ある相場師の手記

伊集院アケミ
伊集院アケミ

エピローグ

公開日時: 2024年12月29日(日) 05:31
文字数:2,274

 ここで、きっぱり断わっておくのだが、確かに僕は読者を前に置いたような書き方をしているけれども、それはただ見てくれだけの話である。つまり、そうしたほうが僕にとっては書きやすいのだ。それは形式……ほんのつまらぬ形式だけの話だ。僕の作品を心底愛してくれる人などいないと、僕にはちゃんと分かっている。ましてや作品を理解される事なんて、鼻っから期待してはいないのだ。


 僕はこの手記の体裁については、何者にも拘束されたくない。ただ思い浮かぶままに、自分の妄想を書きつけてゆくだけだ。ところでもし、あの黒衣の少女が本当に僕の目の前にいるとすれば、


「貴方が読者を念頭においていないなら、そういった条件を取り決めるのは、一体何のためなの? どういうつもりで貴方はそんな説明をするの? そもそも何故、面白く書こうとする訳?」


 と、僕の事を問い詰めるだろう。


「それが僕のプライドだから」と、僕はきっとそう答える。しかし、僕はいったい何のために、この『手記』を書こうとしているのだろう? 読者のためでないとしたら、何もわざわざこうしてネットで晒したりしなくとも、心の中ですっかり思い起こすだけで良いではないか?


 それはなるほど、その通りだ。しかし、作品としての体裁を整えると、妄想はなんだか、ずっと荘重になってくるように僕には思える。何だかもっともらしく見えるし、自己批判も行き届くだろうし、それこそ妄想になど頼らなくとも、うまい言葉も出て来ようというものだ。


 そればかりでない。僕はこの手記を書いてゆく中で、実際に気持ちが軽くなってきたのだった。新たな創作意欲も芽生え始めた。早い話が、現に今もある古い追憶がずっと僕の心を押し寄せて来ているのだ。


 それはもう第十一話を書いた時から、つまり、黒衣の少女を登場させた時から、はっきりと記憶によみがえって、今ではまるで音楽のフレーズのように、こびりついて離れようとしない。ところがこいつは、いつか振り離してしまわなければならない、厄介な存在なのだ。


 あの黒衣の少女は、十代の頃の僕が生み出したキャラクターの一人だった。僕の闇歴史ノートには、こういったキャラが幾百となく存在している。そして時折、その沢山の中から何か一つがひょっこり浮かび出して、僕の心を苛むのだ。


 だが僕は、いつまでもそんな闇歴史に苦しんでいる訳にもいかない。そして最近の僕はどういう訳だか、「それをネットで晒してみたら、自然と離れてゆくものだ」という妄想に取りつかれている。だから、それを試してみようと思ったのだ。


 もう一つの理由として、単に僕は退屈してるのだ。ここの所ずっと相場を張っていないから、目覚めても何もすることがない。


 ところが、物を書くということは、なんとなく仕事をしているように感じられるものである。ひきこもりは僕ではないが、彼とほとんど変わらぬ生活を、ここ数か月の僕は送っている。だから一つ、「仕事をしていれば、人間は善良で正直になる」という、君らが良く使うセリフを、一つ確かめてみようと思ったのだ。


 勿論、僕はそれが本当の事だとは思っていない。けれども、珍しく堅気のいう事を信じて見ようと思ってしまったのだから、仕方ないではないか? 大事なのは、その行為に意味があるかではない。こんな僕の気まぐれが、誰にも邪魔されない事である。それを求めるのが人間の本質であることは、この手記の中で何度も述べた。



 ずっと雨が降っている。もう七月も後半だというのに、連日酷く寒い。昨日も降ったし、二、三日前もやっぱり降った。そして僕は、この長雨の連想から、いま僕の頭にこびりついて離れない「黒衣の少女」の物語に、ずっと取りつかれている。


 若かりし頃の僕の目の前に現れた黒衣の少女も、こんな霧雨の朝もやの中から突然現れた。十代の頃の僕は、彼女の言葉を必死に書き止め、恥ずかしながらマンガにまで仕立て上げたのだ。投稿したその作品は、箸にも棒にも引っかからなかったけれども……。


 あの黒衣の少女を復活させようと決意した時、僕はこの手記を、彼女の語る『良い話』で結ぼうとしていた。だから、余りにもご都合主義と思われないために、悪い話の方を先に持ってきたのだ。だが、いくら道化とエンタメに慣れた僕でも、自分の過去の闇歴史で今の僕自身を救うのは、気恥ずかしくて無理だった。


 いつか僕が、それを平気でやり遂げられる厚顔無恥な作家となるか、あるいはかつて僕の周りにいた人たちのように「真実」を語る資格を持つ人間になったら、あの少女の事は改めて語りたいと思っている。



 要するに、この手記は完全に失敗に終わった。ひきこもりを救う事も、僕自身の闇歴史を披露することも出来なかった。だが、僕が作家になるにせよ、その目的を諦め、再び相場師として鉄火場に舞い戻るにせよ、自分の人生の転換点に現れた妄想の一つとして、コロナウィルスに振り回された異常に寒い夏の日の思い出として、この『手記』は長く記憶に残るだろう。


 聞くところによれば、ドストエフスキーにとって、『地下室の手記』という作品は、思想的な転換点になった作品だそうだ。僕のこの『手記』も、おそらくはそのようなものになるに違いない。この手記を書かなければ、僕は創作に対するモチベーションを取り戻せなかった。それだけでも、ここまで書いてきた意味はある。僕の腕が鈍っているだけで、黒衣の少女は、本当はもっと魅力的な女性なのだ。


 いつか再びあの少女を語るその日まで、この未完成な物語を、長雨の妄想から生まれた『ある相場師の手記』とでも、しておけ。


『ある相場師の手記』(おしまい)

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート