ある相場師の手記

伊集院アケミ
伊集院アケミ

第十二話「文明の本質」

公開日時: 2024年12月29日(日) 05:31
更新日時: 2025年1月3日(金) 22:46
文字数:2,682

「技術は本当に素晴らしい。僕らは家に居ながらにしてトレードをし、世界中の人と結びつき、自分の意見を拡散できるようになった。だがその技術が作り出した文明は、人間のいかなる性質を和げたというんだろう?」


 僕は再び、彼女にそう語りかけた。


「タイムラインを見ればいつでも、キチガイのツイートが河のように流れている。親が子を虐待し、子が親に復讐するニュースは、世界中に溢れている。奴らの好きな統計の話をするなら、この国の精神病患者数は四百万人を超え、ダントツで世界一だ。自殺者も、先進国中で最大だよ」


 しかもこの統計の中には、『引きこもり』のように、レッテルを恐れて病院に掛からない者や、年間八万人を超える行方不明者は含まれていない。これが世界中で最も恵まれた国の一つと見なされている、この国の現実なのだ。


「文明は、感覚の多様性を発達させるばかりで、人を幸せにはしなかった。過去には存在しなかった問題、控えめに言っても取るに足らない数しか存在しなかった病を、爆発的に広めただけさ」


 歴史を振り返るに、独裁者として批判されてきた人間は、ほとんど一人の例外もなく高度な教育を受けてきた文化人だった。もはや人間扱いされてないヒトラーやスターリンですら、当時としては十分な教育を受け、芸術を愛す男たちだったのだ。


「この多様性の発達を突きつめてゆくと、人間はおそらく、他人の血の中に、快感や正義を見出すようになるるのでしょうね?」

「その通りだ。戦争という狂気がそうさせたのか? おそらくは違うだろう。戦争は狂気を加速させたかもしれないが、その本質じゃない。戦間期の独裁者を見れば、それはわかる」

「というと?」

「ポル・ポトは、クメールルージュを率いてカンボジアを乗っ取り、差別や格差のない社会を作ろうと本気で思っていた。そして、三年九カ月の統治の間に、百七十万人もの人間を虐殺した。彼は裕福な家に生まれたし、フランスへの国費留学生として選ばれた程の秀才だった。決して愚か者なんかじゃないよ」


 彼のやったことは、人類史上例を見ない壮大な社会実験だったとされている。彼に多大な影響を与えた毛沢東も、元々は教師だった。個人としての彼らは、独裁者のイメージとは程遠い。


もうが民衆を愛していなかったか? 決して、そんなことはないだろう。だが、彼の理想のために命を落とした人間は、七千万人以上だと言われている。教育はむしろ、血を求める方向に人間を駆り立てるんだ」


 政権を取った後の大躍進政策の失敗と、文化大革命で、彼は第二次大戦全体の戦死者を超える人間を死に追いやった。スターリンの大粛清も平時だ。戦争は虐殺というレベルには程遠い。無産階級の解放と、平等な社会を目指す連中が殺してきた人間は、一億人じゃきかないのだ。


「彼らは国を良くしようと思って民衆を飢餓に追いやり、権力を奪還するために信者を煽り立てた。そしていつも、国を富ませるためといって、本当に必要な人間から排除していく。畑さえ耕していれば、皆が幸せになれると言わんばかりにね」


 人間の社会的な基盤が、せいぜい百人にも満たぬ小さな村の中で納まっていた時代であれば、彼らは正しかったかもしれない。しかし、通信技術が飛躍的に進化し、地球全体が一つの村になりつつある現在に、生活だけを元に戻せというのはナンセンスだろう。


「文明は、狂人を拡大再生産するためのシステムに過ぎない。無論、太古の昔から人は人を殺してきたけど、戦争はかつて職業軍人だけが行うものだったし、少なくとも快楽で人を殺すことはなかった」


 僕がそういうと、彼女は、ふと思い出したかのように言った。


「そういえば、クレオパトラは好んで女奴隷たちの胸に金の針を突き刺し、彼らの叫び声を聞くことに、快感を覚えたそうよ。貴方はこれを史実だと思う?」

「思うね。もっとひどい事さえやっていたんじゃないかな」

「どうして?」

「ひきこもりが言ってただろう? 暇を持て余した人間は、何をしでかすかわからない。流血の中に快楽を見出すような人間は、退屈で頭の回る連中だけさ」

「そのようね」

「そういう意味では、暇人には畑でも耕させとけっていうのは、決して間違った話でもないんだ。当の本人がそうしないことを除けばね」

「貴方は冗談も言えるようね」


 黒衣の少女はそう言って、かすかに笑った。


「では、ボンクラな道徳を唱える彼らと、暇を持て余して駄文を書き散らしてる貴方、間違っているのはどっちの方かしら?」

「……」


 僕は何も答えなかった。彼女の質問にどう答えるかは、諸君の自由だ。僕はただ、歴史上の事実を述べているだけである。繰り返して言うが、文明は我々の生活を便利にしたが、人間の幸福には何ら関与していない。


 諸君は、クレオパトラの時代から二十世紀のポルポトに至るこれらの悲劇を、文明が未発達だったからと笑うだろうか? 古い悪習がなくなり、常識と科学が人間の本性を再教育したら、人間は常に正しく行動するはずだと、今だに思っておられるだろうか?


 宜しい。では今はまだその【過程】にあるのだとしよう。諸君の理想が現実のものとなった時、人間はみずから過誤を犯したり、自らの利益と相反する行動をとることはなくなる。そればかりか、この理論を突き詰めれば、その時は科学そのものが人間を導くことになるはずだ。


 人間が何をしてみても、それは決して自分の意志によって成すものではなく、自然の法則によって成されることになる。したがって、この因果律を発見しさえすれば、人間は自分の行為になんら責任をもたないですむようになる。その時は、この世のすべての人間の行為が、自然の法則によって数学的に分類され、まるで対数表かなにかように、年鑑の中に編入されることになるのだ。


 更に言うなら、それらの法則を全てコンピューターの中に入れてしまえば、実際に行動を起こすまでもなく、全ての結果が事前に分かることになるだろう。いっさいの事を正確に計量し、将来を明示してくれるので、もうこの世には行為もなければ、突発事件もないことになってしまう訳だ。


 その時こそ――これは皆、諸君の言葉を代弁しているのだが――数学的な正確さで計算された新しい経済関係が始まって、全ての問題は瞬時にして解決してしまう。それこそが、貴方がたのおっしゃる【理想の世界】な訳だが、本当にそれで良いのだろうか?


 これは、僕自身の意見としていうのだが、たとえばその理想の世界がこの世にあらわれた瞬間に、恐ろしいほどの倦怠が襲ってくるだろう。何故なら、何もかも表に計上されてしまったら、他に何もすることがなくなってしまうからだ。


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