噓ではない心で向き合いたい

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中学一年生編

公開日時: 2021年2月5日(金) 22:04
更新日時: 2021年2月6日(土) 21:16
文字数:80,542

*愛合孝輔の暗い青春生活が始まってしまった件について


 中学生初日の天気は曇天模様だった。

それが雨に近づいているのか、晴れに近づいているのかはたまた曇りの状態が続くのか天気に精通してない俺にはその先の天気なんて予想出来なかった。

 テレビで午後からは晴れると知った。

もしテレビやスマホがなかったら、どれだけビクビクして一日を過ごすのだろうかと一瞬考えたけど、なくなるはずがないと結論を出し入学式の準備に取りかかった。


 俺の家は、西武池袋線のひばりヶ丘駅から西武バスで八分くらい乗った栗原にある。

 ひばりヶ丘駅は東京都西東京市にあるのだが、栗原は埼玉県新座市にある。

 わずか一キロも歩く必要はいらないで東京都に入るのだが、なぜか前に東京都の練馬区に住むいとこに「ダ埼玉県民」と馬鹿にされた。

 「ダ埼玉県民」と馬鹿にされる度に、東京都民も東の京(みやこ)で、都(みやこ)京(みやこ)である京都に負けてるじゃんと薄々感じていた。


 俺の通う雲馬中学校は中高一貫の私立中学校であり、最寄り駅は池袋駅だ。池袋といえば、The都会だ。

 池袋駅は西武池袋線の上りの終点でもあるから地下鉄直通かだけを確認すればいい(列車種別を確認する必要がない)ので、受験した学校は決して間違っていないと確信している。

俺は自宅から一番近い公立中学校に進学しなかった。

わざわざ電車に乗る私立中学校を受験した理由は、特に地元中学校に進む理由もないと考えていた上に、「受験」という単語がどこかカッコイイと憧れていたからである。

また、家が俺の家の向かいにある幼なじみの野々石亜希も俺と同じ中学校を受験して合格した。

合格祝いとして、二人ともスマホを買ってもらった。


 亜希は、お世辞にも勉強が得意とは言えない。いや、馬鹿だと断言してもいいレベルだ。だからよく二人で俺が勉強を教えてあげていた。俺の成績はそこそこ高かい程度だったが、亜希にとっては、俺の成績は神レベルだっただろう。俺が解き方を教えるといつも目を輝かせて、「スゴイ!」と感嘆していた。

 その勉強中、俺は亜希に中学受験を決めた理由を聞いた。

 亜希の答えは「孝輔と一緒の中学校に行きたかったから」だった。

 亜希は、生まれつきの栗色髪だ。髪型は、ツインテールでアホ毛がトレードマークだ。

よく、そのツインテールでおうふくビンタしてくる。……たまにめざましビンタのときもある。

 俺と同中になりたいと言ったときもそのツインテールをぶるんぶるんしていた。

 わざわざ口には出さなかったが、ホントに嬉しかった。


 小学校時代の中頃から俺は、ほぼぼっちだった。

女子で仲良かったのは亜希くらいだった。

男子とは野球同好クラブに所属していたから話したりするチームメイトはいたが、友達はいなかった。

だからって俺は、友達を作ろうともしなかった。単に男子同士の話し相手ならチームメイトだけでいいと思い込んでいたからだ。端的に言えば面倒だったからだ。

そんな俺を追いかけて、信じてくれたのが亜希だった。幼なじみだから当然なのかもしれないが、友達どころか親友を超えた存在である亜希がいつもいる、この状況は俺の救いでもあった。亜希はよく俺に新しい友達を作ろうとしてくれたが、俺はそれをチームメイトはいるからいいよと丁寧に断っていた。

 周りの児童たちも積極的に俺に話しかけてはこなかった。むしろ避けていたと言った方がいいだろうか。避けられた原因はいまだに心当たりがない。


 ―バス待ち中―

 春風だろうか。突如風が強くなってきて右腕に当たった。俺の右腕には数センチの切り傷跡がある。

小四のときの話だ。

桜を見に出かけた石神井川で溺れていた子猫を助けようとしたときに転んで、水中の割れた酒瓶が右腕に刺さったときに出来た傷だ。風が当たるといまだに痒くなる。そのときに骨折もしてしまった。


あのとき、大切にしていたハンカチを落としてしまった。

子猫も、傷を負っていたものの無事だったが、ハンカチは後日探したのだが、どこにもなかった。

最後に手助けしてくれた子猫の飼い主たちが、拾った可能性もあるのだが飼い主の顔を俺は、ほとんど覚えていない。

そういえばあの事故のときくらいから、クラスの人たちとの距離が広まった気がする。いや気のせいか。きっと気のせいだろう。

 そう考えごとをしている間に、風は吹き止んでいて、気づけばバスが見えていた。

 そして、この日は五分も経たないうちにひばりヶ丘北口に着いた。

 電車を使って通学するのが初めてなので、どこか新しい世界が開けた感じがして気分が良かった。その裏では何も起こらない生活を送れるだろうかとビクビクしていた。


 風景がとても新鮮に感じられた。

 また吹き出した風に揺れる電車の窓、電車の窓から見える田無タワー、晴れた日には残雪までよく見える富士山、桜並木で見栄えのいい石神井川、石神井公園の森、練馬区立美術館のオブジェ、としまえんのフライングパイレーツなどの景色が俺をスッキリさせてくれた。景色の中で最も好きなのは自然である。桜や紅葉はネオンの光では醸し出せない美しさ、奥ゆかしさ、そして悲しさがあるのだ。

 俺が景色に感嘆している一方、亜希は買ったばかりのスマホをいじっていた。メールをしているのか、ゲームをしているのか、SNSをしているのか知らないが、かなり夢中になっていた。

 雲馬中では、スマホ等は登校後に学校預かりになると郵送されたプリントに書いてあったが、わざと出さない人もいるからなのだろうか。隠し持っているのがバレたら一週間没収されるそうだ。

 スマホが持ち込み禁止ではない理由は、遠くから通っている生徒もいて、親に池袋駅に着いたメールを送る生徒が何人かいるからだそうだ。さすが私立って感じがする。


 やはり急行は速い。

ひばりヶ丘駅の次に石神井公園駅に停車した後は、都営大江戸線への乗り換え利用者の多い練馬駅を通過して池袋駅まで直行する。ひばりヶ丘駅から池袋駅まで急行に乗れば二〇分ちょいで着く。

 池袋駅からは学校まで約八分歩くらしい。池袋駅はJRと東武東上線、東京メトロ有楽町線・副都心線・丸ノ内線に乗り換え出来るため、約二六〇万人以上が利用している。駅構内は大混雑ではあったが八分も歩けばある程度、人の気配も減ってきた。

 満員電車で疲れたので人の気配が少なくなってきた事実に内心嬉しくて安心したのだが、その嬉しさと一安心はとある嫌味で消えてしまった。

 あ行の苗字はホントに嫌いだ。理由は名簿の一番上になりやすいからだ。それだけかよと思う人もいるかも知れないが、パイオニアは怖いし、恥ずかしいし、謎のプレッシャーもかかる。そのプレッシャーなんて何も知らないやつらは「あ行の人間」が失敗すると、「アイツ、馬鹿みてぇー」と笑ってくる。

他人事とだからってちょっと馬鹿にし過ぎなんじゃないですかね。


ちょうど中盤の亜希がホント羨ましい。


 『愛合(あいごう)孝輔』の文字はやはり一番上にあった。クラスは二組だ。亜希とは別のクラス(亜希は一組)になってしまった。

 校門付近で既に友達絡みしてる新入生もいたので、友達作るの早くねと驚いたが、俺には亜希がいるし、同じ部活のある程度話せる部員が数名いればいいかと上履きに履き替えた。

 帰りに亜希も友達が出来るか不安だと言っていた。

 亜希は、今ではほとんどの人とは仲良くなれそうなタイプだが、どこかでまだ恥ずかしがっているのだろうか。亜希なら友達作れるよと励ましたら、笑顔で「ありがとう!」と言っていた。

 亜希は、またツインテールを大きく振った。

亜希は、俺に励ましてほしかったのだと確信した。

幼なじみなんだから分かる。


中一生活の初めの一週間はクラス全体で班を変えつつ昼食などを食べていった。その期間中、俺の会話は他の生徒の質問に一言で答えを返す程度だった。周りでは、好きな芸能人や好きな食べ物や好きな国などが一緒だから友達になろうとか怒涛の友達の形成が進んでいた。

 俺から主体的にクラスメイトに話した回数はゼロだった。亜希と行き帰りする時間以外は外を見ていた。

 窓から見える景色は高等部校舎と校庭、そして古錆びた電車が展示してあるファミリー公園くらいだった。

 ファミリー公園で遊ぶ子どもたちを見ると、懐かしいなと感じつつも大人になったな、このままどんどん老けていき、このまま背が伸びないでチビのまま生きていくのかと先の長いであろう未来を悲観した。

 あら嫌だ。目から水が出てきてるわ。


 時期を同じくして体験入部が始まった。

 俺は野球部に入るつもりはなかった。電車通学でグローブやバットを入れて運ぶのはキツそうだし、朝早くはバスや電車の本数が少ないので、朝練がある部活に入るつもりなかった。つまり面倒だったからだ。

更に一週間も経つ頃になると友達が派生してグループになってきた。俺はどうやら波に乗れなかったみたいだ。

俺の知らない間に亜希はグループ内に入ることに成功したようだ。亜希によると、「とにかく人に話をかけて、学校にいる間に連絡先を交換して、共通点を探す、部活」の四つのポイントが大切らしい。ん?今、亜希は暗にスマホを預けていないと言ったよな。いつから君は早速校則破ってしまう悪い子になったんだい。

亜希は小学生の頃から友達を作るときは四つのポイントを活用していた。俺とは正反対じゃないか。

「人に話しかけない、スマホしっかり預けてます、共通点なんて分かりません、部活未定」、これは絶望的なんじゃないですかね。

いや、「絶」は「糸」と「色」からなっている。

つまり、「絶望」はまだカラフルな未来への糸に繋がってる望みがあるとも考えられるんだ!……なんか言ってて悲しくなってきたな。

亜希が入った部活はテニス部だ。テニス部は男女合同練習をしているので、彼女は男女偏りなく友達を作り、男女共に在籍するグループにいる。 

まずテニス部に入部してそこで友達を作ってグループと呼べるくらいまで発展したんだろう。

亜希は小学生のときは、美術同好クラブに入っていたから、美術部に入るかと踏んでいたが違ったようだ。

「ねぇ、孝輔!あーちゃんのラケットの振り方見て!」

亜希のお母さんに買ってもらった新品のラケットを自慢げに見せてきた亜希は、スイングも俺に見せてきたが相当努力しないといけないレベルだと理解した。

「頑張れよ!亜希なら出来る!」

亜希は嬉しそうに跳ねながら、「ありがとう!」と小躍りしていた。

うわぁ、ポメラニアンみたい。

小躍りしていた亜希の傍らで俺はそろそろ部活も選ばないといけないと焦り出していた。ほとんどの運動部には朝練がある。朝は寝ていたいし嫌いだ。やはり文化部にするしかないのだろうか。

亜希と別れた俺は職員室前の部活紹介のポスターを見ていた。すると、

「どうした愛合」

話をかけてきたのは副担任の相馬だった。

「部活どこにしよっかなと考えてる最中です。あ、運動部は朝練に出たくないのでパスで死んでも入りたくないです」

「ハハハ、死んでも嫌か。なら、俺が顧問をしてる思考部はどうだ?」

「シコウブ?嗜むの嗜に好きの好で嗜好部ですか?」

「思うの思に考えるの考で思考部だ。嗜むの漢字が分かるのか、頭いいじゃないか」

「いえいえー」と軽く受け流しながら、カバンに入っていた部活紹介雑誌にある思考部の紹介を探してみた。文化部紹介の最後のページにあった。

部活名:思考部 顧問:相馬聡 部員:なし 活動日:未定 活動内容:将来のために考える力を養います

「部員なし……」

聞いたところによると、思考部は昨年の高校三年生の五名が勉強に集中するために作った部活らしく、思考部の名と内容は勉強が目的だと思われないための口実だったらしい。

「なんで部員がいない部活に誘うんすか?先生は俺をかわいそうな学生にしたいんすか?」

「いやぁ、あの部活はわざわざ監視する必要もないから、自分の仕事に集中出来るんだよ。頼むよ愛合」

文化系同好会は二人から結成可能で、五人集めると部に昇格する。また運動系同好会は五人から結成可能で八人集めると部に昇格する。同好会結成時に部昇格可能な人数がいれば、内容審査さえ合格してしまえば同好会を飛ばして部に昇格出来る。

つまり思考部は同好会を経ずに部活昇格したということになる。

内容審査は厳しくはないらしい。内容に危険性のある同好会や部活以外は結成が簡単に出来るらしい。

同好会名・部活名や活動内容は建前で、裏で卑猥な動画編集したりするゴミみたいな同好会・部活を考えた先輩たちもいたそうなのだが、それらは部活動調査委員会によって潰されたそうだ。同好会名・部活名や活動内容が建前だとしても、怪しい活動をしていない同好会・部活については、部活動調査委員会も許容しているらしく、思考部は許容された部活に分類される。

ただ、部費を使っている上で部員が五人(運動部は八人)未満の部活と部費を使っていなくても部員がいない部活は二年間以内に部員が入らなければ同好会に降格して、更に一年間で会員が入らなければ同好会は解散になると部活紹介雑誌に書いてあった。

相馬の話によると思考部は部費を使わないらしい。

恐らく相馬が俺を思考部に誘った理由は、副担だからや自分の仕事の効率がいいからだけではなく、部員を集めて自分が顧問を務める部活の廃部を防止して、ハードな部活の顧問になるのを避けるためだろう。母方の叔父が教師であるから、部活動の顧問をする辛さは他の生徒よりかは知っていた。

そして俺は、多少は話せる部員は欲しいと深く考えたものの、部員がいなくても亜希がいるからいいやと考えて結局、思考部に入部することに決めた。

かくして、愛合孝輔の暗い青春生活が始まってしまった。


*愛合孝輔が、初めてクラスメイト女子からメールを貰った件について


図書室に隣接してある四番教室が思考部の部室だ。

机と椅子が五つずつあり、筆記用具と白紙や裏紙がいい加減に置いてある。

窓はあるものの、隣のビルに隠れてしまっているため、廊下や図書室の電気がついていなかったら、暗くてはっきりとは見えない。手を伸ばしてもその部屋の電気か周りの電気の助けがなければ、一寸先どころかどこまでも暗闇だ。

どこか悲しい感じがした。

俺はこの場所で図書室から借りてきた新書を読んでいた。そして将来のための教養、読解力などを身につける、これが俺の思考部内での部活内容だった(決して中一から新書を読んでいる俺、カッコイイと考えたわけではない……すいません。中一から新書を読めるなんてカッコイイという自己満足から始めました)

相馬は鍵を開けるときと最終下校時刻のアナウンスするとき以外には滅多に顔を出さなかった。

思考部、それは俺の俺による俺のための部活だ。


雲馬高校・中学校にも夏服・冬服がもちろんある。

一一月から四月までが完全冬服、六月から九月までが完全夏服だ。

五月と一〇月は?

五月と一〇月は制服移行期間とされていて、夏服、冬服どちらでも登校可であり、

 しかも、冬服専用のセーターの下に夏服用のYシャツを着たり、夏服専用のベストの下に冬服専用のYシャツを着れるなどすることも可能だ。

冬服はブレザー、夏服は半袖Yシャツが基本だ。

 俺は、移行期間の初日から半袖Yシャツを着た。

 ブレザーだとスクバのショルダーベルトが滑って、小さな肩から落ちてしまうことが何度かあったから。その度にスクバを手に持って走るのも面倒だし、何しろ急いでいるときに落ちてしまったら、時間の無駄になってしまう。

 それで行きと帰りの電車を逃したことも、バスを逃したことも何度かある。

 ブレザーの素材がスベスベしていているから、その素質を変えない限り防ぐのは難しいと考えたから、俺は移行期間初日からYシャツを着ることに決めた。

 体育の時間の着替えも早くなったし、この選択は良かったと思う。

 ……夏服だけで良くね?


六月が近くなると、徐々に行事が始まりだす。一年生の最初の行事は稲作体験だ。五月下旬から七月初旬にかけて行われる稲作といえば田植えだ。

雲馬中の一年生は社会経験の一環として、稲作体験が毎年行われる。二クラス全員で田植えを行い、一組が七月初旬から同月中旬にかけて行われる中干しを体験し、二組が十月中旬あたりに行われる稲刈りを体験し、そして十月下旬に行われる学園祭(雲馬祭)で米が販売される(販売を手伝うのは一日目が一組、二日目が二組)

田植え体験は、組内で班を作り、区切られたエリアの中を班のみんなで力を合わせて苗を植えていく感じだ。

 班員で力を合わせてか。なぜか俺の口からため息が出た。

担任の海老名は概要説明を終えると、「中学生になって初めてのイベントだからたくさんの思い出を作ってね。思い出は青春の大事な、大事な宝物だから」と言った。ほとんどの陽キャの生徒たちは「ハーイ!」とそれはそれは大層元気そうに言っていた。

大層元気そうだったのは、初めての行事だからであろうか。俺は上手く班に馴染めるか、一人になって先生陣と一緒にやる羽目にならないかどうか心配していた。先生とやる羽目になるならぼっちでやる方が断然いい。

「はい、班を決めましょうね」

恐れてた悪魔の言葉が放たれてしまった。


あぁ、どうなることやら。


直後から班をどう決めるかの終わりの見えない話し合いだ。くじ・自由の間で言い争いが続く。

きっと仲間外れにされたくないのだろう。せっかく入れたグループのメンバーで班を組みたいと考えたクラスの陽キャ集団は、孤立している人たち(陰キャは俺と確か近藤の二人しかいない)に冷たい視線を送る。その目はある言葉を吐きかけてるようだった。

「班に入れなかった者は、残り物と同じ班になっちゃう」の言葉を。

物じゃなくて者だからね。そういう視線で見ないでね。泣いちゃうから。だってまだ子どもだもん。中坊だもん。……でもなんかごめんねと心の中であまりに多い圧にいつも屈してしまうのだ。これでは革命なんて起こせそうにない。

結局、数日間決まらなかった。

お前らどれだけ俺ら(陰キャ)を嫌がるんだよ。え、それを俺らから話せばいいって?お、お前それは……うん、アレだよ。アレ。アレックス・カブレラ選手とアレックス・グラマン選手だよ。別にアレックス・ラミレス選手でもいいけど。

このように、陽キャは物を見る目で俺らを見て、俺は陽キャ罵倒を自己内で展開するか、そもそも考えようともしないで景色を眺めたりする(近藤が俺のようにしてたかは知らないが)

それが続いた結果、ついに業を煮やした海老名は強引にくじで決めて再抽選は一切しない、文句も一切聞かないと半ギレで言った。

くじの結果、俺、津川明日花、権藤丈、茂武京六(もぶ きょうろく)、浅村真尋の五人で一班になった

あ、近藤じゃなくて権藤だったんだ。あは、間違えちゃった、てへぺろ。

でも、陰キャ同士がたまたまくじで同じ班になるとはな。まさかこれを運命と言うのだろうか。いやこれは感銘だ。陽キャしかいない班員にならなかったから感銘を受けたんだ。

津川は、クラスで一番人気のある南善太郎のグループのメンバーだ。声が大きくてうるさいやつとだけ記憶している。いや、声がうるさかったからこそこの愛合孝輔様に記憶されたと言った方がいいだろうか。俺の休み時間の睡み……休憩の時間を台無しにされただけなんだけどね。まぁ、休み時間だから睡眠してても悪くないよな。

茂武は、誰のグループに所属しているのか分からないが、自販機でたくさんの飲み物やパンを買っているのを見た。いわゆるパシリだ。彼はパシリをしたくてグループに入ったのだろうか。そんな人は一部のドMを除いていない。俺がもしグループに入っていたら茂武のようになっていたかもしれない。

結論:グループこえーわ

浅村は、女子の中では出席番号が一番最初の生徒だ。入学式のときに背の低い俺を上から目線で見てきた。俺は下から目線で対抗したものの、フッと笑われた。

絶対に許さない。顔を見たくなかったのに!


俺と権藤は明らかに陰キャ側で、津川は明らかに陽キャ側だ。浅村も津川と世間話をしているみたいだから陽キャかな?茂武は絶対にキョロ充だ。陰キャになりたくないから無理して陽キャグループに入って、やがて力関係を知らしめられてからは常にキョロキョロするようになって「焼きそばパン買ってきてくれない?」と聞かれたら文句を言わずに買いに行く。キョロキョロとご主人様を探し、ご主人様の命令に従うロボットや男装メイドのようだ。

そこにいるのはもはや人間ではない。


五人が初めて集まったときの津川の顔は真っ赤だった。

きっと班員に陰キャ二人がいるから怒っているのだろう。いや、絶対に怒っている。

ごめんね。班員が俺らで。でもね、殺さないで。

きっと将来、卒業アルバムで苗植え体験のページを見た津川は、黒で塗り潰すか、そのページを糊で貼りつけて、黒歴史として封印するだろう。あれ?ホントにされそうで心の中で暴風雨が振り出してきちゃった。


顔を真っ赤にしながら津川は、「ね、ねえLINE教えて」と言ってきた。 

「へ?」

LINEとは無料でメッセージ交換や音声通話可能なサービスだ。

俺は、学校関係者では顧問の相馬と亜希としかLINEを交換していない。海老名監視の下で友達とLINEを交換する時間があったが、みんなが歩き回っている中、俺と権藤だけはずっと席に座っていた。

権藤の場合の理由は知らないが、俺が席を立たなかった理由は俺とLINEを交換したい人がいるなら、自発的に俺の席にくると考えていたからだ。

津川はLINE交換時間内に、俺の所には来なかった。それどころか海老名以外誰も来なかった。

唯一来た海老名も「愛合君も自分から行って、どんどん交換しなさいね」と俺の考えなんて考慮せずに発言してきた。大きくはないが小さくもない声で言ったので、海老名の発言を聞いた周りの生徒たちは、プププと嘲笑していた。権藤の席は偶然にも南の席の近くだったから人混みの中で孤立していて、海老名先生には見つからなかった。

つまり、俺だけが笑われ者にされたのだ。

心の中で何度、海老名を痛めつける方法を考えてシミュレーションしていたか思い出したくもない。

海老名の教える理科は分かりやすいが、俺は海老名が嫌いだ。理由はぼっちとの接し方がめちゃくちゃ下手だからだ。ホント豆腐メンタルの陰キャだったら速攻で引きこもりになるレベルで最悪だったからね。俺の寛容さに感謝してほしいくらいだ。

LINE交換の黒歴史を思い起こしていたら、LINE交換に難色を示す俺に津川はこう言った。

「ほ、ほら、稲作体験の日に休むとき、海老ちゃんだけに知らせるんじゃ、あたしたち大変じゃん?」

海老ちゃんって、クラスにいたっけと一瞬考えたが、海老名のことだと理解した。

スマホを出そうとしたら、南に呼ばれた津川は、さっさと南グループの方に向かい出した。

頼んだ方が去るってどーゆーことだよ。

この時間に俺がLINE交換したのは津川ではなく、陰キャ仲間の権藤とだけだった。

放課後には、津川のことは忘れて四番教室に行った。

誰かが「待って」と言いながら追いかけてる気もしたが、無視していた。

 四番教室の電気をつけた瞬間、突然話しかけられた。

 「なんで、止まってくれなかったの?」

 「あー、俺のこと呼んでたんだ。クラスメイトに呼び止められたことがなかったから、俺とは思わなかったわ」

 そう言ってやると津川は、「エッ」と少し低い声を出した。

 でもすぐに、首を横に振って頬をペチペチ叩くと、真っ赤になった顔を俺に近づけてきた。

 こ、怖い。ひぃいい。

「LINE教えて?」

 金でも取られるかなと少しビクビクした俺は、思わず「は、はい……」と言ってしまった。

 クソッ、屈してしまったか。


津川は、亜希より少し薄いくるみ色の髪をしていて、LINEを交換するや否や顔を思いっ切り上げて、

「ありがとう!」

と大声で礼を言った。その後に、所属グループの人か知らんが、そのLINEを見ると突然、思い出したよう四教室から出て行った。

普段からうるさい声だけど、目の前で聞くと倍だな。南グループのやつらは、この声に耐えているのか。

 やっぱ、陽キャは無理だわー。

……津川の髪型、筆みたいな形してたけど、何ていうんだっけか。

そういうときのGoogle大先生。

ポニーテールというのか。

ん?ポニーテールとカチューシャとシュシュって一緒じゃないのかと感じて先生の知識を拝借したら、全然違った。とある某アイドルグループの歌の影響で全部同じだと思ってた。

……一つ賢くなったが、やってることが変態っぽくて自分で落胆した。

俺が津川とLINE交換したくなかった理由は、LINE上で暴言を吐かれないか心配だったからだ。将来、卒アルで俺の顔を恐らく塗り潰すであろう津川ならやりかねない(※全て愛合の考えごとです)

亜希を除けば初の同級生女子とのLINE交換だった。

懸念はあったが、異性と初めてLINEを交換したのだ。初めての電車通学のときと同じだ。初めてはなぜか知らないが心や脳が盛り上がる。そして俺の脳内では懸念を嬉しさが一蹴した。

その結果、俺は爆発した。

イェーイ‼努力しないで女子のLINEをGETしたぜ‼LINEのプロフィール文を大声で読み上げながら帰りたい気分だぜ‼フーーーーー‼

ホントに嬉しかった。青く晴れた空のもと心の中で桜が満開を迎える春がくる、なるほどこれが青春ってやつかなと興奮していると、その拍子に作業着について書かれたプリントを落とした。


