徒然なるままに~長崎の晩餐

臨終に向かう長崎の在り方を食に求めここに残す
鶴崎 和明
鶴崎 和明

第八段 学生の胃袋

公開日時: 2020年10月26日(月) 19:25
文字数:1,528

 学生の頃というのはとかく胃の容量が大きく、その胃袋を満たすには生半可なまはんかな量の食事ではとても追いつかぬ。ゆえに、長崎大学は文教ぶんきょうキャンパスの近くにもそうした学生に向けた店がいくつか存在する。ただ、長崎は昔より学生の胃を満たすことに対する関心が高く、苦学する留学生に十分な飯を食わせてやりたいという思いから名物となっているちゃんぽんも生まれた。その話は再び後に譲る。

 今やその代わりに学生の胃を満たすのは学生食堂となった。文教ぶんきょう通りの方に面した学食には、私も何度となくお世話になった。未だに覚えているのはカレーの特盛であり、両手に抱えてもしかとわかる重さは私の胃袋にするりと収まったものである。学食のカレーであるため味はほどほどのものである。具材もお世辞にも多いとは言えず、腹が満ちればそれでよしという豪快な一品である。バイト代が入り、これに小鉢を付けた日はどこか鼻高はなだかく席へと向かったものである。うどんも小さいものから大きいものまであったように思う。

 定食の方では、何といってもとりのから揚げのねぎソースがけが私の愛した一品であった。決して特別なものではないが、五百円もせずに学生の心を満たすだけの存在であり、これだけで大盛の飯はぺろりと消えた。丼物も時に食したものだが、これも良い。医学部のある坂本さかもとキャンパス食堂でもかつ丼をいただいたが、文教の味に軍配を上げた。些細ささいな違いであったのかもしれないが、学生時分というのはそうしたことが気になるものである。

 さて、このままではこの話が長崎大学物語となってしまうので、西門から外に出よう。すると、すぐ近くの建物の二階に「キッチンけんじ」がある。この店は以前、反対側の東門に喫茶店きっさてん風の店を構えられていたのだが、私の在学中に移転されて今に至る。移転前は本当に営業しているのかと疑うほどに痛んだ建物であったのだが、移転されてからは小綺麗こぎれいな店に様変わりしている。ただ、本棚に並べられた漫画の中にはその頃を偲ばせるものもあり、店の姿勢の変わらぬことを彷彿ほうふつとさせる。そして、日替わり定食の盛りの多さは学生時分の自分をして満腹を超える量であった。その中でもチキンカツのみぞれ煮が出てきたときの喜びは一入で、胃のも舌も心も満たされ、その日の午後は自主休校と洒落しゃれ込むかと思ったほどである。入ったばかりのバイト代で頂く少しの贅沢ぜいたくは、今なお学生の近くに寄り添っているようである。


 小心の 小僧を満たす とりの味 残るやひんを ひん


 今度は北門を出てからひと坂越えてみる。すると、間もなく住吉すみよしの商店街に至り、多くの飯屋が並ぶのを目にできる。その一角に在ったのが「とくとくうどん」であり、こちらも学生の間ではすこぶる人気であった。それもそのはずで、一玉から三玉までが同じ金額で味わえ、三玉ともなると腹具合によっては食い切れぬほどの量となる。たぬきうどんの三玉などはワンコインでおつりがきて、腹がはち切れそうになる。ただ、その真価はジャワカレーうどんにおいて発揮され、その名に相応ふさわしい辛味が柔らかな平麺ひらめんのうどんに絡み、緩やかに腹を広げてゆく。汗だくになりながら、時に付け合わせの野菜で口をいやしつつ食べ進める。時に汁をすすれば身体は火のいたように燃え上がる。下手に水を口にすれば食べ終わるよりも先に腹が満ちてしまうため、御冷おひやの一杯を惜しむようにいただく。やがて大杯のさまで汁を飲み干し、手を合わせ、気風きっぷのよい女将おかみさんに挨拶あいさつをして勘定かんじょうを済ませる。これがたまらなく旨いのであった。


 背伸びする 小僧に笑う 声満ちる 女将おかみの成せる 店の仁徳じんとく


 昨年、長崎を伺った際に前を通ると、そこには白地に赤文字の看板は無く、黄色い看板と並んだ車だけが在った。この日はなんとなく、昼を食いそびれてしまった。

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