朝の出勤 大浴場前の床の汚れ。
和夫は流石に今朝の朝の掃除は今までになく辛かった。疲れがピークに達していたからだ。
事務所に行くと愛美がいたので和夫は、「おはようございます。昨日の車の中で話した友人の名刺だよ。近い内に連絡を取って行って相談してみようよ」と言い名刺を見せた。
「おはようございます、A国大使館に本当にお知り合いがいらっしゃるんですね」と愛美。
「こんな事、嘘を言ったって仕方ないじゃないですか」と和夫。
「依田さんは本当にお顔が広いですね」
「愛美さんだって前の会社は日本を代表する会社なんですからお知り合いも沢山いらっしゃるんじゃない?」と和夫。
「私の場合は営業マンとお客様という関係でしかないので、自分の会社の為にそのお客様にお願いするのは気が引けて」と愛美。
「確かにそうだよね。お互い対等の立場じゃないとお願いは中々し難いですよね。連絡が来たら言ってご相談させてもらいましょう」と和夫は言い、ホテル周りの掃除に出かけた。
朝のホテル周りのルーティーンをこなし、蜘蛛の巣取りをした後に、朝風呂に入りたいというお客様がいて案内すると、大浴場前の床のワックスが剥がれていて靴の汚れも酷かった。
副支配人の品川に和夫はその件を話すと、「床のワックス掛けはした事がない」と言った。
「では私がやりますので、ワックスを買って頂けないでしょうか?それとデッキブラシとワックス用モップの購入もお願いします」と和夫は頼んだ。
レストランのカウンターの朝のスタンバイに向かった。
*
朝食のスタンバイと朝食と賄い 料理長の自業自得。
レストランに行きホールのスタッフに挨拶をし、洗い場に行くと多部がニコニコして「依田さん、おはようございます」と言った。
「あ~ら、多部さん、今日もお化粧乗りが良いんじゃないですか? もしかしてお父ちゃんとウフフなんて?」と和夫。
「そうなのよ、昨夜から寝かしてくれないほど激しくて」と多部も調子に乗った。
「それは本当に良かったですね。多部さんのアノ声を聴いてみたいものですよ」と和夫も言った。
「相変わらず、エッチなんだから!」と言ったので、和夫も「多部さんこそ、そのお歳で!お元気な事で何よりです!」と言った。
「そのお歳は無いでしょ!?」と多部が言いながら爆笑していた。
鈴木が髪を切ったみたいだったので、「昨日、綺麗にしましたね?」と和夫が言うと、「カットを少しとエステに初めて行ったのよ」と。
「だからだね、今日の鈴木さんは透き通った感じがしたから」と和夫。
「本当に朝から口がお上手な事!」と鈴木は言いながらも嬉しそうだった。
その足で厨房に行くと料理長は会議室に行ったみたいだった。
和夫は仕込みをしていたスーシェフの神田と三番の新橋に後ろから、「おはようございます」と言うと神田が「依田さん、聞きました?」と言った。
「何を、ですか?」と和夫。
「昨日、料理長の中抜け休憩で車に乗って自宅に帰ろうと思ってエンジンを掛けると富田さんが後ろからクラクションを鳴らして料理長を追い掛けたそうで、自宅が分かると怖いと思った料理長は一時間ほど市内を逃げ回って最後には警察署に飛び込んで助けてもらったみたいですよ」と神田。
「そんな事はあったんですか、パワハラのツケでしょうね」と和夫。
「多分そうだと思いますよ。辞めた理由もそれだと思いますしね。長年の怨念でしょうね」と神田。
「それで交通事故などを起こしたら大変ですものね」と和夫。
「料理長の身から出た錆とは言え、今後は私どもも料理長がパワハラをしないように仕向けますので、依田さんにもご協力頂きたく思います」と神田。
「私のできる事でしたら何なりと仰って頂ければと、お気兼ねなくお申し付け下さい」と和夫。
「ありがとうございます」と神田。
朝食も何の問題もなく終わった。
賄いの時間に副支配人の品川から、「依田さん、最近休んでないですよね?」と言われた。
「はい、副支配人に言い忘れてしまって、休みを頂くのを忘れていました」と和夫。
「明日、結構スタッフがいるので休まれては如何ですか?」と品川。
「ありがとうございます、実は疲れ過ぎているので有難いです」と和夫。
「そうですよね、朝から晩までですから、明日はどうぞゆっくりお休みください。」と品川。
