子供の頃からのごちそうで、大人になっても憧憬を呼ぶ食としてとんかつとステーキが挙げられる。子供の頃、我々の年代であればファミリーレストランでステーキを平らげ、その記憶が片隅に染み付いたソースのように落ちないという人も多いだろう。とんかつもまた、目を疑うほどのごちそうではないにせよ、ごちそうの一つとして記憶に残っている人は多いのではなかろうか。和食・定食の王様として君臨し、青春を支えるその味は、他のものには替え難い。
そのとんかつが元の姿に戻れる店が長崎にはある。「とんかつ ルカン」は長崎市役所のすぐ近くにひっそりと店を構え、静かに路面電車の行き交いを見下ろす。決して大きな店でも有名な店でもなく、とびきりの豪勢な料理が出るという店でもない。それこそ、注意しなければ見落としてしまいそうな店であり、中も楽しく床が上下するような構えである。ただ、店に一度でも入ってしまえば刹那に鼻腔に気高い香りが充満する。ここで普通のとんかつ屋と違うことが分かる。そして、出てきた黄金色のとんかつとこれまた鮮やかな色のドレッシングをかけた千切りキャベツとが並べば、それだけで一枚の絵画が完成する。そう、かつの色はよくある茶色のそれではない。まるで男を知らぬ子狐のような色というべきか、それとも夕日に浮かぶ麦秋の野の輝きとでもいうべきか。いずれにせよ軽やかに揚げられたその衣は真に美しいというべきであろう。そして、その薄い衣と濁りのない肉を口に頬張ればその全体に肉の味と胡椒の気品が広がる。
このロースかつをどのように呼ぶべきかは長年の悩みであり、単純にとんかつと表現すべきでないであろうことは、高校時分の私にははっきりと意識されていたように思う。この長年の思案が解決したのはついぞ三十路に入ってからであった。洋食のポーク・カットレット。それこそがこの一枚に与えられるべき名前ではなかろうか。たとえ、添えられた和芥子が敢然と主張しようとも、脇に控える豚汁から小僧の妄想と笑われようとも、この洋食の気を残す逸品には相応しい。
なんといっても、肉が程よく薄いのが喜ばしい。店によっては羊羹を切り出したかのように分厚い肉を、衣が剃刀になるまで揚げて出すようなこともある。それに比べて軽やかに口腔に入り小気味のいい音で噛み切られ、喉の奥へと温もりを届けるこのカットレットの有り難さよ。
それに、一つ一つに手が加えられてできたドレッシングやソース、それに千両役者の端役達も舞台上の洋風を盛り立てる。そして、先日の訪問の際には食べ漏らした自家製のデザートが余韻を残す。こうした単純と取られてしまいかねない食の中に異文化の風が一片混じるというのは、今ではよもや希少なのかもしれない。
カツレツの 裏に控えし 黒胡椒 豚とラードの 夢の浮橋
先日十年以上ぶりに訪ねた際にはご主人の姿はなくその妻女が中心となって店を回されていた。仔細を聞くのは憚られたが、いずれにせよ、消えゆく長崎の灯の一つである。
ただ、長崎でとんかつといえばチェーン展開をしている濵かつがどうしても先に出る人が多いものと思われる。飲食チェーンとしての好感度の高さは驚くべきものがあるが、本店のサービスは目を見張るものがある。カウンターに座って日本酒をやればそれだけで絵になり、店員も小気味よく動き回る。それに行き届いた清掃が作る空間は、大衆が行く店としては何物にも替え難く、これもまた長崎の心づくしが残る店である。利益の傀儡になるなかれと祈るばかりである。
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