この世の一切のものが合理化された時、僕たちは退屈まぎれに、一体どんなことを考えだすか分からない。まったく金の針を刺すことだって、元々は暇つぶしのためではないか?
諸君は、「そんな人間は存在しえない」と抗弁されるであろうが、僕は絶対にそういう人間が出てくることを、確信している。だからこそ、そんな世界は理想的ではないし、人類が目指すべきものでもないのだ。
「それよりも、もっと深刻な事がある」
「なに?」
「こんな世界は、もうごめんだ! と叫ぶ人間が現れた時、ソイツはもはや、金の針を刺されて喜ぶようになっているかもしれないという事だ」
「マゾヒストばかりになるってこと?」
「少し違う。人間は馬鹿なんだ。あきれ返るほど馬鹿なんだ」
僕はそう即答した。
「馬鹿という言葉が適当でなければ、比類ないほどの【恩知らず】だ。どんなに優れたものを与えられても、すぐさまそれを投げ出したくて仕方なくなる生き物なんだよ」
例えばこうだ。見渡すかぎり【分別】で充満しているような未来の世界で、いま僕の目の前にいるこの黒衣の少女が、出しぬけに、なんのきっかけもなく、両手を腰に当て肘をはりながら、一同に向かってこう叫びだしたとしても、僕はいっこうに驚かないだろう。
「どうです、諸君! いっそ、この世界をひと思いに足で蹴飛ばして、猫と一緒に踊りあかしたりして見ては? 別に何か目的がある訳ではありません。私はただ、全てを完璧に予言してくれるこの機械を、滅茶苦茶に破壊したいだけなんです。自分の馬鹿げた意志通りの自由な生活! 案外、それも楽しいかもしれませんよ?」
もしかしたら、拍手喝采さえするかもしれない。
「人間はね、たとえ何者であろうとも、時や場所を問わず、自分のしたいように振舞うのが大好きな生き物だ。理性に従っているように見えるのは、ただ罰を受けるのが怖いだけで、けっして本心じゃないんだよ」
「それじゃ、動物と同じじゃない?」
「同じというのは失礼だ。人間はそれ以下だからね。動物は愚かだが、群れにとってマイナスになることは、決してやらない」
人間は、自分自身の利益に反するどころか、群れにとってマイナスになる事だって平気でやる。いや、時によると、断然そうしなければならないことさえあるのだ。
「話が元に戻ったわね」
「そうさ。人間は熱狂するのが好きなんだ。たとえそれが、どんなに馬鹿げたことであろうと、自分自身の気まぐれ通りに生きる。それが、人間にとっては一番大事な事なんだ。仮にそれが、法に反するものであろうとね」
属する集団から白眼視される行為であろうと、本気でそれをやりたいと思ってしまえば、仕方がない。自分自身の空想や、妄想通りに振舞う事――これこそがすなわち、世人の見のがしている最も有利な利益なのである。
こればかりはどんな分類にも当てはまらない。そしてまた、こいつらの存在のために、一切の体系や理論は、木っぱ微塵になってしまうのだ。この好き勝手がどんなに割にあわなくとも、またどんな悲惨な結果を自分にもたらそうとも、構ってはいられないのである。
「でも、そんな【自分勝手な熱狂】なんてものは、本当のところ存在しないかもしれないわよ? 熱狂とか、自由意志とか言われるものにも、法則はちゃんと……」
「待ってくれ! 僕もいま、その話を切りだそうとしていたところだ」
正直なところ、僕は少しギョッとした。
「君の言い分には、一理ある。しかし、もし本当に、僕らの意欲や気まぐれにすら法則が発見されてしまったら……」
人間は往々にして、【自分勝手な熱狂】という、まったく得体の知れないものに左右される生き物だ。しかし彼女の言うように、もしかしたら、それにすら法則はあるのかもしれない。それらのものが、いったい何に左右されるのか? どういう法則によって発生するのか? そんな問題にまで数学的な法則が発見されてしまったら、その時は……。
「どうなるの?」
「その時はおそらく、人間は熱意そのものを失ってしまうだろう。だって、コンピューターに従って【熱狂する】だなんて、何が面白いものかね?」
その時はきっと、人間は完全に人間でなくなってしまって、ゼンマイ仕掛けの人形か、それに類したものになってしまうだろう。希望も、意志も、欲望もないような人間が、機械の部品でなくて、いったいなんだというのだ?
「本当にそんなことが起こり得るかどうか、ひとつ可能性を考えてみようじゃない?」
黒衣の少女は僕にそう言った。
「いいだろう。僕らの行動は、利益に関する誤った見解のために、大部分は間違っている。そのことに異論はないしね」
僕はそう答えた。
「ではやはり、貴方たちが時として、とてつもなく馬鹿げたことを望むのは、実際、貴方たちが愚かだってことじゃない」
「違う。そうじゃないんだ。正しいとか間違ってるなんてことは、何かを選択する上において、ほとんど意味がないんだよ」
「意味がない?」
全ての熱狂や、自由意思までもがすっかり説き明かされて、コンピューター上で計算されてしまったら、いわゆる欲望なるものは、完全に存在しなくなる。すると、冗談は抜きにして、本当に何か表のようなものが出来あがることになる。いつか僕たちは、本当にこの表通りに行動するようになり、そしてそれを、幸せだとさえ考えるかもしれないのだ……。
いやいや、ちょっと待て。これは、頭の中で理屈をこねくり回す人間の悪い癖だ。ここは一つ具体的に考えてみよう。結論を出すのは、彼女と話しながらでいい。
「いまのなろうの現状は、正しいものであると仮定しよう。そして、正しい行動を示す表も現実にあるものとする。その前提で議論がしたい」
「構わないわ」
少女は答えた。
「たとえばここで、僕がある人に、『異世界転生・チートモノとか、書いてて本当に楽しい?』と煽って見せたとする。やっても全然不思議じゃない行為のはずだ」
「それが、どうかしたの?」
「それは僕の意志ではなく、『異世界転生・チートモノとか、書いてて本当に楽しい? と煽らなければならない』と、表に書いてあるからだよね?」
「そうでしょうね」
問題はこの先だ。
「しかし僕は、正直に恥を晒すけど、その手の作品を読むのは結構好きなんだよ」
「そうなの?」
「ああ、そんな矛盾すら、正確な計算の上で証明されるという事が、本当にあり得るだろうか?」
「個人の嗜好と、物書きとしてのスタンスは違うというだけの話じゃないかしら?」
「いや、それはおかしいよ。真実は一つのはずだ。仮初にも物書きたる僕たちが、本当にこうした表に従い、【異世界転生・チートモノを大量に生み出すための機械】になることを定められているのだとすれば、僕はその結論を喜んで受け入れるはずじゃないか」
彼女は少し考えこむような仕草をしてから、こう答えた。
「元々その世界観が嫌いんじゃないんだし、表にも書いてあるのであれば、貴方は当然、『異世界転生・チートモノ』を書いているはずだと?」
「その通りだ」
「実際に、そうなりつつあるじゃない? 貴方はまだ、異世界転生・チートモノに快楽を見出すクソオタと見なされることを、恐れているだけなのよ」
「まさにその通り! だがここのところで、僕にとっては納得のいかない一事があるんだ。僕は自分の理性に誇りを持っているからね」
「理性?」
「理性は結構なものに相違ない。それには議論の余地がない。だけど、理性は要するにただの理性であって、単に人間の理知的能力を満足させるにすぎないんだ。だが、熱狂は違う。熱狂とは生きることそのものだ」
理性は所詮、人間の生活の一部に過ぎない。僕にとっては、食べて、寝て、出すのと同じ卑近な生理的作用の一つだ。だが、熱狂は違う。熱に浮かされた生活は、かなりしばしば悲惨なものになりがちだけど、それでもやはり生きる目的であって、単なる平方根を求めるような仕事とは違うのだ。
後で絶対に酷い目に合うとわかってても、高値を追う。誰も自分の作品を理解など出来ないと分かっていても、作品を書く。それが僕の生きざまだ。そうでなくて、生きている価値などありはしないじゃないか!
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