その後、大使館の代々木シェフにご教示頂ける日程をお知らせ頂く旨のメールをした。
*
レストランの窓掃除と寮の駐車場のコンクリート工事の準備。
賄いを食べ終え、タイムカードを押して中抜き休憩に入り、レストラン内部の窓拭きを行い、その後自宅の寮に帰った。
向いの佐々木さんのお嬢さん(若奥様)から言われていた駐車場の石の飛び散りを防ぐ為のコンクリート打設工事をする準備をしたまずはブロワーで駐車場の砂利部分の小さなゴミや枯れ葉などを吸い込み掃除した。
玄関前の床がツルツルしたレンガだったので、雨の日に玄関から出るとスッテンコロリンと滑った事があったので、スレスレまでコンクリートを打ち付けようと思い計画した。
更にはゴミの中にあった柵の切れ端を上げ底に使う為、置いてみた。少しでも資材を買う金を少なくするためだった。この寮でのDIYは全て和夫の自腹だったので、少しでも自腹の部分は減らしたいと思っていてモルタルに混ぜ込む砂利を買うのが嫌だったので、駐車場に敷いてあった砂利を拾い集めた。この作業は結構、腰に来て辛かった。和夫は取り急ぎここまでの作業を終える事にした。作業をやり終えて汗を拭いていると、前の家の佐々木のお婆さんが来て缶コーヒーを二本くれた。
「うちの娘が余計な事、言ったから、ごめんね」と言った。
「いいえ、お気になさらないで下さい」と和夫は言った。
綺麗にしたので、明日の休日にこの後の工程をしようと思った。
この後はシャワーを浴びて、昼寝をした。
*
お向かいの佐々木さんの若奥様と夕食の準備。
和夫は昼寝から起き上がるのが辛かった。眠い目をこすりながら洗顔をして身だしなみを整えていると、玄関のドアをトントントンと叩く音がして「依田さ~ん!」と女性の声がした。開けると、お向かいの佐々木さんのお嬢さんだった。
「どうしたのですか?」
「母に怒られちゃって」
「えっ?」
「私が依田さんに余計な事を言ったからって」
「もうやる事にしたので、お気になさらないで下さい。これから長くこの地域でお世話になるのに、ご近所の方々にご迷惑をお掛けしては生活し難くなりますから」
「私も何かお手伝いしましょうか?」
「本当にお気になさらないで下さい。明日お休みを頂いたので、やろうと思っていますので」
「本当に、本当に、ごめんなさいね。これ良かったら。」と言ってまたお菓子を頂いた。
この日からお向かいのお嬢さんは休み時間に和夫の車があると、何かしらの差し入れを持って来訪するようになった。
そんなこんなにしていたので、夕食の準備に遅れそうになった。
事務所に行くと愛美が、「依田さん、美術館の植野さんから電話を頂いた時に、もしかすると今度、大使館に依田さんと行ってアドバイスを受けてくるかもしれない話しをしたら、是非、私も行きたいって言われちゃったのですが」と言った。
和夫はタイムカードを押しながら、「キチンとした人数が分かれば問題ないと思いますよ」と言った。
「あー良かった、依田さんに怒られるかと思っていてヒヤヒヤしていたんです」と愛美。
「でも、もう広めないで下さいね。先程、代々木シェフにメールしておいたので返事を頂いたらまたお話ししますね」と和夫。
「はい、分かりました」と愛美。
「それと、副社長に県庁の佐野さんから言われた、お皿の件を話してもらえました?」と和夫。
「その件ですが依田さんと大使館に行って代々木シェフに伺おうかと思ったので、それ以降に言おうと思っています」と愛美。
「そう言う事ですね。承知致しました」と和夫。
和夫はレストランに行き、皆に挨拶をした後にカウンターのスタンバイをしていると英子が来て、「あれ?夜のパートはどうしたの?」と言うと、「お休み頂いたの」と言った。
「何で?」
「昼に帰る時に品川さんがシフト表に依田さんの休みを明日にしたから」と英子。
「それと英子の夜のパートを休むのと何が関係しているの?」と和夫。
「今日の夜、待っているから来て」と英子。
「そう言う事?」と和夫。
「そう言う事、だってこの間、近い内って言っていたでしょ?」と英子。
和夫は(今晩は無理でしょう)と思った。
「じゃぁ、待っているからね」と英子は言って帰っていった。
*
