「としえー!」
「気安く名前で呼ばないでって、言ってるでしょ!?」
このホテルではほぼ毎朝、社長の大久保正和(以下、正和)とその妻である副社長の寿江(としえ)による夫婦の口喧嘩から始まる。
ある日には、宿泊客から「うるせー!」と文句を浴びせられる程の激しさだ。正和は親しい人に妻の寿江の事を「どんなに怒鳴っても絶対に出て行かない女」と揶揄しているほどだ。これがこのホテルの語り草であり、笑い話として社員の間で代々言い伝えられていた。
正和は昭和二十年に、地元で代々手広く営む商売屋一家の次男として生を受けた。上には長男と長女がいる末っ子で、両親が地元で独占の商売をしていた関係上、ほったらかしで育てられた事で野菜を一切食す事ができず、魚もほとんど口にする事ができない。六十歳を超えてやっと、魚は寿司だけは食べられるようになったが、焼き魚や煮魚は未だに食す事が出来ない極度の偏食家だ。アルコールも今でこそワインぐらいは嗜むことができるようになったが、若い頃はボタ餅やショートケーキに目がない甘党だった。
結婚が遅かった理由の一つに、親が薦めた見合いの全てを断っていたからだ。それには理由があった。正和には初恋の女性だった大塚妙子がいて、その彼女の事が忘れられず、彼女が結婚した後も付き纏っていたからだった。その時代の事は、後日談として元大塚家の隣の奥様から依田和夫(以下、和夫)が聞く事になる。
大塚妙子は正和と同じ歳で、同じ小中学校を卒業した幼馴染で、正和とも付き合っていた当時、同じくクラスメイトで頭脳明晰だった大塚隆太とも二股を掛けて付き合っていた。社会人となってからの正和は親が全てをお膳立てして作ったプチホテルの社長をしており、住む自宅から乗っている車そして小遣いに至るまで親掛かりだった。
そんな中、妙子が結婚を決める段階になって、東大を卒業し地元に工場を構える東証大証一部上場会社に就職し、親から離れて自力で生活していた隆太の方が大人に見え、正和よりも将来性を感じていたことで大塚を選び結婚した。しかし晩年になり、隆太は大企業の中で揉まれ、優秀だったが故に真正直な生き方しか出来ず窓際族に追いやられ、最終的には精神的な病に侵され、気が変になり、町内を昼間から一人でパジャマや下着のまま徘徊するようになり、その果てには自殺した
後日談として、和夫が寮の近所の人たちから聞いた事では正和は隆太の生前中から妙子の家に入り浸り、妙子の誕生日には赤い薔薇の花束を持ってプレゼントに訪れていたとの事だった。
つづく
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