なのです。君の希望がどうだろうと、自然の法則が気にいるまいと、君はそれを受け容れる以外に手はありません。そしてその結果も、すべてありがたく頂戴しなければならない」


 しかじか、云々。


「とんでもない!」と、僕は思いっきり叫びたいのだが、世間はそれを許してはくれない。


 諸君はこれをおかしいと思わないだろうか? もしおかしいと思うなら、「なろうはこれからも、一番の小説投稿サイトであり続ける」だとか、「他人がどう思うか、常に考えながら書きましょう」というテーゼにも、同じく疑問を挟まねばならないのではなかろうか?

 

 無論、これは数学ではないが、「二×二が四」と同じくらいにワナビたちに受け入れられている考えであり、また、同じくらいにつまらないものだからである。


 ええい、じれったい! 誰が何と言おうと、僕は何故か『なろう』や、「二×二が四」が気にいらないのだ! 自然律やら数学に、僕の作品がなんの係わりがあるというのだ? こんなものを信じ、挙句の果てに頭をおかしくするなんて、なんという愚の骨頂だろう? 


 むろん僕は、自身の力ではこの『壁』を打ち抜くことは出来ない。そんな力は、本当に持ち合わせがない。だからこうして叫んでいる。この壁をぶち抜くだけの才能を持った僕の同類が、きっとどこかに存在することを信じて。


 神が、「そうあれかし!」と望んだ人間、つまり、直情行動型の人間にこの壁をぶち抜かれたところで、僕の劣等感はいよいよ増してゆくばかりである。『他人がどう思うか、常に意識しながら書きましょう』というテーゼに惑わされながらも、己の作家性を貫き、無人の野を突き進むがごとく新たな価値観を構築する作家の登場を、僕は待ち望んでいるのだ!


 そう言う作家が出てきた時、今のなろうの地位は、いともたやすく崩壊する。そして、そこで威張ってた奴らは、破壊者たちの作品を模倣することが出来ない。うわべを取り繕うことは出来ても、その魂を真似することは絶対に出来ないからだ。


 無論、僕は偽物だ。奴らのテーゼに侵され、他人の目を意識せずに生きることなど、もはや不可能になってしまった。だけどけっして、この『壁』と和睦だけはしない。何故かと言えば、僕の前に石の壁が突っ立っていて、僕にそれを打ち抜く力がないという、ただそれだけの話に過ぎないからだ。


 だからこそ、僕はあの直情行動派の人間たちに忌々しさを感じながらも、彼らが壁を破壊したり、真正面から壁を乗り越えて新たな真実を打ち立てていく姿に、ある種の感動を覚えるのである。


 無論、彼らに共感は出来ない。卵から生まれる奴らがまったく信用できないように、彼らは僕らとはまるで違った生き物だからだ。例え本当にいい奴であったとしても、迷いなく進んで、たまたま上手く行った奴らと、握手なんかしてたまるものか! 


 迷い、苦しみ、それでも「間違っているのはお前らの方だ!」と叫びながら『壁』を破壊してゆく作家の登場を願って、僕は一人ぼっちで、こんな手記を書き連ねているのである。


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