農業作業着は派手でないならなんでもいいそうだ。

作業着を自由に選ばせていいのだろうか。体育着の方が良かったのではないのだろうか。学生に自由で選ぶ権利を与えると碌なことがないのではないのだろうかと疑問に思った。

例えば中一ながら早くも中二病(中一から発症することも全然ある自己愛に満ちた空想などをする、それはそれは大変怖くて、ヤバーイ病気)を発症して魔王のような恐ろしい服を着てきた人が、

「フッハハハハハッ‼この服を見たものは、どんな人間でも、どんな動物でも関わらず闇に飲まれるであろう‼」

と発狂し出したり、クラス一のイケメンの目を引くためにあざとらしくて派手過ぎる服を着て、

「ねー○○君。この服かわいい?かわいいよねェ」

と服を自慢しつつ実は、「ねー○○君。あたちってかわいいよねェ。周り女ってみんなあたちよりもブスだよねェ」と内心で訴えてくるクソビッチも出てくるかもしれない。それの男バージョンで、

「なぁ、△△さん。この服、俺にあってるか」

と服が合ってるか確認しつつ実は、「なぁ、△△さん。君は俺だけを見てればいいんだよ。他のダサい服着てるやつなんて無視しろよ。フン‼」

と言いつつその発言の裏に「この俺様が誰よりもカッコイイから、俺だけを見てろよ。フン‼」という言葉を含ませるクソナルシストも出てくるかもしれない。陰に隠れて学生生活を生きると固い決意を表明した陰キャが影の薄い服を着て、

「僕は……誰にも……気づかれずに……生きる…………」

とブツブツ言う可能性もあると少しビクビクしていたが、俺はそこまで陰キャを極めてないぞ。

やったーと安心した。

プリントの裏面を読んでみると作業着の自由選びに対する懸念はなくなった。

ふざけた服を着てきた人は、反省文五枚書いてもらうと記述されていたのだ。ただでさえ感想文一枚書かないといけないのに、五枚もプラスで書かないといけないのはさすがにキツイ。きっとわざわざふざけた服を着てくる人はいないだろう。


家に帰ると津川が、俺をクラスLINEに招待されていた。

俺は、それまでクラスLINEの存在を全く知らなかった。

権藤も誘われてなかったので一人じゃなくて良かったと安心した上に、ずっと俺は、スクールカーストの最底辺にいると感じていたが、俺と権藤の二人だけはクラスLINEに所属していなかった。

俺はクラスの一員だとも思われていないってことか。

つまり、俺はスクールカーストに属してすらいなかったということだな。

俺は、最底辺ではない。一匹狼だ。ロボットでも男装メイドでもなく狼だ。大神だ。俺はキョロ充集団とは違って強いんだ。偉大なんだ。うわ、なんか言ってて死にたくなってきちゃった。いっそ自殺しちゃおうかな。なんてね、てへぺろ。


家に帰って二人とグループLINEに挨拶のメールを送ってみた。

グループLINEの返信は、なぜか知らんが全て男子からだった。

なら個チャの方はどうだろうか。


亜希以外からの女子からの初めての返信を待つ心はやはりドキドキしていた。床でゴロゴロしながら一定ごとにスマホを見た。ブーと鳴った刹那にスマホを見てみたら、

「亜希:あーちゃんは赤色の作業着で行くよぉー、孝輔は何色?多分緑かなー」

と来ていた。

お前じゃねーよ‼しかも着て行こうとしてた作業着の色を当ててるし。幼なじみマジ怖ッ‼

「孝輔:その通り」

と返信した。

またブーと来た。権藤からだった。

「権藤丈:ありがとね。これからもよろしくね」

うーんお前でもない。けどいい人かもしれないと思った。でも、お前でもないぞ。

ちなみに文の後には面白いスタンプが送られていた。リアルな世界と、ネット上の世界での権藤の差には驚いた。一応、

「孝輔:はい‼」

と送った。それ以降は権藤からは来なかった。

またブーと鳴った。

またも亜希からだ。

亜希、お前には飽きたぞ。

あ、なんかダジャレになってたわ、てへぺろ。

「亜希:イェーイ!孝輔の負けだから、今度、ジュース奢ってね♡」

勝負してたの⁉聞いてねーよ‼面倒だったから返信しなかった。あと、ハートマークうざい。

そしたら亜希から、

「亜希:ブー‼既読無視したぁ!罰としてお菓子も買ってね‼」

と来た。ウゼェ‼さすがにこれ以上は無駄な出費を出したくなかったから、

「孝輔:分かったよ。もう寝るから返信するなよ」

と送ったら今度こそ返信がこなくなった。今度から既読無視じゃなくて未読無視しよ。

津川とクラスのやつらからは来なかったか

ら寝た。


朝起きたら津川からLINEが来ていた。

ヒャホー!亜希以外からの女子からの初メールだ!イェーイ‼と阿波踊りではなく小躍りしながら開いた。

「アスカ:ごめん、寝てた。よろしくね」

だった。昨日来なかったのは寝てたからかー、早寝早起きは大切だからねー仕方ないと自分に言い聞かせた。

そして、俺は布団の上で跳ねて喜んだ。それはそれはもう派手に、カンガルーやウサギように高く跳ねていたのだった。心もピョンピョンしまくった。


「孝輔、元気そうだねー。なんかいいことあったのー?あーちゃん知りたいなぁ」

亜希がバス待ち中にそう言ってきたので、亜希以外の女子から初LINEメッセージを貰ったんだよと言ったら、「え、今更」と嘲笑された。コイツにだけ笑われるのは屈辱だったけど、どんなメッセージが来たのと聞いてきたから、フン!と鼻息出して見せた。

「え、『ごめん、寝てた。よろしくね』だけ……」

そう言った亜希は、ホームレスを哀れむような悲しい目をしていた。

「どーした亜希」

「あのね、孝輔。テニス部の友達が言ってたんだけど、女子が『ごめん、寝てた』とか男子友達のことを『いい人だよ』とかスタンプだけの返信とか『へぇ』とか『うん』とか『そうだね』だけの返信だとか『すごい』とか『さすが』とかテキトーに褒めてくる返信だとか未読スルーする場合って、何とも思ってないというか興味すらない証拠なんだよー」

「え、う、嘘……だろ?ジョークだろ?おいおい噓はいけないぞ。アハハ……ははh……」

「ホ・ン・ト」

ガーーーーーーーン。え、俺、喜んでたんだけど‼カンガルーやウサギのようにピョンピョンピョンピョン跳ねたんだけど‼は、は、恥ずかしぃーー‼

亜希はまた吹き出した。俺はダッシュで逃げて、今日は走りでひばりヶ丘駅まで行こうとした。

亜希につけ込まれそうで怖いなあ。期待した俺、バカじゃん、バーカ‼アーホ‼ドージ‼マーヌケ‼ゴーミ‼クーソ‼死にたいよぉ、塵になりたいよぉ、糞になりたいよぉ、千の風になりたいよぉ。

かくして、愛合孝輔の津川に対する懸念は復活して、憤りも覚えるようになったのである。されど、その感情は表には出されず彼の心の中で何度も津川が罰せられる羽目になったのである。


LINE事件から時経たずして田植えの日が来た。

集合場所は、東武東上線の北坂戸駅前だ。田んぼまでは北坂戸駅から一五分くらい歩くそうだ。

いつもとは反対側のバスに乗ると、また別の風景が見える。心地よかった。無論それは東武東上線に乗ったときもそうだった。

そう考えると、行事もつまらなくはないと感じた。

ただ、雲馬中の生徒がほぼ一ヶ所に集まっているのを見ると、その心地よさは消えた。

亜希も、友達と行くからと俺よりも早く家を出たので、俺とは会わなかった。

俺が着いてすぐに、クラス別に整列させられたから、亜希とは北坂戸でも話せなかった。

そして、出発の時間になった。

初めての行事で盛り上がっているのだろうか。男女名簿順に並んで歩き始めたはずなのに、いつの間にか南ら人気者の周りに他のクラスメイトが集まっていた。俺も一番前にいたはずなのに中盤にいた。用水路を流れる水の音や生徒たちに注意してるだろう先生たちの声がほぼ聞こえない。聞こえる音といえば、たまに走ってくるトラックや車の音だけだ。

それくらいうるさかった。

お前ら初めてだからって盛り上がり過ぎだろ。お子様かよ……まだ俺もお子様なんだけどね。

授業中は、気に障るほどにはうるさくないから驚いた。そして、すぐに呆れた。


よし着いたぞと言われて見た田んぼは想像よりも大きかった。

だが、考えてみれば二クラス同時に田植えするんだから大きくて当然かと心の中で呟いた。

つまり、一エリアも俺の想像よりも大きかったということになる。

まぁ、五人いるから少しはサボれるだろう。

野球同好会の選手だって夏には、監督も適宜水分補給休憩をしていいと言っていた。今回も適宜水分補給するように言われている。

それは熱中症対策のためである。

腰を低くして作業する田植えで、俺の腰が悪くなる可能性も十二分にあり得るのだ。俺は腰を悪くしたくない。腰痛にならないようにするために休憩するのだ。健康状態を保つためにサボるのだ。

だから、俺がサボったとしても悪くはない。俺の責任ではない。悪いのは……津川じゃないですかね……

ほら、あいつのせいで俺、飛び跳ねちゃったから。


稲を泥水の中に埋めていくという機械的な作業だったから決して難しい作業ではなかったが、作業を始めて早速疲れを見せ始めた人がいた。

津川だ。

津川は、先生陣に少し休んだ方がいいと言われたのだろうか。木陰で休み始めた。

おかげで俺はサボりにくくなってしまった。自分もサボりたいと思っているのに、他の人がサボったり休憩しているとちゃんと働けよと内心思った。

クッ、先手を打たれたか……

俺は、野球をしていたから、基礎的な体力には自信があった。権藤・茂武・浅村は、顔の色を一切変えずに作業していた。

海老名は、「班員で声出し合って、協力して親睦を深めましょう」と言っていたけど、営業マンは個人戦争だ。数を稼げないと金を稼げない。協力して仕事するのなんて一大プロジェクトくらいだ。だから個人で俺はする。社会でもそうなのだから決して間違ってはいないはずだ。


津川が戻ってきた。

まるで水分補給をした人のように生き返った感を醸し出していた。

津川は「ごめんね。あたしの分もしてもらっちゃって」と班員に謝罪してきた。

ホントだよ。津川の分までやってあげたんだから俺、サボってよくね?

だが手を抜こうとしたら津川に「動きが遅いよ」と笑顔で言われた。

俺は、「あ⁉サボってたんはどこのどいつじゃい‼ボケ‼」と心の中で罵倒して津川をどんな悲惨な目に遭わせてやろうかと思考した。

それだけでは飽き足らずに、「馬鹿ビッチ」のあだ名を心内で名づけた。津川は「馬鹿ビッチ」というあだ名の存在をもちろん知らない。ただLINE事件とサボり事件の腹いせだ。


ふと、田んぼの外の道を見ると、猫が歩いていた。小学生のあの日、助けた猫と同じ種の猫だ。あのときは子猫だったが生きていたらあれくらい大きくなっているだろう。元気なのだろうか。俺の救った命を大切にしてほしいと静かに思った。

まだ、六・七歳くらいだと思うけどね。

「あ、あの……愛合(あいあい)君って、やっぱり猫が好きなの?」

「馬鹿ビッチ」が話しかけてきた。しかも名前を間違えてるし。俺は愛合(あいごう)で、愛合(あいあい)じゃねーよ。なんだよあいあいって、アイアイザルみたいじゃねーかよ。

小学生三年の頃、昼休みに「アイアイ」が流れたときに音楽の先生がネタで俺に「アイアイくん」と呼び始めてからクラスのやつらに軽くめっちゃ馬鹿にされたのを思い出した。

クソ最悪じゃないか。

クソ音楽教師・志木、許さないぞ。「アイアイ」のゴミみたいな思い出を思い出す一方で、ただその頃は輪の中で仲良くやっていた記憶がある。小四の頃からは志木が俺を「アイアイ君」と呼んでも笑い声すら聞こえなかった。それから志木もそう呼ぶのを辞めてしまった。少し悲しかったけど俺はドMではないぞ。

なぜ津川は、俺に猫の好き嫌いを聞いてきたのか。

それに、なぜ「やっぱり」という言葉を使ったのか、俺は津川と面識があったのだろうか。記憶を探してみても、やはり何も思い当たらない。


とにかく、「馬鹿ビッチ」に「喧嘩売ってんのか?」と心の中でブチギレて、更に心の中で「馬鹿ビッチ」を田んぼの中に落として実際には、「ああ」と言った。

そうすると、「馬鹿ビッチ」は笑顔で、「それな!」と言ってきた。

そして、津川はコクリと下を向いて、両手を自分の胸に置いていた。

俺は、何が「それな!」だよ。なんか友達みたいな感覚で接触してきたんだけど。

キモイなぁ。グロイなぁ。俺のこと何も知らないくせに友達ぶってんじゃねーよ。


少し暑かっただろうか、股間が少し痒かった。

この痒さは女子には絶対に分からない痒さである。しかも人前で股間を搔きむしるわけにはいかないので、我慢しなければいけない。

痒みならまだしもガードレールにあそこをぶつけたときの涙が出そうになる激痛を我慢するのは辛い。

ホント、男は辛いよ。

股間辺りのことを意識すると、どうしても親父と兄貴のことを意識せずにはいられない。

 別にオカマなのではない。そういう意識とは全くの別方向、抱いている感情は「怒り」と「憎しみ」が大半だと自己理解してる。


 俺の触れられたくない、絶対の黒歴史で弱点だ。


 *愛合孝輔が、過去の事故を想起した件について


田植えは結局、俺のサボる時間なくして終わった。

長時間腰を下げるのは、さすがに痛い。今日は深い睡眠が出来そうだ。

クソッ、深夜番組見れないじゃないか!

え?遅寝遅起きが低身長の理由じゃないですかって?

やめろォ!やめてくれィ!で、でも!まだ遅刻してないし!……まだ五月末なんですけどね……


帰り道途中の水路に、カエルがたくさんいて女子たちがギャーギャー騒いでいた。それを南がお掃除すると、ギャーギャーからキャーキャーに変わった。

調子のいいやつらめ、滅びよ!

亜希と帰ろうかとも思ったが、亜希が集団で歩いているのを見たので諦めた。

亜希は、一組の女ボスこと獅子堂眞子のグループのメンバーだ。


いつも威圧感を醸し出して歩いているから、目立ち過ぎていて俺も自然と獅子堂の名前を覚えた。

きっと獅子堂がこの前の女子のLINEでの反応について亜希に教えたんだろう。

そう推測するのは、獅子堂はテニス部に所属していて、亜希に色々なことを教えてくれているらしいからだ。

亜希も体験入部で会った獅子堂と、色々あって共に行動するようになったしい。

獅子堂のテニスの実力については亜希同様、下手らしいけど。


今朝も今もそうだが、最近、亜希と登下校する回数が減ってきた。

ひばりヶ丘駅を利用する人は亜希のいるグループ内にはいないらしいが、西武池袋線なら全員使っているらしい。

ぼっちにはなりたくないんだろう。

亜希がいない登下校の時間は、ムードメーカー兼ムードブレイカーがいないからだろうか、どこか寂しかった。

だからと言って泣いてまで一緒に帰りたいわけではないけどね。

亜希は、たまに音量がバグった音楽プレーヤーのように爆音を発する。その後の俺を見る周りの視線と言ったら集団で獲物を追いかけるハイエナのように怖いのだ。

だから一緒に帰りたいなという気持ちはあるものの、どうしても一緒に帰りたいわけではないのだ。


俺は、家付近の森を見て回ろうと考えて、栗原でバスを降りた後に森林に向かった。

俺らの学校付近には、都心だから当たり前なのだがビルばかりで森林はない。だが家の周りは森林がいくつかある。

ダ埼玉だから森林があるんだよとか言っちゃダメだよ。むしろ都市化が進む中で自然環境を残していることを称賛されてもいいレベルだぞ。


自然とは素晴らしい。まず空気が全部美味しい。そして風景が心を掴む。生命の生き様を見ている気分になる。

 森林での俺の仕事は、クワガタやカブトムシを捕まえることだ。

 クワガタやカブトムシといった昆虫類は、動物取扱業に登録なしで販売が出来る。希少種類のクワガタやカブトムシ、種類を偽ったクワガタやカブトムシを売ると逮捕される場合もあるが、そんな犯罪はしない。多分。

俺は、野生のクワガタやカブトムシを捕まえて、それらを売る店に渡す農作物の生産者みたいなことをしている。

俺たちの学校では高校生以外はバイトが禁止されている。だけどこれは決してバイトではない、趣味だ。多分。

 今日森林に来たのは、木と歩道を確認するためだ。毎年の天候で森の環境なんてすぐ変わってしまう。昨年の台風で林の木が倒壊したのは知ってるから、尚更注意しなくてはいけない。  

 俺は、いつも夏になるとクワガタやカブトムシを捕獲して、「昆虫フォレスト」に売る。「昆虫フォレスト」は、石神井公園駅にあり、夏に子ども向けの虫を売っている。売った場合の金額は、大体一〇〇円から五〇〇円。オオクワガタだと二〇〇〇円以上になるときがある。もちろん向こうではそれ以上の金額で販売される。小三のときに不思議そうに質問したら、それが商売というものだと店長に諭された。

 虫取りで、注意しないといけないのは、蚊と蜂である。

蚊は、刺されると痒くなり皮膚病がひどくなるかもしれない。

蜂は、言うまでもなく、毒を持っているからだ。俺は、虫の羽音が苦手だ。だからイヤホンでも付けて探しに行っている。虫除けスプレーももちろん大切だ。

 一度正面からキイロスズメバチが襲撃してきたときは一目散に逃げた。

 怖がり?いやいや、それはその状況に遭遇したことがないからそう言えるだよ。多分。

そのときは無傷だったので安心した。その一方で、カブトムシの羽音でしゃがみ込んでしまったときは稼ぎ分を逃したと思い、空へ飛んでいく金を想像しながら落胆した。

そして、残ったのはカブトムシ特有のにおいだけだった。

鶴岡一人さんの言葉だったか、「グラウンドにはゼニが落ちている」のと同様に「森林にはゼニが落ちている」のだ。


 俺はトラップなんて作らない。それでも一日二匹以上は見つけられる。

なんでトラップを作らないかって?それは面倒だし、金の無駄だからだ。トラップにいなかったときのショックと飛んで行った金を考えると何もしない方がノーダメージだし。


 この森林には湧き水がある。湧き水の方に向かって細い道がある。

この道の先には俺の希望がある。蜜がたんまり出る樹木が五本くらいあるのだ。

その木の辺りは蚊しか飛んでなかった。

まぁ、まだですよね。


 ある程度見終わったので家に帰った。森林を抜けた辺りから蒸し暑くて、汗だくになってしまったので、家に帰った後に速攻で風呂に入った。

 風呂から出て室内倉庫を開けるとゴミを入れたゴミ袋がまた増えたことに気づいた。


 家の整理はついてきた。山ほどある袋には、使われなくなった兄貴の私有物が入っている。買ってくる度に、「愛合創一」と名前を書いて俺の物だからなと触らせない。強欲でしかない。


兄貴は、自分の意志を持っているのだろうか。


兄貴は、流行や言葉に流されやすい人間で、プロ野球やプロサッカーで最近注目され始めた選手のユニフォームや応援旗を買って、周りの人がアンドロイドだからって、全国的に割合の高いアイフォンをわざわざ買い替えるまでした。大学の同級生が彼女を作って童貞を卒業すれば、池袋まで出て女を作ってヤリまくりついには妊娠させる。

果てにはさほど興味のないアニメまで課金して観るようなやつだ。

これはもう病気だろう。俺はこの病気を「怯え病」と呼ぶ。兄貴の病気に悩まされた母は、兄貴を追い出した。俺が小五のときだ(その後、大学を中退した兄貴が何をしているかは知らない。知りたくもない)

親父の不倫がバレて、兄貴が出て行って、それで平和は戻ったと思っていた。

だが崩壊は、じわじわと陰で進んでいた。

だがこの家は、兄貴の馬鹿馬鹿しい行動よりも前に、俺が小学四年のときに壊れていたのだ。兄貴の病気もこのとき以降(それ以前までは自分の意見・考え方をはっきり言わずに、自分の意見・考え方とは反対の相手の意見・考え方に同意していた程度だった)酷くなった。

また、俺が虫取りに走るようになったのもこの頃からだ。稼がなきゃと焦る一方、魔界である家にいたくはなかったという理由もあった。


 その魔界で生きていた俺を癒してくれたのが亜希と俺の妹の茜と飼い犬の「シャンス」だった。

 亜希は、よく俺の相談相手になってくれた。

親父と兄貴の問題で、母が苦労していたのは小学生だった俺にも理解出来た。俺は母をこれ以上悩ませたくないと感じていて悩みなどについては自分で考えるか、亜希に相談していた。亜希を癒しだと感じたのは、母親代わりに不平を聞いてくれたから、つまり不満解消・不満放出の相手になってくれたからだろう。俺も亜希の相談相手によくなったものだ。

 茜は、明るくて笑顔が生き生きとしているが、本気で俺が悩んでいたら黙ってお茶を入れてくれる。深く介入せずに一人で考える時間をくれる「無言の優しさ」に救われたのは何度もある。

 俺はそんな妹が大好きだ。もちろん恋愛対象としてではない。

 何年間も兄妹をしてきたんだ。俺は母や妹の下着やヌード姿を見たって何も思わないし何も感じない。

 母のブラを見たくらいでラブに落ちるほど俺は変態ではない。そもそもそれくらいでドキドキするやつの方が異常だ。

俺の食事用のイスに、母のブラや茜の下着がかけっぱなしのまま気づかずにご飯を食べたことだって何度もある。

家族の下着なんて、所詮そんなもんでしかない。


シャンスは、俺が三歳のときに飼い始めたメスのプードルだ。

シャンスは、フランス語でchanceと書く。

英語では、「チャンス」と発音して、「偶然」とか「機会」の意味だが、フランス語では、「シャンス」と発音して、「幸運」が意味だ。

我が家に幸運をもたらすようにと「シャンス」と名づけられたわけだが、この家は果たして幸運と言えるのだろうか。

元々は、レッド寄りのアプリコットだったが、買い始めた数ヶ月後にトリミングから帰ってくると、クリーム寄りのアプリコットになっていた。

調べてみるとプードルがトリミングから帰ってきた後に毛の色が変わるという現象はよくあるらしいけど、当時はそんなこと知るはずもなかった。

だから、初めて白いシャンスを見たときはこの犬はシャンスじゃないと思ったものの、シャンスと呼べば耳を少し上げて首を傾けて近寄ってきたから、この犬は、シャンスなんだなと納得したが、それでも当時は、赤いシャンスとの違いにコンプレックスを感じていた。

それでも、小学生のころになると白いシャンスが愛おしく思うようになっていた。

シャンスは、俺が嫌なことがあり辛い顔をしているとカタカタとかわいらしい足音を鳴らしながら俺の目の前にくる。俺が腰を下ろしてシャンスを抱くとシャンスは、ペロペロとなめてくれた。

シャンスがそうしてくれるといつも俺は泣いていた。子どもは悲しいときに親に抱擁されたらどう思うのだろうか。

恐らくその温かさにホッとしたり、泣いたりするのだろう。でも俺はそのような記憶はほとんどない。シャンスの温かくてフサフサしていてフワフワの毛が親代わりだったのかもしれない。

犬は、人間よりも寿命が短いから別れる日がやがてくると知っているが、俺は、果たして受け入れられるのだろうか。泣きじゃくらないだろうか。

犬飼ってるのに、猫を助けたのか、この裏切りヒーローがって?