夕食と愛美の夕食の賄いに和夫が付き合う。
今日の夕食は何も問題も起きずに終了した。
賄いは食べずに、愛美だけだったので一人での食事は寂しかろうと一緒に話した。
「依田さん、今晩はどちらに?」と愛美。
「友人が来ているので一緒に飲みに行こうと思って」と和夫。
「依田さんはアルコールはダメだったのですよね?」
「うん、だから食べるのが専門だけどね」
「良いな……」
「何が良いの?」
「依田さんは独身だから自由だから」
「そうだよね。結婚すると中々自由はないよね」
「今度はいつ?」
「何の話し?」
「だから……」
「だから何?」と和夫。
「セ‥‥‥。」と愛美。
和夫は分かっていたが愛美の口から言わせようと思い「セ?」
「抱いてはもらえないんですよね?」と愛美。
「まだそんな事を言っているんですか? ダメですよ」と和夫。
「主人が居るからですよね?」
「そうです、ご主人と仲良くして抱いてもらって!」
「そうやって冷たく付け離すんだから!」
「でも愛美さんは私の妻じゃないですからね」
「そうだけど……」
「そういう男性を選んだのでしょう。婚前交渉してまでして?」
「そうだけど……」
「だったら仕方ないじゃない、食べ終わったみたいだから帰るから食器を洗って」と言い、誰も居ない洗い場に行くと、愛美は和夫の首に腕を回しキスをしようとした。
「ダメですよ。こんな所を誰かに見られたら大変でしょ?」と和夫は続けて、「ではお疲れ様でした」と言い、事務所に行きタイムカードを押してホテルを出た。
*
英子宅へ夕飯のお呼ばれに。
和夫はコンビニでケーキを十個買って、車で英子のアパートの前に車を停めてドアの前でノックをした。
トントントン!
英子はドアを開けてくれて「来てくれたのね」と満面の笑みで迎え入れてくれた。
「うん、あんな強引に言われて帰っちゃうんだもん、断れないじゃん!」と和夫。
「それがオバサンの手なのよ。ありがとう」と英子。
「そうだろうと思ったけど、俺、最近疲れているから食べたら帰るからね」と和夫。
「うん、疲れているのが良く分かるから、今日はニンニクの鍋にしたから」
「このクソ暑いのに、また鍋?」と言って苦笑いをした。
「この前はおでんだもんね、この間、自分で言っていたじゃない、暑い日こそ熱い物が体には良いんだって!」
「ま、そうだけどさ」
「ご馳走になるんだから文句は言わないの!」
「は~い!」と言った瞬間に英子は和夫の首に手を回して、「今日の依田さんは私だけの男だから。」と言ってキスをせがんで来た。
「お代官様~!そっ、それだけは勘弁して下さいまし~!」と言い、上手に逃げた。
「つまらないの!」と英子が言って膨れた。
和夫はコンビニで買ったレジ袋に入っていた洋菓子をそのまま渡した。
「気にするな! って言っただろ?」
和夫「一応、礼儀としてさ」
台所では鍋がグツグツしている音が聞こえたので、「英子、鍋!」と言うと、「あっ、そうだ!」と言って慌てて台所に行った。
英子は「やっぱり暑い時は鍋に限るね~!」と言ってミトンに手を入れて鍋を掴んでテーブルの真ん中に置いた。
英子「さぁ、食べて!」と。
英子の横顔を見ていると安心感が沸くから不思議だった。
あの居酒屋で初めて会った時から姉貴のような、優しい母のような面倒見の良さと気取らない姿に惹かれた。
英子と出会って本当に良かったと和夫は思った。
「私の顔に何か付いているの?」と英子。
「英子と出会って俺は幸せだなって思っていたんだよ」
「そんなヨイショしたって何も出ないよ!」
「歳なのにアソコからいっぱいエッチな、お汁を出すんだろ?」とふざけた。
「歳は余計だよ、ったく!」と言って笑い、「はいはい、温かい内に食べな! 美味しいからさ!」
「これ以上、歳を取らない内に英子を食べなくちゃね」
「だから~、歳の事は言うなって言っているだろ!?」と苦笑いし、「そんなに私の事が好きだったら結婚してやろうか?」
「お代官様~~!それだけは何とかご勘弁を~~!」と言った。
食べ終わってから、「ご馳走様!」と言って、帰ろうとしたら、「本当に帰っちゃうの?」と訊いたので、「うん、そうだよ。ご馳走様!」と言って帰った。
つづく
読み終わったら、ポイントを付けましょう!