徒然なるままに~長崎の晩餐

臨終に向かう長崎の在り方を食に求めここに残す
鶴崎 和明
鶴崎 和明

第二段 餃子

公開日時: 2020年10月22日(木) 14:03
文字数:1,517

 長崎と言えば中華街があり、その料理の筆頭としてはどうしても、ちゃんぽん・皿うどんが先に来る。だからこそ、それを優先的に語る方が普通の食のエッセイとしては「正しい」ことを経験の上から知っている。しかし、ここであえて私は餃子ぎょうざの話をしていく。

 長崎で餃子ぎょうざといえばまず一口餃子の店が挙がってくる。宝雲亭ほううんてい雲龍亭うんりゅうていなどの専門店は長崎の繁華街である浜町はまのまち思案橋しあんばし周辺に点在しており、その中でも思案橋しあんばしラーメンを挟んで向かい合う二店がそれを象徴する。国道と路面電車の成す谷がまるで項羽こうう劉邦りゅうほうの命運を分けた楚城そじょう漢城かんじょうを隔てた谷のように見え、いずれへくかによってこの夜の命運を分かつと言える。場所がしくも思案橋しあんばしであるのも幸いし、幻の遊郭ゆうかくへの思慕しぼも重なる。


 この宵の 夢の旅路の 入口の 門のいずれを 一人尋ねん


 この一口餃子ぎょうざであるが、他の餃子ぎょうざと比べて丸みを帯びており、皮が割合多めであることや野菜も多いこともあってやや甘みが強い。それこそ、見る人が見ればかわいい、という言葉が出るであろう。私も視点こそ違えど可愛いと思う一人であり、その輝きとつややかさは生まれて間もない赤子のほおのように油と水に満ちている。

 この餃子ぎょうざ幼子おさなごたちを一つ二つとみ上げては食べ、麦酒ビールでやる。一人であればその単純な動作が喧騒けんそうという祭囃子まつりばやしとともに進んでいく。

 活気。

 まるでこの世にさなどなく、この一夜の夢が世界のすべてであるかのような有り余る活気こそが何よりの調味料であり、それが私を病みつきにする。客がなければ、留学生の方々の他愛たあいのない会話でもよい。言語など関係ない。

 酒が進む、はしが進む。

 酒が進む、食が進む。

 二人前で二十個もある餃子ぎょうざも気が付けば残りが二つ。祭りの終わりの寂寥せきりょう感に似て、だからこそ丁重ていちょうでる。そして、中瓶ちゅうびん二本を飲み干すと、離席し店をつ。長居は無用。祭りをしんで尻が重たくなる以上のあわれはない。新たなる河岸かしを探すのまた、楽しみなのだ。

 そういえば、この店のにら玉とじもよい。出てくるまでの早さもまた、この店のいきを示すに十分である。

 さて、餃子ぎょうざと言えば長崎にはもう一つ印象的な店がある。中国から来たご夫妻が作ったその店はすい餃子ぎょうざを主力に、長崎の中華街から外れて孤軍奮闘こぐんふんとうされていた。ただ、この水餃子すいぎょうざ逸品いっぴんであり、何度食べても飽きが来なかった。生姜しょうがの使い方と皮が見事であり、酢醤油すじょうゆが合わさればよもや無尽むじんに食べられるのではないかというほどであった。その他の料理もまた正道せいどうを外しておらず、何を食べてもきちんとした仕事がなされていた。好好爺こうこうやたるご主人は皆から「お父さん」と呼ばれて親しまれ、その人格が乗り移ったかのような料理の数々は確かに長崎の味を感じることができた。

 これを全て過去形で語らなければならないのは、既に存在が無くなってしまったからである。ご主人の身に何かがあったり、店が潰れたりしたわけではない。ただ、経営を巡って行われた親子喧嘩げんかの果てに、例の「お父さん」と細君さいくんは横浜に移られ、長崎を去ってしまわれた。だから、店も屋号もそのままでありながら、その長崎の味は二度と味わうことができないのである。

 本店はまだ残っている。しかし、その後にできた支店で食事をした際に感じた寂寥せきりょう感は今なお脳裏のうりに焼き付いて離れない。当然、店の在り方が全く違うと言われてしまえばそれまでであるが、出てきた餃子ぎょうざは輝きを失い、おびえたように皿の上で震えていた。青島チンタオ麦酒ビールがその姿を見ては涙を流す。国破れて山河在りとはいうものの、人破れて食はなしということを初めて眼前に突き付けられた瞬間であった。


 瀟洒しょうしゃたる 勝者の掲ぐ 張りぼての 小社の成せし 味の寂しき


 店をのぞけば客は入っているようである。しかし、そこに過去の幻影は望むべくもない。

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