俺は動物全般好きだぞ!少なくとも人間よりかはな!それに溺れていたんだから助けるのは当たり前じゃないか。

とか言ってるけど、ホントはすぐに助けたわけじゃないんだ。


練馬高野台駅から一〇分くらいあるくと南田中橋に着く。

春には、南田中橋から川の両端に咲く桜道を見ることが出来る。

満開時には大勢の人がくる場合もあるが、別にその日は例年に比べて大勢というわけではなかった。

雨が降っていたからでも、桜がまだ咲いていなかったわけでも、桜が散ってしまったわけでもない。

その当時の南田中橋付近では、不法投棄がする不良たちがいたらしく、川の中はゴミだらけだった。

せっかくの花見も、ゴミで「美」を完全には感じられなかった。

それが、見物客が例年より少なかった理由だ。

ただ、それでもその年の中では見物客が来ていたそうだ。よく、この辺を散歩しているというおばあちゃんが言っていたから、恐らくそうなのだろう。

ペットボトルやら紙切れやらがプカプカと浮かんでいた。

また、その不良たちが柵を乗り越えて、川面で立ちションしていたという噂もあり、その川にだけは、絶対に入りたくなかった。


その川に子猫が入ってしまったんだ。

子猫がどういった経緯で川に入ってしまったかは不明だが、恐らく虫でも追いかけていて、柵の隙間から川面の草原を抜けて、川に入ってしまったんだろう。

石神井川自体、水深は深くないものの、猫は水が苦手であり、それが子猫となれば尚更恐れるのは確実だ。

俺がその出来事に気づいたのは、その飼い主の一人であろう眼鏡をかけた女の子が、泣きながら、その家族に訴えていたからだ。

「〇〇を助けてよォ!パパァ、ママァ!」

〇〇には猫の名前が入るのだが、どうしても思い出せなかった。

彼女の両親は、泣き続ける娘を慰めつつ、水でヒステリックを起こしている子猫を見ると、「〇〇が落ち着いてからにしよう」みないなことを言っていた。

当初俺は、俺には無関係な問題だとして騒音の中、桜を見ていた。

ただ子猫が、あまりにもミャーミャー鳴き続けるため、俺が親父に「助けに行こうよ」と言った。

親父は、俺に耳打ちで「……今日、汚れるわけにはいかないんだ」と言って動こうとはしなかった。

茜は、風邪のために家で寝ていて、母は、腰痛持ちで、兄貴は、イヤホンつけていて自分の世界に入っていたので親父に再度頼んだのだが、親父が舌打ちしたので、それ以上は何も言わなかった。

親父の目が、怒る寸前だったからだ。

俺は、親父の対応に殴ってやりたいくらい、怒りを覚えていた。

心の中で何度、クズと叫んだことか。


ふと我に返って子猫を見ると一瞬、目が合った。

その目は、未知の恐怖に怯えているからだろうか分からないが、大きく開いていて二つの瞳孔は、俺に何か伝えてるかのごとく、鋭かった。

……このまま、見殺しにしたら呪われそうな感じがした。

親父に怒りを感じていても、俺も何もしていないじゃないか。

俺もクズじゃないか。

刹那、俺は立ち上がりジャンプで柵を越えて、階段とその先の草原を抜けて、汚い川に飛び込んだ。

子猫を掴むのは容易だった。

ただその後、ガラスの破片で右足から出血していたその子猫に引っかかれまくり、子猫を抱く態勢を変えようとした瞬間、苔石に滑って転んでしまった。

それと同時に右腕に激痛が走った。

俺は、何とか子猫を保持したまま、激痛の走る部分を見て、初めて赤黒い血が思いっ切り流血していることに気づいた。

激痛を、目を赤くしながらも、唇を噛みしめて我慢して、ようやく階段まで着いたのだが、子猫が俺の血を舐めようとしたのだ。

その瞬間、「大丈夫ですか⁉」と子猫の飼い主三人が迎えに来た。

素直に、くるのが遅いとムカムカした。


腰痛に耐えながら母も来たのだが、親父と兄貴だけは、来なかった。

母は、俺のズボンのポケットに絆創膏が入っているはずだからと言ったのだが、飼い主たちが、包帯を持ってきてくれたので、それを使おうとした。

俺は、ポケットに突っ込んでた左手を勢い良く抜いて、まるで、ご褒美に飛びつくシャンスのように、包帯を手にした。

激痛のせいでその人たちが、どんな表情をしてたのか、どんな服を着てたのか全く覚えていない。

そして、今では顔もほとんど覚えていない。

だって、激痛でそれどころではなかったから。


ガラスは結構深くまで突き刺さっていた。ついでに軽度の骨折もしていてギブスをつけることになったのだが、それが霞むくらいそっちの方が重症だった。

親父は、俺が戻ると「……馬鹿だな」と小声で言った。

母が、なんで何もしなかったのかと親父に問うと、帰ってきた返事は「血で汚れるから」だった。

兄貴は、母が動き出した辺りから、その騒動に気づいたらしいが、今度はメールを始めた。

とにかく、俺も最初はこの二人と同様のことをしていたんだ。

率先して素早く動いて、子猫を助けたのではない。

あれは、子猫の眼光に恐れを感じたのと、親父への怒り故の突発的行動だったんだ。

自己満足のための行動だったんだ。


あのときの眼鏡をかけた女の子は俺をヒーローと言っていたが、俺はヒーローなんかじゃない。


そして、俺はなぜ親父が、こんなに服を汚したくなかったのか、当時は見抜けなかった。



*愛合孝輔が、幼なじみの違う面を見た件について


七月一四日は俺の誕生日だ。

茜からは、筆箱を貰ったけど母からの誕生日プレゼントは何だろうかと期待していたら机に『はい、誕生日プレゼントね』と書いてあった手紙と共に置いてあったのは二〇〇〇円分の図書カードだった。

チッ、中学生になったからってゲーム機は卒業だってことか。

まぁ、本も読み始めるようになったから使うとは思うけどね。誕生日プレゼントに図書カードって子どもの趣味を知らない親が渡すイメージがあるから少し悲しいな。

ありがたく使うけどね。

さて、お次は亜希からかな。

 

 亜希は俺の家の前で待っていた。

そういえば今日は朝練ないんだっけな。

「あ、孝輔!今日は何の日でしょう?」

「My birthday」

「正解!これプレゼントね!」

亜希から貰ったのは財布だった。この前PASMOというICカードと財布が一緒だから金があまり入らないと言ったからだろうか。

「あーちゃんの誕生日プレゼントは何にしてもらおうかな?」

「そーだな。年越しそばとかいんじゃね?」

亜希の誕生日は一二月三一日だ。

奇しくも茜と同じ誕生日なのだ。茜にも誕生日プレゼントを買わないといけないから高価な物はプレゼント出来ない。

まぁ、そもそもその高価な物にあたるであろうネックレスなどのアクセサリーショップがそもそもどこにあるか分からないんだけどね。

そういうのを求められたら、ナットにダイヤみたいなシールを貼って渡そうかな。

「ブー、年越しそばなんて渡してきたらどうなるか分かってるよね⁉」

ヤベーよ、亜希さんまるで俺の母がGで始まるとある嫌われランキング一位の昆虫を叩き潰すときの目をしてるじゃないか!

これは言い訳で弁明するしかなさそうだと思い、「スマホ関係のプレゼントなら?」と聞いてみたら、「あ、たしかに!あーちゃんピンク色のイヤホンとか欲しい!」と言ってきた。

そーいやコイツ、学校に黄色のイヤホン持って行ってたのがバレて没収されたとか言ってたな。

高校生になるまで我慢しろと言ったのだが、「あと何年あると思ってるの!」と逆に怒られた。

あとまだ約三年も中学校生活があるのか。

ほとんどが内部進学するらしいから、もしエスカレーター式で高校に進学したら、約六年くらい亜希以外の繋がりを持たずに学校生活を過ごしていくのかなと想像すると少し泣きそうになってきた。

いや、これは汗だ。涙なんかじゃない。

つまり、俺は泣きそうにはなっていないっことだ。発汗しただけに過ぎないのだ。

夏は暑いから仕方ないよね。


夏休みの序盤にはサマースクールがある。ここでは魔の行事、キャンプファイヤーがある。

何が魔かというと女子と踊らなければいけないってことだ。

期末試験前にキャンプファイヤー実行委員を決めている最中に俺は、キャンプファイヤーをどうするか下を向いて一人で考え過ぎて海老名の話を聞かなかった結果、委員になってしまった。寝てたとでも勘違いされたようだ。

テスト返却が終わった今日、サマースクールの会議があるらしい。


 ……はぁ、面倒くせーな。テキトーにするか。

会議室である一年一組まで移動するのも面倒だなと感じたが、海老名に「行きなさい」とやや強めの口調で言われたので仕方なく一年一組の教室に行った。


それにしても海老名の眼光鋭かったな。結婚出来なそう。


 「あれ?孝輔‼」

 この学校の関係者では、俺と亜希と相馬と海老名くらいしか知らないであろう俺の下の名前を呼んだのはやはり、亜希だった。

亜希も立候補したのかと聞いたら、獅子堂に亜希とやりたいから委員になってと言われたかららしい。

張本人の獅子堂はトイレに行っているらしい。

俺が委員になった理由を知ると亜希は、手を叩いて笑っていたが、すぐに亜希の目は活気をなくした。それでも獅子堂グループのメンバーと話すときは、笑顔の亜希を演じていた。

幼なじみなら分かる。

 その笑顔は作った笑顔であると。


 獅子堂は戻ってくると亜希にこう質問した。

 「ね、亜希はさァー、甘いカフェオレ好きだよな?」

 亜希は身長と性格に沿わずブラックコーヒー好きだ。そう、他は子どもなのにそこだけ大人なんだ。俺も何度飲まされて嫌な思いをさせられたか(マジでブラックコーヒーの何がいいんだよ。カフェオレの方がいいじゃねーか。俺は辛くて酸っぱくて苦いくてマズイ食べ物や飲み物は嫌いだ)

 「うん!あーちゃんは、カフェオレ大好きだよ!眞子!」

 え?亜希、病気になったのかな?いい精神病院紹介してあげようか?

 「マジそれなー。マジでブラックコーヒーを飲んでるやつの気がしれねーよな。あ、あと亜希はもちろん猫派だよね?」

 コイツは犬派だ。昔亜希の家では「小豆」というメスの黒柴犬を飼っていた。だからよくシャンスを散歩に連れて行ってくれる。だから俺が猫を助けたときは、

 「孝輔が犬派を裏切ったァー!あーちゃんを裏切ったァー!ビェエエエン!」

 と小四のくせに大泣きしたのをいまだに鮮明に覚えている。

もう一度言うが、俺は人間以外の動物派だ。

 「うん!あーちゃんも猫ちゃん大好き!

ワンちゃんは大嫌い!」

 ……嫌な感じがした。大雨が降る前に雨の妙なにおいがするような感じがした。

 俺はこんな野々石亜希を知らない。

いや、思い当たる節はあるが、それとこれは同類にすべきなのか、それが分からない。


俺の目の前にいるのは野々石亜希の姿をしたまだ症状が軽い頃の兄貴だ。亜希も「怯え病」になってしまったのだろうか。

 

 *カオスの中の愛合孝輔が、経験したキャンプファイヤーの件について


 亜希の件はホントに驚いた。

そしていまだに俺は信じられない。

そして俺はその後に獅子堂が、この場にいない一組の高山という女子が、ブラックコーヒー好きであり犬好きだから、グループから追い出そうとか言っていたことにも驚いた。

いや、驚いたどころか慄いた。

やっぱグループ怖いじゃないか!ぼっちで良かった!

また、それにも亜希は、迷うことなく賛同していた。

あまり口を出さないでおこう。亜希にも亜希の考えがあるのかもしれない。

そう、俺には理解出来ない考えがあるのかもしれないし。


 今はそれよりもキャンプファイヤーだ。一年一組も二組も男子の方が女子よりも二人多いという事実を知った。

え、クラスLINEに入っときながら今までクラスの男女の人数も知らなかったのかって?LINEのアカウント名だけじゃ男女の区別がつかんのよ。名簿も話したこともない人の名前を覚える行為が変態っぽいなと思ったから覚えていない。

そもそもクラスメイトを全員覚えるくらいだったら歴史上の人物を覚えた方が約に立つだろ。だから俺は悪くない。クラスメイトを全員覚える代わりに俺は鎌倉幕府の将軍と執権と室町幕府の将軍と江戸幕府の将軍を覚えたんだ。賞賛されてもいいレベルだ。


そんなことはどうでもいい。

とりあえず俺はその枠を狙うのだ!

俺と権藤を除けばクラスの人たちは会話を交わす程度女子と仲がいいと思う。知らんけど。

多分女子に男子を選ばせれば、俺と権藤が残ることになるだろう。そうすれば女子と踊らずに済むのだ!フフフフフ腐腐腐腐腐!

 「えー、キャンプファイヤーの男子が女子役をする話だが、くじ引きにするぞ」

 そうそう、女子が選ぶ形式にしますってうん?今何て言った?くじ引きに聞こえたけど……

 「反論はあるか?」

 反論大ありだ!

 「はいッ、なんで……」

「おい、愛合。まだ呼んでないのに喋りだすとはいい度胸だな。おい」

 「す、すいません……」

 爆笑された。は、恥ずかしいよぉー

「で、何だ?愛合」

 「はいッ、なんで女子が男子を選ぶ形式にしないんすか?中には女子が組みたくない男子がいるかもしれないじゃないすか」

 「それも一理あるが、好き嫌いはダメだろ。そうだろ。愛合?」

 たしかに人の好き嫌いも野菜の好き嫌いもダメだけど!このまま地獄のキャンプファイヤールートに突入するのは嫌だ!

 「で、でもッ」

 「そうだろ⁉」

 「は、はい……」

 終わった。終わったよぉー。余計な気遣いしやがって!

 一組担任の体育教師坂井に押し切られた。「曹長」と呼ばれる先生に反抗する勇気がなかった。

 結局、そのまま決まってしまった。

俺はとっとと亜希と帰って坂井への不満を聞いてもらおうとした。


 亜希は廊下で獅子堂と話していた。

 「ねぇ、亜希あの文句言ってた男子って、チビだし絶対陰キャだよねー。ウチ、あんなのと踊るなんて絶対無理だわー。同じクラスじゃなくて良かったー」

 いやいや、人の身長で陰キャと断定するなし。間違ってないけど……亜希、ガツンと言ってやれ。

 「うん!あーちゃんもあんなのと踊りたくない!」

 え……

 亜希は、一度も戸惑わずにその言葉を発した。

物心ついた頃から一緒だった。

小豆が亡くなったときは犬のキャンディーを買って必死に慰めた。俺にとって亜希は家族同然だった。俺もアイツのおかげで助かったと感謝したことは何度もある。

ホントに何度もある。

でも知ってしまった。俺と亜希との関係が壊れつつあるかもしれない事実を。


 亜希が俺を悪く言ったのは想定外だった。今まで俺を嫌う素振りなんて一回も見せたことはなかった。

 ミシミシと崩れる音がする。このままでは完全に壊れてしまいそうだ。普段なら壊れないように必死に修復していただろうけど、いやそもそも完全に崩れないかもしれないが、今は食い止める気にもなれない。壊れるなとどこかで願いながらも、壊れろ。失せろ。消えろと思う。これが俺と亜希の今の関係だ。そして、その割合は、今は前者が五で後者が五だ。

 つまり、半信半疑だ。

 時間が経てば元に戻るのだろうか。壊れないのだろうか。


 それから俺は亜希を避け続けた。避ける理由の本音を言えば勢いよく壊れてしまいそうな関係を完全に壊したくなかったからだ。

でも終業式の日に亜希は何もなかったかのように追いかけてきた。

 「なんで孝輔は、あーちゃんを避けるの?あーちゃんの体に、なんかついてるの?」

 そうだね‼口にゴミでもついてるんじゃないかな‼ゴミでも食べたんじゃないですかね‼

 「ッるせーよ‼どっか行け‼」

 多分亜希は、この前のあの言葉を聞かれていたとは思ってもないのだろう。

ホント、何様のつもりだ。


 前に聞いた噂がある。


俺が小四のとき、俺は川で大怪我を負い、家も複雑だった。


軽度の骨折ではあったが、骨をくっつけるために腕を固定していた。

利き腕が固定されていたため、授業や掃除の時間にも他人の支えが必要だったのだ。

当時の席順は、名字順であったが目の悪かった人と一番前だった俺が席順を替えたために俺は、亜希の隣の席に座っていた。

 くじで決まった掃除当番でも俺と亜希は同じグループで、亜希は「運命の人みたい」とウキウキしていた。

俺も、最も気軽に話せる人が隣の席で、その上、同じ掃除当番班にいるのは色々ラッキーだと考えていた。

俺のノートを取ってくれたのは亜希で、俺がゴミじゃんけんで負けたときに一緒に運んでくれたのも亜希だった。

その頃の亜希は、ほとんど俺の近くにいてくれた。


だが、俺の知らない所で、クラスメイトが「野々石は愛合の奥さん」とからかったそうだ。

亜希がそれに反論したそうだがどう反論したか噂で聞いたくらいで詳細は知らなかった。

だが腕がある程度、回復して親父のしでかしたことの整理もついてきて、一人でノートを取ることもゴミ捨ても出来るようになった頃には、俺は周りから避けられるようになった。

亜希は普段通りに接してきたが、何が起こったのかずっと不明だったし、噂では「俺に脅された」と亜希が言ったと聞いていても、噂は噂だし亜希は俺を陥れる行動はしないと信じていた。


でも今回の亜希の言葉を聞いて、あの噂が本当なのかもしれないと失望した。


 そんな中で迎えたサマースクールだった。

結局あれから亜希とは接触せずにそのまま夏休みに突入したのだった。俺はぼんやりとしていた。でも誰も心配する素振りなどない。 

俺は風みたいだ。

知名度なさ過ぎて亡霊が写ってるとか言われそうだな……

 鍾乳洞探検、カヌー体験、カレー作り体験、俺は委員としての仕事をしつつ吹いてくる風を冷たく悲しく思った。

 風は空の料理道具を幾度か連れ去ろうとした。

まるで俺と亜希との関係に吹く暴風のようだ。

 もし俺が目の前にいてからかわれたら、亜希はどうするんだろう。

 どうか風よ。その瞬間がくるまで、壊れないでほしい。終わらせないでほしい。それを確かめるまでは持ってほしい。

それに期待はしているけど悲痛も聞こえてきた。

 気づけば俺は木材を運んでいた。

 あー、キャンプファイヤーか。俺は男子側になっちゃったんだっけ。

 女子側になった男子は権藤と南グループの江藤豪。

 いいなぁ権藤。代わってくれないかな。てか権藤、稲作体験に続いて運良過ぎるだろ、裏約束でもしてんじゃないか?

正直、元から女子とは関わりたくはなかったが亜希の件を経てもっと悪化して関わりたくもないとガッカリしていた。

 キャンプファイヤーでのダンスはどっかのジャニーズグループの曲がかかっている間、女子がぐるぐる回る感じだ。

 火をつけるときの曲である「燃えろよ燃えろ」が終わると、「マイム・マイム」が鳴り始めた。

 「マイム・マイム」は開拓地で水を掘り当てた人々が喜び狂う様子を歌った楽曲とキャンプファイヤーのしおりに書いてあった。

 目の前にあるのは水ではなく火なんですけどね。

「マイム・マイム」では、海老名と相馬を挟んで男女分かれての出席番号順で踊ったのでクラスの女子とは手を繋げないで済んだ。……もう「マイム・マイム」で、終わりで良くね?

そして、ダンス曲が流れ始めてしまった。最近よく聞く曲ではあるが、グループ名も歌名も知らない曲だった。

流行に流されたか。

俺と踊るやつのパターンは予想通りだった。

 俺と踊るやつのパターン、「手を繋がなくてもいいいね?私の手、汗ばんでるから」、踊り終わった瞬間、「やっぱ暑い」と独り言を言いながらズボンで両手を拭く女、汗ばんでるからや暑さの理由は嘘で、単に俺と踊りたくなかっただけだろう。だって次の男子とは普通に踊ってたし。

もっと酷いやつらもいた。無視して次の男と踊る女にはさすがにムカついたが、心の中で罰するまでには発展しなかった。

亜希の件でそれどころではなかったのだ。それに普通に踊ってくれた女子の目もそれはそれは死んでいた。ちなみに江藤の目も死んでいた。

 もう一人の男で女役である権藤は、「火が熱いね。熱中症で倒れないようにしないとね」

と気遣ってくれた。

ありがとう。権藤。君は裏約束なんてしなそうだね。ごめんね、疑って。

うん、疑った贖罪としてあまり関わらないようにしよう。

 女子で手を繋ぎたくない言い訳以外で話しかけてくれたのはただ一人、「馬鹿ビッチ」こと津川だけは違った。炎のせいだろうか、彼女の頬は赤ばんでいた。そして、「アイアイ君、なんかあった?」とどこか頼ってほしそうに言ってきた。俺は、「委員が鬱なだけ。やりたくてやってるわけじゃないし」と答えたが、ホントは聞いてほしかった。亜希との話を。

けど、長く話したこともないただのクラスメイトに幼なじみについて話すのはさすがに気が引けた。

 ただ、津川はいいやつなのかもしれないと感じた。「馬鹿ビッチ」と呼ぶのは止めてあげようかな。

うん、「馬鹿ビッチ」というあだ名をつけた贖罪として津川とも関わらないようにしよう。

 ダンスが終わった後は、「遠き山に日は落ちて」が流れて火は消えて行った。これで俺の記憶から忘れようとしても忘れられないで

あろうサマースクールは終わった。

 それにしてもドヴォルザークの曲はいつも最高だな。

 「新世界より」は好きなクラッシック音楽の中でも上位クラスだ。

 このような、現実逃避の言葉しか思い浮かばなかった。

 亜希とドヴォルザーク、どっちが大事なんだと自分に言い聞かせても、いくらでも逃げ言葉が、逃げ思考が出てくるのだ。


 *収穫の時期、愛合孝輔に中二病症状が出かけた件について


 サマースクールが終わった後の残りの夏休みは宿題に追われる日々だった。

もちろん金稼ぎしていた。

森林にいる間は自然体でいれた気がする。

「乱獲して生態系を壊さないようにしないとな」と「昆虫フォレスト」の人が言っていた。

「壊す」か。どんな物も者も壊せばなくなってしまうのだろうか。壊れても戻る「もの」はないのだろうか。いや、そんなのはないだろうな。壊れ始めたら壊れて、壊れないものなんてないんだろうな。

「昆虫フォレスト」は、石神井公園駅からバスを使わずに、徒歩で行ける。

雲馬中への通学範囲ないだからⅠCカードの残額は気にせずに電車に乗れる。


虫を追いかける無邪気な子どもたちを見ると、ため息が出てきた。


帰りにひばりヶ丘駅に着くと茜が迎えにきてくれた。

「おにーちゃん‼迎えにきたよー」

「何だ迎えにきたのか。茜」

「うん‼それと茜、旭のかりん糖、食べたいなーって思って‼」

それが目的だな。

亜希もよく迎えにきたとか言いながらアイスバー食べたいと言ってきたりする。つくづく計算高くてクレバーな女子だなと思う。

ちなみに旭のかりん糖とは西東京名物のかりんとうである。

余談だが西東京の人は、あまり埼玉県民を馬鹿にしない。

どうやら二三区とそれ以外の市町村にも多大な格差があるらしい。

えー何それ、東京怖ッ。埼玉の方がいいじゃねーか。

ホントに、「オラァ、東京さぁ行ぎでぇ。オラァ、東京さぁ出て金持ちになるんだぁ」と言ってる田舎の人たちは、東京に来ない方がいいと思う。

悲しい現実と区民によるイジメみたいなものがあるだけだから。


茜は、親父や兄貴とは違って性格が良くて優秀だ。我が家に生まれてきたのが哀れなほどだ。

妹には、しっかりとした生き方をして欲しい。

だから、俺は茜を支えたい。

妹はまだ小四だ。まだまだしたいこともあるだろうに、ホントかわいそうだ。

ホント、家の金まで浪費した父兄への怒りが止まらない。

「おにーさまは元気かな」

「知らねーよ。アイツは、もう家族じゃないから」

茜は兄貴をおにーさま、俺をおにーちゃんと呼ぶ。

茜も、一線を画したいんだろう。

 兄貴が突然帰ってこなければいいんだけど。

 俺にも認めたくない事実がある。

それは、俺にもあの化け物たちの血が流れているってことだ。俺は頑張って自分を強くして妹を楽しませたい。

妹は俺が守る!

あれ、俺カッコイイ!

 とりあえず、旭のかりん糖を買ってとっとと帰った。


 次の日に俺は、夏風邪をこじらせて外出すら出来なかった。

 毎年必ず風邪をひく。

 咳をすると、肺にモヤモヤが溜まっているかのように感じてまた咳が出る。

 咳喘息ではなかろうかと疑われたこともある。

 その咳は、酷いときは肺に穴が開いたように感じるほどに胸を苦しめて、大きく出る。

 また、俺は熱が出る病気や鼻水などが出る病気が治りかけになると、決まってその咳が付属してくる。

 とある病院では、咳喘息ではなく、気管支喘息じゃあるまいかと言われて、レルベアなる吸引型の薬を貰った。

 咳喘息は、咳を主体とする喘息で、気管支喘息は、「ゼーゼー」や「ヒューヒュー」という音が聞こえる喘息らしい。

 確かに、付属してくる咳を我慢するとき、たまに「ヒュッ」という音が出る場合がある。

 それを聞いた雪だるまみたいな女子生徒が笑ったこともあった。

 コイツは、いつもグーグー寝てるくせに、だから雪だるまなんだよ。

 ホント、溶かして永眠させてやりたい。あの雪だるま。

 その雪だるまは、寝るテクニックが上手いためか、授業中に怒られたことを見たことはなかった。

 やるべきことをしないまま、他人をあざ笑うのはおかしいと思う。だから、雪だるまには尚更、ムカつく。

 ただ、最近はレルベアの効果があったからだろうか、「ヒュッ」という嫌味な音は出ない。

 それでも、たまに出るので、きつくないと言えば嘘になる。

だから、ホント風邪は嫌いだ。


 久しぶりに外出したのは、母方の祖父母の家に行ったときだった。

ちなみに父方の祖父母は既に他界している。

 祖父母の家は、道場というバス停の近くに歩いた場所にある。

栗原からひばりヶ丘北口方面の逆である朝霞台・志木・新座営業所方面に三駅行くと道場に着く。道場までは三駅しか離れていないのだが最近は祖父母の家に行っていなかった。

 前に祖父母の家に来たのはまだ春休み中だった。隣に新しい家が解体されていて工事音がうるさかったのを覚えている。

 普段の日は、家事やら宿題やらで祖父母の家には行けていない。

ゴールデンウイークに来られなかったのも課題に追われていたからに他ならない。

母も朝から晩まで働いているし、親父は夜勤していることを盾にして、昼間はいびきをかいて寝て昼のシャンスの散歩も手を抜くような自分勝手なやつだからわざわざ挨拶なんて自分から行こうとはしない。

また、家事すら手伝おうとはしない。夜ご飯は出来ていて当たり前、自分で作ろうとはせずに目覚ましが鳴るまで起きようとはしない。目覚ましを設定せずに寝坊した日は、バスと電車で通勤していると会社には報告しているのに車で行こうとする。

積み重ねた噓の数は数え切れない。

なのに、まだ離婚話を全く聞かない。

 母はまだ親父のどこを愛しているのだろうか。

 母の髪には白髪が生え始めていた。

 祖父母の白髪よりは少ないが、目視で確認出来るほどには、生えている。

 苦労してるのが一目瞭然だ。


 祖母に「新しく本屋が立ったから見ておいで」と言われたので、どれくらいの大きさの書店なのかと興味を抱き見に行った。

 「島書店」が新しく立ったのか。暇な時間に立ち寄ってみよっかな。

 結局この日は外見だけ見て立ち入らなかった。

 それでも本屋を見ると、どうしても立ち寄りたくなってしまう。

図書室に置いていない本も恐らく売っているだろう。

本を読んでいると、なんか書物があるとパラパラ見たくなる。本依存症になってしまったのかな、アル中とか薬物依存症よりかは安心安全だけどな。

 祖父母の家も商売をしている。

 「二条文房具店」という店だ。

 祖父母の家の表札を見る度に、愛合という名字が嫌になる。

 前にも言った通り、あ行だからなのとこの名字がまるで呪詛のようだからだ。


また祖父母は、自作畑も営んでいるから、わざわざ野菜を補給する必要がない。

森林が栗原の家より遠いのが少し面倒だが、ここで住んでみるのも良さそうだ。夏休みの外出の思い出は虫取りと祖父母の家の訪問くらいだ。

家族旅行は?

家族旅行なんて小四くらいから行った記憶がない。

泊りの家族旅行なんて茜がまだ三歳くらいのとき以来行った覚えがない。

亜希と椎名町駅前の夏祭りには毎年行っていて、今年も亜希に誘われたのだが、祖父母の家に行くと嘘をついて断った。

今年の夏休みは宿題を終わらせて虫と戯れる、去年までとは違ってどこか虚しい日々だった。


 ……あと一日だとぉ⁉おかしい何かの間違いだ。

 俺は、一日を終えるごとにカレンダーに斜線を引く。

そのカレンダーに夏休みはあと一日で終了すると書いてあったのだ。

 テレビ、スマホ、デジタル時計でも日付を確認してもやはり、日付はカレンダーと一緒だった。

 「いい加減、現実を受け入れなよー。おにーちゃん」

 茜の言葉で更に傷がつく。

また、そういう茜の目も死んでいた。シャンスはトイレにうんちを成功させたからとご褒美ちょうだいと跳ねて、引っかいてくる。

犬は暇で羨ましい。

うん、よく見てみたら一個飛び出てるじゃないか。最後の一個が完全に落ちる前に動き

出したな、コイツ。

 失敗は失敗だ。ご褒美はあげない。

 自分では失敗したと思っていないのだろうか。クンクン鳴いている。

 か、可愛いィ。あげちゃおうかな、デヘヘヘヘ。

って、馬鹿‼絆されるな‼出ていけ‼俺の生物欲‼……生物欲ってなんだよ。

俺が、正体不明の生物欲と闘っているとき、茜が扇風機の前で「アー」と声を出していたのを止めて聞いてきた。

 「で、おにーちゃん。夏祭りに亜希姉と行かなかったのはどして?」

 ウッ……

 刺された気がした。その痛みがする部分を触ってみると赤い液体が……

 なんじゃぁ、こりゃぁ‼って出てるはずがない。


 妹は、動物で言うならカモノハシだろうか、ペンギンだろうか、ハリネズミだろうか。

妹はかわいい動物っぽい。ただ時々、痛い所を突かれる。

カモノハシはかわいい。カモノハシの癒し顔は多くの人を魅力してきたであろう。

俺も魅力された一人に分類される。

しかし、カモノハシの爪には毒がある。何も知らずにカモノハシに触ろうとする人間は、痛い目に遭わされるからも知れない。それは人間の場合にも適応する。

 茜は、かわいらしい笑みを浮かべて、毒を刺してきた。

 俺が黙ると、もう一度今度は、俺似の黒髪短髪を傾かせて聞いてきた。

 完全にお菓子欲しいって駄々をこねるときの顔じゃねーか。

 その顔で毒をぶっ刺すなって。

 

 ん?

 茜の髪をよく見るとカエルのヘアピンをつけていた。

去年の、茜の誕生日にプレゼントしたカエルのヘアピンだ。

まだ持ってたんだ。お兄ちゃん嬉しいよ。ずっとひよこのヘアピンしてたから、捨てちゃったと思ってたよ、グスグス。

また、そのカエルのヘアピンが、更に俺の思考を深める。

 カエルもそうだ。

キャラクターとしては人気でファンも多いだろうし、実物でもアマガエルは、そこそこ人気がある。

 そのカエルにも毒を持っている種類がいるのだ。

 だから、怖いんだ。

 茜に追及されたくなかったから、「うっかりやり忘れてた宿題があったんだよ」と言うと、茜は、「おにーちゃんが?珍しーね」と半信半疑な感じで答えた。


 亜希から逃げていた理由は、もちろんあの日の件だ。

 なぜ自分を悪く言った人と遊ばなければいけないんだ?しかも俺を突き放す発言をしたのは亜希自身だと自分自身に言い聞かせた。

 亜希と話すという考えも無論、あったのだが、それが崩壊に繋がるかもしれないと思うと、実行出来なかった。

 ズキズキ胸が鳴っていた。


深呼吸するために窓の外を見ると、入道雲が広がっていた。

その影は、大きくいつになれば太陽が出てくるのか分からないほどだった。

 結局、亜希とあの日の件について話し合わずに夏休みは終わった。

始業式の日も、亜希は俺と話したそうだったけど俺は覚悟が出来てなくて亜希を避け続けた。


 九月は、序盤は夏休みの話でクラスは盛り上がり、後半は稲刈りのことで盛り上がっていた。

俺は、その空間の中で一人の空間という新たな空間を創造していた。要約しろ?つまり……ぼっちだったってことだよ。

 そして一〇月、稲刈りが行われる時期だ。班は前の田植えの時の同じらしいので、すなわち俺、津川、権藤、茂武、浅村の五人だ。


 稲刈り機に乗れるらしい。

マジか‼スゲー!と思った。

初めて乗ってみたり見たりするマシンはカッコイイ、俺の勝手の偏見である。いや、偏見でもないだろう。

実際、幼児たちは男女問わず電車や車にカッコイイとはしゃいで好きになる。その好意はやがて薄れ行き見向きもしない人が多くなるんだけどね。

稲刈り機って大きいのかな。

帰りの池袋駅のホームで、稲刈り機について調べてみた。

へぇ、意外と小さいんだ。

席の底に足が着かなかったらどうしようと心配だったが、過剰だったようだ。

稲刈り機に乗れると知ったからか分からないが、つい口元が綻んでしまった

 「帰り道になに見てるの?」

 ゲッ、亜希だ。この子どもっぽい声だけで分かった。

どうやら稲刈り機の画像を見てる所を見られたみたいだ。

俺は、そうだ、各停で帰ろうとホームを変えようとした。

 「ねぇ‼なんで避けるの?夏休みからずっと……あーちゃん、孝輔に嫌なこと言ったっけ?」

 逃げようとする俺の手を取って、その上、上目づかいで亜希は、聞いてきた。それでいて肩は震えていて、何かに怯えているようだった。

 それを見て無視することは、俺には出来なかった。

 かわいかったとかそういう話ではなく、俺が何か勘違いしているのじゃないかと考えたからだ。……あと、泣きわめきそうだったから。


 家も近いし、このまま避け続けるのは不可能だろう。

俺は覚悟をして一つ聞いた。

 「な、亜希。お前は俺のことどう思ってるんだ?幼なじみとして」

 「え、え、な、何言ってるの?」

 亜希の顔が突如として赤くなった。青りんごが赤りんごになった感じだ。怒られちゃったかな?

 でも、殺さないでね。まだ死にたくないから。


 空白の時間が流れた。

 やべぇ、俺まで恥ずかくなってきたわー

 「や、やっぱいい」

 「大好きッ‼……好き……だよ……」

 亜希は声を張り上げてそう言った。その声はいつもよりはっきりしていて、嘘をついているような声ではなかった。

そうか幼なじみとして大好きか。

良かった。ホント良かった。俺の勘違いだったんだぁ。

緊張がほぐれて、夏の暑さが去った初めて風が気持ちいいと感じた。

でも、逆にその風に寒気を感じた。亜希の大声の「大好き‼」を聞いた周りの人からの冷たい視線ではない。別の何かだった。

俺の勘違いだったのなら、なぜ亜希はあんなことを言ったのだろうか。

俺が聞く前に、別の話をしていたのだろうか。

んー、でも……獅子堂は、明らかに俺のことを言っていて、亜希は、獅子堂の言っていた人と踊りたくないと言っていたように聞こえたんだけどなぁ……

分からねーな。


謎は深まるばかりだ。


 稲刈りの日がやって来た。ただ、早く機械に乗りたい。まだ中一、大きい何かにはワクワクするのだ。別に機械オタクだからではない。もう一度繰り返すが、電車を初めて見た幼児たちは大体電車が好きになる。今回の稲刈り機への興味もそれと同じ線上の興味だろう。

 目の前に稲刈り機がある。画像で見たやつよりも少し大型の稲刈り機だった。足が着くかの心配は多少あったものの早く乗りたい‼ノ・サ・セ・ロ‼という気持ちの方が大きかった。


 一人ずつ一直線を刈っていった。昔の人たちは石包丁や鉄鎌とやらを使っていたのだから大変だっただろう。農業の発展を実感した。


 俺の番だ。おじちゃんが操作方法を優しく教えてくれた。

 ガガガガと鳴りながら稲が刈られていく。

 心の中で、「ハハハ、我に逆らう奴ら(稲ども)よ‼闇に滅せよ(収穫されろ)‼」と騒ぎまくっていた。それが顔に出たのだろうか。女子どもがまるで物ではなく、もはや嘔吐物を見る超冷たい視線で見てきた。

 ごめんね。怖いからそんな目で見ないで。俺、嘔吐物じゃなくて人間だから。物でもないから。

 中二病だってバレてないよね‼いや、そもそも中二病ではない‼そうであってくれ‼稲刈り機に魅了されてしまっただけだ‼ホントにそーだゾ‼嘘ではないゾ‼

 さすがに恥ずかしかった。家に帰った後、布団に頭を何度もぶつけた。不思議そうに部屋に入ってきたシャンスを抱いて泣きそうになってしまったがもう中学生だと涙を頑張って止めた。

 てか、これしきのことで泣きそうになるなし。


 夜になって窓を開けてみると、風が吹いて驚いた。驚いた理由は、前よりも冷たくて、秋風らしい音を立てていたからだ。

 ここで和歌を一首、思い出した。


 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる


 カレンダーでそろそろ秋だとは知っていたけど、藤原敏行の詠んだこの和歌の通り、風の冷たさや音で、秋が来たと実感した。


 夏は、もう終わったんだ。もう、秋なんだ。


 *愛合孝輔と野々石亜希の関係の件について

 

 米は無事収穫された。次に待つのは雲馬祭だ。

 雲馬祭のある一一月は、完全冬服だ。

 また、あのスクバにムカつくだろう季節がきてしまった。

 いや、背が伸びて肩も大きくなったかもしれないと家の柱に頭をくっつけてみたのだが、結果は悲惨だった。

 身長の停滞期にでも入ったのだろうか。

 周りからは突き放されるばかりだ。

 それでも、いずれくるだろう成長期を待っている。

 こないかもしれない、こない可能性の方が高いのかもしれない。そんな自覚はあっても、それでも、期待してしまうんだ。

 まだ、未来は見えていないと。

 まだ、希望はあると。

 そして、そのサイクルにはまってしまうんだ。

 それも、一種の現実逃避ではなかろうか。

 

 そして、俺は体の大きさに見合わないスクバをかけて家を出る。

 案の定、ショルダーベルトは滑った。


 バスの中でようやくスクバを下ろせたから、近い学園祭のことを考えてみた。

浮いてる存在でも初めての学園祭は、多少は盛り上がる。

去年学園祭は体験したが、めちゃくちゃ盛り上がっていた。だから多少盛り上がってる俺には厳しいだろう。 

だから、学園祭で盛り上がって友達になるなんてそんなアニメみたいなことは起きないはずだ。


俺らにとっては初めての学園祭。どんな思い出が残るのだろうか。ま、辛い思い出にならないように頑張ろう。


まずはスローガン決めだ。

スローガン決めはクラスで一つずつ決めて、雲馬祭委員会で正式に決める形式だ。  

海老名は去年のスローガンや歴代の学園祭スローガンを何個か列挙した。

青春や絆を表現したスローガンがほとんどだった。

だからであろうか、クラス内で出たのも青春や絆を強調した案が多かった。俺は意見を出すのは面倒だったのでクラス内で一番人気だった「燃えろ青春!暴れまくれ!」に手を挙げた。最終的に決定したスローガンは高校一年A組の「青春謳歌」だった。

ほとんどウチのクラスのスローガンと変わらねーじゃないか。

中高問わず青春・絆を強調したスローガンを挙げるクラスがほとんどなのだろうか。委員会には未参加なので、他のクラスのスローガンが何かは知らないけど。


ウチのクラスの出し物は、アミューズメント系である宝探しである。

詳しく説明すると、五つのスタンプを持ったピエロ(赤、青、黄、緑、白)が学校をうろつくので、客はピエロたちを探し出し、全てのスタンプを集めると、手作りのキーホルダーと交換出来る内容だ。

製作班とピエロ班、買い出し班など様々の班に分かれる。班決めも強制的にされそうになったが、文化祭時は委員会と文化部は部活優先だと海老名先生が言っていたので、部活の予定が決まるまではシフトや班決めは保留となった。

 思考部部員(今でも俺だけ)は、なぜか図書室前の古本リサイクルを担当することになった。図書室の司書の山崎と影森が頼んできたのである。いつも本を借りさせてもらっている俺は反論出来なかった。

 相馬にその旨を言うと、「俺から海老名先生に言っておくから古本担当をやれ」と言われた。

ま、これでクラスのシフト休めるもんねー(これが本当の目的である。陽キャの波に呑まれなくて済みそうだ)

ぶっちゃけ、買い出しは面倒だったし、ピエロになったら動きにくい格好で校内をブラブラしないといけなかったのでやりたくなかった。

マスコットって子どもに蹴られたり、変に絡まれてそうなイメージしかないし。

そう考えてみてみると、子どもは嫌いだな。俺もまだ子どもなんだけどね。


 相馬が海老名に報告してくれた上でクラスの文化祭実行委員にもその旨を伝えた(ちなみに文化祭実行委員の名前は知らなかったので「実行委員長さん」と呼んで嫌な顔をされた)

いや、名前覚えられてないくらいで不機嫌な顔すんなって。


そのおかげでクラスのシフトや班には参加せずに済んだ。

文化部や委員会でも暇な時間のあるやつらは、クラス企画にも参加する予定らしい。

実際に、部活や委員会を理由にクラス企画にノータッチなのは俺と権藤だけだった(権藤は科学部で実験や展示品管理から目を離せないらしい。ちなみに部員は五人らしい。科学部の逼迫した現状をクラスの文化祭実行委員に言っているのを見た)

亜希のクラスは、段ボール迷路をやるらしいのだが、段ボール迷路は、準備と片付けで大量の段ボールのゴミが出るから大変になるんじゃないだろうか。

あと、シフトが多いとか言ってたし、それもあるのかな。

……シフト、入らなくて良かったぁ。

 

 数日前から古本を校内中の生徒から集めた。部室で古本を整理する作業は面倒だが知らなかった本も見つけられるので、つまらなくはない。

 こうして一人で作業してると俺は一人でも意外と大丈夫だなと感じた。

俺は、家では家事などをほぼ一人でしていた。茜は、器用だがまだ無理をしてほしくなくてそこまで家事をさせていなく、兄貴や親父は、自分から料理を作ろうとはしなく、母親は、仕事を二つ兼業していたから家事は、ほとんど俺がしていた。

そのおかげかもしれない。ちなみに得意料理はチャーハンとナポリタンとチキンライスとフライドポテトだ。


 準備が出来た頃には、日はとうに暮れていた。

部室を出ようと電気を消した。

図書室が既に閉まっていたからであろうか。やはり四番教室は暗かった。助けがないと壊れ行きカオスになる。人間関係もそうなのかなと感じた。

 そして、今まで経験したことのない身震いがした。

 いや、亜希とのわだかまりは解消されたはずだ。大丈夫、気のせいだと頬をパンパン叩いた。


 ―翌日―

雲馬祭開催当日だ。

 「ファアアー。眠い……」

 昨日、寝る前にノートをまとめていた。そのノートを分かりやすくするために試行錯誤していたら明け方になっていたのだ。

 看板持ったまま、寝ないかな。

 「バッ!」 

 脅かしてきたのは亜希だった。鼻歌歌いながら、スキップしている。ホントにコイツは楽しそうだ。

 「急に脅かすなし、……危うくチビりかけたぞ」

「えー、キモッ‼中学生なんだから漏らすなし‼って、そうじゃなかった。あ、あのさ、昼ご飯、一緒に食べない?」

 中学生になってから、亜希と学校で昼飯を一緒に食べたことはなかった。

 まぁ、俺はクラス内で、一人で食べて、亜希はグループ内で食べてるから仕方ないんだけどね。

 「グループのやつらと食えよ。それとも俺に奢ってもらおうという算段か。悪いが俺には食い歩きに出せる金なんてないぞ」

 「そ、そんなんじゃないよ!それと眞子たちは、昼の時間にシフト入ってるから。……久々に一緒に食べたいし……」

 最後の辺りは聞き取れなかったが、俺はきっと獅子堂らの代用だと理解した。一応「行けたら行く」とだけ言った。

 もちろん、行くつもりなんてない。理由を聞かれたら「行けなかったから行けなかった」とだけ言えばいい。

 あんな人混みの中でご飯なんて食べたくない。部室で静かに食べたい。

 

 俺は、本の最終チェックを急ぐために亜希と別れた。

 亜希は、「待ってるよ」と元気のある声で言った。

 ごめんよ、亜希。その淡い期待を俺はいともたやすくぶち壊すつもりなんだ。


 古本の破損がないか最終チェックをしていると、高校生の先輩の野獣のような雄叫びが聞こえた。

 ウォオオオ‼

 高校生のやる気は違う。さすが手練れとでも言おうか。でも、うるさいなぁ……

 特に高三は、受験勉強も忙しいだろうから自由参加なのに、ほとんどが参加している。最後の雲馬祭にかける熱の量も違う。高校生時代という一つの青春時代を綺麗に派手に終わらせたいのだろう。

 (……やっぱ陽キャにはついていけねーわ。アハハはははh……)


 キーンコーンカーンコーンキーンコーンカーンコーン。

 始まったか。呼び込みの声がし始めた。

模擬店を出店出来るのは、高校生のみだ。

中学生は、ウチのクラスのように手作りアミューズメント施設や合法カジノなどや劇を中心に出す。

 図書室は、進路相談室として使われるようだ。

 俺は、「古本無料で差し上げます。*二日間を通して一人二冊まで」の書かれたボードを持って椅子に座っていた。

 あ、眠い。このまま寝落ちはいけないから、秘儀:目覚ましガム&目覚まし目薬を使用した。

 俺も校則を破ってしまった。

 大丈夫だ。事件、事故、問題全て、バレなければノープロブレム。略してノーレム。

 ん?なんかノンレム睡眠に似てるな。ノンレム睡眠とは深い睡眠。睡……眠。

 ハッ、いかん。もう一個ガム噛もう。

 ガムを噛んでる最中に、水を飲むと口内にスースーした感じが広まり、目を覚醒させる。


目が回復した俺は、売れ行く本の種類をメモし始めた。

 高校生や先生たちが出した参考書類が一番人気だった。

 逆に一番人気がなかったのは想像通り新書だった。

 小説は、先生にも生徒にも人気だった。

なぜ人は小説を読むのか山崎に聞いて返ってきた答えは、小説を読むことで語彙力だけではなく、想像力や思考力とか他人の気持ちを考える力も手に入るかららしい。

俺は知識をつけたいがために新書を読みまくっていたが、自分の知識のストックが溜まったとはあまり感じなかった。中一に新書は難しかったか。カッコイイからって始めたらいけないね。

 高校生の陽キャっぽいグループが「エロ本ない?」と聞いてきた。「ありません」と答えたが心の中ではエロ本?ねーよそんなの、コンビニでも行っとけと感じた。俺は、下ネタは知ってるがそういう系を深める気もない。親父や兄貴みたいなやつらと俺は違うんだ。

 亜希には会わないように時間をずらして昼飯を買うために校庭ブースを回っていた。

 亜希からテニス部の焼きそばを買うように言われたから、焼きそばと野球部のチョコバナナを買ってそろそろ部室に戻って食べようかと歩き始めると、

 「あ‼孝輔、ようやく見つけた‼なんで、約束の時間に来なかったのってあれ⁉テニス部の焼きそば買ってくれたんだ‼ありがとー、エヘヘヘヘ」

 えっ⁉

 びっくりした。亜希はずっと俺を探していたらしい。

焼きそばを買ってくれたんだと感謝された後は、また、どんだけ待ったと思ってるのと怒られてしまった。

そりゃ約束の時間の話、俺無視してたからな。

 ま、仕方ないから人混みの中で一緒に食ってやるかと言いながらも、心の中ではずっと待っててくれて嬉しかった。

 亜希は、「ホントは、嬉しいくせに」と本心を一発で当ててきた。

 亜希は、焼きそばとサッカー部のフライドポテトを買ったようだ。

 「久々にあーちゃんがアーンしてあげよーか?」

 「や、止めろよ」

 「いーじゃん、恥ずかしがり屋さん。ハイ、アーン」

 と亜希が勝手に焼きそばを奪って、俺にアーンをさせようとしてきた。

 そう言えば昔は、アーンし合ってたな。

 今考えてみればなんて恥ずかしいことをしていたんだ。

 リア充爆発しろ?

 いやいや、幼なじみだし、リア充じゃないし、俺の心はピカピカだから。……ハゲを馬鹿にしたわけじゃないからね。

 戸惑って食べる気はなかったが、亜希の笑顔を見て、アーンで食べようとした。

 「アッレー、亜希ィ?あの陰キャ君が彼氏なん?」

 聞き覚えのある声だ。もちろん名前だって覚えている。

 獅子堂だ。

 恐らくシフトが終わり昼飯を買いにきたのだろう。


獅子堂はいたずらっ子みたいな顔をしながら、やや声を大きくして絡んできた。

 大丈夫、わだかまりは解消出来たんだから。傷があっても絶対に壊れない。

 「え、ち、違うよ‼」

 「じゃあ、なんでアーンしよーとしてたん?」

 予想通りのことを聞いてきた。亜希、今度こそ一発、言ってやれ。

 俺は、亜希への信頼を完全に取り戻していた。

 それどころか夏休み中にしっかり話していたら、楽しい夏休みが送れていたと自分に、なんでもっと早くに亜希と話さなかったんだと責めたほどだ。

 亜希は、口を開いた。

 「こ、孝輔は幼なじみなんだけど、孝輔がアーンさせないと、財布を盗むって脅したから仕方なく‼」

 ガッシャーーン……

 何かが形を残さず壊れる音がした。俺はその壊れ行く何かをただ見上げるしかなかった。

 一瞬、何が起きたか理解出来なかったが、すぐに理解した。

そうか、修復なんてされてなかったんだ。

何を根拠に、傷があっても割れないなんて思ってたんだ。

 ひびが入ったものは物であろうと者であろうと破滅へと向かうしかないんだ。

 家の茶碗も、グラスもひびは直ることなく、割れていってたじゃないか。

 それで、二度と戻らなかったじゃないか。

 体中が冷感を感じた。風ではない。

 風も吹いてないし、雨も雪も降ってないのに、俺の心は、冷たかった。

 「え、ヒドーイ‼坂井に報告しよ‼」

 「え、あ、ま、待って。そんな大げさに……」

 「大げさって何⁉亜希、脅されたんでしょ⁉だったらいけないのはあのチビ陰キャじゃん‼そうでしょ⁉」

 「う、うん、そ、そだね……」

 「一緒に行くよ‼」

 亜希は、獅子堂に手を掴まれてそのまま、職員室方面へ行った。

 亜希は、こっちを向いていたけど、やがて見えなくなった。


 そこからは地獄だった。

 人間は地獄みたいな出来事に関しては、鮮明には思い出せないとよく言われてる。何を言われたかある程度は覚えているが、鮮明には覚えていない。俺にとって嫌な出来事、すなわち地獄だったんだあろう。

断片的に覚えてる記憶の中では、俺は生徒指導室に入れられて、坂井の数時間にわたる𠮟責を浴びた上で反省文を書かせられた。事実ではありませんと、反論しようとしたが、坂井が、「次に文句言ったら、一発引っ叩くぞ!」と怒鳴られたので、諦めて反省文を書いた。何を書いたのかは覚えてないが、反省文は一発でセーフになった。

国語力は順調についてるとそれだけが唯一の光だった。

……なんだよ、それ。どーでもいーんだよ。クソが。


解放された頃には、雲馬祭は既に終わっていて辺りが暗くなってた。

秋の夜は長い。

今の俺みたいだ。いつ朝(光)がくるのか分からない。

ただ、どこまでも暗闇のままで、光なんてどこにもなくて、上を向くことはなくて、ただひたすらに俯いたまま歩き続けるひとりぼっちの夜。


とにかく、茜のご飯を作らないといけないと急いで帰ったのだが、茜がご飯を作っていてくれた。

そのご飯の温かさは、完全に冷めてしまった俺の心をほっこりさせてくれた。それと同時に、茜がここまで大きくなったんだなと感じた。

涙も出そうになったが、茜に心配はさせたくないと必死に歯を食いしばって防いだ。


亜希と決別しようと考えた俺は家の近くの川辺に亜希を連れて行った。

亜希もさすがにまずいことをしたと反省していたのだろうか。普段の亜希とは思えないくらい無口だった。

仕方ないから俺から話しかけた。

「お前、もう俺に話しかけるな」

「え、なんで‼なんで‼なんでよぉ‼」

亜希のさっきまでの沈黙は言い訳でも考えていたからなのだろうか。その「なんでよぉ‼」が駄々をこねるガキのような感じがしてムカついたので少し口調を荒くして言った。

「るっせーな‼馬鹿女が‼」

「な、何よ‼将来のヤリ〇ンが‼」

この言葉で俺は堪忍袋の緒が切れた。

前から亜希には、俺の親父と兄貴に対する愚痴と怒りを聞いてもらっていたから、その時に俺は親父や兄貴のことをヤリ〇ンだと罵っていた。

女の子との相談で下ネタ用語を使うなんてあり得ない?

