長崎と言えば中華街があり、その料理の筆頭としてはどうしても、ちゃんぽん・皿うどんが先に来る。だからこそ、それを優先的に語る方が普通の食のエッセイとしては「正しい」ことを経験の上から知っている。しかし、ここであえて私は餃子の話をしていく。
長崎で餃子といえばまず一口餃子の店が挙がってくる。宝雲亭、雲龍亭などの専門店は長崎の繁華街である浜町や思案橋周辺に点在しており、その中でも思案橋ラーメンを挟んで向かい合う二店がそれを象徴する。国道と路面電車の成す谷がまるで項羽と劉邦の命運を分けた楚城と漢城を隔てた谷のように見え、いずれへ征くかによってこの夜の命運を分かつと言える。場所が奇しくも思案橋であるのも幸いし、幻の遊郭への思慕も重なる。
この宵の 夢の旅路の 入口の 門のいずれを 一人尋ねん
この一口餃子であるが、他の餃子と比べて丸みを帯びており、皮が割合多めであることや野菜も多いこともあってやや甘みが強い。それこそ、見る人が見ればかわいい、という言葉が出るであろう。私も視点こそ違えど可愛いと思う一人であり、その輝きと艶やかさは生まれて間もない赤子の頬のように油と水に満ちている。
この餃子の幼子たちを一つ二つと摘み上げては食べ、麦酒でやる。一人であればその単純な動作が喧騒という祭囃子とともに進んでいく。
活気。
まるでこの世に憂さなどなく、この一夜の夢が世界のすべてであるかのような有り余る活気こそが何よりの調味料であり、それが私を病みつきにする。客がなければ、留学生の方々の他愛のない会話でもよい。言語など関係ない。
酒が進む、箸が進む。
酒が進む、食が進む。
二人前で二十個もある餃子も気が付けば残りが二つ。祭りの終わりの寂寥感に似て、だからこそ丁重に愛でる。そして、中瓶二本を飲み干すと、離席し店を発つ。長居は無用。祭りを惜しんで尻が重たくなる以上の憐れはない。新たなる河岸を探すのまた、楽しみなのだ。
そういえば、この店の韮玉とじもよい。出てくるまでの早さもまた、この店の粋を示すに十分である。
さて、餃子と言えば長崎にはもう一つ印象的な店がある。中国から来たご夫妻が作ったその店は水餃子を主力に、長崎の中華街から外れて孤軍奮闘されていた。ただ、この水餃子が逸品であり、何度食べても飽きが来なかった。生姜の使い方と皮が見事であり、酢醤油が合わさればよもや無尽に食べられるのではないかというほどであった。その他の料理もまた正道を外しておらず、何を食べてもきちんとした仕事がなされていた。好好爺たるご主人は皆から「お父さん」と呼ばれて親しまれ、その人格が乗り移ったかのような料理の数々は確かに長崎の味を感じることができた。
これを全て過去形で語らなければならないのは、既に存在が無くなってしまったからである。ご主人の身に何かがあったり、店が潰れたりしたわけではない。ただ、経営を巡って行われた親子喧嘩の果てに、例の「お父さん」と細君は横浜に移られ、長崎を去ってしまわれた。だから、店も屋号もそのままでありながら、その長崎の味は二度と味わうことができないのである。
本店はまだ残っている。しかし、その後にできた支店で食事をした際に感じた寂寥感は今なお脳裏に焼き付いて離れない。当然、店の在り方が全く違うと言われてしまえばそれまでであるが、出てきた餃子は輝きを失い、怯えたように皿の上で震えていた。青島麦酒がその姿を見ては涙を流す。国破れて山河在りとはいうものの、人破れて食はなしということを初めて眼前に突き付けられた瞬間であった。
瀟洒たる 勝者の掲ぐ 張りぼての 小社の成せし 味の寂しき
店を覗けば客は入っているようである。しかし、そこに過去の幻影は望むべくもない。
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