俺も亜希も下ネタならいくつか知っていた。

小学生時代から下ネタを言う男子はかなりいたからね。クラス内に女子がいるのに、下ネタを連呼する人もいたし。その経緯で俺も亜希も下ネタを覚えたのだ。

俺も亜希が下ネタ好きのド変態というわけでは決してない。

俺は一体、なぜ堪忍袋の緒が切れたのだろうか。

いや、答えは知っている。憎い親父と兄貴と同類扱いされたからだ。

俺は、アイツらとは違う。その信念をプライドをズタズタにされたからだ。

そして俺はこうブチギレた。

「ヤリ……〇ンだとぉ⁉っざけんな‼アイツらに似てるのはテメェだろーが‼怖いんだろ⁉本当のこと言って嫌われるかもしれないのが。恥ずかしんだろ⁉集団から離れて一人で行動するのが。テメェはなァ‼将来、兄貴みたいに『怯え病』を発症して、ゴミの人生を送ってくんだよ‼お前の姿がなァ‼兄貴に重なってるんだよ‼いいか⁉今度から話しかけんなよ⁉ゴミ女が‼」

ブチぎれる俺の目には涙が流れ出していた。止まってほしいのに止まらなかった。

けど、本当は涙が流れて良かった。涙が枯渇してほしくなかった。

それでも、俺は涙を拭いて止めた。そして後方からする嗚咽音を俺は、その嗚咽が仲直り出来なかったから流れ出ている涙だと知りながら、それでも俺は、あれは怒られたショックから出た涙だと自分に言い聞かせて一切振り返りはしなかった。


ああ、ボロボロに壊れちゃったなぁ……

チッ、また涙が出てきたか。悔しいなぁ、願ってたことと裏腹になっちゃった……


ホント悔しいなぁ……


泣いても元に戻らないことを知りながら、俺はいつまでも泣いていた。家に帰ってシャンスを抱きながら茜に聞かれないようにまた泣いた。

シャンスのフサフサでフワフワの毛はグショグショでジメジメになってしまった。

こんなにも静かに泣いたのは初めてだった。シャンスはその間俺の手をなめつづけてくれていた。


*野々石亜希の本性は、奥深くにまだ残っている件について


ホントなら小学四年生にあったことも聞き出したかったが仕方ない。

俺と亜希が関わることは、もう二度とないだろうから。


家に帰って俺は、落ち着くために飲み物を飲もうとしてスクバを開いた。

ん、このノートは……

俺は入学後も亜希に勉強を教えていた。

俺は特に社会(歴史)が得意だった。

暗記が大の苦手である亜希のために、わざわざ社会のノートをあんなに時間をかけて作ったのに、もうどうでも良くなり破り捨てた。破かれた紙の破片が俺と亜希の壊れてしまった関係にも見えた。

ただ、虚しかった。

けど、どれだけ虚しく思っても、戻ることは決してない。


絶対に許さない。顔も見たくない。


疲れ切った俺は風呂から出て、歯磨きをしてすぐに寝た。


これからどうなるのだろうか。今までは亜希が味方だと信じていた。人間は一人でも信頼出来る人がいると、大いに安心出来る。しかし、俺は亜希を切り捨てた。大事な存在を切り捨てたのだ。それがない学校生活は初めてだった。

獅子堂たちは昨日の出来事をウチのクラスのも広めてるだろうか。俺はイジメられるのだろうか。

不安ばかりの登校だ。


雲馬祭二日目開催前にホームルームで教室には顔を出さないといけない。

俺は無視すると決めた。

この選択はしたくはなかったのだが一人が事実を話そうと誰も信じてくれるはずがない。きっと先生も。いや、絶対に。

だったらイジメられるまで落ちぶれてイジメが露見するまで耐えるしかない。

教室に入るとクラス全員が白い目で見てくる感じがした。俺は椅子に座ると、いつもと変わない感じで教科書を開いた。

「陰キャのくせにキモイ」

「女子友達がいないからって、優しく接してくれた幼ななじみに手を出すなんて、まず男子友達から作れよ」

周りから心の声が聞こえる。実際にそう思っていたのかは知らないが冷たい視線からはある程度読み取れた。

それでも俺は我慢した。我慢すれば勝ちなど根拠のない逃げ言葉を自分にかけて平静を装った。

絶対に、泣くもんか。

HR終了後、海老名に「指導室に来なさい」と言われた。

今日もあるのかよ……

指導室前に行く途中、津川と権藤から話しかけられた。

「大丈夫?あれ嘘だよね。アイアイ君はそんなことする人じゃないってあたし、知ってるから」

 あ?知ってるだぁ?俺の何を知ってるんだよ。話したこともろくにないくせに。

「僕は愛合君の味方だからね」

 味方なら、さっきなんで何も言わなかったんだ?

 知ってるんだ。彼らなりに俺を励ましてくれていることを。

 けど、亜希の裏切りのようにいつ裏切られるか分からない。そう思うと、素直に嬉しいと思えずにむしろ、疑い深くなるんだ。

 それを悟られないために俺は偽りの優しさで話しかけた。

「イジメられるかもしれないからあまり近寄らない方がいーよ」

と忠告すると残念そうに去っていった。特に津川の目には涙が見えた。

親よりも信頼していた亜希に裏切られたんだ。

クラスメイトごときの赤の他人に俺の気持ちが分かるわけない。分かってほしくもない。


二日目の雲馬祭が始まった。

午前中は海老名と相馬と坂井の三人衆に説教されて正午辺りから「残りの雲馬祭を楽しみなさい」と言われて解放された。

楽しめるわけないだろ……怒られて沈んでるやつに楽しみなさいって、アンタら馬鹿かよ。


この日は自作弁当を持ってきた。

茜が自分で作ると気を遣ってくれたが、茜には無理させたくないし関与させない方がいいと判断を下して自分で作った。

塩も醤油もいつも通りのはずなのに味がしなかった。

嚙む度に「このままでいいのか」と冷たくて低い声で話しかけられてるような感じがするくらい食感が冷えていた。こんなにまずい自作弁当を食べるのは初めてだった。

そして食べ終わったらまた古本の看板を持つ作業、つまらないけど安心した。

つまらないけど、クラスにいるよりかは快適だった。

つまらないけど、ひとりぼっちが快適だった。

この日からずっと俺の雲馬祭は青春の思い出が残るイベントではなく、古本当番の仕事をするイベントになってしまうのだろうか。

ぼんやりしてるうちに一年生の雲馬祭は幕を閉じた。


翌日は代休だった。

俺は、午前中は家に籠り夕方に小学校時代の野球同好クラブのクラスメイトの中では一番話したことがある東雲翔也を訪ねようとした。

まあ、一番話したことがあると言っても、ただ同じポジション(ライト)だった上に、二人ともいつもベンチだったからよく話したことがあるだけなんだけどね。

東雲の家は、小学校を超えた先にあるのだと思う。東雲は俺とは反対側の門から帰ってたと記憶している。

 「おう」

 東雲の方から話しかけてきた。少し背が伸びたとか取るに足らない話をしつつ亜希の話をした。

 「小四のとき、俺ってさ大怪我したじゃん?そんくらいの時期に、亜希ってクラスでなんか言いふらしてたんだ?」

 「あー、その瞬間を見てたぞ俺。クラスの連中にからかわれた野々石が、川で猫を助けてたら一回猫を落としちゃって、その瞬間を愛合に見られて、バラされたくなかったらこの転んだときに出来た怪我が治るまでサポートしろって脅されたとか言いふらしてたな。噂で聞いてなかったっけ?」

 はぁと深いため息をついた。

 やはりそんな感じだったか。

亜希がクラスの連中に俺との件でからかわれて反論したことは、東雲の言う通り噂で聞いてたものの、それにしても小学生がよくこんな嘘をポンポンポンポン言えるな。呆れたし、馬鹿馬鹿しい。よく考えてみれば噓つきな点もアイツらにそっくりじゃねーか。

 「すぐに野々石が大げさにしたくないって言ったんだけど、クラスの連中は、愛合は怖いから関わらない方がいいってなったんだ」

 イジメに発展しなかったのは不幸中の幸いと考えるべきなのだろうか。

 「俺も愛合がそんなことするとは思わなかったけど……その……」

 東雲は、それ以上は何も言わなかった。けれど言いたいことは分かった。

 きっと津川も権藤も同じことを言おうとしてたんだろう。


 嘘には力がある。

Aが性格上絶対にしえない問題を起こしたとBが嘘ついても、周りがBを信じてしまえば、Aを一番理解しているCも嘘に流されてしまうかもしれない。

CがAを庇ってしまえば、逆にCがイジメられるかもしれない。だからCは噂に流される。そしてAだけが孤立する。

集団心理というやつだ。ホント、おぞましい。


 東雲の話からすると俺の場合は、亜希が俺を孤立させたのにも関わらずアイツはその責任を反省せずに、友達を増やそうとまでしてきたということになる。ホント自分勝手な女だ。

 いやそもそも自分勝手なのは俺もか。亜希には彼女が俺の親よりも信頼してると言ったことはなかった。言わなくても伝わるとどこかで思ってた。

 けど亜希は、俺を裏切らないと勝手に信頼してたのは俺なんだ。自分勝手に信頼してたんだ。

 自分勝手なのは、俺もなんだ。


 なぜ亜希がこういう行動を取るのか、俺には、もちろん心当たりがあった。


 亜希は極度の恥ずかしがり屋だったんだ。

 だが、嘘をつく件と恥ずかしがりの件が繋がらずに分からなかったんだ。

 でもある程度、思考すれば分かる件だった。

 つまり、仲間外れにされるのが恥ずかしいから、嘘をついたってことだろう。

 結局、兄貴と同じだったんだ。


 これは幼稚園児のときの話だ。

亜希は昔からかわいかった。だから友達になりたい園児はたくさんいた。しかし亜希は恥ずかしがって、俺の後ろに隠れていた。

 二週間……かかったな。亜希が、亜希と仲良くしたいといった生徒と取るに足らない話を出来るようになったのは。

自ら話題を持ち出すようになるまでは一ヶ月かかった。俺はその二週間から一ヶ月の間、俺は亜希の人見知りと恥ずかしがり屋を克服するために練習したのを今でも覚えている。

 亜希は成長したと思い込んでいたが、心の奥にある元々の性格は変わらない、いや変えられないのかもしれない。

 亜希の本性は、まだ溶解していなくて、根底に眠っていたんだ。

 亜希は頭が真っ白になると恥ずかしがり屋としての顔が出てくるのだろう。

でもそれを考慮しても、向こうの方が悪いだろうし亜希と仲直りなんてしない。

許してやれよ?

お前さ、仲間外れにされるのが恥ずかったから人殺しましたで、無罪になるんか?ならんだろ?

そんなの、理由にならないんだよ。

だから、許さない。

一番の理解者に裏切られた現場を体験するとやはり憤りを感じる。

俺は被害者だ。悪いのは亜希だ。だから俺は多分悪くない。いや、絶対に悪くない。だから絶対に謝らない。

どこか心の中で自分勝手に信頼していた俺自身に憤りを感じていた。謝る気がないのは恐らく認めたくないつまらないプライドがあったからに他ならない。

また亜希に裏切られたって話をして、俺は亜希のことが嫌いだと東雲に言うと、東雲は口を開いた。

 「あのさ、愛合。野々石って愛合のこと大好きだよ。前に俺が野々石に告白したとき、『あーちゃんは将来、大好きな孝輔と結婚したい』ってマジで顔を赤くしてたよ」

 お前、亜希に告ってたのか。マジか、初耳だわ。小学生がリア充になろうとしれるんじゃねーよと心の中で言った。

 「そか。話は以上だ、ありがとな」

 「大事にしろよ。幼なじみを」

 俺はその言葉に手だけ挙げてそのまま帰路についた。

 手を挙げたのは、小四のときの話をしてくれた東雲に感謝したからだけだ。

 小学生時代の同級生の中では、亜希の次に信頼してた東雲がそう言ったから、噂は事実なんだろう。それを確証した。

 

 「大好き」か。

 この前、亜希が俺に言った「大好き」。

それは異性としての「大好き」だったはずがない。

そもそもまだ亜希はガキだ。そんなやつの「結婚したい」なんて完全には信じられない。

 小学低学年の女子が、「将来、パパと結婚したい」ってのと何も変わらない。

そもそも結婚したいくらい大好きだったら、どれだけボロボロになっても裏切るはずがないだろう。

どれだけ恥ずかしがり屋でも、本気で愛しているならば、からかわれたくらいで嘘はつかないはずだ。

その「大好き」も「結婚したい」も、顔の赤面も所詮はガキの戯言だろう。

それは本当に愛してるわけではない、とどのつまり「偽りの愛情」だ。俺らの今までの関係は所詮、そのくらいに過ぎなかったのだ。

道理で本心で壊れないことを願ってても壊れるんだ。

だって「嘘」なのだから。決して「真実」ではないのだから。

 つまり亜希は俺を異性として「大好き」なのではない。


 ―翌日―

 クラス内では代休に遊びに行った話が盛り上がっていたが、興味なんて起きもしなかった。

 だって遊びになんて行ってないし。行く気も起きなかったし。


 *愛合孝輔が、一人で道を歩み始めた件について


 代休明けの授業中、俺は初めて人間分析をした。

 授業を聞く気はなぜか起きないし授業中話す相手もいなし眠くもなかったのだから仕方ない。


 人間は、面倒な生き物だ。その中で上手く生きるには自分を偽らないといけない。

 青春は、人生の春とよく喩えられる。人生で言えば青春は、中学(早春)・高校(盛春)・大学(晩春)になるのだろうか。

この時期を生きる人間たちは、叶えられるはずもない夢や希望を持ち、挫折してそれでもそれらを追いかけようとする。

大きなやらかしをしても、それも青春だとまで言い訳する輩までいる。

まるで青春は明るい場所しかないように。

昼間の中を突っ走る少年・少女たちは、日が暮れる時間はまだ来ないと勝手に思い込みながら走り続ける。

 しかし、春にも桜が散るといった寂しくて悲しい面があるように青春にも闇夜がある。

暗い所で必死に光を求めて手を伸ばし続ける人たちも確かに存在する。

でも走り続ける人間は闇夜を見ようとはしない。闇夜に放り出されることを嫌い、自らを自己欺瞞し闇夜にいる人間を見て見ぬふりをする、時には闇夜の部分を見たくないために、排除する人間もいる。

そして光への道を行こうとする人間も、タイミングを逃して孤独で居続ける、これが青春の闇夜だ。

 俺もおそらくこれからは闇夜で生きてくんだろう。

 俺は、青春の始まりである中学生で闇夜を照らす唯一の光源であった亜希を捨ててしまったのだから俺の場合はそう簡単に陽キャロードへ行ける陰キャではない。陰キャof陰キャだ。ぼっちofぼっちだ。

他の光源を手にするしかないが、光源になる人なんて出てこないだろう。

 誰が、女を脅して金を取ろうとした噂がある人間と関わりたいのであろうか。そんな人間は存在しない。

仮に俺が陽キャだとしてもヤバイ噂のある陰キャを助けたりなんてしないだろう。

 でも、このままでもいいのかもしれない。部活にも部員は俺だけだから迷惑はかけないし。いや、このままでいよう。

そうすればもう何も壊れないんだから。

信頼なんて自分勝手な理想の押しつけをしなくて済むんだから。


 人間は、誰かの助けなしでは生きられない、それはホントだ。

食べる食材を生産する人、自家農作・自家畑作している人も農薬や稲刈り機を生産する人の助けを得ている。それには異論はない。

 ただ、自家農作・自家畑作している人は、長い間、自給自足出来るからわざわざ毎回店に寄って他人の作った野菜や米の施しを受けないで済む。

 そう、自分一人で出来そうなことを自分一人で済ますことで、人の助けをゼロにするわけではないが、それでも人の助けを節約出来る。

つまり人に迷惑かける回数も減るのである。もちろん中には、一人では対処不可能な問題や複数人でやった方が効率的な出来事にぶつかるかもしれない。

その瞬間にだけ動けばいい。それくらいなら出来るさ。きっと。

俺は、ほとんどで目立たないように青春を乗り越えようと決心した。


この日、愛合孝輔は、真のぼっち学生生活をスタートさせてしまった。


 次に待ち受けるのは体育祭だ。スローガンは俺が欠席した日に多数決を採ったらしい。最終的に決定したスローガンは、中学三年二組の「繋ぎましょう、絆のバトンを」になった。体育祭のスローガンも文化祭のスローガンのように、青春・絆系が多いんだなとため息をついた。


続いては出場競技決めだ。

全員参加の一年生リレーと船頭リレーを除いて、最低一種目出場しないといけない。俺が狙っているのは綱引き、大玉転がし、玉入れだ。一人のせいで負けたと咎められない競技に出場すれば、俺のせいでも大衆に紛れていて気付かれないだろう。

これは間違いなく闇夜で生きていく中でもいい作戦だろう。

俺は綱引きに手を挙げたのだが、意外に人数が多くてじゃんけんになってしまった。逆に大玉転がしと玉入れならじゃんけんをせずに入れたのだが。

綱引きがじゃんけんになった理由は簡単だ。南が綱引きに手を挙げたからだ。

まさか南が手を挙げるとは思わなかった。文武両道の南なら個人競技に出ると踏んでいたが、どうせ「みんなで一丸となって勝利を掴みたい」とかどこかウザイ理由で手を挙げたのだろう。俺にとっては楽出来そうな競技が南のせいでじゃんけんになってしまったので余計な迷惑でしかない。

 結局、じゃんけんで負けてしまった。

南も負けてしまったため、まだ枠がギリギリ埋まっていない大玉転がしか玉入れで、南の様子を伺いつつ手を挙げようとした瞬間に突如として腹痛に襲われた。

 我慢しようとしたが、キツイと直感して海老名に言ってトイレに行った。海老名は余った競技に入れておくねと言っていた。早くトイレに行きたかった俺は「わかりました」と言ってしまった。

 どうか、大玉転がしか玉入れのどちらかになっていますように‼


スッキリして教室に戻ったのだが、その二つの競技は埋まっていて俺は障害物競走に出る羽目なってしまった。

体育祭実行委員の生徒が、

「あいぼ君は障害物競走になったよ。足を引っ張らないように頑張って練習してね」

と報告してきた。

ん?あいぼ?

黒板を見ると「愛慕」と書いてあった。

漢字も違うし、読み方も違いますよ。あいぼって聞くと犬型ロボットが出てくる。

俺はロボットじゃないぞ。

……ん?足を引っ張らないように?俺はこれからクラスメイトの元から足を遠ざけたことを決意したけど、足を引っ張ったことはないぞ。

おーい、聞いてますか?聞こえてますか?


俺が出場する競技は三競技。中一全員リレーと船頭さんリレーと障害物競走だ。

あーあ。これは終わったわ。てか、陽キャからしたら俺とか障害物だろ。クラスを暗くする障害物。そんな障害物が障害物競走に出るって身内の闘争かよ。

船頭さんリレーは一人の船頭さんを他の人が馬となって、その上を船頭さんが落ちないように走り、逆側の船頭さんにバトンを渡す競技だ。俺はもちろん馬だ。

体育の時間を使って、体育祭の練習も行われるのだが、道具を使う競技(障害物競走や綱引きや玉入れなど)は、練習出来ないらしい。もし負けたら、練習出来なかった問題で敗戦の責任追及から逃れようかな。

つまり俺が参加する競技で練習する必要があるのは船頭さんリレーだけだ。まさか余計な体力を使わなくていいなんて。身内の闘争に参加しないといけないのは誠に残念だが、次の授業で授業を聞かなくなる不思議な時間は来ないで済みそうだ(断じて寝ているわけではない。断じて寝ているわけではない。断じて……ごめんなさい)


―体育祭当日―

癖でフライドポテトを作ってしまった。

フライドポテトは亜希の大好物だ。小腹を空かせた亜希に、手軽に出来て腹持ちのいい料理の作り方を聞かれたときに俺が作った。

中学生になってからも亜希の勉強へのやる気を出すために作っていた。過去に囚われていたら忘れられない。フライドポテトは全て茜の朝食皿に入れた。

 体育着で登校していいとプリントに書いてあったので、予備の体育着を一応持って行った。

 体育祭は校庭で行われる。中高一貫校の学校だ。校庭も大きく造られている。中高一貫校だと競技場を借りる学校もあるらしいが移動がない分ホッとした。

 体育祭とこの前催された雲馬祭の翌日は代休だ。

代休期間に何をして過ごそうかと考えた。代休は嬉しくても、過ごし方が浮かばない。このままでは一日中寝るか、勉強して過ごしてしまいそうだ。


 一一月なので外は涼しかった。熱中症の心配も無さそうだが、唯一の心配事は同月末の期末試験だ。どうせ同じクラスのやつらなんて体育祭のことしか見てないんだろうな。


 俺の出番が最初にある競技は障害物競走だ。

 茶色い袋に入ってピョンピョン跳んで進むアレ(蓑虫競争と言うらしい)、ハードル三つ、跳び箱三段、輪くぐり、縄くぐりの五つの我が身内が待ち受ける。

 縄くぐりなんて俺そっくりじゃん。

 縄くぐりは勝負を一転させやすい障害物だ。雲馬祭一日目のHRの普通っぷりを雲馬祭二つ目のHRで吹雪吹くまで一変させた俺にそっくりだ。とゆーことは、俺は南よりも影響力あるんじゃね?


 兄弟で殴り合う感じか、うぅ心が痛む、とは言ってられない。最下位になってしまったらまた空気を一変させてしまう。最上位と上位なんて望まない。中位か下位でいいから最下位にだけはなりたくなかった。

 「おい、愛合。最下位でもいい。頑張れよ‼」

 そう言ったのは江藤だった。クラスのカーストの上位にいる人から名前覚えられていたんだな。俺スゲーじゃん。

 いーじゃん‼いーじゃん‼スゲーじゃん⁉なんてならずに俺の頭の中は最下位になりたくない緊張で笑いに変えられなかった。

 その強い意識を持ってスタートした俺は、さっそく蓑虫競走で転んで最下位になってしまった。

名誉挽回いや、元から汚名しか残ってなかったわ、てへぺろ。

汚名返上出来ずにまた、汚名と黒歴史を増やす結果に終わった。


 もちろん冷たい視線が待ち受けていた。

 また空気を一変させてしまったぜ。空気を一変する力を持つ俺、南みたいでカッコイイ。俺、陽キャの仲間入りじゃん。やったね。


次にあるのは中一全員リレーだ。これさえ乗り切れば後は力を抜いてもバレないだろう。ようやく地獄から解放される。

中一全員リレーはクラスの女子と男子を主席番号順に分けて行われるリレーだ。

俺はこの競技も不安だった。

それは俺が男子の最初だからだ。

女子から男子へランナーがチェンジすると、客は完敗していない限り恐らく男子の力を信じて、逆転を願い出すだろう。だから失敗だけはしたくない。

 しかし始まってみれば心配する必要なんてなかった。

 なぜなら津川が途中で大胆に転んだからだ。

 津川は決して故意的に転んだのではない。俺はコイツ後で責められるぞと直感したが、その刹那、南が「明日花、ガンバレー‼諦めるな‼」と叫んだ。

 その声を聞いた周りの奴らが、再び走り出した津川に拍手を送っていた。

 なるほど、陽キャが転んでもまた走り出したら、「よく立った」って褒められるのか、でも、もし転んだのがぼっちで陰キャの俺だったらきっと、「アイツのせいで勝てないじゃん。せっかくの思い出を汚さないでくれる?目障りだから」と稲刈りの時を超える冷たい視線が飛んできてただろう。いや、きっとではない、絶対にだ。だってさっきの障害物競走(身内の闘争)に負けた俺を冷たい視線で見てきてたもんね。

 陰キャだって人間なんだから人権があるのにな。もし周りに冷視される状況になって、人権の有無を力説なんてしたら、ただ変人としての評価をもっと下げる未来しかない。

 でも津川のおかげで俺もプレッシャーを感じずに走れた。そこは感謝しよう。

 全員リレーを何も起さずに終えた俺は、もう無敵だった。後はもう周りの真似をする競技だけだったからだ。

 勝敗発表はどうでも良かった。ただ中学生よりも高校生が喜んでいた。 

 どうせその絆も簡単にほどける偽りの関係に過ぎないのだから。

 知ってるか。絆って英語でbondってつづるんだぜ。ボンドで繋ぎ合わせた絆なんてちょっと強く引っ張っただけで壊れるんだよ。


 壊れない絆なんて、あるもんか。


 帰りに亜希や獅子堂たちとすれ違った。

 「亜希、陽キャは太陽で、陰キャはマジで月だよな?」

 「それな!」

 獅子堂が自らの価値観や好き嫌いを言って、それを主従の確認のごとく他のやつらに聞いて、肯定を得る。

 獅子堂がそのような態度を取る理由が、自分の意見を押しつけるためか他人にそれを否定されるのが怖くて確認をするためにしているのか分らんが、もし後者ならぼっちになることを勧める。

 だって、ぼっちなら否定なんてされないのだから。ぼっちは楽なんだぞ。


 そして亜希は「通常運行」をしてた。


 *体育祭の暑さは過ぎて、期末試験の吹雪がきた件について


 雲馬祭の翌日以来の代休だ。前回と同じように陽キャたちは遊びに行ってるだあろう。元々、俺には陽キャ友達なんていない。それどころか陰キャ友達もいなかった。うっかりしたわ、てへぺろ。

 小学校時代からチームメイトで十分だと考えてた俺だ。

あの頃から友達なんていなかったんだ。

チームメイトは友達ではない。ただのチームメイトだ。クラスメイトは友達ではない。ただのクラスメイトだ。幼なじみは友達ではない。ただの幼なじみだ。

たまたま家近くに同年代の人間が生まれただけだ。仲良くする義務はない。


 期末試験も迫ってきてるから、提出物をやって軽く教科書とノートを見直した。

 特に面白い代休の過ごし方ではないが、朝はぐっすりと寝られるので、やはり、代休はありがたい。


 雲馬中の各学期期末試験後には、成績不良者(中間試験・期末試験の点数に平常点を入れて二五点以下の人)には補習がある(高等部は何もない。ただ学期終了時に成績に一がある場合、追加課題を期日までに出さないと退学になる)

俺は数学が少し苦手だ。さすがに赤点を取るほどではないが準備は入念にしたい。

数学のテストは問題集からほぼそのまま出るので公式と答えを覚えて、解法を覚えられそうな場所だけを覚える。前回はこれで六九点、今回も行けるはずだ。

授業はしっかりと聞いてるから、大丈夫だろう。ウチのクラスのいい所は、授業中はほとんどうるさくない点だ。友達とコソコソ話する人なら毎時間いるがうるさくない。雑音が入らない分、赤点を取らない程度なら授業を受けてるだけで十分な気がする。

南が勉強に集中したいってのがあるんだろう。

 南は、勉強も出来て運動も出来る。その上、背は高くて、顔もいい。更には人望まである。

 なんちゅう、「5ツールプレーヤー」だ。

 ミート、パワー、走力、肩、守備全てにおいてオールAだ。

 完璧人間の一言に尽きる。


結局、亜希との事件も障害物競走でのやらかしてでも俺へのイジメはなかった。それだけで十分ありがたい。

噂では南がクラスの空気を和ませてくれたらしい。

やっぱ空気を変える力を持ってる俺も陽キャじゃないんですかね。


宿題は素早く荒く期日までにをモットーとしてる俺は、仮に再提出になっても未提出者よりかは点が入る。

数学に関してはマスター級を自称する。まずは解ける所は解く。それも⑹まである問題は、⑸か⑷までしか解かない。理由は面倒だから。

しかも解けそうな問題も解けないと放棄した問題も答えを、途中式も所々写しながら、所々わざと赤ペン修正(わざと間違えること)をする。それプラスで荒い俺の字だ。バレるはずがない。完璧だ。

俺はこれで数学と渡り歩く、そう強く誓った。


―テスト当日―

 「おにーちゃん、頑張ってね。茜、今日の朝ごはんのお米の神様にお願いするから」

 受験じゃないからそこまでしなくていいと感じたが、愛しき妹のかわいらしい発言だ。思わず笑みがこぼれる。

 でも、神様なんて実際はいないんだろうなぁ。

理由は今年の初詣で、「亜希と一緒の中学校に受かって、亜希と中学生生活を満喫したい」という一つの願い事を「十分」に「ご縁が」ありますようにと一五円も出費したのに、「十分」と「豪華」に一人生活を送る羽目になったからだ。

 だったら一〇円で買えるうまい棒でも買っとけばとものすごく後悔してる。


 テスト時間は五〇分。数学以外は時間的に余裕を持って解けるくらいの時間の長さだ。でも俺は数学も余裕で解き終わる。

 なぜか知りたいか諸君。知りたくもなくても俺が話したいから話すぞ諸君。

 俺はこの神秘的解法を「瞬解」と呼んでいる。

え、神を信じてないくせに神秘的という言葉を使うんじゃないだって?

あ、すいませんでした……

 ではこのマスター級解法こと「瞬解」の説明をしようじゃないか。

 まず答えを暗記した所から忘れないように解くんだ。

 早く、出来るだけ途中式らしき式も書いて、そこそこ読める字で。

 そして横綱は、宿題で解けないと放棄した問題だ。大体そのいわゆる難問は、問題集とは違って数値が変えられている。

 そこで出てくるのが「瞬解」だ。

 「瞬解」それは、テキトーな途中式を書いて、出た答えを解答欄に書くマスター級解法である!


 愛合孝輔 数学五五点(※いい子は「瞬解」を使ってはいけません)

 ふー、赤点じゃなかった。さすが我が「瞬解」だ。

 これで補習に出ずに済んだ。はぁああ、良かったぁあ!

 数学の採点間違い探しの時間、俺はホッとしてつい口元が綻んでいた。

 周囲から唾を吐いたラマを睨むような冷たい視線を感じるが今は関係ない。ぼっち&陰キャが補習になんて引っかかったら、暗い、(頭の)回転が遅い、キモイの「改3K」と新たなレッテルが貼られていたかもしれなかったから良かった。一安心だ。

 なんで「3K」や「新3K」じゃないのかって?

 その言葉は既存してるんだよ。俺もググって初めて知ったぞ。


 補習は一組の教室で行われて、三日間で国、数、英が該当科目だ。

 俺は教室外ロッカーに忘れ物を取りに行った帰りに補習の様子を見た(断じて見に行きたかったわけではない。断じて見に行きたかったわけではない。断じて……すいません。超見たかったです。俺に冷たい視線を送る陽キャ馬鹿共に、哀れみの視線を送りたかったです)

 そこには亜希がいた。一学期の補習には参加してなかったが、まぁ無理もないか。アイツのグループ全員が補習参加してるみたいだし(馬鹿の集まり決定だな)

 遠目から見ただけだが亜希は困惑してるように見えた。今までホントに自分の力で赤点を回避出来てたと思ってるのか、馬鹿だなぁ。

全部俺がいたからなんだよ。お前が落ちこぼれにならなかったのはと思うと急に俺は震え始めた。

 亜希は嘘をつき、俺は亜希を見捨てた。なのになぜまだ馬鹿にしたがるんだ。なぜ関与したがる。なぜ気にする。

 止めよう。俺はひとりぼっちなんだから。

 いい加減動かさないと、俺の一人の時間を。動け。俺の一人の時間よ。


 そう心に言い聞かせる俺はまだ震えていた。それは寒いからだろうか。ではないとしたら一体この震えは何から来ているのだろうか。

 いや俺は何となく知っているこの震えの理由を。

けど認めたくなかったんだ。


 *クリスマスとは、チキンを食うためだけにある日だという件について


 「クリスマス。それは、一二月二五日に行われるイエス=キリストの誕生を祝う祭りのことを指す。またの名を聖誕祭、降誕祭。仏語ではノエル、イタリア語ではナターレ、ドイツ語ではワイナハテン。スペイン語ではナビダッ……」

 「はいはい、ハロウィンのときのような現実逃避はそれくらいにして、早くチキンを買ってきてね、おにーちゃん」

 べ、別に、げ、現実逃避じゃないんだからね。

お兄ちゃんはただ辞書のクリスマスの説明欄を読んだだけなんだからね(ちなみにハロウィンのときは「東京の渋谷で暴走している人たちを見てやっぱ東京都民は馬鹿だなと埼玉県民が東京都民をあざ笑う日」と俺は考えていたのに、埼玉県民のクラスメイトが東京都民と渋谷で仮装したと聞いて「非埼玉県民」だとそのクラスメイトを心の中で焼却したことを茜に伝えたら「おにーちゃん、かわいそうだね」と言われた)


 一昨日のことだ。休み時間に最近始めたぼっち飯を堪能するために、保健室入口の横道を抜けた先にある屋根の下に隠れているベンチに向かって行く途中で、陽キャどもが「クリスマスにデートするの?」とか、「クリスマスあたしたちで遊びに行こう」とか、「クリスマスパーティー開こう」とかクリスマスデートやらクリスマスパーティーやら俺には無縁の単語をたくさん聞いた。

 陽キャどもにとっては休日や代休だけでなく、行事も友達なる者たちと過ごす日であると初めて知った。

 俺もよく亜希と、としまえんのイルミネーションを見に行きつつアトラクションに乗ったりしたが今年は絶対にないだろうからクリスマスぼっち、いやぼっちではない。俺には茜とシャンスがいるからぼっちではない。やったね、クリぼっちじゃないんだ。

 最初、クリぼっちと聞いたとき、クリボーをたまごっち風に言った言葉だと思ったが、ググってみて恥ずかしくなった。

 それでも、Google大先生さすがっす‼


 栗原からひばりヶ丘北口方面の逆である朝霞台・志木・新座営業所方面のバスが通る方面に一駅歩くと火の見下に着く。

 その近くの下り坂の途中に野澤精肉店がある。

そこではクリスマスだけしか売っていないチキンがあるのだがホントにおいしい。

タレを使ったチキンはなく、塩で味つけしたチキンしか売っていないから濃い味が好きな人には向いていないかもしれないが俺はこの味が大好きだ。

コクがあるのか分らんが恐らくコクがあると言えばいいのだろう。

つまり超美味しい。

え、食リポになってないって?

安心しろ。別に本職じゃないし、それに店を勧めるような友達とやらは俺にはいないし。

文系の人が計算出来ないのと理系の人が漢字読めないのと同類じゃね。本職じゃないんだから。

 まぁ、言いたいことはクリスマスとはクリスマスチキンを食うためにあるってことだ。


茜はクリスマスプレゼントにねるねるねるねを買った。

ねるねるねるね、美味しいよね。俺も今でもたまに食うわ。

え、子どもっぽい?

初心忘るべからず、だろ。

人生道の初期の真剣な気持ちを忘れてはいけない。

お菓子も懸命に食われるために、作られたのだから。


誕生日プレゼントも近いのだから安くても仕方ない。中学生は大富豪ではありませんからね。


*年末にある二人の誕生日が、愛合孝輔を悩ませた件について


 今年の終わりも近づいてくる。

道行く人々の吐く白い息が多いと感じるようになったのは寒くなってきたからだろうか。

それとも、一年を思い出して懐かしかったと感じている人が多いからなのだろうか。または俺みたいに、ヒデェ年だったなとため息を吐く人が多いからなのだろうか。

 年の瀬とは慌ただしい年の暮れという意味なのだが、ただでさえ新年への準備が忙しいのにプラスで忙しいイベントがある。

茜の誕生日だ。

俺は、誕生日プレゼントは必ずひばりヶ丘で探す。

え、埼玉で探さないのかって?

……仕方ないだろ。近所にねぇんだよ。歩かずに行ける大きいショッピングモールが。

 ひばりヶ丘駅の南口には、西友とPARUKOという二大スーパーがある。

マジで道を間に挟んで両側にある。

ホントになぜここに建てたんだ。

宣戦布告か革命にしか思えない。

更にPARUKOと同じ通りにはマクドナルドとケンタッキーという二大ファーストフード店が隣接している。

更に少し歩けばパスタで知られるポポラマーマとイタリア料理で知られるサイゼリヤがある。

ちなみにサイゼリヤは栗原の近くにもあるから小さい頃からよく通っている。

 間違える人が多いけどサイゼリアじゃないよ。サイゼリヤだよ。

 まぁ、このようにひばりヶ丘南口は様々な勢力が争い合う戦場だ。

その戦場の最寄り駅から電車に乗るからであろうか。

最近学校に行くのが辛くなってきた気がする。

きっと足に被弾でもしたんだろう。


 さて小学生高学年では、プレゼントとして何が人気なんだろうか。

まだ小学生だから指輪とかネックレスとかアクセサリーを望んだりはしないだろう。まぁ、分らんが。だって俺は男だもん。俺っ娘じゃなくて男だもん。

 いやホントに分からん。小学生高学年の女子って何を欲しがるお年頃なんだ?異性の相談相手がいないのがここで響くとは……

 異性の相談相手について考えていると胸が痛くなった。

 一二月三一日が誕生日である俺の知り合いはもう一人いるということを忘れていようとしていたからだ。

 ピンク色のイヤホンだっただろうか。亜希が誕生日プレゼントとして望んでいたのは。

 夏前の他愛もない話の内容をよく覚えているなと自分で感心してしまった。別に一人でいるのは決してつまらなくはない。俺も寂しく思ったことはない。ただその生活は面白くはないのかもしれない。刺激的でも印象的でもないのかもしれない。

 人は、面白くて刺激的や印象的だった思い出などは中々忘れないという。

 俺はかなり昔の記憶を覚えている。

日常で刺激的な出来事がないからだろうか。それとも、その出来事が刺激的だったか。

それとも、刺激的な出来事がなさ過ぎてその出来事を刺激的に感じているからか。

こう考えてみるとぼっち生活が実に面白くないかが分かる。いや、つまらなくはないんだけどね。記憶に残る思い出がほとんど出来ないんだよなぁ。

だから普段話さない人と話した記憶だったり、かつてよく話していた人との記憶が残っていつまでも消えないんだよな。

だからってぼっちを馬鹿にするのは筋違いだと思う。

 別に俺が強い男だからいつまでも執念深くて忘れないわけでもないだろうし、俺が弱い男だからいつまでも未練を残して忘れられないわけではないだろう。

ただ、何も入ってこないだけ。すっからかん。

 どこで聞いたのであろうか。人は忘れるから生きていけて、苦しいことを全部覚えていたら辛くて生きていけないのだと。

たしか何かのゲームで出てきたような気がする。

 人間の記憶は、どれくらいあるのだろうかと調べてみたら、一ペタバイトも記憶出来るらしいじゃないか。

一ペタってどれくらいだよ。

一ペタバイトは、四段の書棚二〇〇〇万個分でテレビの高画質録画を一三年分超、約六億五千万人分のDNAを十分保存出来るくらいらしい。

まぁ、めっちゃ多量の記憶可能ってわけだな。

ちなみに俺は一ペタと聞いて冷えピタ一枚を思い浮かべてしまった。……もう俺の数学の頭脳は崩壊始まってんじゃね?

 まぁ、つまり物心がついた後の出来事は、人間は何らかの形で頭の中で眠っているから、自分が面白いと思った記憶は言うまでもなく、自分が辛いと思った記憶を忘れることなんて絶対にないってことだ。


忘れてるんじゃなくてど忘れしてるだけか、忘れようとしているだけだ。

多くの人は忘れようとして無理にその記憶に触れてまた苦しむのである。

あと記憶喪失や認知症なら忘れても仕方ないと思うけどね。

 ということは俺が過去の記憶を覚えていることは異常なことではなく、むしろ健全と言える。

ぼっち生活がつまらないから昔の記憶をよく覚えているわけではないようだ。つまり「昔のことをいちいち覚えているから友達が出来ないんだよ」と馬鹿にされる理由にはなりえないってことだ。

先述した通りぼっちは健全なのだから異常なのはお前ら陽キャどもだ。精密検査をしてもらいたいほどに異常……なんじゃないんですかね。


 女子物の店で記憶に考えながらグルグル商品を見ていたからだろうか。

 「あのぅ……何かお探しでしょうか?」

 と厚化粧のいかにも「うちら青春してるわー」と盛り上がっていそうで、いわゆる陰キャを小馬鹿どころか大馬鹿にしそうな派手な女性店員が少し目を細めながら話しかけてきた。

 え、俺疑われてる?

 どうもこのようなウェイ系に話しかけられると一瞬戸惑ってしまう。

もし相手が店員じゃなかったら「え、俺なんかしたか?コイツ他の客を脅して賠償額取ろうとしてるのだろうか」と考えてしまうところだっただろう。

 「イぃ、妹の誕生日を買いに来たんですけど、小四の女子が欲しい物が分からなくて……」

お、思わず声が裏返ってしまった。俺にとって陽キャというのは一種の外国人だ。

 話しづらくなってしまうのも仕方がない。

 でも、外国人は一度会話で噛んだくらいじゃそんな顔はしないと思うぜ。話したことないから知らんけど。

 「す、すいません……」

 そんな生理的に受けつけないような顔されると逆にこっちから謝ってしまうじゃないか。俺は誤ってないのに謝ってしまった。

 あ、ダジャレになってる、てへぺろ。

 「……良かったぁ……い、いえこちらこそ申し訳ありませんお客様。そうですね。妹さんの好みとか教えてほしいですね」

おいおい「良かったぁ」って俺が万引きでもすると思ったのか。

俺は、人間関係の線引きと夏はほとんど引きこもりだったけど、万引きだけはしたことねーぞ。……まぁ、疑われますよね。ごめんなさい。でも引かないでね。轢くのはもちろんダメだよ!

 「えーとこの前、学校の家庭科の授業で裁縫を習ってから自分でよくボタンの縫いつけをしてますね」

 「それではただいまソーイングセットをお持ちしますね」

 なるほど、ソーイングセットか。ウチのソーイングセットは古いから糸通すのとか少し大変そうにしてたしな……実際に俺もあれ使うの大変だし。

うん、ソーイングセットにしようかな。

 店員は、何個かのソーイングセットを持ってきた。

その中で筆箱みたいな形のケースのソーイングセットを手に取った。

持ち運びに便利そうだしね。

べ、別に一番安かったというわけじゃないんだからね‼

 それにしてもあの店員、会計遅かったな。研修中の札をつけていたからまだ働き始めてからそんなに経ってないんだろうか、それとも日常生活で勉強せずに遊びまくっているから計算と機器の扱いが苦手なんだろうか。

 なぜだか後者のような感じがしなくもない。

 どうしても厚化粧のギャルなどを見ると好印象を覚えない。


どうしても色眼鏡で見てしまう。

陽キャがぼっちや陰キャをそう見るのと同様ってことだ。


 俺は帰りにアパート内の別の店である物を買った。

 今は壊れた仲であろうとも、かつて助けてもらった恩義は返すべきだと感じたからだ。

 そして、自分に形のある諦めをさせるために。

 ……渡せるのかな


 「おーい帰ったぞ」

 「お帰り、おにーちゃん」

 「これ、プレゼントな」

 「うわー‼ありがと‼大事にするね‼」

 ……カエルのヘアピンを上げたときよりもやはり、嬉しそうじゃねーか。

 

 妹には簡単に渡せるのに、このピンク色のイヤホンだけは渡すことが出来なかった。


 そして、年は明けた。

 初詣に行っても願うことがないからとりあえず「世界平和」を願っといた。

 考えてみれば神様なんているはずもないのだ。

 家族仲良くという願いも、兄貴が道を踏み間違えないようにという願いも、そして亜希と楽しい中学生活を送りたいという絶対に叶うはずだった願いも叶わなかったんだ。

 仏の顔も三度まで、なら三度願いを最悪の形で終わらせた神様を信じる必要なんてどこにもない。

 ある人は、「神の試練」となんて言うかもしれないが、それは神の存在を信じていて嘘だと認めたくない人の弱音でしかないんだ。

 神は心の弱い人には必須な幻想なのかもしれない。

 誰もが、ひとりぼっちになるのは怖いから、友達を作ろうとする。神を信じたくなるのも同じロジックじゃないだろうか。

 ぼっちなら友達じゃなくて神様を信じればいいって?

 神は、亜希みたいに目の前で裏切るわけじゃないからね。目の前で起きたことじゃなければ様々な言い訳が浮かぶからね。やはり、心の逃げ場所としては、神様は必要なんだろう。

 

 俺は数ヶ月、学校生活を一人で乗り越えてきた。周りのやつらがするテストの点数のどんぐりの背比べも近くの友達とやらに見せてもらう宿題も授業中に指名されて他の友達とやらに聞くことなども、俺は全て一人でやってきた。

 テストの点数には一応しっかり向き合っているつもりだし、宿題も一応はしっかりしてるしそして、予習もしっかりして授業中に他の人に聞くなど「逃げ行為」なんてしない……まぁ、する相手がいないだけなんですけどね。

 それでも俺は一人でやってきた。俺は他人に頼らないといけないお前らよりも強いんだ。

 俺は、弱くなんてないんだ。

 だから、俺は神なんて信じない。

ついでに奇跡も信じない。

……あと早く高校生になって文系に行って数学からおさらばしたい。

 

*暗い部屋の中、愛合孝輔は長いため息をついた件について

 

 『新年あけましておめでとうございます』と俺宛に来た年賀状は思考部顧問の相馬と雲馬高等学校・中学校からのみ。

俺が書いたのは相馬にだけ。それも届いたから急いで書いただけだ。

 まぁ、おかげで冬休みの宿題にもその分、集中出来ますのでね。

 やはり、年賀状を読んだり書いたりするのは時間の無駄遣いだと思うんですよね、はい。

 よく母が、「忙しい、忙しい」と言いながら年末にパソコンの「筆ぐるめ」で年賀状を印刷して書いているんだけど、そもそも誰にも書かず受け取らずだったら忙しい用事も減ることになり、しかも年賀状を保管する袋も用意しなくていいんだから家のスペースを無理に蝕まれることもないってわけだ。

 うん、やはり年賀状を書かないし、貰わないっていうのは時間のエコにもなるし、お荷物にもならないんだから、賢くて素晴らしい行動だってことだね。反論はもちろんないよね?

だってエビデンスもしっかりあるし。

 

 冬休み期間に行った場所といえば祖父母の家くらいだ。

 新年の挨拶だからさすがに父も同行した。親父が祖父母宅に伺ったのはゴールデンウイーク以来だ。

 祖母は俺らが行くと毎回、様々な料理を出してくる。

 まるでどこぞやのネコ型ロボットの四次元ポケットのように次々と食べ物を出してくる。

 アイス、チョコ、ゼリー、野菜炒め、豆、焼き肉、パンにピザなど様々な食品を繰り出してくる。

 例えば、ピザ食べると聞かれたときに「お腹がいっぱいだから」と言うと、「じゃあアイスあるよ」と別の食べ物を出してくることが毎回のようにあることだ。

 これは別に祖母がおかしいわけでは決してない。

 俺は、小学生の低学年くらいまで好き嫌いの激しい性格だったので、「お腹いっぱい」を言い訳にしていたから祖母もいまだに俺がその手を使っているのだとでも思っているのだろう。

 それにしても、さすがにお腹が破裂しそうなときでも空気砲ならぬ祖母砲は活動しているので大変だ。

 もう好き嫌いは心で思っていても口に出すのは危険だと身を持って感じました。

 これ、冬休み中の大きな進歩ね。

 

 雲馬祭以降いつか小説を読み始めようと何度か思っていたが、まだ読み終わらない新書があったため先延ばしにしてきた。

だがその新書も読み進まなくて読み終えた所の内容まであやふやになってきたため祖父母宅を訪れた際に、島書店に寄って小説を探してみようと考えていた。

 飽き性なんて言うな。何だかんだ数ヶ月持ちこたえたぞ。何ヶ月続いたかは計算したくないからしないけど、それでも三日坊主より素晴らしいじゃないか。……何を比べているんだ俺は。


 「島書店」に入るのは初だった。

 夏休み以降この付近には来なかったからね。

 宿題、家事に祖母砲この三つは恐ろしいから近づけなかったんだ。

 「島書店」は一階と地下一階の二階建て構造だった。

 地下一階は漫画やラノベで一階はそれ以外の本を置いてあるらしく個人書店で二階建て構造なのは珍しいと思った。

 どんな小説を読もうかと考えてみたとき、興味のある分野の本を読もうかと思った。

 俺は歴史に興味がある。

 なら歴史的にも有名な夏目漱石や太宰治、三島由紀夫などを読んでみようか。

 この前の新書のようにいきなり難しい本を読んでも同じ道を進むかもしれないし、簡単な本から読んでみようとは考えていた。

 太宰治の『走れメロス』、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』や『羅生門』、夏目漱石の『坊っちゃん』辺りが中学生にとって読みやすい本だろう。

 とりあえず『走れメロス』と『蜘蛛の糸』と『羅生門』を購入しようと決めた。

 短編集は読みやすいからが一番の理由だ。

 文豪たちの作品名くらいなら俺も同級生に比べたら知っている方だと思う。

 けど読んだことはなかった。

 文豪たちの作品の中に、何かがあるとそう感じたのもそれらを選んだ理由でもあった。

 ビスマルクだっただろうか。

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という名言を言ったのは。

 この名言は、言葉尻だけを捕らえると「経験から学ぶやつは馬鹿で、本当の優秀な人は歴史から学ぶ」だったり、「歴史は他者の行動であり、自分の経験したことから学ぶべきことよりも大事じゃない」とも考えることが出来るが、本来ビスマルクは、「自分の誤りを避けるために歴史から対応などを学ぶ」と言いたかったそうだ。

 ビスマルクは「鉄血宰相」の異名を持つことで知られている。

 彼のしたことは、端的に言えばバラバラだったドイツを統一だ。

統一するために戦争をしたのだ。

戦争では一つのミスが命取りになる場合がある。

ビスマルクは、それをしないために歴史から学ぼうとしたのではないだろうか。

俺もビスマルクの言った通りに歴史から学ぼうとしたのだが、それは失敗をしないためではない。

実際に俺は、もう何度も失敗している。

俺が知りたいのは、失敗しないための方法=成功するための方法ではなく、失敗した者のその後である。

初めての経験に対しての対応においては、自分の経験ではどうしよもない。頼る他者もいない。

だから、歴史から学ぼう思った。


 レジで会計してもらおうかなと店員に本を渡したら驚いた。

 俺より背が高いくせに顔が同級生の女子と同じ年くらいの顔をした店員がレジを担当していたからだ。

 まぁ、俺より背の高い女子なんて何人もいるんですけどね。


 その女は、まるで芸術作品のようだった。

 その髪は、まるで若い黒柴のように艶のある黒髪ロングに白いカチューシャをつけていて、その目は凛とした一重で、その肌は羽二重肌で、まさに大和撫子だった。カチューシャを外して髪の毛全部前に持ってきたら、それはもう貞子だ。ひぃ、怖いなぁ。

 それにしても何歳だ。働いているってことは成人してるのだろうか。にしては童顔なんだよな。

 まさか、これが世にいうロリババアだと⁉ロリババアが実在してたのかとやや感心したのだが、彼女の胸元の『しま』と書いてある名札を見て、この島書店の娘なんじゃないだろうかと考えた。

 そして彼女の母らしき人が、「麻葉―、ピアノの時間よー」と言ったことでそれは、確信に変わった。

 彼女は、「はぁ」と短くて深いため息をつくと、「母さん!今、お客さんの対応しているから!」とやや険しい目をして言ったのだが、

 「私が対応するからー。ほら急いで!」

 と奥から母が現れた。

 すると彼女は、また、ため息をついて奥へと消えていった。

 俺と彼女は、どこか似ていた。


 これが、俺と島麻葉の出会いだった。


 三学期は一・二学期と比べて出席日数が少ない。

 だからといって行事がないわけではない。

 合唱祭がある。

 雲馬高校・中学校では、それぞれ高校合唱祭と中学合唱祭がある。芸術鑑賞祭にプラスして、合唱祭があるのだ。

 高校合唱祭では、高一が「ハレルヤ」と「アヴェ・ヴェルム・コルプス」と校歌斉唱があり、高二が合唱コンクールをする。

 ちなみに高校合唱祭は三学期にあるため、高三は受験勉強期間内だから出場しない。それどころか自由登校だ。

 つまり、高三になれば雲馬祭と体育祭だけしか学校行事がないということになる。

 早く人間……じゃなくて高三になりたい‼

 「思い出」とは「思い」と「出」で成り立っている。

 つまり、感じた「思い」を「出」して周りに共有したい人だけが作ればいい。俺は「思い」は「独り占め」するから、略して「独り思い」だ。

 スゲー、ネオロジーしてしまった。

 ちなみに「独り」は「独りぼっち」って意味じゃないからな。「独り占め」の「独り」だからな。

 だから、俺には思い出なんていらない。

 

 そして中学合唱祭では、一年が、校歌斉唱と「少年時代」を歌って、二年・三年が、それぞれ合唱コンクールがある。

 「少年時代」は好きな歌だ。一人で歌ったり、聴くだけならばね。

ここ重要よ。だから倒置法にしてみたんだよ。

 だが、クラス全員で歌うとなれば話は別だ。

 端的に言えば俺は音痴なのだ。ちなみに運動音痴、通称:運痴ではないと思う。

一・二学期で、体育の成績が五段階中の四だったから。

 だけど音楽は、一・二学期通じて二だった。歌のテストも楽器のテストもやらかしてしまった。

 ま、まぁ、歌も楽器も将来使わないけどね‼

 音痴が学年合唱で生き残るには、それは一つしかない。

 そう、口パクだ。

 たまに一部の正義漢ぶったやつが「口パクは悪だ‼」なんて断定するけど、そういうやつらに限って、音痴が本番で歌ってミスしたら戦犯にするか、じーっと冷たい視線を浴びせるのだ。

 実際に俺が障害物競走で最下位になったときにも、俺が走る直前に「頑張れ‼」なんてはしゃいでいた誰かも俺をじーっと険しい目で見ていた。

 えっとう……誰だったけなぁ。そんなこと言ったの。

 「最下位でもいいから」とか言ってたくせに。

 正義漢ぶってるやつにいいやつなんていないと考えた方がいい。

 真のヒーローなんて、どこにもいない。

 だから俺は絶対に口パクするぞ。「みんな」のためにね。

 ほら、君らの大好きな「一人は『みんな』のために」だよ。

 君らの合唱祭を汚さないようにするために口パクするのだから。

 ちなみに「みんな」は一人のためにではないよね。

 だって君らはミスした人責めるもんね。エビデンスももう示したからね。

 え、証拠だけが全てじゃない?

 そういう人ほど、追い詰められたとき「証拠はあるのか」とか言って無駄な時間稼ぎしそうな気がするわ。

 

 そんなのは屁理屈だ?

 一人は「みんな」のために行動をする。それの何が屁理屈なのかな。

そもそも体育祭みたいにミスしたらお前らが冷たい視線を向けてくるから、今回はみんなのために口パクをするんだよ。

……ミスなんて誰でもすることなのに。

自分が出来る分野だけ偉そうにふんぞり返る。なのに、テストの点が全部赤点でも「友達」内で、「お前は馬鹿だなぁー」と笑い合って終わる。

 他人には蔑視するくせに。

 それって筋道立ってないよね。

 そっちの方が屁理屈なんじゃないかな。

 ……まぁ、俺も屁理屈考えるときバリバリのバリにあるけどな。屁理屈の権化を自称してもいいほどだ。

 人間が屁をするように、屁理屈も人間に必要なもんなんだよ。きっと。だって「屁」なんだから。……何を言ってんだ俺は。


 バリバリのバリって?

 めっちゃってことの俺語録かな、多分。


 誰がなんと言おうと俺は「みんな」のために口パクをする。


 ちなみに俺の口パクは精度が高い。ただパックンフラワーやプクプクのように口をパクパクするだけではなく、ブレスなどをすることで精度の高い口パクは完成するのだ。

 今日はクラス内で練習があるようだから早速、実践と行こうじゃないか。

 

 「少年時代」のピアノ前奏は、いい感じに歌う気を弾ませてくれる音がする。

 だから、口パクを早速、破ってしまいそうになるが、踏ん張って口パクという暗黙のルールを死守する。


 ……おいおい、誰か音程外れてないか?まぁ、俺ではないことは確実だけど。

 

 指揮者が、指揮を止めて「誰か音程外れてるよ」と声を出してきた。

 なぜだか、俺付近に視線を感じる。

 おいおい、俺じゃねーぞ。俺は、呼吸しかしてなかったぞ。

 なんでもかんでも俺のせいにするんじゃねーよ、俺は疫病神かよと言いそうになったが、どうやら俺の斜め後ろで歌っていた権藤のことを見ていたようだ。

 権藤は、斜め下四五度を見ていた。

 分かるぞ、その気持ち。それを浴びたくなかったら、口パクをするんだよ。

 

 結局、誰一人として俺の口パクには気づかなかった。


 本番は、練馬駅近くにある練馬文化センターで行われる。

 この文化センターは、練馬駅に停車中の電車から見えるくらい近くにある。

 わざわざ外部のセンターを使うのか。定期券の範囲内だし、タダで行けるから別に不満もないのだが、文化センターの大きさ的に借りるのにどれくらい金がかかったんだろうか。

 兄貴が通っていた地元の中学校は、体育館で合唱祭をしていたから、やっぱり私立の公立は違うと改めて感じた。

 

 いや、待てよ。あの文化センターなら、口パクで大きく口を開けなくてもバレなくないか?

 口パクも結構大変なんだ。

 普段から口数の少ない俺の、口周りの筋肉は弱い。ヒョロヒョロ男子くらい弱い。

 そんな俺が、いきなり大きく口を開けて口パクをすることは、ヒョロヒョロ男子がハードな筋トレをすることと一緒で口周りが筋肉痛になるんだ。

 ただでさえ、遅寝遅起きで口内炎が出来やすいのに、口周りの筋肉痛の上乗せは、さすがにキツイ。

 え、自業自得?

ナニソレ?オイシイノ?


 でも、文化センターの大きさ的に、大きく口を開ける必要がないならば、もちろん口パクの手を抜くに決まってるじゃないか。

 え、手を抜くなって?

 いやいや、よく手をポケットに突っ込まずに、手を抜いて歩かないと怪我をするとよく先生らも言ってるじゃないか。

 俺も筋肉痛を悪化させないために手を抜くんだ。

 先生らの忠告を守る優秀な生徒じゃないか。

 模範生と呼んでほしいくらいだ。

 だから、手を抜くぞ。

 

 三学期は入試休みの日もあるから、練習日は限られていた。

 だからだろうか、先生と張り切り勢がピリピリしている気がした。

 普段は仲良く話している男女間でもピリピリしている。

 どうやら男子の中では、やる気ある勢とやる気ない勢に二分されてるらしい。

 女子のほとんどは、朝のHR前と放課後に練習をしたいらしいが、男子の中には部活があるから朝と帰りのHRのときにすればいいと主張している組もいて、その人たちは、朝のHR前と放課後に練習しなくてもいいじゃないかと主張してるのだ。

 それって限られたHRという時間で集中したいというよりか、何回するかわからないHR前と放課後で練習するのが面倒だってことだろ。

 それも風邪で学校を休んでた南が復活すると、終息へと向かったわけだが、桜井麗というクラス副委員長で南グループの女リーダー的な人が、もう一人の副委員長で同グループのメンバーの江藤と男女の文句を言い争っていたのだが、南が戻ってきた瞬間に涙を浮かべつつ「みんな、しっかりしようよ」とか言い出した。

 その涙を信じた南が、桜井側についたことで江藤も熱い手のひら返し、別名:テノヒラクルーをして、窮地に立たされたHR派は空中分解した。


 あと、佐倉麗だったらしい。

 佐倉麗か……泣けばどうにかなる、してくれるというその浅ましくて浅はかな考え方は、非常に幼稚っぽく思うし、何しろ嫌いだ。

 それに、その涙も疑わずに信じてしまう南も、すぐに手のひら返しをする江藤も、嫌いだ。うん、もうみんな嫌いだぜ。

 てか、そもそもコンクールがあるわけじゃないんだし、任意で良くないか。

 誰がどの選択をしようが俺は、口パクを止めることはない。

 だから、俺はその動転を、高みの見物をしていた。


 中学合唱祭の前々日には高校合唱祭がある。

 高校生には、中学合唱の観賞は予定にないくせに、中学生には、高校合唱祭の観賞があるのだ。

 不満が出てるんじゃないだろうか。


 高校合唱祭は、東京芸術劇場で行われる。

 そう、あの、東京芸術劇場である。

 音楽の三瓶曰く「一流音楽家でも憧れる舞台」らしい。

 東京芸術劇場の外見は見たことがあるけど、中に入ったことはなかった。

 音楽が聴くのは好きでもわざわざ金を払って聴くほどではなかった。

 まぁ、Youtubeやニコニコ動画で最近は聴けますからね。

 音楽レコーダ―で聴くのも、もちろん好きだ。

 

 高校合唱祭の前日に、海老名がHRで、興味深いことを言った。

 「明日の『ハレルヤ』、みんな三瓶先生に注目しててね」

 あの五〇過ぎのぽっちゃり体系の三瓶が一体、何をするんだろうか。

 数人の生徒はクスクス笑い、他の人に耳打ちしていた。

 ……おいおい、ネタバレすんじゃねーよ。まぁ、耳打ちだったことは評価してやらんでもない。

 

 その日の部室で図書室にあった『こころ』を読んでいると、廊下から声が聞こえた。

 相馬と三瓶だろうか。

 「三瓶先生、明日こそ指揮台壊しませんかね」

 「アハハ‼大丈夫だろ。まぁ、汗はかくかも知らんが」

 ……一体、何をするんだ⁉てか、相馬‼楽しみにしてるんだから想像できそうな言葉を言うなよ。楽しみゲージが減っちゃったじゃないか。


 東京芸術劇場は想像の倍くらい大きかった。

 高校合唱祭は、高一合同合唱、合唱コンクールや個人演奏やPTA合唱、合唱部・弦楽部・吹奏楽部の演奏などから成る一大イベントだ。

 東京芸術劇場での集合場所は、二つのエスカレーターを乗った先にあった。

 でも調べてみたら東京芸術劇場には、二つのエスカレーターが一つになっていたらしく、非常に長く、危険だったために撤去されたらしい。

 今の、二つのエスカレーターの二つ目でさえ長いと思ったのに、もっと長かったのか。

 渋谷の副都心線のエスカレーターだったっけか。あれとどっちの方が長かったんだろうか。

 調べて出てきた画像だけじゃその大きさの実態を知ることが出来ないから、今となって

は比べられないけど。


 中一の席はステージから見て右手前にあった。

 ステージが丸見えじゃないか。これじゃあ内職は厳しそうだ。


 俺の音楽に対する興味ははっきりしていて、知っている曲はとことん聴くが知らない曲は寝たりしている。

 まぁ、数学苦手な人が数学の時間に寝るみたいな感じかな。あ、これは俺のことじゃありませんよ……すいません、俺のことです。


 だから好きなクラッシックでも知らない曲や合わない曲に関しては聴かないことに全力を注ぐ。

 合唱部の歌った曲は、曲名こそ知らなかったけど、よく歌唱番組でも聞いた歌だったと思い、寝ないで聞いていた。確かジブリの映画の歌だったと思うけど最近のジブリ映画は観ないから確実性には欠けている。

 あとはPTAの歌唱は別ベクトルで面白かった。だってPTAのおばさんやおじさんが真っ白い服を着て歌うんだもん。ウィーン少年合唱団ですかって思っちゃった。

 そして、合唱コンクール。合唱コンクールは事前に体育館で予選が行われていて、東京芸術劇場では選ばれた三クラスによる本選が行われる。

 課題曲は、伴奏なしで指揮者有りの校歌、そして自由曲一曲だ。

 残念ながら合唱コンクールについてはほとんど聴いていなかった。

 だって次が高一の大合唱なんだもん。その間に寝ないようにするために、合唱コンクールの合間に眠気を寝て吹っ飛ばした。

 自由曲の一つだった「心の瞳」で眠りに落ちた。

 起きた頃には、三組目のクラスが俺の知らない自由曲を歌っていた。

 冊子を見ると高一の大合唱は、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」とヘンデルの「メサイア」の一節である「ハレルヤ」という曲を歌うらしい。

 「アヴェ・ヴェルム・コルプス」はモーツァルトが作ったのか。「トルコ行進曲」と「アイネクライネナハトムジーク」くらいしか知らねーぞ。

 どうやら一曲目は「アヴェ・ヴェルム・コルプス」らしい。英語の歌なんだろうか。

 まぁ、「アヴェうんたらかんたら」だからキリスト教の聖歌みたいな感じかな。よく知らんけど。

 「ハレルヤ」は、皆目検討がつかない曲だった。文字的に明るそうな曲っぽいとだけ感じていた。

 

 「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は穏やかな曲であり、なんて歌ってるか全く分からなかった。ただ英語じゃなくねとだけは感じた。

 歌詞の意味も何語かも分からなかった。

けれど、その穏やかな曲調がとても優しいと感じた。まるで今際の際に立つ人を空から神様が迎えにくるときの歌と感じたくらい、神々しい歌だった。

 そんな不思議な感覚に陥っている間に、歌声は収まった。もう「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は終わりなのかと三瓶のことなんて忘れて惚けていた次の瞬間、三瓶が腕を上げて指揮体制に入った。

 次の瞬間に流れ始めた音楽は、惚けていた俺を一瞬で我に返らせた。

 「ハレルヤ」。「アヴェ・ヴェルム・コルプス」とは真逆の明るいと言えばいいか、天国からの迎えがきた感じの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」に対して「ハレルヤ」は人生の全盛期を歌ったかのような曲調だった。

 伴奏開始の時点で、ピアニストやバイオリニストが出す一つ一つの音色が「ハレルヤ」という曲の明るさを聴衆に伝えようとしているのが肌で感じられた。しかもステージに近い席だったからその音楽には圧倒された。

 「ハレルヤ」は所々に英単語が聞こえたけど、「halleluiah」が何語かは分からなかった。

 この歌も「ハレルヤ」や「キングオブキング」という繰り返し出てくる歌詞以外は全く聞き取れなかった。

 俺に惚けている時間なんて全くなかった。はっきり言って「アヴェ・ヴェルム・コルプス」で作り出した夢見心地を一瞬で壊してドキドキするような気持ちを作り出した「ハレルヤ」は凄かった。

 多分これが音楽の持つ力、音楽は言語を超える力を持っていると感じた初めての機会だった。

 なんか音楽家みたいなこと言ってるけど、俺はピアノも弾けないんだけどね。


 「ハレルヤ」の最終盤、「halleluiah」を連呼する中の最後の「halleluiah」のシーン、「ハレルヤ」になってから首が反動で前後に動くほど指揮していた三瓶が、まるで魔法を放った魔術師のように両手を限界まで伸ばしたかと思うと、突如として飛び跳ねたのだ。恐らく一〇〇キロを超すあの巨体が、飛び跳ねたのだ。

 そして着地すると同時に三瓶は両手をグッと閉じて指揮を終わらせた。もちろんピアニストもバイオリニストも一寸の狂いもなく演奏を終わらせた。

 なんだか凄過ぎて言葉も出なかったのだが、数秒後に後方の席から「アンコール‼アンコール‼」という声が、先程の高一の声の大きさよりも大きい声で聞こえてきた。

 その熱量に押されたのか、中一勢もアンコールし始めた。

 三瓶は一回退場したかに見えたが、また手を振りながら出てきて指揮台に立つと、俺には出せそうにない大声で「サンハイッ!」と言って指揮を始めた。

 なるほどこれが雲馬名物か。「ハレルヤ」で心が躍っている中で、あのアンコールの熱量、これは正に芸術作品だった。

 多分、中一の思い出の中で最も楽しかった思い出だと思う。

 いや、俺が参加した行事全て黒歴史だから。

 

 結局三瓶は四度近くアンコールに応えた。合唱コンクールの順位を発表している際の三瓶の声はガラガラだった。

 三瓶は明日の中学合唱祭には来ないで別の音楽の先生が中学合唱コンクールの採点者として来るらしいが、もう明日のことなんてどうでも良かった。

 帰ったらYoutubeで「アヴェ・ヴェルム・コルプス」と「ハレルヤ」を聴こうと決めたため、解散際に海老名が言った一回は練習してねなんてどーでも良かった。


 その日はYoutubeで「アヴェ・ヴェルム・コルプス」と「ハレルヤ」を聴いて寝た。


 練馬駅には急行が止まらない。急行さえ止まれば家でゆったりする時間も増えるのになぁと白息を吐きながら家を出た。

 その日の寒さは異常だった。普段は、防寒具をあまりつけない俺だが今日は耐えられそうになかった。

 まぁ、普段から投稿の準備するのが遅過ぎて防寒着を探したり身につける時間がないだけなんですけどね。

 ネックウォーマーをつけての初めての登校となったけど、手は相変わらず冷たい。だからといって手袋はスマホを使うときに邪魔になるので持ってきてない。

 小さな手を温めるために息を吐いた。手に収まりきらなかった白息が手から零れ落ちて、ゆっくりと空へと消えていく。

 

……何かに連想しようとしたけど、寒さで思考回路が凍ってしまったようだ、てへぺろ。


 まぁ、三時間くらいの合唱祭のおかげで授業が丸潰れになることを考えれば苦ではないか、しかも口パクなんだしと自分に言い聞かせた。

  

 練馬文化センターは東京都練馬区多目的ホールである。大ホール(こぶしホール)、小ホール(つつじホール)に分かれていてそれぞれ収容人数は、一四八六名と五九二名である。俺らが使用するのは大ホールだ。東京芸術劇場の大ホールが一九九九席、中ホール八四一席、小ホール一・二が共に三〇〇席らしいから、同じ四桁だから天下の東京芸術劇場の大ホールと練馬文化センターの大ホールは大して変わらないと感じた刹那、いや同じ四桁でも五〇〇以上差があるやないかと一人コントをしていた。

 あ、やべぇやん。電車に乗るやべー奴やないか。

 

 ぼっt、いや、一人登校で練馬文化センターまで来た。

 授業がないからだろうか。クラスの生徒の大半のバッグはいつもより中身が薄く凹んでいた。

 勉強道具を持ってきたのは俺を含めて少しだった。

 日本史の年号語呂合わせで丁度開いたページはこの二〇一四年から二〇〇年前の出来事である曲亭(滝沢)馬琴の『南総里見八犬伝』が刊行された一八一四年だった。

 八犬伝刊行される日は一緒 某参考書

 確かに五七五ってなんとなく覚えやすいな。

 鳴かぬなら無視してしまえホトトギス鳴いたとしても無視してしまえ 愛合孝輔

 いかん、いかん。これでは五七五七七じゃないか。


 中学合唱祭は、中一→中二の順で歌う。同じクラスの人たちは体が寒くて声出なさそーとか言い合っていたが、口パクをするかもしれない、いや絶対にする俺にとっては寒さなんて無関係だった。


 だから、特に思い入れもなく終わった。


 実質俺は、今回の合唱祭においては生ける屍だった。ただ何かしてクラスの人たちに冷たい目線を浴びせられたこれまでの行事に比べたら、彼らも迷惑そうな顔をせずに楽しんでいたし、間違いではなかったと確信した。

もしそれが公になれば彼らをまた不快にさせてしまうかもしれないが、もしそれが事前にバレていたら彼らをまた不快にさせてしまっていたかもしれないが、バレてないなら、彼らが不快になってないなら、それでいいんだ。

バレなければいいんだ。犯罪までもとは言わないけれど、それ以外なら何でも。


そう自分に言い聞かせながら、突如として自分の首を絞めているような痛さを感じた。

「あなた、似ているね」と耳元で囁かれるような気がした。


俺は右耳を軽く叩いた。その強さは夏に耳元で蚊がプーンと羽ばたいているのを聞き、耳を叩く感じだ。


「どうしたんだ?愛合君」

後ろを向くと不思議そうな顔をした南がいた。

おぉ、まだ俺の名前を記憶しているのかと感心しかけたが、俺の名前ってあれで有名なんだろうなと我に返った。

「虫の羽音がした気がしただけだ。気にしなくていい」

俺はそう言うと南の返答を聞かずに帰った。


三学期学年末テストも数学で死にかけたが、どうにか耐えた。三学期から産休した社会の不破に代わって犬塚というおばさん教師の授業が分かりやすかったおかげで、社会で初めて九〇点台を取れた。

一年生は地理を中心に学習するため、俺の十八番である日本史の力が発動されることはなかった。『八重の桜』も全話見たのになぁ。今年から始まった『軍師官兵衛』は戦国時代だから楽しみだ。


そんなこんなで社会で高得点を取ったわけなんだが、その犬塚が八〇点以上の人を呼び始めたのだ。

「九二点 愛合君」

それを聞いたクラスの人たちが俺を意外そうな目で見てくる。いや、勉強出来なくて問題も起こしていたのに意外なんて目で見ないでくれよ。

今までも数学以外は七〇~八〇点台だったから中の上には俺はいたんだぞ‼

あと、目立ちたくねー。怠い。ホント怠い。

え?そこツンデレっぽく言ったら人気者になれるだって?

ホンット、怠いんだからッ!


うん、無事死にそうですけどネ。俺は男だぞ。亜希からは女装したら似合うって言われたことあるけど、男だから。変態じゃないから。

てゆーかそのツンデレ女、男に注目されたくて、媚びてくるタイプの女に見えてきた。クズofクズの可能性がある。

もし恋愛ゲームで選択肢に「は?話しかけるな。昇天しろ」があったら即断即決で押してるレベルだぞ。


学校のテストで九〇点台以上とったことを母に報告するのは当然初めてだった。

帰ってくるのが一一時近くだから軽くあしらわれるかと思ったが、喜んで何か買ってあげようかと言ってくれた。

「え、マジで?」と嬉々に言ったら「ゲームはダメよ」と先手を打たれた。

クソッ……

……結局、家で使う用のイヤホンを買ってもらうことにした。

アンタ学校のことあまり話してくれないからとか多少の嫌味も言われたものの、心労が絶えない母が喜んでくれたのは嬉しかった。早く高校生になったらバイトをして家計の足しを稼ぎたい。


「孝輔。いい点数を取ったらしいな。おめでとう」

今日は仕事休みだったのか。親父が俺のことを褒めるなんて珍しかった。

「苦手な科目でもそれくらい取れるようになれればいいな。歴史家目指して頑張れよ」

最後に親父は少し微笑んだ。

もう長年見てなかった親父の微笑みだ。親父は俺に期待してくれているのだろうか。


親父は俺の憎むべき人であり、憧れの人でもあった。

慶鳳大学文学部史学科、日本の歴史を学べる私立大学では稲村大学と双璧を成す大学だ。親父はその大学出身だ。

そして、俺と同じく歴史に携わる職業を探していた歴史漢だった。

憎んでいてもその分野では天下の慶鳳大学文学部史学科出身なんだから無論憧れないわけがない。

あの日以来、親父への憎しみは憧れを越していたのだが、今日は嬉しかった。強い憎しみと共に強い憧れを抱いているからであろうか。

 その親父からのエール、親父もここ最近は不真面目ではあるが不倫もしていないようだし、更生し始めたのかと淡い期待を寄せた。

 

 学年末試験から間もなくして修了式があった。

 この学校には三者面談があるが、全員というわけではない。成績不良者、素行不良者、外部受験予定者、高校生で言えば一般受験希望者がその範囲内に入る。

 俺は亜希の件で呼ばれかけたが、面談予定日の時間帯に母がいないこと、しっかりと反省文を書いていてそれ以後に問題を起こしてないことが加味されて不問となった。いや、そもそも俺のせいじゃねーしと言いたかったけどね。

 

 ようやく、一年生が終わる。

 出来れば一年のやつらとは同じクラスにはなりたくない。裏切られる辛さと一人でいる楽さを知ったからだ。

 楽しさじゃなくて楽さね。楽しさじゃなくて楽さね。ここ重要よ。「し」というわずか画数が一しかない文字の有無で言葉って月とすっぽんくらい違うから気をつけるんだぞ。

 ……まぁ、一人も楽しいってのは事実なんだけどね。

 

 二年は願わくば歴史の本と物語本をもっと読みたい。

 なんでも「かわいー」とか「それな」とか「すげー」とかそういう軽い友達、いや人間関係なんていらないんだ。


 二年からゼロから始めるんだ。この、俺の俺による俺だけの中学生活を。


 そして、いずれあの大学に入りたい。

そう、決意表明して家に帰った。


 インターホンには、シャンスの鳴き声以外反応がなかった。そういえば茜は今日、小学校の学童で読み聞かせをするから遅くなるって言ってたな。親父は寝てるのか。きっとそうだろう。いつもそうなんだから。


 なら歴史の本でも読んでるか。


 取り出した本は『現代語で読む歴史文学:保元物語』と『現代語で読む歴史文学:平治物語』。一二世紀半ばに起きた保元の乱と平治の乱を扱った軍記物語を現代語訳したものだ。

 俺が初めて大河ドラマを見たのは小六のとき、『平清盛』だ。たしか悪左府:藤原頼長の首元に矢が刺さったときに出来た傷が原因で死ぬシーンだった。人が死ぬシーンだっただけに今も鮮明に覚えている。

 保元の乱当時、藤原頼長が左大臣ながら藤氏長者(藤原摂関家の長)だったわけだが、当時関白で頼長の兄だった藤原忠通がいたのだ。

 この人は摂政前関白太政大臣として「わたの原漕ぎ出でて見れば久かたの雲ゐにまたがふ沖つ白波」という百人一首に入っている和歌を詠んだ人だ。

 なぜ兄であり関白でもある忠通を差し置いて弟で左大臣の頼長が藤氏長者なのか気になって親父の部屋にある本を少し拝借しようとした。


 「親父、入るぞ」

 変だな。いつも「あー」と不満そうに空返事をするのに数一〇秒待っても返事がない。いびきも聞こえない。少し力を入れてドアノブを握って下げると反動で少しドアが動いた。

 どうやら鍵は閉めてないみたいだ。そのままドアを開けてみた。

 

 そこに親父はいなかった。


 部屋の本棚にあった書物は歴史の本を除いて全部空になっていて、キレイに整頓された布団の上に一枚の紙があった。その上には金属物が置いてあった。

 ドアを開けて歴史の本以外なくなった本棚(たしか小説とか雑誌とかがあったと思う。歴史の本以外に興味はなかったから詳しくは知らない)と紙の上で光るリング状の金属物を見た瞬間に察した。

 そして部屋を見回してみるに貴重品等もなくなっていることが分かった。

 ゴミ箱の中をばら撒いて見ると家族の字ではない人が書いた紙があった。

 その文字は思った通り女性が書いたであろう文字であった。

 「雅仁さん、一七日の一二時に朝霞台駅で待ってるわ。明美」

 指輪と離婚届を置いて行ったということは、そういうことだろう。

 

 ちょうど日差しが親父の部屋を照らす。眩しいというか痛い。痛くて仕方がない。

 そしてため息を吐いた。二人にだ。

 まずは無論親父だ。あのクソ親父だ。最近は女遊びをしていないと思ってたのに‼

 拳で窓を殴りたいくらい、イラついているし、ムカついている。絶対に許さない。顔も見たくないと憎しみと共に拳を握った。そして大きく振りかぶって、俺は窓ではなく俺自身を殴った。

 ため息を吐いて失望した二人目というのが俺だからだ。

 何がエールだ。何が憧れだ。何があの大学だ。何が親父だ。

知ってたのに‼亜希の件でも実感しただろ‼人は裏切るもんだって‼

 なのになんで過去にも何度も期待を裏切った親父なんて信頼したんだ‼

 お前は、仮に前科持ちの人間が優しくしてくれたら信じるのか‼その前科持ちの人間がお前の親なら信じるのか‼信じないだろ‼

 何度、同じ誤ちを犯すんだお前は‼障〇者か‼人間じゃないのか‼人間の姿をした猿なのか‼

 何度も期待してるんじゃねぇよ‼いい加減に気づけよ‼



 ……何度、親父に期待したんだろうか。その度に裏切られたのに、母が悲痛な顔をしていたのに、俺は全て見ていたのに……

……なのに、なのに、なのに俺は、俺はその度に期待して、また裏切られて……

……麻薬みたいにダメだって知っているのに、馬鹿みたいに期待して、期待して、期待して、裏切られて、裏切られて、裏切られて……

……その無限ループから逃れられなくて、頑張って親父を悪に結びつけても褒められた程度でその度にフラッシュバックして、結局、何も進歩出来ないまま、なのに、なのに、なのにィ‼またァ‼またぁ……

……なんて馬鹿なんだ……

……なんて愚かなんだ……


……歴史の本だけ置いて行っちまいやがって……

……また、すぐに期待してしまいそうじゃないか……


口元を触って気づいた。

自分の手についた血の量に。

どれほど自分で自分を殴ったんだろうか。口の中は酸化した鉄の味だらけだった。

そういや、なんで血って酸化鉄の味がすんだろう。成分に金属関連が含まれてるからなのかな。


目の前が真っ暗になりつつある。

殴り過ぎたかな。唇も血だらけだ。口紅つけてる感じなのかな、よく見えないけど。あぁ、このまま休んでしまったら血で全て固まってしまいそうだな。

今日が修了式で良かった。明日が修了式だったら、誰かと殴り合ったとか余計な勘違いを生みそうだし、ホント良かった。


 「おにーちゃん‼、おにーちゃん‼」

 茜の声がして目を覚ますと午後六時近くになっていた。

 茜の目には涙があった。きっとかなり泣いたんだろう。俺のさっきの血と変わらないほど目が赤かった。

 「お父さんがいなくなったのはおにーちゃんのせいじゃないよ」

 手紙が少し移動していた。きっと茜が読んだんだろう。

 親父がいなくなったことが俺の責任であることを後悔していたわけではない。己のその弱さと未熟さを後悔したんだ。

 「悪かったな。お兄ちゃん血を拭いてくるね」

 ティッシュと水で血を洗う。もう口内炎が何個も出来てた。

 これは俺の口内炎史上最高の数が出来そうだ。いや幼稚園児の頃に患ったヘルパンギーナの口内炎が圧倒的に史上最高数かな。

 傷口に水が当たる度に痛覚をつねられる程度の痛みが走る。

 普段の寝不足や食事の際に唇を噛んで出来た口内炎のときは、凄い痛いけど、今回は数が倍以上あるのにあまり痛く感じない。

 自分自身の方が痛いとそう感じていたからだろう。

 ……ホント痛いにも程がある。俺は幼稚園児か。


 明美という人について、前に酒に酔った親父が言っていた女だと思い出した。

 俺はその話を録画した大河ドラマを観ながら聞き流していたが、声の大きさの問題もあり忘れることは出来なかった。

 明美という人は、親父と同じ慶鳳大学文学部史学科出身で親父が四年のときに一年生だった子だ。

 大学院進学を目指していた親父が一目惚れしたのが彼女らしい。

 親父はイケメンだったらしく彼女も親父に惹かれていたらしい。

 恋はロマンティックなんて心躍らせているやつらもいるかもしれないが、やはり恋は罪悪だ。夏目漱石の『こころ』の中にも「しかし、しかし君、恋は罪悪ですよ。わかっていますか?」とフレーズが出てくる。


 漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した男と常識というよりはトリビアとして知られている。

現在でも好きな女子がいる陽キャが「月が綺麗ですね」と、いかにも「俺ってこんなフレーズ知ってるんだぜ。イケメンだろ。頭いいだろ」と言わんばかりに告白したりしている。二組でもサマースクールで女子にこれを言って告白したやつがいたそうだが、サマースクールでは放心状態だったため詳しくは記憶にない。

きっと南グループの誰かだろう。


この言葉を漱石が実際に訳した証拠がないことから、あくまでも知識としての言葉であるから相手に伝わらない場合もあるだろう。

俺は、この「月が綺麗ですね」を告白に使うやつらが嫌いだ。前に誰かが陽キャは太陽、陰キャは月と言っていた。

 俺もまぁ、その構図は合致していると思う。

 俺が許せないのは、陰キャは月だと罵りながら、そのくせ告白のときだけ「月が綺麗ですね」というフレーズで陰キャのたとえで軽蔑した月を都合のいいときだけ利用する、その腐った考え方がマジで嫌いだ。

 陰キャは月だということは、陰キャ=月とも捉えることが出来るってわけだ。

 「月が綺麗ですね」と言って告白する陽キャ共め、次からは「陰キャってイケメンですよね」って言って告白してくれ。

 もしそうするなら、「月が綺麗ですね」のトリビアとしての意味を認めなくもないかもしれない。

 

 権威がある人は、こういう手をどんどん使うんだろうな。政治家がそうであるように、子どもの世界でもスクールカーストの上に立つやつらはそういう手を使ってくんだ。

 やはり、人間は汚い。


 こんな面倒なスクールカーストで這って下から上を狙うよりは、やはり一人で良かったと改めて俺の賢い選択に感心した。


 話がずれてしまったようだ。


 つまり、恋に溺れた親父は卒論の最終期限を忘れてしまい留年が確定した。そして留年したら退学させると決めていたその母親の言葉通り、退学した。そして彼女とも別れたそうだ。

 親父は生活費を稼ぐためにバイトするなかで母と出会って愛合家に婿入りして兄貴と俺、茜が産まれたそうだが、俺が小四だったときに親父は偶然、明美という女と再会してしまった。

 そして、花見をしたあの日、俺が怪我をしたあの日、親父は彼女と不倫関係になった。

 その後、母に携帯を偶然見られて不倫関係がバレて別れたものの、不服だったのだろうか。親父が家事をサボって、女遊びをするようになったのはこの時期からだった。

 女遊びは母方の祖父母に注意されて兄貴が家を出るときには止めていた。


 それ以来、女遊びだけはしてなかった。このまま改善していくかもしれなかったが、そこで明美という女に出会ったのだろう。

 そして今回は、単なる不倫ではなく家を出て行く選択肢を選んだのだろう。ある程度予想がつく。

 今頃きっと、二回も再会出来たのは運命だなんて言いながら抱き合っているんだろう。

 

 あぁ、やはり恋は罪悪だ。


 母は離婚届を書かずに捨てた。

 「母さん、母さんはまだ親父のこと好きなの⁉だから書かないの⁉」

 「もう、とっくに好きじゃないわ」

 「なら、どうして⁉」

 「『愛合』という名字は、一度浮気性のあるあの人を好きになってしまった私が背負うべき十字架だから」

 母は、小四のあの出来事以降、結婚とは大博打と言うようになった。

 おそらく恋は罪悪だというのと似つかわしいことを言っているんだろう。

 「アンタたちにもその名字と十字架を背負わせちゃうのは先に謝っておくわ」

 「謝らなくていい」

 それだけ言って母との会話を止めた。

 今まで『愛合』という名字を嫌っていたが、仮に『二条』に名字を変えた所で、俺が愛合真実の子どもであることは変わらない。

 二条孝輔になって今までの人生チャラに出来るわけではない。親父の失踪を経て俺は名字を変えることが、愛合真実という物の怪の血が流れている事実から目を背けることと同類のことだと気づいた。

 あ行なのは嫌だけど、見たくもない名字だけど、俺は愛合孝輔として生きていく。


 どうせ一匹狼でひとりぼっちの人生なんだ。なら逃げずに生きてやる。


 春休み中に同じ西武バス付近に家がある祖父母宅へ引っ越すことになった。提案したのは祖父母だ。きっと母親一人に子ども二人と犬一匹の面倒を見るのはキツイと判断したんだろう。

祖父母宅には店と反対側に離れがあるため、そこを俺らが使っていいそうだ。

ご飯も祖母が作ってくれるらしい。家事を代行する必要がなくなるのは学生としては嬉しいのだが、突然の引っ越しに抵抗がなかったといえば噓になるのは間違いない。

 生まれてから一三年生きてきた家と突然別れることになるんだ。

 ここでの思い出は憎たらしいことも多いけれど、それでもいい思い出がないわけでもない。

家事は忙しかったけれど、レパートリーが増えるのは、実は楽しみだった。

 けど母がそれを承諾したのなら仕方ない。親父が家を出たせいで顔色等々芳しからずだし。いい子していなくちゃいけない。

 俺らは今日、この家を出る。一つの品を隣家のポストに入れて。


 *栗色の髪の少女その一


 「ねー亜希。ブサイクとかぼっちな男子って『ごめん、寝てた』とかをすぐに真に受けるよな。マジ嫌いだわー。亜希もそーだよな?」

 眞子がそう言ったからそうだなって思った。実際に勘違いした人を知ってる。


 「ねー亜希。甘いカフェオレ美味しいよな?」

 眞子がそう言ったから今まで飲んだことがなかったカフェオレを何度も飲んだ。……いくら飲んでもカフェオレは甘過ぎて好みには合わない。

 「ねー亜希。犬なんかより猫の方がかわいいよな?」

 眞子がそう言ったから池袋駅付近や家付近の猫を追いかけた。

 前に家で育てていた花の植木鉢が猫に壊されて以降、猫は好きじゃない。あれは初めて家族の人以外の人から初めて貰ったプレゼントだったから、それを壊した猫は尚更好きじゃない。

 でも、眞子がそう言ったから。猫を愛でた。追いかけた。

 「ねー亜希。奈々ってブラックコーヒー好きで犬好きなんだって。裏切り者はウチらのグループには必要ないよな?」

 眞子がそう言ったから不本意だけど高山ちゃんをグループから追い出すことに賛成した。

 個人的にイジメは嫌い。だけど、眞子は大事な友達だから。……そして怖いから。

 

 「ねー亜希。その『あーちゃん』っての子どもっぽいから止めな」

 「そーなの?」

 「せーぜー自分の名前を呼ぶくらいにしといた方が多少は大人っぽいよ」 

 「でも、『あーちゃん』っての好きなんだけどなぁ」

 「え?亜希、ウチに逆らうの⁉」

 「な、なーんて嘘。わかったよ!今度から『あーちゃん』じゃなくて『亜希』って呼ぶね」


 年末に眞子にそう言われた。だから一人称を『あーちゃん』から『亜希』にした。

 亜希はこの一年でたくさんの友達が出来た。中学生デビュー成功っていうのかな。

 カラオケも行ったし、プリクラも撮ったし、マクドナルドで喋りながら食べたりもした。イヤホンで音楽を聴いたりもした。それで先生に怒られたこともあった。

 成績は高くなかったかな。でもみんなで勉強して二年生からは頑張るもん!

 

 遊んで馬鹿して、何不自由ないJC生活のように見えるかもしれないけど、亜希は一つだけ後悔していることがある。

 それは、孝輔と喧嘩しちゃったこと。


 亜希は馬鹿だ。小心者だ。それくらい馬鹿な亜希でも理解している。

 孝輔は、幼なじみだ。者心ついた頃から……あれ?物心だっけ?どっちか分からないや。とにかく小さい頃から知り合いだった。

 いつも亜希を励ましてくれた。慰めてくれた。遊んでくれた。勉強を教えてくれた。一緒に、悩んでくれた。

 

 おかげで恥ずかしがり屋だった亜希は、変わることが出来た。

 多分、小学生時代の友達や眞子たちは、亜希の恥ずかしがり屋の部分をきっと知らない。今の亜希がいるのは間違いなく、絶対に孝輔のおかげ。

 孝輔は、亜希にとってのお兄ちゃんみたいな存在。幼稚園児の頃も小学生の頃も中学生の頃も男の子の中では背が小さかったけど、亜希とあまり変わらなかったけど、相談相手だったときの孝輔も恥ずかしがり屋対策してくれた孝輔は、亜希の何倍も大きかった。ただただ、かっこよかった。

 それでいて孝輔パパの文句を言う孝輔は、逆に弟のように思えた。でも孝輔は歴史という面では多分、孝輔パパのことを嫌いじゃなかったと思う。孝輔パパの歴史の本をよく読んでいたから。

 小六のときは、よく平清盛って人の本を読んでた。なんて読むんだろうと思って、

 「へいせいせいって誰?」

 って聞いたら、

 「たいらのきよもりだよ。へいせいせいって裴世清(はいせいせい)かよ」

 って笑われた。そういえば大河ドラマでその「平清盛(たいらのきよもり)」がやってたようなやってないような。見てないからはっきりは覚えていない。

あと「裴世清(はいせいせい)」って「はい、先生!」の間違いじゃないのかな。

孝輔パパの歴史の本を片手にそのことを話している孝輔は、奈良の大仏みたいにとても大きく見えた。

だから、きっと歴史の面では孝輔パパのことを嫌いじゃなかったと思う。

 幼なじみなんだから、ずっと一緒にいたんだから分かるんだ。

お兄ちゃんに見えたり弟に見えたり、面白い男の子だった。

 

 孝輔が中学校受験すると聞いたときは驚いた。

 そして、驚きと共に寂しさが出てきた。幼なじみだから、一緒にいるのが当たり前だと思っていたから。一緒にいたかった。それ以外の感情は、多分ない。

 だから、亜希もこの中学校を受験しようとした。

 キツイ受験勉強は辛かった。けど休憩に孝輔がご飯を作ってくれたりしてくれたのは嬉しかった。

 全教科、孝輔に教えてもらった。孝輔は自分で算数は苦手だと言っていたが、亜希よりかは点数が取れていた。

 孝輔の学力は亜希にとって神様レベルで凄かった。

 そう褒めても孝輔は苦笑いしていただけだったけど。

 

 受験日は緊張して電車の中でも問題集を開いていたけど、見ていただけで解いてはいなかった。

 頭の中が真っ白だったんだ。

 

 小学生の頃の友達と離れ離れになるのは確かに悲しかった。幼稚園は小学校も近かったから、小学生の頃の友達の大半は幼稚園児時代からの仲だったわけで、幼稚園児の三年間と小学校の六年間過ごした友達と離れ離れになるのが辛くないはずがない。

 

 一方の孝輔は小学生高学年の頃には既に一人でいることが増えていた。


 小四のとき、孝輔の家族の様子が良くなくなって、そのことに悩んでいて自ら孤立していったってのもあるとは思うけど、亜希のせいでもある。

 

 孝輔が川で溺れた猫を助けたときに、苔の生えた石に滑って転んじゃってガラスの破片が孝輔の右腕に刺さっちゃったんだ。

 そのときに孝輔が軽度の骨折をしちゃったって、孝輔の隣の席だった亜希が色々手伝っていた。

 亜希は、孝輔のことが大好きだったから苦じゃなかったんだけど、数名のクラスメイトが亜希を「亜希は孝輔の奥さん」とからかってきたんだ。

 

 亜希はそう言うつもりは全くなかった。

 だけど無自覚のままこう言っちゃっていた。

 「あーちゃんが川で猫を助けてたら一回猫を落としちゃって、それを孝輔に見られていて、バラされたくなかったらこのゴミ山に転んだときに出来た怪我が治るまでサポートしろって脅された」

 無自覚のまま言ったのに未だにその内容を鮮明に覚えてる。

 

 亜希が言ったことをそのクラスメイトたちが孝輔を除いた他のクラスメイトに伝えたのはそれからすぐのことだった。

 

 「亜希、あのこと先生にも言った方がいいよね?」

 え、先生に⁉

 困ったなぁ。あーちゃんが噓ついたことがバレちゃうな……

 「い、いやぁ、あーちゃんはそこまで気にしてないからいいよ……」

 「でも、そんなんじゃ亜希がかわいそう」

 「いいから!お願い……」

 後の様子からすると、どうやら彼女たちは先生に言わなかったらしい。ホッとした。

 孝輔が先生に怒られなくてホッとした、いや違う。

 ホントは自分の嘘がバレなくて良くてホッとした。もちろん前者のことでホッとしたのはホントだ。

 だけど、ホッとしたほとんどは後者だ。

 なんて、亜希はズルい子なんだ。


小四のクラスでは、亜希のスクールカーストは上の方だった。

 きっと「いいから!」程度で彼女たちが先生に言わなかったのはそれのおかげだったんだろう。

 それがその理由だと確信したのは、去年、すなわち二〇一五年。ずっと忘れられないあの文化祭の出来事だ。


 中学に入学した亜希は、テニス部に体験入部した。

 そこで眞子に出会った。

 同じクラスなのは知っていて、既に仲良くなった生徒たちと体験入部しにきたそうだ。

 仲良くって言っても眞子を中心に輪が広がっているように見えた。

 眞子がクイーンであり他は従者みたいな感じに見えた。


 あまり関わりたくはなかった。


 けど、亜希と眞子が話したのはその日のうちであった。

眞子の靴ひもがほどけてしまい仕方なく亜希が結んであげたんだ。

 亜希もよく孝輔に靴ひもを結んで貰っていたから靴ひもの結び方は知っていた。

 それを結んであげると眞子は喜んだ。

 「ウチは、獅子堂眞子。確か同じクラスの野々石ちゃんだっけ?ウチと友達にならない?」

 それはいきなりだった。

 いきなり過ぎてビックリしたけど、友達を作る機会を逃すわけにはいかなった。

 「野々石亜希だよ。亜希って呼んでいいよ!」

 友達になることを快諾したんだけど、亜希は眞子のグループに入ったのは一番最後だった。

 眞子のグループは、男子の中の最有力グループで男子テニス部の犬田君グループともつるんでいたみたいで、亜希は入学すぐに男女の友達が出来た。

 なんにも失敗していないように見えるかもしれないけど、グループに入るのが遅れたという点で亜希はグループの中でも発言力はない方だった。

 そして、男子を含む亜希よりも発言力のある人たちも眞子の話に同意している感じだった。

 下の亜希がそれに逆らったら、きっとグループを追放される。

 だから、亜希は逆らえなかった。小学生時代に友達という存在に囲まれていて、それなしでの生活が考えられなかったし、何よりも怖かった。そしてみんなから「ひとりぼっち」と馬鹿にされるのが何より恥ずかしかった。

 だからサマースクールの話し合いの後で眞子が孝輔の悪口を言っても肯定せざるを得なかったんだ。


 孝輔が目の前にいたらその悪口に反論していたと当時は信じていた。


 けど、文化祭のあの件で、もしそれでも眞子の意見に同意していたと知らされた。


 サマースクールの話し合いから孝輔は、亜希を避けるようになった。

 何度追いかけても避けられる。今となってはあのサマースクールでの話し合いの後の件を孝輔が聞いていたのではと思っているけど、当時はその理由が分からなかった。


 ようやくのことで孝輔と話すことに成功した。

 そのとき孝輔は、「俺を幼なじみとしてどう考えているの?」と聞いてきた。

 亜希はその質問に「大好き」と答えた。

 仕事ばかりのパパに代わって靴ひもの結び方を教えてくれたのも、逆上がりを教えてくれたのも、勉強を教えてくれたのも孝輔だった。

 そんな孝輔のことが亜希は結婚したいくらい大好きだった。

 小学生くらいの女の子がパパと結婚したいと言う子もいるけど、亜希の孝輔の感情が恋愛としての大好きだったのか、パパを好きだという憧れ的な大好きだったのかは未だに分からない。


 孝輔のことが大好きだったからそう答えた。ただそれだけ。


 それからまた孝輔と一緒になることも増えて、最初の文化祭を一緒に回ろうと提案した。

 孝輔は返事をくれなかった。

 けど、孝輔はきっと来てくれると思った。

 

 そして、文化祭当日。孝輔は中々来なかった。約束をすっぽかされちゃったと不安になったけど亜希は、孝輔は絶対に来ると信じて探した。

 ようやく見つけた孝輔は、テニス部の焼きそばを手に持って歩いてた。

 ようやく一緒に回れる。

 亜希は嬉しかった。二人だけの文化祭の思い出が作れると感じたから。だから久々にアーンしようしたのだ。

 恥ずかしがりながらも孝輔は口を開けてくれた。

 そしてアーンしようとしたとき、眞子がやってきたんだ。

 眞子の顔はいい話のネタを見つけたときの顔をしていた。そして「孝輔は、亜希の彼氏なの?」とやや大きい声でからかってきた。

 普通に幼なじみだからアーンしようとしただけだと言えばいいのに、亜希がその発言のせいで眞子に嫌われるかもしれない恐怖とからかわれた恥ずかしさから、あんなことを言っちゃったんだ。

 亜希は頭の中が真っ白になった。まるで何も見えない一面銀世界のよう。

 孝輔が隣にいたのにも関わらず眞子にホントのことを言えなかったことがほとんどを占めていた。

 眞子は坂井先生にチクろうとした。

 少しはしなくてもいいと言ったのだが、「大げさって何⁉亜希、脅されたんでしょ⁉だったらいけないのはあのチビ陰キャじゃん‼そうでしょ⁉」と眞子に「ウチに逆らうの⁉」といった感じの目で睨まれつつそんなことを言われると、からかわれるかもしれないのが恥ずかしくて、怖くて、何も反論出来なかった。

 その放課後に孝輔に謝ろうとしたけど、孝輔に罵倒されてついムキになっちゃって、孝輔の弱点である「孝輔パパの息子」という事実を言い返した。

 

 孝輔がどれくらい孝輔パパのことを憎んでいたかは知っている。だからその言葉を言ってから、しまったと気づいたけど手遅れだった。

 孝輔に絶交宣言されてしまった。


 当然だ。嘘の罪で反省文を書かせられてその上、その人に罵倒させられて、亜希でも絶交している。

 ここで気づいた。克服したと確信していた恥ずかしがり屋という面が奥に潜んでいたということと自らを欺いてまでも交友関係を守ろうとしたズルさが。

 

 やっぱり、亜希はズルくて酷くて、嫌な女なんだ。


 あれからホントに疎遠になっちゃった。ただ目の前にボロボロに崩れた関係があるだけで。

 たまに孝輔との夢を見る。どんな夢かはほとんど覚えてないけど、いつも朝起きると涙が流れている。

 きっと思っているんだろう。

 関係を元に戻したいと。

 泣いても無駄だと知りながら。

 無意味な涙を流しているんだろう。

 

 そして、今もそれを思い出して涙を流してる。


 「亜希、このイヤホンって注文したもの?」

 ママが部屋に入ってきた。涙を拭ってそれを見た亜希は、ハッとした。

 これは間違いなく孝輔が買ってくれたイヤホンだ。

 だってピンク色のイヤホンが欲しいって話したの孝輔にだけだもん。

 孝輔に誕生日プレゼントをあげた日に、亜希が自分の誕生日に欲しいと言ったイヤホンだ。

 ありがとうって言わないと!そしてごめんなさいって言わないと!


 「そういや愛合さん家、引っ越したみたいね」

 「エッ……」

「外に引っ越し業者のトラックが止まってるわ」


 落雷が直撃したようなショックだった。

 

 このままお別れなのかな。それは、嫌だな。嫌なだよぉ……

 布団に入っても涙は止まらない。

 孝輔からのプレゼント、花の植木鉢から始まり多分このピンクのイヤホンで最後なんだろう。

 始まりと終わりがこんなに悲しいなんて、嫌だ。ハッピーエンドがいい。終わりにしたくない。


 そして、ため息をついた。


 あれだけ酷いことを言っても別れを悲しんでる亜希がいる。

 亜希は、やっぱり嫌な女だな。

 またため息をついた。

 

 亜希は、亜希が嫌いだ。大っ嫌いだ。

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